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第四話 闇の在処(ありか)

四章:六 闇の地:秘められた約束2

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 闇呪あんじゅはそっと澄んだ闇を隠すように目を伏せた。呟くような声が沁みこむように響いてくる。 

「たしかに緋国ひのくにの姫君のお話は伺っています。ですが、私はその縁を結ぶつもりはありません。もう二度と妃を迎えることはないでしょう」 

 緋桜ひおうは驚かなかった。どこかで予感していた答えなのだと、彼に言葉にされて気がついた。しずかの遺した言葉が、ゆるやかな波紋となって胸の内を奮わせている。 

 六の君の守り手。 

 その真実だけが緋桜の世界を形作っていく。王としては危ういほどにその言葉だけを信じているのだ。だから闇呪をこの世の悪であると思い切れない。思いたくないというのが本心だった。 

「二度と妃を迎えない、その理由を伺ってもよろしいでしょうか」 

 聞かなくとも判るような気がしたが、緋桜はあえて口にする。闇呪あんじゅは期待を裏切ることなく、語ってくれた。 

「私と縁を結んで、無駄に魂魄いのちを失ってほしくありません。それだけです」 

「無礼を承知で申し上げますが。これまで迎えた姫君達は、むごい最期さいごを迎えたとお聞きしています。人々は全てあなたのせいだと申しています」 

「そのとおりです。――全てわたしのせいです」 

 まるで思い出したくない光景をはらうように、闇呪は目を閉じる。強く悔いていることがあるのだろう。緋桜は人々の噂から描かれていた全てを白紙に戻した。 

「それは、……守りきれなかったことを悔いておられるのですね。そして、六の君も同じ道を辿るかもしれないと、あなたはそれを案じている。違いますか?」 

 闇呪は答えない。けれど彼の背後から放たれていた黒麒麟くろきりんの殺気が、さらに和らいだ。緋桜は続けた。 

「あなたが懸念する不幸から、新たな妃――六の君を護ることは本当に不可能なのでしょうか」 

「私には自信がありません。それ以前に、私のような禍と縁を結ぶことを喜ぶ者などありません。末の姫君が哀れです。それとも緋国ひのくにの仇として憎まれている姫君には、それが当たり前の試練だと云うことでしょうか。これまでの妃と同じように、その姫君がむご最期さいごを迎えることをお望みか?そのような非情な役回りを託すために、あなたはこちらにおいでになったか」 

「違います」 

「では、なぜ? なぜ、それほどこの縁にこだわる必要がありますか」 

 緋桜は迷いなく答えた。 

「私は六の君に幸せになってもらいたいのです」 

「幸せになってもらいたいからわざわいと縁を結ぶと? 赤の宮、仰っていることが矛盾しています」 

「いいえ。六の君が緋国で幸せを掴むことはできないのです。これ以上留め置くことはできません。緋国にはそれほどの確執があるのです」 

「先代くれないみや夫君ふくんである比翼ひよくに裁かれたと聞いています。そのために生まれた姫君は緋国の仇として憎まれている。緋国の憎き仇。あなたがそのような者の幸せを望む理由が私にはわかりません」 

 緋桜は覚悟を決める。闇呪にはどうしても判ってもらわねばならないのだ。 
 六の君を護る為にこの縁を結ぶこと。それを伝えるためにここに来たのだ。 

「――六の君は私の生んだ娘です。本来は継承権を持つ一の宮となる筈の娘でした。しかし、一の宮の誕生は緋国に大きな確執をもたらす。その最悪の事態を回避するために、出生に関わる真実を伏せることにしました。それだけではありません。六の君は、生まれた時から数奇な運命を約束された娘なのです」 

 耳の痛くなるような静寂があった。 

闇呪あんじゅきみ。六の君の幸せを願うのは、私があの娘の母だからです。ここに参ったのも緋国の女王としてではありません。ひとりの母として参りました」 

 緋桜はその場に手を突いて深く頭を下げた。 

「どうかあなたの力で六の君をお護りください。私はそれだけを申し上げたくて、こちらに参りました」 

 固く目を閉じて平伏していたのは、闇呪あんじゅが戸惑いをやり過ごす一呼吸だけだった。 

「赤の宮、顔を上げてください」 

 緋桜ひおうがゆっくりと上体を起こすと、闇呪は困ったように目を細めた。 

「さきほども申し上げましたが、私には妃を守る自信がありません」 

主上しゅじょうっ!」 

 突然、闇呪の背後で押し黙っていた女がけたたましい声をあげた。緋桜は思わずそちらを見る。女はずかずかと強い足取りで闇呪のすぐ傍らに立った。 

「赤の宮は主上のことを信じているのです。主上の力を以ってして、何ができないのですか。我ら黒麒麟にも情けはあります。その哀れな姫君をお護りするべきです」 

麟華りんか、この地にわだかまる悪意から本当に守りきれると思うのか?」 
「守りきれますとも、絶対に」 

「おまえのいうことには根拠がない」 
「主上にできないことなどありません」 

 女の場違いなほどの剣幕に、緋桜は開いた口が塞がらない。やがて時を見計らったように、沈黙を守っていた男が二人に歩み寄った。 

「我が君。我らは守護として、我が君を信じる者を無碍にはできません。赤の宮が我が君を頼ってこられたことが、ただ嬉しいのですよ」 
「そうですわ、主上」 

 闇呪あんじゅはただ、傍らの二人を見つめた。言葉を失っているのかもしれない。 

あかみや」 

 ふいに男が緋桜を見た。はじめのような険しさのない、闇を閉じ込めた宝玉のような瞳だった。 

「我が君は姫君をお護りするために最善の努力はなさるでしょう。しかし、姫君を守り抜き幸せにできるとは限りません。それでもよろしいのですか。それでも、我が君に託すことができるのですか」 

「託します。――私は、信じています」 

 しずかの遺した言葉を。 
 緋桜は最後の言葉を呑み込んで、黒麒を見つめた。 
 決して闇呪を信じているわけではない。けれど、静を信じる限り闇呪を信じなければならないのだ。いまさら闇呪に託すことを迷いはしない。 
 緋桜の答えを黒麒麟がどのようにとらえたのかはわからない。黒麒はただ頷いて闇呪を見返る。 

「我が君。いかがされますか」 

 闇呪は困ったように笑った。恐ろしい噂からは想像もつかないような微笑みだった。 

「赤の宮、あなたの思いに添えるよう努めてみましょう。――出来る限り、末の姫君をお護りします」 

 緋桜は再び平伏した。声が震えた。 

「ありがとうございます」 

 いつの日か、きっと娘が幸せになる先途みらいがある。その一歩を踏み出したのだと、緋桜は信じて疑わなかった。 
 あとは心を鬼にして、六の君にこの縁を結ぶよう伝えるだけ。 
 恐ろしい禍の妃となること。それが六の君にとってどれほどの衝撃となるのか。 
 緋桜はあえて考えることをやめた。試練の先には輝いた先途みらいがある。 
 ただ頑なに、緋桜はそれだけを考えた。
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