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第四話 闇の在処(ありか)

四章:一 透国(とうこく):希望の歯車

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 最愛の后となる筈だった地界の娘――白露はくろ輪廻りんねの儀式は無事に終わった。透国とうこく第一皇子だいいちのみこである白虹はっこうと縁を約束されていた娘の死である。輪廻の儀式はその立場に相応しく、厳かに盛大に執り行われた。 

 儀式を終えてから、白虹はっこうは自身の住まう白銀宮はくぎんきゅうにこもり、人払いをした内殿の最奥で過ごすことが多くなった。いずれ国を背負って立つという第一皇子の責務を放棄したまま、激務を強いられる日々を過去の遺物のように置き去りにしていた。 

 白虹は臥牀しんだいに横たわる美しい亡骸を見つめる。手を伸ばしてそっと頬に触れるが、生前の温もりは蘇らない。 
 儀式からは既に一月が経っていた。絶望の後にもたらされた希望。それが期待に形を変えるのは容易かった。いまだ霧散することなく、白露の亡骸は姿をとどめているのだ。いつか目覚めるのではないかと云う思いが、抗いようもなく白虹の心を占めていた。 

 けれど、同時に深い不安も募る。この世の道理に背くことなく、亡骸が霧散し跡形もなく失われる恐れも捨てきれない。希望と絶望が背中合わせに思考を苛む。故に白虹は白露の傍から離れることが出来ない。 
 白露の美しい亡骸を傍らに、白虹は思い起こす。 

(「――私には姫君を救うことができるかもしれない」)

 惨い亡骸を嘆くだけの自分の前に、とつぜん現れた人影。姿を隠すかのように頭から目深に着物を羽織っていた。この上もなく怪しい訪問者。 
 けれど。 
 彼が漆黒の剣を抜いた瞬間、白虹の中で猜疑心が緩んだ。 

 闇色の剣。 
 それが意味すること。考えるよりも先に心が縋る。 
 白露の黒き躯を救えるのなら、闇に魅入られとなろうとも悔いはしない。 

(「――それほどに警戒されるなら、この剣をあなたに預けます」) 

 白虹の狼狽を見抜いたのか、彼はよく通る声で信じられないことを告げた。 

(「――これは私の悠闇剣ゆうあんのつるぎです」) 

 天籍にある者にとって、剣の存在は真名まなが具現化した形とも云われているのだ。 
 己の剣を差し出す。他にはもう何も必要がなかった。鬼に対する恐れも消えていた。 
 その姿勢だけで、白虹は信じられる気がしたのだ。 

 そして彼は決して白虹の期待を裏切らなかった。絶望に吹き消された希望が再び小さく灯る。 
 白露は美しい姿を取り戻した。 
 よほど体力の消耗を強いられたのか、彼は亡骸のを取り除くとぐったりと気を失った。供にあった臣従の腕に倒れこむ間際、目深に被った着物から零れ落ちた漆黒の髪。色を失った横顔が、一瞬だけ垣間見えた。あまりに端正で、異質な髪色にうろたえることを忘れるほどの美形だった。 

 何者なのかは分からない。 
 ただ白虹の内には感謝だけが残った。彼の正体については、憶測することしかできない。 

(……黒い髪と、を制する力)

 その二つが意味する素性は限られている。ひとつのことしか示さないといっても良い。 

鬼門きもん、あるいは坩堝るつぼの番人) 

 黒髪と呪鬼じゅきを与えられた者はこの世に一人しかいない。世の禍として生まれた滄国の第三太子である。 
 彼が生まれ落ちた瞬間、辺りに放たれたというおびただしい鬼。滄国の内裏は累々と横たわる屍の屋敷になったと云われている。後宮はまさに全滅で、母である后の魂魄いのちも例外ではなかった。 

 黒眼黒髪の恐ろしい容姿と、残忍で非情な気性。 
 先守が占ったこの世の禍として、たがうことなく生まれた者。 
 人々は恐れと皮肉を込めて闇呪あんじゅと呼ぶ。 
 闇呪。この上もなく呪われた愛称すらも、彼は笑いながら受け入れたと噂されていた。 

(あれが闇呪あんじゅだというなら、あまりにも――) 

 あまりにも噛みあわない。ただ黒髪と与えられた力だけが等しい。けれど黒髪と呪鬼じゅきを持つという事実は闇呪にしか繋がらないのだ。 

(わからない) 

 考えても答えは出ない。白虹はっこうには別人であるとしか思えなかった。 



 動かない白露はくろの亡骸を前に、時だけが無為にすぎていく。王である白の御門みかどには、すでに亡骸は無事に霧散したと伝えた。内殿の真実は誰にも暴かせはしない。 
 いつまでも輪廻しないという事実は、おそらく業火の儀式を導くだろう。 
 白露の兄である白亜はくあには打ち明けるべきかと考えたが、その考えもすぐに改めた。 

 亡骸が霧散してしまう可能性。少し傍をはなれた隙に、目を離した隙に、それは唐突にやってくるのかもしれない。その不安が白虹はっこうを内殿に閉じ込めていた。 
 白虹はまるで眠っているような白露を見つめる。 

 霧散するかもしれないが、それと同じだけ蘇る可能性も秘めているのだ。 
 蘇るためには、なにかが欠けているのだろう。 
 それが環境なのか条件なのか、あるいは全く違う要素なのか。 
 わからない。 
 わからないから、動けない。 

(――このままでは、駄目だ) 

 このままでは白露は蘇らない。何かが足りないのだ。 
 白虹は白露の髪に触れて、祈るように目を閉じた。 

(どうか、どうかこのまま消えないでほしい) 

 亡骸に強い想いを託して、彼はようやく内殿を出た。 
 白露を取り戻すために、何が足りないのか。 
 これからは、その希望のためだけに自分が在る。 
 しかしその想いは、やがて繋がっていく――まるで天意に導かれるように。
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