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第三話 失われた真実

第十一章:1 闇を照らす輝き

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 朱里あかりは寝台に横たえていた体を起こして、ぱちぱちと自分の頬を叩いた。まだ頭がのぼせているが、いつまでも放心している場合ではないと気を取り直す。 

 思い返そうとしても、理系の準備室からどうやって自宅まで帰ってきたのか、よく思い出せない。帰宅後はふらふらと自室まで戻り、制服を着替えることもせずにぱたりと寝台に突っ伏してしまった。舞い上がっているのか、動揺しているのか、うろたえているのか、よく判らない感情に支配されている。 

 朱里あかりは準備室での出来事を振り返る。副担任の仮面をはずしたはるかは、端正な顔に淡い笑みを浮かべた。それは甘い色香を滲ませながらも、胸が締め付けられるほど切ない。間近に迫った、かげりのある深い色合いの瞳。彼の語った言葉の一つ一つが、小さな棘となって痛みをもたらす。 

 まるで朱里に触れることが罪であるかのように。 
 自身を蔑む寂しい言葉。 

 蘇る囁きが、朱里の中にじわりと哀しさを撒き散らす。 
 戒めを破るように、彼は強い力で朱里を引き寄せた。顔に触れた掌の熱、頬に落ちかかった柔らかな前髪。 
 それから。 

 朱里はそこまで思い出してから、再びかっと頬を染めた。少しずつ鎮まっていた熱が、再び全身を逆流する。 

(うわー、駄目) 

 それ以上の回想を断ち切って、朱里は寝台に転がっていた抱き枕を力一杯抱きしめる。結局、あれから朱里は資料作成の手伝い処ではなく、全く使い物にならなくなり、遥に見送られて帰途についたのだった。 

 全身を茹蛸ゆでだこのように火照らせて、あからさまにうろたえていたのだから、どうにもならない。遥もあまりの狼狽ぶりに、困ったように苦笑していた気がする。 
 朱里は抱き枕を抱えたまま、再び寝台にどさりと横たわった。 

(私ってば、お子様すぎるよっ。全然先生に釣り合ってない) 

 胸の内で咆えてから、抱えていた抱き枕をぽこぽこと殴ってしまう。 

(先生は呆れてしまったかも。……っていうか、私、こんなに幼くて、本当に先生の伴侶だったの?) 

 自分がそんな立場を受け入れられるほど大人だったのかと、朱里は失われた事実について無意味な理由で悔やんでしまう。しばらく行き場のない恥じらいと情けなさにとりつかれて悶えていたが、朱里は抱き枕が可哀想な位に変形していることに気付いて、ようやく我に返った。 

(とりあえず、着替えよう) 

 このままでは制服にも皺が寄ってしまう。取り戻した理性で寝台から降り立って、上着に手をかけた。平常心が戻ってくると、暗がりに沈んでいる室内が静まり返っていることに気付く。外は既に日が暮れて、空は夜の装いをはじめていた。朱里は部屋の明かりをつけて眩しさに瞬きしながら、双子の兄と姉が不在であることを思い出した。 

 このくらいの時刻に双子が帰宅していないことはよくある。けれど、麟華りんかは今朝、帰りが遅くなることを予告していた。 

――朱里、私と麒一きいちは教師の集まりに参加して来るから、今夜はまた帰りが遅くなるわ。 

 朱里がいつものことだと深く考えずに頷くと、麟華は不気味なくらに目を輝かせていた。 

――今夜は黒沢くろさわ先生と二人っきりの夜になるかもしれないわね。朱里、女はガッツよ。この機
会を無駄にしたらお姉さまの鉄槌を喰らうことになるわよ。 

 突拍子もないことを言い出した姉に、朱里は有り得ないと、全否定の返事をした記憶がある。麟華りんかの妄想はどこまでも膨れ上がっていた。 

――そうだわ、これを機に二人で同じ部屋を使えばいいのよ。遡れば朱里はれっきとした伴侶だったんだから、誰も咎めたりしないわよ。私が許す。違うわね、むしろ推奨するわ。 

 朱里あかりはいい加減にしてよと咆えて、さっさと家を出た。麟華の非常識な発言に気を取られていたが、双子の帰宅が遅くなることは間違いがない。遥と二人で過ごす時間を思うと、朱里はどうしようもなく焦る自分を感じたが、それよりも、ふと今まで感じることのなかった違和感を覚える。 

 双子が教師の集まりに参加すると言って、深夜に帰宅、あるいは朝帰りすることは、これまでにも度々あったことだ。朱里にはそれを疑う理由がなかったが、少なからず異世界の事情を知った今となっては、不自然な面が見えてくる。 

 そもそも高等部の美術教師と、大学部の文学系の助教授が一緒に参画できる集まりとはどんなものなのだろうか。学院の教師からも、そんな話を聞いたことがない。完全にないと否定はできないが、そんなに頻繁に交流があるものだろうかと疑問に思う。 

 帰宅した双子が、いつも不思議なほどに疲労感を漂わせているのも事実だ。これまでは、宴会にでも参加して羽目を外したのだろうと考えていたが、振り返るとやはり不自然だった。 

 教師の集まりと言うよりは、双子は異世界の事情で出掛けているのではないだろうか。朱里にとっては、そう考えるほうが自然に感じられた。 

 制服の上着から片腕を引き抜きながら、じっと双子の所在に思いを巡らせて見るが、朱里には検討もつかない。今まで双子が帰宅を果たさなかったことはないのだから、また疲れた顔をして戻ってくるに違いない。胸に広がりつつあった心細さを振り払って、朱里はベランダへと続く大きな窓の前へ歩み寄る。脱いだ上着を手に持ったまま、双子の帰宅がいつ頃になるのかと、すっかり日が暮れた夜空を仰いだ。 

 直後、朱里は目が痛くなるほどの輝きに包まれる。何が起きたのか判らないまま目元に手をかざして光をやり過ごしていると、それは視界の向こう側ですうっと収斂しゅうれんして消えた。ベランダの向こう側は、何事もなかったのかのように夜の装いを取り戻している。朱里は込み上げた不安に突き動かされるように、窓を開いてベランダへ飛び出した。身を乗り出すようにして、人気のない邸宅の前の道に目を凝らす。 

 辺りはしんとした静寂と夜の闇に包まれていて、日中のように向こう側を見渡すことができない。朱里はようやく肌に触れた外気の冷たさに気付き、身を震わせる。思わず自身の体を抱くように、腕を回した。息を潜めてみても、何の気配も感じられない。 

 ただ不安を煽るように、自身の鼓動だけが響く。 
 朱里は自分を抱く腕に力を込めた。 
 一瞬、辺りの闇を照らした真っ白な輝き。朱里は考えるよりも先に、血の気が引いていく恐ろしさに占められてしまう。 

 脳裏に、数日前の出来事が蘇っていた。 
 麟華りんかに振り下ろされようとしていた白い刀剣の輝き。輝きの激しさは格段に異なっているのに、どうしても結びついてしまうのだ。 

 朱里は息苦しさを感じて、思わず喘ぐように呼吸する。動悸の止まない胸元にぎゅっと拳に握り締めた手を当てた。 
 双子もはるかも、まだ帰宅していない。朱里は競りあがった不安に支配されて、居ても立ってもいられなくなる。すぐに踵を返すと、上着を羽織ることも忘れて家を飛び出していた。 
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