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第三話 失われた真実

第九章:6 水源の腐敗

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「――はい。だって、もうすべがありません。相称そうしょうつばさの行方も、未だ天界には何の音沙汰もありませんし。地界にはもう猶予がないのです。だから、兄様なら、水の腐敗について、何か気がつくことが在るのではないかと」 

「気づくこと、ですか。彼方かなたはどう思いますか」 

 突然話題を振られて、彼方は大袈裟に瞬きをしてしまう。 

「えっと、気づくことって云われても、腐敗に関わるのはだよね。天帝てんてい加護かごが費え、衰退してゆくのなら、それは避けて通れない成り行きになる」

 当たり前のことしか言えず、彼方は首をかしげて奏を見た。奏は頷いて続きを語る。 

「そうです。生長はじん、腐敗は。生と死をそれぞれに司る源だと考えられています。そのように、じんは相反するものですが、元々は一つであるという捉え方があります。世界を満たす何らかの力、あるいは源、ここではいにしえから言われるように、としましょう。氣が善意のようなものに触れてじん、悪意のようなものに触れてとなる。そのように考えると、世を満たす源――氣がどちらに転じるかで、生長に恵まれた豊かな世になるのか、腐敗に穢れた貧しい世になるのかが決まります」 

 彼方は雪と顔を見合わせてから、再び奏を見る。彼が何を導こうとしているのかが判らない。 

「黄帝のらいは、氣をじんへと転じる力です。だから、天帝てんてい加護かごは世を豊かにします。しかし、それが費えた場合、どうなってしまうのか。どうなってしまうと考えますか」 

 奏が再び彼方の意見を促す。彼方はとりあえず当たり前の事実を思い返した。 

は本来、誰かの力で形作られるものではないんだよね。今は闇呪あんじゅという例外が在るとしても、本来は天帝の加護のように、故意に作り出せるものではない。たけど、世が荒んでくると、なぜかが蔓延する」 

「そうです。これは推測ですが、餓えや貧しさはそれだけでとなり得る。世が荒むと、人々の心にも反映される。悪意が限りなくを生み出す」 

「じゃあ、水源の腐敗は、地界の人々の不満が限界に達したという証明ですか」 

 雪の言葉は絶望的な響きを帯びていた。奏は困ったように笑う。 

「私の推論では、そういうことになってしまう」 
「そんな」 

 瞳を潤ませた妹を慰めるように、奏が柔らかな口調で続けた。 

「だけどね、雪。私には気になることがある」 
「気になること?」 

「水源がそのように急激に腐敗を始めた理由です」 
「それは、人々の不満が急激に加熱したのではないかしら」 

「その可能性も高いのですが、逆に考えてみると」 
「逆?」 

 彼方の声に、雪の声が綺麗に重なった。奏は「はい」と微笑んだ。 

「貧しさから目をそらすことは出来きませんが、それでも地界の人々の生活は、それなりに保たれていたように思います。これほどに天帝の加護を失いながら、貧しさに喘いでいても、暴動が起きるような兆しはなかった。人々は慎ましやかに生活を営んでいた。地界は状況に不似合いなほど、これまでが平穏すぎたとは考えられませんか」 
「それは、辛うじて水源が保たれていたから……」 

 雪の呟きに、奏は首を傾けた。 

「もちろん、理由は色々と考えられるでしょう。けれど、もし本来荒んだ世に蔓延するはずのが、誰かの手によって払われているのだとすれば、どうですか」 

 彼方は妹を見つめている奏の横顔を食い入るように見つめた。彼の導き出そうとしている結論。彼方にも心当たりがあるが、素直に賛同できない。それほどに都合の良い話があるのかと感じてしまう。けれど、同時にそうであってほしいと願っている自分を無視できない。 

 正義のり処《か》が、世を救う手立てが、彼方には判らないのだ。 
 荒んだ世を蔽い尽くす筈の。 
 もしそれを払うことが出来たのなら、確かに本来がもたらす筈だった弊害を食い止めることが出来るだろう。 
 奏は穏やかに推論する。 

じんが表裏一体であるとすれば、じんの費えた世にはがはびこる。じんの比率が世界の状況を現す。けれど、もし神と鬼が互いに費えたのであれば、生長も腐敗もない。生と死が停止したままの状態が続くのではないかと、そんなふうに考えることはできないですか」 
「でも、兄様。地界のを全て払うなんて、黄帝の齎すじんと同じくらい、大きな力が必要……」 

 雪の声が不自然に途切れた。彼方かなたは彼女も兄である奏が言わんとしていることに辿りついたのだと悟る。雪が一呼吸おいてから、兄の綺麗な顔を見つめた。

闇呪あんじゅきみが、を払っていたと。兄様はそう考えているのですか」 
「都合の良すぎる推測だとは感じているよ。だけど、幾つか無視できない事実があります」 

 穏やかだが、芯の強さを感じる声だった。奏がゆっくりと彼方を見る。 

「彼方、天宮家へ参りましょう」 

 彼方は頷くことしかできなかった。 
 まるで一筋の光明を見つけたように。 
 闇呪あんじゅ――黒沢くろさわはるか。彼の心の有様が知りたくてたまらない。 
 彼方は知らずに胸元を掴んだ。胸がはやるのを自覚していた。
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