上 下
102 / 233
第三話 失われた真実

第九章:1 長閑(のどか)なひととき

しおりを挟む
 よく晴れた気持ちの良い午後。朱里あかりはいつも通り教室で授業を受けている。変わらない光景があまりにも長閑のどかで、少しだけ穏やかな気持ちを取り戻した。 
 教壇に立っているのは、副担任のはるかだった。朱里は目があいそうになると、ノートをとるふりをして慌てて視線を伏せた。 
 昨日の告白からは、まだ一夜しか明けていないのだ。 

 恥ずかしくて、いたたまれない思いが込み上げてくるのは仕方がない。まともに顔をあわせることが出来ず、朱里は今朝、無意味なほど早い時刻に学院へ登校していた。 
 教室内には、遥の心地の良い声が響いている。ノートの上で無駄にぐりぐりと鉛筆ペンを動かしながら、朱里はそっと吐息をついた。 

 昨日、双子の兄と姉から、朱里は新たな事実を聞かされた。つながることの無かった夢の断片が、少しだけ筋道を持って描き出される。 
 朱里は動かしていた手を止めて、ぼんやりと教科書に視線を落としながら、まるで夢物語のような事実について考えていた。 

 自身の素性が異世界にあったという事実。

 本来ならば戸惑う筈の信じられない話だが、朱里は既に自覚していた。幾度となく繰り広げられた夢の光景が強く予感させたのだ。 
 今更、信じられないと驚くことなどできない。 
 どちらかというと驚いていたのは麒一きいち麟華りんかである。朱里の夢が映す光景を語ると、二人は強く興味を示し、何かを考えていたようだ。 

 朱里に異世界との関わりを教えてくれたのも、夢のうつす光景が間違いなく過去の情景であると判断したからなのかもしれない。 
 双子は朱里の見た断片的な光景を追いかけるように、断片をつな経緯いきさつや立場をおおまかに教えてくれた。 
 結果として、導き出された遥との関係。 

(……私が、先生の伴侶) 

 もっと考えるべきことが在るような気がするが、朱里の想いはその事実に捉われてしまう。嬉しいような、恥ずかしいような、信じられない気持ち。予感していたにも関わらず、目の前に本当のことだと突きつけられると、やはり戸惑ってしまう。 

 朱里の脳裏に、ふと思いのままに告白した昨日の出来事が蘇る。 
 遥に好きだと想いをぶつけて、ひたすらしがみついていたのだ。改めて振り返ると、ありえないほど大胆な行動だったと頬が染まる。 
 朱里はちらりと教壇で授業を進めている副担任の遥を見た。まともに見つめることが出来ず、目があいそうになると、すぐに視線を伏せる。その繰り返しで、とても授業に集中できない。顔が熱い。 

(うわー、駄目。まともに先生の顔が見られないよ) 

 彼に触れた温もり、体に回された腕の力強さ。頭から振り払おうとしても、それはますます朱里の中に鮮明に浮かび上がってくる。 
 遥は突然の告白を受け止めてくれたのだ。しがみつく朱里の体を抱きしめてくれた。 

(「――君を愛している」) 

 授業を進める遥の声が、昨日の出来事と重なってしまう。よく通る声は副担任を演じていても同じ響きをしている。 
 囁くような彼の声が蘇ると、朱里は身震いしそうな位ますます恥ずかしさが込み上げてくる。 

(うわー、うわー) 

 顔を伏せたまま、強烈な記憶を追い出そうと悶えてしまう。 

(私、これからどんな顔をして先生に会えばいいんだろう) 

 朱里がぐるぐると混乱気味に考え込んでいると、唐突に間近で声がした。 

天宮あまみやさん」 

 鮮やかに感じるほど、聞きなれてしまった声。 
 朱里は即座に現実に引き戻される。はっと我に返ると、上体がぎくりと揺らいだ。いつのまにか教室が静まり返っている。

 顔を伏せていても、机の横に誰かが立っているのが判った。級友の視線が自分に集中しているのを感じる。朱里はおそるおそる目前の気配を仰いだ。副担任を演じている遥が、朱里の席まで来ていた。 
 長い前髪と強度数の眼鏡。 
 素顔の時とは別人のように冴えない印象で、彼は朱里を眺めていた。 

「今日はずっと上の空ですね。顔色が赤くなったり青くなったり、どこか具合でも悪いのですか」 
「え、いえ、あの、……そういうわけでは」 

 朱里は茹で上げられた蛸のように、ますます頬を染めた。うまく取り繕うことが出来ず、おろおろと視線を泳がせる。席の近い夏美なつみと目があうと、彼女は不安そうな顔をしてこちらを見ていた。朱里はそれほどに挙動不審だったのかと、自身の失態を悟る。肩を竦めるようにして、ますます身を小さくした。 
 遥が小さく溜息をついて、手にしていた教科書で軽く朱里の頭を小突いた。 

「開いている教科書のページが違いますよ。白昼夢に浸るのが悪いとは云いませんが、ここまで授業を無視されるのは寂しいものです」 
「ご、ごめんなさい。先生」 

 うまい弁明が浮かばず、朱里は咄嗟に謝ることしか出来ない。まさか昨日のことを思い出して隠れたいような気持ちになっていたなんて、こんな状況で、しかも本人に向かって、口が裂けても言えるはずがない。 
 だからと言って、具合が悪いのだと嘘をつくこともできず、朱里は頬を染めたまま身を固くしていた。 

「まぁ、いいでしょう。丁度良い機会かもしれません」 

 頭上から聞こえる遥の声に、朱里はゆっくりと顔を上げた。目があうと、彼が微かに笑ったように見える。朱里は錯覚かと思ったが、すぐに見間違いではなかったと思い知らされることになった。 

「実は次の単元に必要な資料を手配するのに、人手が欲しいと思っていた処です。天宮さんには資料を揃えるお手伝いをして頂きます。それで今日の失態を挽回していただきましょう。この提案はどうですか」 

 冴えない副担任を演じながらも、遥は教師という立場を最大限に生かすつもりのようだ。一生徒である朱里に拒否権があるはずもなく、ただうなずくことしか出来ない。 

「あ、はい。……わかりました。私が先生のお手伝いをします」 

 朱里は潔く答えた。遥に胸中を見抜かれているのだと思い知る。恥ずかしさのあまりこそこそと逃げ隠れてしている自分を、彼は的確に捕まえる手段に出たのだろう。 
 遥は教師という仮面を被ったまま策略を成功させ、冴えない副担任に似合う屈託のない笑みを浮かべた。 

「良かった。これで人手を確保することができました。ありがとうございます、天宮さん。では、本日の放課後に輪転機のある準備室で待っています。よろしくお願いします」 

 朱里は思いきりまずい方向に舵を取られている気がしたが、どうすることもできない。遥はそのまま皺の伸びていない白衣を翻して、教壇へと戻っていく。何事もなかったかのように授業が再開するのを聞きながら、朱里は深い溜息をついた。 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

処理中です...