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第三話 失われた真実
第三章:2 赤の宮の来訪
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聞きなれた、よく通る声。朱里はすぐに教室へ入ってくる遥を見つけた。副担任を演じることはなく、在りのままの姿だった。朱里は他の生徒に見つかったらどうするのかと、一瞬だけ場違いな焦りを感じてしまう。
「やはり、おいでになられたか」
遥の台詞には、副担任の時には感じられない強さがあった。朱里の抱いた能天気とも言える焦りは、すぐに打ち消される。彼を副担任であると見分けられる者はいないだろう。そんなふうに思ってしまうほど、何かが日常とかけ離れていた。
目の前の女性は振り向きもせず、沈黙を守っている。遥は歩み寄りながら続けた。
「あの時、あなたが示したとおりに朱桜は歩み出した」
「私は望んでいません」
厳しい声が辺りの夕闇を揺るがした。女性は朱里の腕を取ると、抱きかかえるように腕を回して退いた。歩み寄ってくる遥から朱里を護るかのような、素早い動きだった。遥が少し離れた位置で立ち止まる。
状況が把握できないのに、ざわりと何かが急激に高まっていくのを感じる。
「では、あなたは何を望んでおられる? 一国の女王が、天落の地に何用でおいでになられたか」
低い声音で、遥の声が問う。彼を取り巻く空気がぴんと張り詰めたのが判った。朱里には何が起きているのか判らない。女性に抱き寄せられたまま、固唾を呑む。
「私がどのような思いで託したのか、あなたにはお分かりにならないのでしょう。やはり世間の風聞が正しく、血も涙もない禍であられた」
「私はあなたの思いを裏切った覚えはありません」
朱里を抱く女性の腕に、さらに力が込められた。
「このような禁術に追い込みながら、おかしなことを仰います。私が浅はかだったのです。あなたの傍にあれば、誰にも手出しはできないのだと。あなたの持つ強大な力に縋っていました。元より間違えていたのです。これ以上、あなたの傍には置けません」
「宮、彼女を護ることが出来るのは私しかいない。そう示したのはあなただ。当時の私には理解できなかったが、今なら判ります。既に朱桜は渦中の者となった。あなたが彼女を護ろうとするのは良く判る。それでも、今、天界へ連れ戻すことは得策ではない」
「あなたに託し、結局このような事態を招いたのです」
「緋国では、朱桜を護ることはできない」
女性は強く遥を睨む。まるで盾となるように、朱里を抱いたまま。
自分の中で何かが高ぶっていく。こんなふうに自分を庇う細い腕が、苦しいほどに温かい。まるで手に入れられなかった温もりに焦がれるように、心地が良いのだ。幾度となく麟華に同じように抱きしめてもらったことがあるのに、何かが違っていた。
けれど、その温もりに焦がれながらも、朱里は女性への警戒心を解くことが出来ない。遥への想いと信頼が、全てを凌駕していた。
「赤の宮、本当はあなたもこんな事態に陥るまで、朱桜の宿命を信じていなかった。あなたは、ただ緋国の確執から朱桜を護りたかった。そのために私に託した。……そうでしょう?」
女性は押し黙ったまま、答えない。
「けれど、皮肉にも運命は巡り始めた。朱桜は既に緋国の確執よりも、もっと大きな波に呑まれてしまった。――たしかに、それは私が巻き込んだのかもしれません」
「――そう、です。……どうして、――朱桜が相称の翼に……」
苦く呟いて、女性は遥を見た。
「どうして、あなたは朱桜を愛してくださらなかったのですか」
遥が何かを言いかけて口を閉ざした。女性は更にたたみかける。
「あなたが心から慈しんでくだされば、朱桜は必ずあなたを愛した。世の噂を恐れず、あなたの真実を見抜いた筈です。そういう娘なのです。なのに……」
「私には既に恋人が在った。彼女を裏切ることはできなかった」
女性は落胆したように首を横に振った。
「――華艶の美女ですね。あなたも数多の男と同じ」
遥は何も答えず、ただ眼差しを伏せただけだった。
「朱桜は連れてゆきます」
はっきりと女性が口にする。遥が覚悟を決めるかのように深く息をついた。再びこちらを向いた顔は、仮面のような無表情だった。
何の感情も見えてこない。
「宮、朱桜の正体を知る者は限られている。あなたが彼女の仇となるのなら、私は緋国の宮家を滅ぼします。それで禁術に犯された彼女を見分けられる者はいなくなる。――黄帝以外には」
「あなたはいずれこの世の禍となり、天帝に討たれるのですよ。――この朱桜に。信じて託すに値するのでしょうか」
「私を信じられないのなら、仕方がない」
遥の腕が虚空を掻くように動いた。いつか見たように、彼は指先に触れた長い影をすらりと引き抜く。夕闇の中に在っても、ひときわ黒い刀剣。まるでそこから暗黒の世が垣間見えているのではないかと思うほど、鮮やかな漆黒だった。
「この戦伐を禁じられた地で、私に向かって剣を抜くのですか」
「出来ることならば避けたい。あなたの思いもよく判る。けれど、今は誰に託すよりも、私が一番彼女を護ることができる。手放せば彼女を危険に晒す。判っていて見逃すことはできない」
「そうしてあなたは自ら、皆が語るように、冷酷な禍となるのですか」
「私の覚悟をあなたに語る必要はない。……女王、容赦はしません」
「やはり、おいでになられたか」
遥の台詞には、副担任の時には感じられない強さがあった。朱里の抱いた能天気とも言える焦りは、すぐに打ち消される。彼を副担任であると見分けられる者はいないだろう。そんなふうに思ってしまうほど、何かが日常とかけ離れていた。
目の前の女性は振り向きもせず、沈黙を守っている。遥は歩み寄りながら続けた。
「あの時、あなたが示したとおりに朱桜は歩み出した」
「私は望んでいません」
厳しい声が辺りの夕闇を揺るがした。女性は朱里の腕を取ると、抱きかかえるように腕を回して退いた。歩み寄ってくる遥から朱里を護るかのような、素早い動きだった。遥が少し離れた位置で立ち止まる。
状況が把握できないのに、ざわりと何かが急激に高まっていくのを感じる。
「では、あなたは何を望んでおられる? 一国の女王が、天落の地に何用でおいでになられたか」
低い声音で、遥の声が問う。彼を取り巻く空気がぴんと張り詰めたのが判った。朱里には何が起きているのか判らない。女性に抱き寄せられたまま、固唾を呑む。
「私がどのような思いで託したのか、あなたにはお分かりにならないのでしょう。やはり世間の風聞が正しく、血も涙もない禍であられた」
「私はあなたの思いを裏切った覚えはありません」
朱里を抱く女性の腕に、さらに力が込められた。
「このような禁術に追い込みながら、おかしなことを仰います。私が浅はかだったのです。あなたの傍にあれば、誰にも手出しはできないのだと。あなたの持つ強大な力に縋っていました。元より間違えていたのです。これ以上、あなたの傍には置けません」
「宮、彼女を護ることが出来るのは私しかいない。そう示したのはあなただ。当時の私には理解できなかったが、今なら判ります。既に朱桜は渦中の者となった。あなたが彼女を護ろうとするのは良く判る。それでも、今、天界へ連れ戻すことは得策ではない」
「あなたに託し、結局このような事態を招いたのです」
「緋国では、朱桜を護ることはできない」
女性は強く遥を睨む。まるで盾となるように、朱里を抱いたまま。
自分の中で何かが高ぶっていく。こんなふうに自分を庇う細い腕が、苦しいほどに温かい。まるで手に入れられなかった温もりに焦がれるように、心地が良いのだ。幾度となく麟華に同じように抱きしめてもらったことがあるのに、何かが違っていた。
けれど、その温もりに焦がれながらも、朱里は女性への警戒心を解くことが出来ない。遥への想いと信頼が、全てを凌駕していた。
「赤の宮、本当はあなたもこんな事態に陥るまで、朱桜の宿命を信じていなかった。あなたは、ただ緋国の確執から朱桜を護りたかった。そのために私に託した。……そうでしょう?」
女性は押し黙ったまま、答えない。
「けれど、皮肉にも運命は巡り始めた。朱桜は既に緋国の確執よりも、もっと大きな波に呑まれてしまった。――たしかに、それは私が巻き込んだのかもしれません」
「――そう、です。……どうして、――朱桜が相称の翼に……」
苦く呟いて、女性は遥を見た。
「どうして、あなたは朱桜を愛してくださらなかったのですか」
遥が何かを言いかけて口を閉ざした。女性は更にたたみかける。
「あなたが心から慈しんでくだされば、朱桜は必ずあなたを愛した。世の噂を恐れず、あなたの真実を見抜いた筈です。そういう娘なのです。なのに……」
「私には既に恋人が在った。彼女を裏切ることはできなかった」
女性は落胆したように首を横に振った。
「――華艶の美女ですね。あなたも数多の男と同じ」
遥は何も答えず、ただ眼差しを伏せただけだった。
「朱桜は連れてゆきます」
はっきりと女性が口にする。遥が覚悟を決めるかのように深く息をついた。再びこちらを向いた顔は、仮面のような無表情だった。
何の感情も見えてこない。
「宮、朱桜の正体を知る者は限られている。あなたが彼女の仇となるのなら、私は緋国の宮家を滅ぼします。それで禁術に犯された彼女を見分けられる者はいなくなる。――黄帝以外には」
「あなたはいずれこの世の禍となり、天帝に討たれるのですよ。――この朱桜に。信じて託すに値するのでしょうか」
「私を信じられないのなら、仕方がない」
遥の腕が虚空を掻くように動いた。いつか見たように、彼は指先に触れた長い影をすらりと引き抜く。夕闇の中に在っても、ひときわ黒い刀剣。まるでそこから暗黒の世が垣間見えているのではないかと思うほど、鮮やかな漆黒だった。
「この戦伐を禁じられた地で、私に向かって剣を抜くのですか」
「出来ることならば避けたい。あなたの思いもよく判る。けれど、今は誰に託すよりも、私が一番彼女を護ることができる。手放せば彼女を危険に晒す。判っていて見逃すことはできない」
「そうしてあなたは自ら、皆が語るように、冷酷な禍となるのですか」
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