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第二話 偽りの玉座
終章:二 編入生
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数日後、翡翠は東吾の揃えてくれた制服に袖を通していた。住まいとなる部屋は、お世辞にも広いとは言えなかった。天界にある翡翠宮の一室にも満たない。
けれど、異界で一人暮らしを始める翡翠にとっては、贅沢な待遇であることがわかる。これまでの経験から、こちらの世界の常識もそれなりに知っているつもりだった。
東吾は翡翠の世話をするように言われているらしく、おかげで生活に困るようなことはなさそうだ。こちらの世界で過ごすために必要な情報も、惜しみなく与えてくれた。
予想よりも快適で満たされた生活。
こちらの世界の人間として生活の拠点を与えられるのであれば、人々に関わることも可能なのだ。相称の翼に繋がる情報も、もしかするとすぐに手に入れられるのかもしれない。少しばかり期待を持ちながら、翡翠は学院の生徒として登校する身支度を整えた。
約束の時間になると、遅れることなく東吾が顔を出した。
「お迎えに上がりました」
「うん。教えられたとおりにしたけど、――おかしくないかな」
翡翠が自分の身なりを眺めると、東吾は「大丈夫です」と頷いた。用意された制服は灰色の上下で飾り気がない。身につけてみると、思っていたよりも窮屈ではなく動きやすかった。効率の良い形をしているのだと、翡翠は感嘆してしまったほどだ。
「今から学院までお送りいたしますが、全て打ち合わせの通りにお願い致します。編入手続きは既に終わっています」
「うん。えーと、海外留学生だよね」
翡翠は教えられたことを反芻してみた。東吾は「それで問題ありません」と答えた。
「あなたのことを不審に思う者はいないでしょう」
「ありがとう。おかげで色々と動きやすい」
素直に礼を述べると、彼も少し笑みを返してくれた。
東吾はこちらの世界に必要な知識は惜しみなく教えてくれるが、天界が関わる出来事になると途端に固く口を閉ざした。
先守の一族のことも、闇呪と天宮の関わりについても、一切何も教えてくれない。
それが理事長である天宮の命令であるのか、単に東吾が知らないだけなのかは判らない。
「では、参りましょう」
翡翠は東吾に連れられて部屋を出た。緊張していることは認めるが、不思議と不安や恐れは感じない。学院の生徒を演じることが、翡翠の目的に繋がるのかは分からないが、人々の集まるところには、情報があることも確かなのだ。
翡翠はくしゃりと短くなった髪を掻きまわす。
異界に渡ると、多少なりとも姿が歪むらしい。長い髪に一番影響が出るらしく、異界では常に短髪の状態から始まってしまう。こちらの世界に在っても不自然ではない輪郭を与えられるのだろうか。
それでも、自身の生まれた国を現す色合いだけは変わらずに、翡翠の肌や髪色、瞳の色を彩っている。
それが世界を渡る何らかの決め事によって変化しないのか、単なる偶然によって現れた色合いなのか、翡翠には確かめる術がない。どちらにしても、見慣れた色合いは異界にある翡翠にとっては落ち着く容姿だった。もし髪色や瞳の色合いがこちらの人々と同じように漆黒にでも変化していたら、翡翠はそれだけで気から病になりそうである。
住まいとなる建物から学院までは、東吾が車で送ってくれた。制服同様に身の回りの物を一通り揃えてくれたおかげで、翡翠は腕時計をしている。
学院までは五分足らずで到着した。翡翠の体感としては、あっという間である。
車から降りると、高等部の正門の前で東吾が立ち止まった。翡翠を振り返って、最後の確認をするように問いかけてきた。
「翡翠様、あなたの名前は?」
翡翠はやれやれと頭を掻いて答えた。
「判っているよ。僕は彼方=グリーンゲートだよね」
「はい」
満足そうに頷きながら、東吾は少しだけ未練がましいことを口にする。
「もしかすると、私があなたの愛称を口にすることは二度とないのかもしれませんね」
「どうだろう。別に僕はどっちでも構わないけど?」
「あなたは能天気な方ですね」
東吾は表情を和らげる。
深く考えずに安請け合いをしたが、翡翠は鬼門の番人である闇呪の存在を思い出した。もしかすると出会ってしまうこともあるのかもしれない。
(違う、本当は会ってみたいとも考えている)
危険だということは判っていたが、その思いはいつのまにか翡翠の中で燻り続けている。
闇呪との対面が叶うのだとすれば、自分の素性はどんなに些細なことでも秘めている方が得策だと思えた。けれど次の瞬間には、この容姿の色合いですぐに見抜かれてしまうのかもしれないと思い直す。
既に逃げも隠れもできない所まで足を突っ込んでいるのだと、改めて自覚してしまう。
(もう、なるようにしかならないよね)
改めて覚悟を決めるかのように、翡翠はよしっと気合いを入れなおす。
東吾の揃えてくれた素性で過ごすことには、何の不満もない。東吾に全ての指示を出している天宮には思惑があるのかもしれないが、今のところ翡翠には窺い知ることはできないのだ。別名を語る不利益よりも、利点の方があるように思えた。
(とにかく。今日から僕は彼方=グリーンゲートだ)
「では、彼方様。高等部へご案内いたします」
「――はい」
二人が高等部の正門をくぐった。
学院が新学期を迎える日。
碧国の第二王子である翡翠は、彼方=グリーンゲートとして天宮学院の高等部に編入を果たした。
第二話「偽りの玉座」 END
けれど、異界で一人暮らしを始める翡翠にとっては、贅沢な待遇であることがわかる。これまでの経験から、こちらの世界の常識もそれなりに知っているつもりだった。
東吾は翡翠の世話をするように言われているらしく、おかげで生活に困るようなことはなさそうだ。こちらの世界で過ごすために必要な情報も、惜しみなく与えてくれた。
予想よりも快適で満たされた生活。
こちらの世界の人間として生活の拠点を与えられるのであれば、人々に関わることも可能なのだ。相称の翼に繋がる情報も、もしかするとすぐに手に入れられるのかもしれない。少しばかり期待を持ちながら、翡翠は学院の生徒として登校する身支度を整えた。
約束の時間になると、遅れることなく東吾が顔を出した。
「お迎えに上がりました」
「うん。教えられたとおりにしたけど、――おかしくないかな」
翡翠が自分の身なりを眺めると、東吾は「大丈夫です」と頷いた。用意された制服は灰色の上下で飾り気がない。身につけてみると、思っていたよりも窮屈ではなく動きやすかった。効率の良い形をしているのだと、翡翠は感嘆してしまったほどだ。
「今から学院までお送りいたしますが、全て打ち合わせの通りにお願い致します。編入手続きは既に終わっています」
「うん。えーと、海外留学生だよね」
翡翠は教えられたことを反芻してみた。東吾は「それで問題ありません」と答えた。
「あなたのことを不審に思う者はいないでしょう」
「ありがとう。おかげで色々と動きやすい」
素直に礼を述べると、彼も少し笑みを返してくれた。
東吾はこちらの世界に必要な知識は惜しみなく教えてくれるが、天界が関わる出来事になると途端に固く口を閉ざした。
先守の一族のことも、闇呪と天宮の関わりについても、一切何も教えてくれない。
それが理事長である天宮の命令であるのか、単に東吾が知らないだけなのかは判らない。
「では、参りましょう」
翡翠は東吾に連れられて部屋を出た。緊張していることは認めるが、不思議と不安や恐れは感じない。学院の生徒を演じることが、翡翠の目的に繋がるのかは分からないが、人々の集まるところには、情報があることも確かなのだ。
翡翠はくしゃりと短くなった髪を掻きまわす。
異界に渡ると、多少なりとも姿が歪むらしい。長い髪に一番影響が出るらしく、異界では常に短髪の状態から始まってしまう。こちらの世界に在っても不自然ではない輪郭を与えられるのだろうか。
それでも、自身の生まれた国を現す色合いだけは変わらずに、翡翠の肌や髪色、瞳の色を彩っている。
それが世界を渡る何らかの決め事によって変化しないのか、単なる偶然によって現れた色合いなのか、翡翠には確かめる術がない。どちらにしても、見慣れた色合いは異界にある翡翠にとっては落ち着く容姿だった。もし髪色や瞳の色合いがこちらの人々と同じように漆黒にでも変化していたら、翡翠はそれだけで気から病になりそうである。
住まいとなる建物から学院までは、東吾が車で送ってくれた。制服同様に身の回りの物を一通り揃えてくれたおかげで、翡翠は腕時計をしている。
学院までは五分足らずで到着した。翡翠の体感としては、あっという間である。
車から降りると、高等部の正門の前で東吾が立ち止まった。翡翠を振り返って、最後の確認をするように問いかけてきた。
「翡翠様、あなたの名前は?」
翡翠はやれやれと頭を掻いて答えた。
「判っているよ。僕は彼方=グリーンゲートだよね」
「はい」
満足そうに頷きながら、東吾は少しだけ未練がましいことを口にする。
「もしかすると、私があなたの愛称を口にすることは二度とないのかもしれませんね」
「どうだろう。別に僕はどっちでも構わないけど?」
「あなたは能天気な方ですね」
東吾は表情を和らげる。
深く考えずに安請け合いをしたが、翡翠は鬼門の番人である闇呪の存在を思い出した。もしかすると出会ってしまうこともあるのかもしれない。
(違う、本当は会ってみたいとも考えている)
危険だということは判っていたが、その思いはいつのまにか翡翠の中で燻り続けている。
闇呪との対面が叶うのだとすれば、自分の素性はどんなに些細なことでも秘めている方が得策だと思えた。けれど次の瞬間には、この容姿の色合いですぐに見抜かれてしまうのかもしれないと思い直す。
既に逃げも隠れもできない所まで足を突っ込んでいるのだと、改めて自覚してしまう。
(もう、なるようにしかならないよね)
改めて覚悟を決めるかのように、翡翠はよしっと気合いを入れなおす。
東吾の揃えてくれた素性で過ごすことには、何の不満もない。東吾に全ての指示を出している天宮には思惑があるのかもしれないが、今のところ翡翠には窺い知ることはできないのだ。別名を語る不利益よりも、利点の方があるように思えた。
(とにかく。今日から僕は彼方=グリーンゲートだ)
「では、彼方様。高等部へご案内いたします」
「――はい」
二人が高等部の正門をくぐった。
学院が新学期を迎える日。
碧国の第二王子である翡翠は、彼方=グリーンゲートとして天宮学院の高等部に編入を果たした。
第二話「偽りの玉座」 END
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