上 下
61 / 233
第二話 偽りの玉座

終章:二 編入生

しおりを挟む
 数日後、翡翠ひすい東吾とうごの揃えてくれた制服に袖を通していた。住まいとなる部屋は、お世辞にも広いとは言えなかった。天界にある翡翠宮の一室にも満たない。 

 けれど、異界で一人暮らしを始める翡翠にとっては、贅沢な待遇であることがわかる。これまでの経験から、こちらの世界の常識もそれなりに知っているつもりだった。 

 東吾は翡翠の世話をするように言われているらしく、おかげで生活に困るようなことはなさそうだ。こちらの世界で過ごすために必要な情報も、惜しみなく与えてくれた。 
 予想よりも快適で満たされた生活。 

 こちらの世界の人間として生活の拠点を与えられるのであれば、人々に関わることも可能なのだ。相称そうしょうつばさに繋がる情報も、もしかするとすぐに手に入れられるのかもしれない。少しばかり期待を持ちながら、翡翠は学院の生徒として登校する身支度を整えた。 
 約束の時間になると、遅れることなく東吾が顔を出した。 

「お迎えに上がりました」 
「うん。教えられたとおりにしたけど、――おかしくないかな」 

 翡翠が自分の身なりを眺めると、東吾は「大丈夫です」と頷いた。用意された制服は灰色の上下で飾り気がない。身につけてみると、思っていたよりも窮屈ではなく動きやすかった。効率の良い形をしているのだと、翡翠は感嘆してしまったほどだ。 

「今から学院までお送りいたしますが、全て打ち合わせの通りにお願い致します。編入手続きは既に終わっています」 
「うん。えーと、海外留学生だよね」 

 翡翠は教えられたことを反芻してみた。東吾は「それで問題ありません」と答えた。 

「あなたのことを不審に思う者はいないでしょう」 
「ありがとう。おかげで色々と動きやすい」 

 素直に礼を述べると、彼も少し笑みを返してくれた。 
 東吾はこちらの世界に必要な知識は惜しみなく教えてくれるが、天界が関わる出来事になると途端に固く口を閉ざした。 

 先守さきもりの一族のことも、闇呪あんじゅと天宮の関わりについても、一切何も教えてくれない。 
 それが理事長である天宮の命令であるのか、単に東吾が知らないだけなのかは判らない。 

「では、参りましょう」 

 翡翠は東吾に連れられて部屋を出た。緊張していることは認めるが、不思議と不安や恐れは感じない。学院の生徒を演じることが、翡翠の目的に繋がるのかは分からないが、人々の集まるところには、情報があることも確かなのだ。 

 翡翠はくしゃりと短くなった髪を掻きまわす。 
 異界に渡ると、多少なりとも姿が歪むらしい。長い髪に一番影響が出るらしく、異界では常に短髪の状態から始まってしまう。こちらの世界に在っても不自然ではない輪郭かたちを与えられるのだろうか。 

 それでも、自身の生まれた国を現す色合いだけは変わらずに、翡翠の肌や髪色、瞳の色を彩っている。 
 それが世界を渡る何らかの決め事によって変化しないのか、単なる偶然によって現れた色合いなのか、翡翠には確かめる術がない。どちらにしても、見慣れた色合いは異界にある翡翠にとっては落ち着く容姿だった。もし髪色や瞳の色合いがこちらの人々と同じように漆黒にでも変化していたら、翡翠はそれだけで気から病になりそうである。 

 住まいとなる建物から学院までは、東吾が車で送ってくれた。制服同様に身の回りの物を一通り揃えてくれたおかげで、翡翠は腕時計をしている。 
 学院までは五分足らずで到着した。翡翠の体感としては、あっという間である。 

 車から降りると、高等部の正門の前で東吾が立ち止まった。翡翠を振り返って、最後の確認をするように問いかけてきた。 

「翡翠様、あなたの名前は?」 

 翡翠はやれやれと頭を掻いて答えた。 

「判っているよ。僕は彼方かなた=グリーンゲートだよね」 
「はい」 

 満足そうに頷きながら、東吾は少しだけ未練がましいことを口にする。 

「もしかすると、私があなたの愛称を口にすることは二度とないのかもしれませんね」 
「どうだろう。別に僕はどっちでも構わないけど?」 
「あなたは能天気な方ですね」 

 東吾は表情を和らげる。 
 深く考えずに安請け合いをしたが、翡翠は鬼門きもんの番人である闇呪あんじゅの存在を思い出した。もしかすると出会ってしまうこともあるのかもしれない。 

(違う、本当は会ってみたいとも考えている) 

 危険だということは判っていたが、その思いはいつのまにか翡翠の中で燻り続けている。 
 闇呪との対面が叶うのだとすれば、自分の素性はどんなに些細なことでも秘めている方が得策だと思えた。けれど次の瞬間には、この容姿の色合いですぐに見抜かれてしまうのかもしれないと思い直す。 
 既に逃げも隠れもできない所まで足を突っ込んでいるのだと、改めて自覚してしまう。 

(もう、なるようにしかならないよね) 

 改めて覚悟を決めるかのように、翡翠はよしっと気合いを入れなおす。 
 東吾とうごの揃えてくれた素性で過ごすことには、何の不満もない。東吾に全ての指示を出している天宮あまみやには思惑があるのかもしれないが、今のところ翡翠には窺い知ることはできないのだ。別名を語る不利益よりも、利点の方があるように思えた。 

(とにかく。今日から僕は彼方かなた=グリーンゲートだ)

「では、彼方様。高等部へご案内いたします」 
「――はい」 

 二人が高等部の正門をくぐった。 
 学院が新学期を迎える日。 
 碧国へきこくの第二王子である翡翠は、彼方=グリーンゲートとして天宮あまみや学院の高等部に編入を果たした。


第二話「偽りの玉座」 END
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】

霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。 辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。 王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。 8月4日 完結しました。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

処理中です...