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第二話 偽りの玉座
伍章:五 秘められた想い
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「それで、白亜の妹はどうなったの?」
長い昔話に引き込まれ、翡翠は身を乗り出すようにして尋ねた。
白亜は微笑んで頷く。
「妹の亡骸は、生前の姿を取り戻していました。まるで眠っているかのようで、私も白虹様も、このまま目覚めるのではないかと思ったほどです」
「じゃあ、白露は業火の儀式を免れたんだね」
「はい。それからの白虹様の行動は強引なほど素早かった。自身の后として、天界で盛大に輪廻の儀式が執り行われました。本当に妹の輪廻を見届けたのは、白虹様だけだと聞いていますが、とにかく妹は救われた」
「そっか、良かった」
ふうっと肩の力を抜くと、白亜は翡翠の無邪気な感想が微笑ましかったのか、低く声をたてて笑う。
「じゃあ、皇子の闇呪への思い入れは、それが理由なんだ」
「おそらくは」
黒い亡骸が、元の姿を取り戻すという事実。
何者かによって払われた鬼。
翡翠の脳裏に浮かぶのは、聞きなれた一説だった。
この世に呪を以って鬼を制するのは、――ただ一人。
翡翠はどう考えれば良いのか分からず、白露を救った者の正体について、それ以上の詮索を放棄した。
「だけど、白亜。白虹の皇子は透国での地位を捨てたままだよね。現在も、皇位継承権を与えられていないと聞いたけど。それはやっぱり、愛しい人を失ってしまったから?」
白亜は「さぁ」と曖昧に返事をする。
「私にも皇子がどのような思いで、国の表舞台から姿を消したのかは存じ上げません」
「じゃあ、白亜はいつ天籍を賜ったの? 白虹の皇子に与えられたんだよね」
「はい。輪廻の儀式が終わってすぐの話です。皇子の臣下として支えることが、妹の想いに繋がると、――いいえ、本当は私自身が、妹を失った喪失感を紛らわせたかったのかもしれません。どちらにしても、私にはこれ以上はない申し出でした」
翡翠は頷きながらも、国の責務を放棄したままの皇子の在り方が、釈然としない。
白虹の皇子は、決して愚かではない。今では遠い昔話だとしても、国の期待を背負うだけの資質も持ち合わせている。この世の頂に在る黄帝に対して、少しばかり不信感を抱いているが、それも突き詰めれば彼が理知に富んでいるからこその発想ではないだろうか。
最も心を通わせた者を亡くし、ひととき挫折を味わったのだとしても、皇子ならば這い上がり、新たな目的に向かって立ち上がるような気がするのだ。
事実として、皇子は翡翠と同じように、この世の衰退を憂い、既に行動を起こしている。
白亜の話からも、使命感と責任感は翡翠とは比べ物にならないだろう。
それほど才覚に恵まれた皇子が、どうしていずれ国の礎となる立場を放棄したのかが判らないのだ。
「白亜が臣下になってから、皇子はずっと文献を漁っているの?」
少々失礼な発言かと思ったが、白亜は気を悪くした様子もない。
「はい。白虹様は輪廻の儀式以来、数多くの書物を紐解く様になられた」
「その理由を聞いたことは?」
「あります。皇子の答えはこうです。――救いたいものがある、と」
「救いたいもの?」
翡翠はすぐに衰退する世界を思い描く。
聡明な皇子ならば、当時から少しずつ狂い始めた歯車に気付いていても不思議ではない。それで全て合点が行くような気がする。
現在、どの国も政が機能していないのは明らかなのだ。翡翠の兄である碧宇も、国の保守派と革新派に挟まれ、結局は自由に身動きできない立場を嘆いていたことがある。
天帝の加護とも言われる神が費え、黄帝の威光が翳り始めた今。
苦し紛れに、思いも寄らない施策が蔓延し始めている。
黄帝の勅命が、最たるものだ。それは施策と言うよりも、既に各国への重圧でしかない。
継承権第一位の真名を献上する。
それは翡翠の想像よりもはるかに、国の後継者達を束縛するだろう。公の舞台から身を引いたほうが、多くの制約を反故にできることも事実だった。
翡翠は改めて、そんなことを考える。
自分が考えていたよりも、世界の狂いようは激しいのだ。
「救いたいものって、きっと世界のことだろうな。この世の衰退について、白虹の皇子は早くから想像がついていたんだ」
「――翡翠の王子。私はそれほど賢くはありません」
柔らかな声が翡翠の呟きに答えた。翡翠はいきなりの本人登場に飛び上がりそうなほど驚いてから、胸に手を当てて戻ってきた皇子を仰いだ。両手で抱えなければならないほどの大きな皿に饅頭が山のように積まれている。皇子の顔は饅頭の山に隠れて見えない。
「大した物は用意できませんが、どうぞ」
彼は饅頭の山を崩さないように、ゆっくりと翡翠達の前に皿を置いた。
「白亜、懐かしい昔話をしていましたね」
翡翠はどこから会話を聞かれていたのかと、冷や汗が額に滲む。興味本位に過去を暴いたことが、皇子の機嫌を損ねることは避けたい。
白虹の皇子は気分を害した様子もなく、楽しそうに笑って牀子にかけた。
「私は情けないくらい、諦めの悪い人間なのです。白露は今でも私にとって、かけがえのない翼扶です」
翡翠はただこっくりと頷いた。皇子の涼しげな眼差しは、何かに想いを馳せているように見えた。翡翠は思ったことを素直に口にする。
「皇子は、白露の亡骸を救ったのが、闇呪の君だと考えているのですね」
だから、彼は闇呪に対して悪意を抱かないのだ。
皇子にとっては恩人でしかないのだろう。昔話として聞いただけの翡翠には、それが本当に闇呪であるのかは疑わしい。
冷酷無比。残忍、残酷。人ならざる心で生きる、この世の凶兆。
白亜の昔話で語られた人物とは、何もかもが食い違っているように思えた。
これまでに刷り込まれた闇呪の主に対する恐れは、すぐに払拭できるものではない。それほどに彼の存在は、翡翠にとって、あるいは人々にとって脅威であると言える。
皇子は翡翠の問いかけに対して、そっと眼差しを伏せただけだった。
「私は、――いつでも自身の幸せだけを望んでいる。ただそれだけの、我儘な人間なのです」
独白のように語られた皇子の言葉。
翡翠には、正しく意味を掴み取ることかできなかった。
白虹の皇子が叶えようとしている願い。
翡翠が秘められた事実にたどり着くのは、まだ先の話になる。
長い昔話に引き込まれ、翡翠は身を乗り出すようにして尋ねた。
白亜は微笑んで頷く。
「妹の亡骸は、生前の姿を取り戻していました。まるで眠っているかのようで、私も白虹様も、このまま目覚めるのではないかと思ったほどです」
「じゃあ、白露は業火の儀式を免れたんだね」
「はい。それからの白虹様の行動は強引なほど素早かった。自身の后として、天界で盛大に輪廻の儀式が執り行われました。本当に妹の輪廻を見届けたのは、白虹様だけだと聞いていますが、とにかく妹は救われた」
「そっか、良かった」
ふうっと肩の力を抜くと、白亜は翡翠の無邪気な感想が微笑ましかったのか、低く声をたてて笑う。
「じゃあ、皇子の闇呪への思い入れは、それが理由なんだ」
「おそらくは」
黒い亡骸が、元の姿を取り戻すという事実。
何者かによって払われた鬼。
翡翠の脳裏に浮かぶのは、聞きなれた一説だった。
この世に呪を以って鬼を制するのは、――ただ一人。
翡翠はどう考えれば良いのか分からず、白露を救った者の正体について、それ以上の詮索を放棄した。
「だけど、白亜。白虹の皇子は透国での地位を捨てたままだよね。現在も、皇位継承権を与えられていないと聞いたけど。それはやっぱり、愛しい人を失ってしまったから?」
白亜は「さぁ」と曖昧に返事をする。
「私にも皇子がどのような思いで、国の表舞台から姿を消したのかは存じ上げません」
「じゃあ、白亜はいつ天籍を賜ったの? 白虹の皇子に与えられたんだよね」
「はい。輪廻の儀式が終わってすぐの話です。皇子の臣下として支えることが、妹の想いに繋がると、――いいえ、本当は私自身が、妹を失った喪失感を紛らわせたかったのかもしれません。どちらにしても、私にはこれ以上はない申し出でした」
翡翠は頷きながらも、国の責務を放棄したままの皇子の在り方が、釈然としない。
白虹の皇子は、決して愚かではない。今では遠い昔話だとしても、国の期待を背負うだけの資質も持ち合わせている。この世の頂に在る黄帝に対して、少しばかり不信感を抱いているが、それも突き詰めれば彼が理知に富んでいるからこその発想ではないだろうか。
最も心を通わせた者を亡くし、ひととき挫折を味わったのだとしても、皇子ならば這い上がり、新たな目的に向かって立ち上がるような気がするのだ。
事実として、皇子は翡翠と同じように、この世の衰退を憂い、既に行動を起こしている。
白亜の話からも、使命感と責任感は翡翠とは比べ物にならないだろう。
それほど才覚に恵まれた皇子が、どうしていずれ国の礎となる立場を放棄したのかが判らないのだ。
「白亜が臣下になってから、皇子はずっと文献を漁っているの?」
少々失礼な発言かと思ったが、白亜は気を悪くした様子もない。
「はい。白虹様は輪廻の儀式以来、数多くの書物を紐解く様になられた」
「その理由を聞いたことは?」
「あります。皇子の答えはこうです。――救いたいものがある、と」
「救いたいもの?」
翡翠はすぐに衰退する世界を思い描く。
聡明な皇子ならば、当時から少しずつ狂い始めた歯車に気付いていても不思議ではない。それで全て合点が行くような気がする。
現在、どの国も政が機能していないのは明らかなのだ。翡翠の兄である碧宇も、国の保守派と革新派に挟まれ、結局は自由に身動きできない立場を嘆いていたことがある。
天帝の加護とも言われる神が費え、黄帝の威光が翳り始めた今。
苦し紛れに、思いも寄らない施策が蔓延し始めている。
黄帝の勅命が、最たるものだ。それは施策と言うよりも、既に各国への重圧でしかない。
継承権第一位の真名を献上する。
それは翡翠の想像よりもはるかに、国の後継者達を束縛するだろう。公の舞台から身を引いたほうが、多くの制約を反故にできることも事実だった。
翡翠は改めて、そんなことを考える。
自分が考えていたよりも、世界の狂いようは激しいのだ。
「救いたいものって、きっと世界のことだろうな。この世の衰退について、白虹の皇子は早くから想像がついていたんだ」
「――翡翠の王子。私はそれほど賢くはありません」
柔らかな声が翡翠の呟きに答えた。翡翠はいきなりの本人登場に飛び上がりそうなほど驚いてから、胸に手を当てて戻ってきた皇子を仰いだ。両手で抱えなければならないほどの大きな皿に饅頭が山のように積まれている。皇子の顔は饅頭の山に隠れて見えない。
「大した物は用意できませんが、どうぞ」
彼は饅頭の山を崩さないように、ゆっくりと翡翠達の前に皿を置いた。
「白亜、懐かしい昔話をしていましたね」
翡翠はどこから会話を聞かれていたのかと、冷や汗が額に滲む。興味本位に過去を暴いたことが、皇子の機嫌を損ねることは避けたい。
白虹の皇子は気分を害した様子もなく、楽しそうに笑って牀子にかけた。
「私は情けないくらい、諦めの悪い人間なのです。白露は今でも私にとって、かけがえのない翼扶です」
翡翠はただこっくりと頷いた。皇子の涼しげな眼差しは、何かに想いを馳せているように見えた。翡翠は思ったことを素直に口にする。
「皇子は、白露の亡骸を救ったのが、闇呪の君だと考えているのですね」
だから、彼は闇呪に対して悪意を抱かないのだ。
皇子にとっては恩人でしかないのだろう。昔話として聞いただけの翡翠には、それが本当に闇呪であるのかは疑わしい。
冷酷無比。残忍、残酷。人ならざる心で生きる、この世の凶兆。
白亜の昔話で語られた人物とは、何もかもが食い違っているように思えた。
これまでに刷り込まれた闇呪の主に対する恐れは、すぐに払拭できるものではない。それほどに彼の存在は、翡翠にとって、あるいは人々にとって脅威であると言える。
皇子は翡翠の問いかけに対して、そっと眼差しを伏せただけだった。
「私は、――いつでも自身の幸せだけを望んでいる。ただそれだけの、我儘な人間なのです」
独白のように語られた皇子の言葉。
翡翠には、正しく意味を掴み取ることかできなかった。
白虹の皇子が叶えようとしている願い。
翡翠が秘められた事実にたどり着くのは、まだ先の話になる。
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