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第二話 偽りの玉座

序章:一 地界(ちかい)

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 彼は久しぶりに地界ちかいへ降り立ち、落胆したように辺りを見回した。数年前までは、国を取り巻くようにたたずむ山々が緑豊かな美しい稜線りょうせんを見せていたのだ。 
 今は見る影もなく枯れている。隣国からの風が火を起こしたのか、山火事の名残も見て取れた。 

「寒い」 

 思わず呟いて、彼は身震いをする。肌に触れる外気が冷たく、吐く息が白く立ち昇る。荒れた光景が追い討ちのように、心まで凍らせるようだった。 

 彼は自身の格好を見て、もう少し厚着にするべきだったと後悔した。さすがにこの寒さでは、いつもは不平を唱えている無駄な重ね着が恋しくなってくる。 

 地界の人々と同じに、彼は短袴たんくの上にざっくりと袍子うわぎを被っているだけだった。華やかな裳衣しょういで歩き回ることはできないとしても、せめて狐裘けがわを羽織ってくるべきだったと、自身の短慮を嘲笑いたくなっていた。 

 ざりざりと早足で道程を歩いてみても、人と出会うことがない。立ち並ぶ家々は寒さに耐え忍ぶように固く扉を閉ざしている。 

 しばらく行く当てもなく歩いていると、小さなこどもが戸口の前で座り込んでいた。小枝の切れ端を握り締めて、熱心に土をかいている。 

 固く凍った地面に、ザクザクと小枝を突きたてようとしているようだ。渾身の力で掘るが地面は信じられないほどに硬く、小さな音をたてて小枝が折れてしまう。 

 こどもは立ち上がって、まるで地団駄を踏むように草履の先で土を掘り返そうとしている。 
 やがてやるせなくなったのか、寒さに耐え切れなくなったのか、膝を抱えて座り込んでしまった。ずるずると鼻をすすって、大きな瞳に涙を浮かべている。 

「ねぇ、どうしたの? そんな所にいたら、風邪をひくよ」 

 彼はこどもに歩み寄って膝をついた。小枝で掻いた土の跡を眺めてから、目の前でべそをかいている幼い少年を見る。 

 少年は現れた人影に戸惑って、慌てて袖で涙を拭った。棒のように細い手足が、彼の目には国の貧しさを現しているように映る。 

「種を植えようと思って」 
「種って? こんな処に?」 

 幼稚な発想に目を丸くしてしまったが、彼はすぐに自分の考えが浅はかだったと思いなおす。 

「畑は枯れてどうにもならないもん。外はずっと寒いし、家の前なら僕にも面倒が見られるよね」 

 彼は返す言葉を失ってしまう。少年に両親の所在を問うと、父親は仕事を探して出て行ったきりで、母親は風邪で倒れたまま、頭の上がらない日々が続いていると答えた。 

「でも、ここも駄目。土が石みたいに固いもん」 

 少年は暗い眼差しで、掻きむしった地面を眺めた。きっとどこの家でも同じような状況を招いているのだと、少年を見る彼の胸が塞ぐ。 

 異界とは違い、この世は人々の力だけで立ち上がることが許されない。 
 天帝てんてい加護かごがあってこそ栄えることができる。世界を満たす金色こんじきの力。それは異界に輝く太陽のようなものだろうか。 

「ようし。それじゃあ、お兄ちゃんの力を分けてあげるよ」 

 彼は少年が握り締めていた種を受け取り、家の周辺にばら撒いた。冷たくこごった地面に掌をついて、ゆっくりと力を解放した。 

「――我がらいを以って、この地にじんを与える」 

 彼らの周りだけ、枯れた地面がじわじわと肥沃ひよくな色合いを取り戻す。撒かれた種がすぐに発芽をはじめ、双葉を出したかと思うとすぐに大きな葉を広げた。ゆるゆると育ってゆく緑を眺めて、少年が歓声を上げた。 

 彼は肩で息をしながらも、実がなって収穫ができるまで力を注ぎ続けた。想像以上の消耗に意識を手放しそうになったが、それを見届けるまで地面から掌を離さなかった。 

「お兄ちゃん、すごいや。もしかして天界てんかいの人?」 
「それはどうかな」 

 彼はぜーぜーと肩で息をしながらも、少年に笑ってみせる。こんな一時しのぎでは意味がない。判っていたが少年のはしゃいだ笑顔は輝いて見えた。 

 何度も「ありがとう」と感謝して、少年は母親に報告しようと家の中へ駆け込んでいく。それを横目で眺めながら、彼は話が大きくなると面倒だと思い、鉛のように重い体を奮い立たせて、足早にその場から立ち去った。 

「駄目、死にそう」 

 人目につかない処まで来ると、彼はばったりとその場に倒れこんでしまう。 

「なんか、虚しいよね」 

 天を仰ぎ、どんよりと曇ったままの空を眺めた。地界に天帝の加護が届かなくなってから、どのくらいの月日が過ぎたのか。 

「雪が降り出しそうだな」 

 射すような寒さは厳しく、雪がちらつかないことが不思議なくらいだった。彼は儚げに雪の降る光景が好きだったが、この現状で雪が降り始めたらいつもの感動は得られないだろうと吐息をつく。 

 彼の住まう国は、他のどの国よりも大地の実りが豊かだった。地界へ下りても、人々は賑やかで活気に満ちていた。農作物の緑が大地を染め上げ、やがてそれは黄金色こがねいろの実を結ぶ。眩いばかりの碧宇へきうの下で、遠くに碧峰へきほうを望む美しい国。 

 寒風にさらされ雪が舞うことがあっても、それは人々の心に美しい情景として刻まれるくらいの、短いひとときだった。 

 実り豊かな肥沃ひよくな大地が、刻一刻と失われていく。全てが幻であったかのように、空は暗雲に閉ざされている。 

 荒れた大地は、人々に恵みを与えない。既に人々が貧しさに喘ぎ始めているのも事実だ。 
 天帝の加護が届かない世は、いずれ滅びる。 
 それがこの世界のおきてだった。
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