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第一話 天落の地
エピローグ:1 真実を求める者
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学院の傍に建てられた自宅から、朱里は彼方と一緒に登校した。お世辞にも顔色が良いとは言えない彼方は、疲れきった様子で学院までの短い距離をのろのろと歩いている。
朱里は彼が泊り込むことになった経緯を知らない。事情を知りたい気もしたが、遥の看病を姉の麟華に奪われた途端、一気に張り詰めていたものが緩んだようだった。
とぼとぼと彼方の隣を歩きながらも、朱里はだるくてたまらなかった。
姉の麟華は、徹夜で看病を続ける朱里を密かに心配していたのだろう。学校を休んで遥の看病を続けると言い張った妹を、強引に彼の寝台から引き剥がした。
「学校を休むなんて許さないわよ」
朱里の前で仁王立ちしていた麟華の形相は、はっきり言って恐ろしかった。珍しく大学を休むと決めた兄の麒一が、慰めるように補足してくれる。
「黒沢先生は必ず良くなるよ。朱里がつきっきりで看病しようがしまいが、結果は同じだ。それに目覚めた彼が、自分のせいで朱里が体を壊したり、学業を疎かにしてしまったりしたと知ったら、きっと気に病む」
「そうよ。黒沢先生の傍についていると、いらないことを考えて、朱里はずっと気を張っているでしょ。だから学校へ行って授業に出て、しっかりと睡眠時間を確保してくるのよ」
麟華は教師だとは思えない無責任な発言をして、朱里を勢い良く自宅から追い出しにかかった。朱里は遥の容態が気掛かりだったが、姉に押し切られてしぶしぶ家を出てきたのだ。
朱里は彼方の隣を歩きながら、無言でいるとますますだるくなる自分を感じた。気分転換をはかるつもりで、思い切って廃人のように虚ろな眼をしている彼方に声をかけた。
「彼方は昨夜、どうして家に泊まったの?」
彼は糸でつられた操り人形のように、ゆらりと朱里に顔だけを向ける。
「委員長の兄姉って、怖い」
「え?」
今朝は二人とも、にこやかに彼方と朱里を送り出してくれた筈である。
「もしかして、昨夜はずっと麒一ちゃん達と話をしていたの?」
彼方は力なくこっくりと頷いた。
朱里は遥の世話に関わること以外で部屋から出た記憶がない。自分が副担任を見守っている間、彼方は双子にその素性を問われていたのかもしれない。
そんな想像を巡らせていると、朱里も俄かに彼方のことに興味が沸いてきた。
「私も彼方のこと良く判らないけど。……どうなっているの? 先生とは知り合い?」
彼方は恐ろしい物でも見るような目つきで、激しく頭を振った。
「やめて、委員長。僕に聞かないで」
「は?」
「僕の口からは恐ろしくて説明できないよ。訊きたい事があったら、副担任か双子に聞いて。お願いだから。僕は自分の身の安全を守りたいからね」
どうやら双子に余計なことを言うなと釘を刺されているようである。彼方の様子から想定すると、双子は彼方を震え上がらせるような脅しをかけているのかもしれない。
朱里の中に在る双子は、朗らかな姉と、冷静沈着な兄である。
誰かに圧力をかける態度が想像できず、朱里は少しだけ二人の本性を知りたいような気もしたが、知らないでいるほうがいいような気もした。
「じゃあ、彼方は何のためにこっちへやってきたの?」
「委員長、僕の話を聞いていた?」
「だって、気になるんだもん」
素直に伝えると、彼方は「はぁっ」と落胆の溜息を落とす。
「言っても判らないと思うけど、僕はソウショウの翼を捜している」
「ソウショウの翼?」
「うん。こちらの字で現すなら相称の翼」
朱里はトクリと鼓動が震えるのを感じた。それが何を意味するのか知りたい反面、何かが片隅で知らないほうが良いと警告している。朱里がためらいながらも問いただそうとすると、一瞬早く彼方が遮った。
「おっと、それが何なのかは教えられないよ。これ以上は僕の口からは言えないから。知りたいことは、副担任か双子に聞いて」
「うん、……わかった」
残念だと感じながらも、朱里は迷っていた自分が安堵しているのも感じていた。
この世にただ一つ。遥を滅ぼすことの出来る力。
自分が知っているのは、それだけ。それ以上は必要がない。
朱里には意味を知ることが恐ろしかった。
(でも、彼方の望みって……)
ふと一つの気掛かりが胸を占めて、朱里は懲りずに続けてしまう。
「彼方は黒沢先生の味方?それとも、敵?」
どうしてそんな発想をしてしまったのだろう。きっと彼方が相称の翼を捜していることの意味を考えてしまったからだ。
遥を滅ぼす力を欲する、その意味を。
彼方は朱里の考えを察したらしく、困ったように笑う。
「うーん。それはとっても難しい質問だね。正直に言うと、僕にもまだわからない」
緊張している様子もなく、彼方は大きな欠伸をした。高等部の正門を抜けた処で立ち止まり、彼は両手を振り上げて伸びをする。
「だけど、僕は委員長の敵じゃないよ。色々とこっちではお世話になっているし、恩返しくらいはしたいな」
「――彼方は、何のためにここに来たの?」
何かがもどかしくてたまらない。朱里は知らずに同じ質問を繰り返していた。
彼方は昇降口へと向かいながら、後ろを歩いている朱里を振り返った。
無邪気な笑顔はそのままなのに、碧眼に宿る決意は揺ぎ無く、真っ直ぐに見るものを射抜く。朱里は思わず息を詰めて、彼の声を聞いていた。
「僕はね、真実が知りたい。それだけだよ」
はっきりと告げてから、彼方は昇降口から続く廊下を、教室のある方向とは逆へ進んだ。朱里はもう何かを問いかけることをせず、彼の後ろ姿を眺めていた。
朱里は彼が泊り込むことになった経緯を知らない。事情を知りたい気もしたが、遥の看病を姉の麟華に奪われた途端、一気に張り詰めていたものが緩んだようだった。
とぼとぼと彼方の隣を歩きながらも、朱里はだるくてたまらなかった。
姉の麟華は、徹夜で看病を続ける朱里を密かに心配していたのだろう。学校を休んで遥の看病を続けると言い張った妹を、強引に彼の寝台から引き剥がした。
「学校を休むなんて許さないわよ」
朱里の前で仁王立ちしていた麟華の形相は、はっきり言って恐ろしかった。珍しく大学を休むと決めた兄の麒一が、慰めるように補足してくれる。
「黒沢先生は必ず良くなるよ。朱里がつきっきりで看病しようがしまいが、結果は同じだ。それに目覚めた彼が、自分のせいで朱里が体を壊したり、学業を疎かにしてしまったりしたと知ったら、きっと気に病む」
「そうよ。黒沢先生の傍についていると、いらないことを考えて、朱里はずっと気を張っているでしょ。だから学校へ行って授業に出て、しっかりと睡眠時間を確保してくるのよ」
麟華は教師だとは思えない無責任な発言をして、朱里を勢い良く自宅から追い出しにかかった。朱里は遥の容態が気掛かりだったが、姉に押し切られてしぶしぶ家を出てきたのだ。
朱里は彼方の隣を歩きながら、無言でいるとますますだるくなる自分を感じた。気分転換をはかるつもりで、思い切って廃人のように虚ろな眼をしている彼方に声をかけた。
「彼方は昨夜、どうして家に泊まったの?」
彼は糸でつられた操り人形のように、ゆらりと朱里に顔だけを向ける。
「委員長の兄姉って、怖い」
「え?」
今朝は二人とも、にこやかに彼方と朱里を送り出してくれた筈である。
「もしかして、昨夜はずっと麒一ちゃん達と話をしていたの?」
彼方は力なくこっくりと頷いた。
朱里は遥の世話に関わること以外で部屋から出た記憶がない。自分が副担任を見守っている間、彼方は双子にその素性を問われていたのかもしれない。
そんな想像を巡らせていると、朱里も俄かに彼方のことに興味が沸いてきた。
「私も彼方のこと良く判らないけど。……どうなっているの? 先生とは知り合い?」
彼方は恐ろしい物でも見るような目つきで、激しく頭を振った。
「やめて、委員長。僕に聞かないで」
「は?」
「僕の口からは恐ろしくて説明できないよ。訊きたい事があったら、副担任か双子に聞いて。お願いだから。僕は自分の身の安全を守りたいからね」
どうやら双子に余計なことを言うなと釘を刺されているようである。彼方の様子から想定すると、双子は彼方を震え上がらせるような脅しをかけているのかもしれない。
朱里の中に在る双子は、朗らかな姉と、冷静沈着な兄である。
誰かに圧力をかける態度が想像できず、朱里は少しだけ二人の本性を知りたいような気もしたが、知らないでいるほうがいいような気もした。
「じゃあ、彼方は何のためにこっちへやってきたの?」
「委員長、僕の話を聞いていた?」
「だって、気になるんだもん」
素直に伝えると、彼方は「はぁっ」と落胆の溜息を落とす。
「言っても判らないと思うけど、僕はソウショウの翼を捜している」
「ソウショウの翼?」
「うん。こちらの字で現すなら相称の翼」
朱里はトクリと鼓動が震えるのを感じた。それが何を意味するのか知りたい反面、何かが片隅で知らないほうが良いと警告している。朱里がためらいながらも問いただそうとすると、一瞬早く彼方が遮った。
「おっと、それが何なのかは教えられないよ。これ以上は僕の口からは言えないから。知りたいことは、副担任か双子に聞いて」
「うん、……わかった」
残念だと感じながらも、朱里は迷っていた自分が安堵しているのも感じていた。
この世にただ一つ。遥を滅ぼすことの出来る力。
自分が知っているのは、それだけ。それ以上は必要がない。
朱里には意味を知ることが恐ろしかった。
(でも、彼方の望みって……)
ふと一つの気掛かりが胸を占めて、朱里は懲りずに続けてしまう。
「彼方は黒沢先生の味方?それとも、敵?」
どうしてそんな発想をしてしまったのだろう。きっと彼方が相称の翼を捜していることの意味を考えてしまったからだ。
遥を滅ぼす力を欲する、その意味を。
彼方は朱里の考えを察したらしく、困ったように笑う。
「うーん。それはとっても難しい質問だね。正直に言うと、僕にもまだわからない」
緊張している様子もなく、彼方は大きな欠伸をした。高等部の正門を抜けた処で立ち止まり、彼は両手を振り上げて伸びをする。
「だけど、僕は委員長の敵じゃないよ。色々とこっちではお世話になっているし、恩返しくらいはしたいな」
「――彼方は、何のためにここに来たの?」
何かがもどかしくてたまらない。朱里は知らずに同じ質問を繰り返していた。
彼方は昇降口へと向かいながら、後ろを歩いている朱里を振り返った。
無邪気な笑顔はそのままなのに、碧眼に宿る決意は揺ぎ無く、真っ直ぐに見るものを射抜く。朱里は思わず息を詰めて、彼の声を聞いていた。
「僕はね、真実が知りたい。それだけだよ」
はっきりと告げてから、彼方は昇降口から続く廊下を、教室のある方向とは逆へ進んだ。朱里はもう何かを問いかけることをせず、彼の後ろ姿を眺めていた。
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