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第一話 天落の地

第1章:3 出会い

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 抜け道に敷き詰められた細かな砂利の上を、誰かがこちらへ歩いてくる。距離は既に間近まで迫っている。朱里は背筋に冷たいものが伝うのを感じた。 
 強烈な恐ろしさに支配されて、身動きが出来ない。振り向くことが出来ない。 

 この抜け道の先には、何があったのか。 

――鬼。 

 コクリと、朱里の喉が鳴る。 
 それは鬼の巣窟、棲み処ではなかったか。 
 開けてはならない扉を開けてしまったのではないか。 

 じゃり、じゃり。 

 その場に縫いとめられたように動けない朱里の背後で、足音がやんだ。朱里は恐ろしさに竦んで、ひたすら固く目を閉じる。 

「――何者だ」 

 場に不似合いなくらいに澄んだ、張りのある声が闇を貫く。大きくはないのによく通る声だった。朱里はまるで呪縛を解かれたように、張り詰めていたものが崩れた。 
 背後から聞こえてきたのは、紛れもなく人の声だった。 

「それは、こっちの台詞だけど」 

 彼方は朱里の背後に立つ誰かに、強い眼差しを向けていた。そんな彼の様子が、ますます朱里を支配していた恐れを遠ざける。 
 朱里はようやく振り返って、背後にいる誰かを確かめる。 
 細い抜け道に立ちはだかるように、暗闇の中に現れた影。朱里は背の高い人影をゆっくりと仰ぐ。真っ直ぐに立っている輪郭が綺麗だった。 

 灯りのない抜け道では、しっかりと顔を見分けることが出来ない。ただ鬼や魔物といった妖怪の類ではないことが分かる。 
 現れた影は静かに立ち尽くしたまま、立ち上がらない彼方を見下ろしていた。 

「おまえ、――ヘキの者か」 

 背の高い影が明瞭な声で告げる。彼方は明らかに動揺したようだ。息を呑むように身動きした気配が朱里にも感じ取れる。 

「どちらにしても、ここを破ることなどできない」 
「そんな筈は……」 

 彼方の呟きをどう受け止めたのか、背の高い影がふっと笑った気配がした。 

「今のが事実だ。――キの流れが激しい。それもおまえの仕業か」 
「あなた、誰なんだよ。どこから来たんだ」 

 彼方が現れた人影に、ひどく警戒しているのが伝わってくる。朱里は呆然とやりとりを見守っていることしか出来ない。 
 緊張を解かない彼方とは裏腹に、目の前の人影は再び浅く笑う。 

「そうだな。遠くて近い、近くて遠い、そんな遥か彼方からやって来た」 

 朱里にはとても真面目に答えているとは思えない。胡散臭い人だと仰ぎ見てしまう。隣の彼方は依然として緊張したままだった。 

「あの、どうしてこんな所にいるんですか」 

 自分が問うべきことではないと思えたが、朱里はおずおずと口を開いた。どう考えても、不思議な状況なのだ。恐れはないものの、気を許せない状況であることは変わらない。 

「それは私の台詞だな。ここは立ち入りを禁じられた場所。私は知らせを受けて、見張っていた」 

 抜け道の前に仕掛けてあった脚立と梯子が、朱里の脳裏をよぎる。この悪戯な違反が露見すれば、是非に関わらずクラスメートが同罪となるのは目に見えている。学級内からの裏切り者は考えにくい。 
 やはり既に誰かが脚立と梯子を見つけて、侵入者に対する策を講じていたのだろうか。 

「じゃあ、あなたは、もしかしなくても学院の関係者ですか」 

 停学の二文字がちらついたが、今更取り乱しても仕方がない。過ちを犯したのは事実なのだから、罰を受けるのは仕方がないだろう。ただ、無邪気にはしゃいでいただけのクラスメートを顧みると、少なからず失敗したことが申し訳のない気もした。 

「さっきのすごい爆風も、侵入者を驚かせるための仕掛けですか」 
「……どうかな」 

 彼は問いには答えず、座り込んだままの朱里を眺めているようだった。やがて立ち上がらせる手助けなのか、そっと手を差し伸べた。 
 暗闇の中で彼の影が近づくと、ぼんやりと顔が見えた。全てが闇色の濃淡で色合いは見分けられなかったが、朱里は既視感を覚えた。 
 思わず彼の顔を凝視するが、全く心当たりがない。 

 明瞭ではない視覚で捉えているのに、息を呑むほど端正な顔立ちをしている。こんなに整った造作の顔を見たことがあれば、いくら色恋に疎い朱里でも、絶対に翌日には話題にしただろう。 
 朱里は戸惑いながら、呆けている場合ではないと差し伸べられた手に捕まる。 

 熱い掌だった。再び既視感に襲われる。 
 まるで体ごと抱き上げられるような強い力で、彼は朱里を引き上げてくれた。 

(こんな感じ、知っているわ)

 どこで体験したのか分からないまま、朱里は立ち尽くしたまま彼と向かい合った。立ち上がっても背の高い人影だった。彼の顔を仰ぎ見るようにして、確かめる。 

(だけど、この人は知らない) 

 彼方はいつのまにか自力で立ち上がって、砂埃をはたいている。彼は彼方の前を素通りすると、気を失って倒れたままの涼一を抱えるように持ち上げた。 
 影の中を動く彼の輪郭は、しなやかで野生的なくらいに無造作である。彼は有無を言わせずに、どさりと彼方に涼一を託す。 

「後は任せるよ」 

 彼方は何か言いたげに彼を見つめていたが、諦めたように踵を返す。 

「――二度と、莫迦な真似はやめておけ」 

 涼一を抱えたまま戻っていく彼方の背中に、彼はよく通る声で告げた。 
 朱里には命令のように聞こえた。驚くほど厳しい声だった。 
 涼一を抱え直しながら、彼方は何の反応も示さずに細い抜け道を戻っていく。朱里はすぐに彼方を追って駆け出そうとしたが、ふと思いなおして彼の前まで歩み寄る。 

「あの、こんな所に踏み込んで、本当に申し訳ありませんでした」 

 彼が何者であるのかはっきりしないが、学院の禁忌を知っているのは確かだった。そして禁忌を破ろうとした朱里達が彼に迷惑をかけたことも間違いがないだろう。 
 朱里は潔く謝罪をしておくことは必要だと思えた。 
 深く頭を下げた朱里に、彼は囁くように伝える。 

「……君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る。君が幸せに過ごせるのなら、それが私の望み。たとえ過ちだとしても、私に与えられた唯一のやり方。……だから、君に咎はない」 

 優しい声なのに、とても寂しげな響きをしている。朱里は咄嗟に顔を上げて、目の前の人影を確かめる。言葉は食い違っていたが、彼の中に在る真実を述べているのだと思えたのだ。 

「あなたは、誰ですか」 

 朱里の問いかけには、やはり答えがなかった。彼はそれきり何も言わず、朱里に背を向けると、細い抜け道を向こう側へと歩いていく。 
 朱里はその後姿が闇にとけて消えてしまうまで、じっとその場に立ち尽くしていた。
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