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第一話 天落の地

第1章:2 禁じられた場所

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 歩を進めるたびに、敷き詰められた砂利が鳴る。
 薄気味の悪い狭い道を歩きながら、朱里は自分のクジ運の悪さを改めて噛み締めていた。

「おい、天宮あまみや。おまえ、歩くのが遅い」 
「そんなこと言われたって」 

 朱里を叱咤しながら、ためらいなく先頭を突き進むのは、探検隊の三人目であり、もう一人の学級委員である宮迫涼一みやさこ りょういちだった。彼も朱里も新学期早々、クジ運に見放されて学級委員をやる羽目になってしまったのだ。 

 けれど、朱里とは違い、涼一は役割に相応しい気性の持ち主である。彼も幼等部から一貫してこの学院に通っている。夏美と同じように、幼い頃からの顔なじみでもあった。 
 彼は成績も優秀で、誰とでもわけ隔てなく接する様子に好感がもてる生徒である。これまでも学級のまとめ役として活躍していたことが多々あった。朱里の目から見れば、それだけで人望があるように見える。 

 今回の計画も、収束に向かう気配のない学級内の好奇心を見かねて、彼がまとめあげたようなものだ。布陣するように、彼は必要な役割を決めて周到な準備をした。 
 人前に出ることを厭う朱里にとって、彼の存在は偉大である。自分の存在を目立たせない隠れ蓑としても最良だったが、今回ばかりは裏目に出ていた。 

 完璧な司令官を務める学級委員長は、当然先陣にいるべきである。禁止区域に踏み込む探検隊に加わっている方がいい。いつのまにか学級内でそんな暗黙の掟ができあがっていたのだ。学級委員は彼だけではない。当然、片割れの朱里も付き合う羽目に陥ってしまった。 

「宮迫委員長」 

 いつも彼のことを「涼」と気軽に呼んでいるのに、朱里はわざとらしくそんなふうに声をかけてみた。 

「やっぱり、やめない?」 
「こんな時だけ委員長扱いして媚びるなよ」 
「だって、怖くてたまらない。――もう戻ろうよ」 

 朱里は既に恐ろしさで足が竦んでいる。涼一は「無理だよ」と首を振った。 

「クラスの連中が、それで納得するとは思えない」 
「だから、行ったことにして、何もなかったって言えば」 
「おっと、駄目だよ、委員長。そういうのは僕が許さない」 

 傍らを歩く彼方が、間髪入れずに朱里の願いを打ち消してくれる。何を言っても諦める気がないようだ。もともと一番興味を抱いていたのは彼なのだ。無理もないだろう。 

「彼方の言うとおり。それに、ほら。俺達は携帯のカメラで証拠を撮って帰らなきゃならないし」 

 涼一が手に持っているものを示すように、わずかに腕をあげた。彼なりの配慮なのか、朱里の歩調にあわすように、さりげなく進んでいくペースが遅くなっていた。 

「……ごめんな、天宮」 

 突然涼一に謝罪されて、朱里は一瞬恐れを忘れて「は?」と聞き返してしまう。 

「おまえが、こんなに怖がりだって知らなかったからさ。巻き込んで悪かったなと」 
「や、その、もう仕方がないし」 
「あのまま放っておいたら、クラスの連中が何か事件を起こしそうに思えたんだ。昔からの付き合いだし、天宮は目立つことが苦手なのも知っていたのに。俺の都合で利用してしまって、悪かったよ」 
「それって、もしかして。……私が理事長の娘だから、最悪の場合を想定すると、巻き込んでおいて損はないっていうこと?」 

 涼一は言い訳もせずに素直に頷いた。朱里はその素直さを責めるような気にはなれなかった。他の理由をつけて取り繕われるほうが嫌な気持ちになるだろう。 

「だから、ごめんな」 
「まぁ、仕方ないよね、この場合。――ただ、私を巻き込んだからって、ばれた時の罪状が軽くなるかどうかは謎だけど」 
「だろうな。天宮は昔から立場に甘えないから。ま、これは俺の気休めだよ。それに、天宮なら裏でこっそりと支えてくれるだろ」 
「――同じ学級委員だから、出来ることはするよ。こればっかりは、クジ運の悪い自分を呪うしかないし。でも、涼だってそれで学級委員になってこの有様でしょ。貧乏くじをひいているのはお互い様」 
「だよな。なんか俺達、クラスの連中に良いように使われているような気がする」 

 顔をしかめる涼一に同意しながら、朱里は少しだけ笑ってしまう。不平を唱えながらも世話を焼いてしまう彼の人柄は微笑ましい。 

「だけど」 
 涼一はふいに隣を歩く彼方を見た。 

「ここに約一名、心の底から楽しんでいる奴がいるけどな」 
 言い当てられて悪びれることもなく、彼方は軽く二人の肩を叩いた。 
「委員長達も、もう覚悟を決めて楽しめば?鬼の巣窟なんて神秘でしょ?」 

 満面に笑みを浮かべている彼方の様子には、戸惑いがない。朱里は涼一と顔を見合わせて溜息をついた。新学期が始まって彼方が編入を果たしてからは、まだ二週間くらいである。人懐こいせいなのか、どこか憎めない個性の持ち主だった。 

 涼一を先頭にして、三人は赤煉瓦の壁に寄り添うようにして校舎と挟まれた細い抜け道を進む。天宮学院は高等部や大学部が隣り合っているものの、敷地は壁に区切られて独立している。それぞれに設けられた正門を抜けなければ、行き来は成り立たない。 

 朱里達が目指している立ち入りを禁じられた場所は、学院内の敷地から考えると中央に位置しているようだ。 
 禁じられた場所に続く抜け道は、その始まりが常に鉄柵で締め切られている。普通ならば乗り越えて行くことなど出来ないが、体育倉庫から持ち出した脚立と梯子が、その難関の突破口として機能した。これも学級内の計画の一つである。日が暮れる前に人の目に付かない方法を模索しながら、その役割を受け持ったクラスメートが配備したものだ。 

 朱里は自分達が向かうまでに、誰かがその脚立や梯子の存在に気がついて撤去していてくれないかと期待していたが、どちらも見事にそこに在った。鉄柵を越える用具として、見事に役割を果たしてしまったのだ。 
 三人は難なく鉄柵を越えて、細い抜け道を進むことになった。 

「それにしても、長いな」 

 校舎と赤煉瓦に挟まれた抜け道を進みながら、先頭の涼一が呟く。朱里もすぐに「うん」と相槌を打った。抜け道を進み始めて、既に半時間は過ぎているような気がする。 

「かなり歩いてきたような気がするよ」 
「だよな」 

 たたでさえ暗闇に沈む不気味な舞台なのだ。朱里は不安になって思わず足を止めた。 

「実は迷路みたいに入り組んでいて、迷わせる仕掛けになっているとか」 

 涼一も足を止めて朱里を振り向く。最後尾にいた彼方が「それはないよ」と状況に不似合いな明るい声を出した。 

「だってさ、見て。この道はずっと真っ直ぐに続いているよね」 
「……たしかに」 

 涼一が歩いてきた道と先に続く道を眺めてから頷いた。果てが暗闇に沈んでいるものの、どちらも真っ直ぐに伸びている。わずかな湾曲も感じられない。 

「それに完全に一本道だ」 
「うん」 

 頷いてみたものの、朱里は込み上げる不安を拭いきれない。どこか異世界に迷い込んだような恐ろしさがあった。涼一にも同じような危惧があるのか、彼も立ち尽くしたまま黙り込んでいる。 

「やっぱり、当たりだったのかな」 
 彼方は恐れる様子もなく、暗闇に沈む狭い道を眺めていた。 
「ここは本当に鬼の巣窟なのかもしれないね」 
「彼方。おまえさ、この状況でそんな恐ろしいことを言うなよ」 

 きっと涼一は怖がる朱里を気遣ってくれているのだろう。幾分厳しい口調で彼方に声をかけた。彼方は腕を組んで困ったように笑う。 

「――うん。たしかに鬼の巣窟っていうのは、かなり語弊がある」 

 暗闇に彼の輪郭がぼうっと浮かび上がっていた。どうかすると暗黒に沈みそうな視界の中で、それだけが捉えられることのできる形だった。彼方は暗闇に沈む前方へ向けていた眼差しを、朱里と涼一に向けた。 

「だけど、ここでは得体の知れないものや恐ろしいものを鬼と呼ぶでしょ?違うのかな」 
「何の話なの?」 

 朱里は思わず自分を抱きしめるようにして、腕に力を込める。戻りたくてたまらないが、戻るにしてもこれまでの距離を思えば簡単にそう言えない。いっそうのこと目的地にたどり着いてから、何もなかったという答えを確認して帰途につくほうが気楽だと思えたのだ。 
 彼方は朱里の問いには答えず、再び前方の闇を見る。 

「きっと、このまま進んでも意味がない。はじめに戻るだけだろうね」 
「はじめって、どういうことだよ」 
「鉄柵の入り口にたどり着くっていうこと」 

 朱里はぞっとして全身が粟立った。涼一も「いい加減にしろよ」と声を大きくする。 

「だから、そうならないために僕がいるわけ。ここは護られているから」 

 彼は狭い道の先頭に立って、無邪気な声で語る。朱里には言葉の意味が理解できない。涼一も眉をひそめて腕を組んだまま、彼方の後姿を見ていた。彼はどこか得意げな微笑みを浮かべると、悪戯を仕掛けるような仕草で掌を前に突き出す。 

 どういうつもりなのか、彼はまるで目の前に重たげな扉でもあるかのように、突き出した掌に力を込めていた。朱里は何の真似事だろうかと思わず見守ってしまうが、彼方の表情は大真面目だった。 

「おい、彼方?」 

 悪ふざけではないのだと思うまでに、どれくらいの時間が必要だったのだろう。涼一も異変に気付いたようだ。朱里も彼の震える腕に込められた力が演技だとは思えなかった。季節は涼やかな秋なのに、いつのまにか彼の額からは滴り落ちるほどの汗が噴き出している。 

「ちょっと、どうしちゃったの?」 
「――重い……」 
 呟きはかすかで、彼方は既に肩で息をしている。 
「重いって、何が?」 

 そこには何もないと言いたかったが、目の前の光景には不似合いな指摘だと思えた。彼方の前に立ちはだかる何かが、朱里にも感じられるような気がした。 

「莫迦な……、どうして」 
 彼は渾身の力を込めているに違いない。何が起きているのか判らないのに、朱里は苦しげな呼吸を繰り返す彼方が心配になってくる。 

「ねぇ、ちょっと。とにかく、もう諦めたほうが――」 

 彼にかけた言葉の最後は、朱里自身にも聞こえなかった。 
 突然、どっと何かが弾けた衝撃。 

「あっ……」 

 視界を奪うような爆風。 
 ごうっと、すさまじい勢いで風が巻き上がる。 
 朱里は垣間見た光景の端に、勢いよく飛ばされる彼方の姿を捉えた気がしていた。 
 何かが弾けるような轟音と、吹き止まぬ風から身をかばうように、朱里は咄嗟にその場にしゃがみこむ。 

 辺りが夜の静けさを取り戻すまで、それは一瞬のようでもあり、また長い一時でもあったように感じられた。朱里はそっと顔をあげて、静寂を貫く狭い道に目を向ける。 
 視界に入った光景が、網膜で凍りつくような気がした。 

「彼方っ、涼っ」 

 朱里の喉から、悲鳴のような声がほとばしる。爆風に飛ばされたのか、二人は細い抜け道の少しだけ離れた位置で、折り重なるようにして倒れていた。朱里は一目散に二人の元へ駆けつける。 

「しっかりして、二人とも」 

 傍で膝をついて声をかけると、彼方がわずかに反応する。彼はぼんやりと目を開けると、ゆっくりと朱里を見た。 

「大丈夫? 頭とかぶつけていない?」 
「――平気……」 

 答えてから、緩慢な動作で彼方が上体を起こす。朱里が見守っていると、彼ははっと何かに気がついたように顔をあげた。朱里の肩越しに何かを見つめている。 
 どうしたのと振り向いて確かめようとしたとき、朱里は背後でわずかな物音を聞いた。緊張でさっと体が強張る。 

 じゃり、じゃり、と沈黙を揺るがす足音。 
 後ろに誰かがいる。 
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