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第九章:古井戸の遺体
42:鬼の案内先
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葛葉が食事を終えると、隊員と話をすませた可畏がやってきた。少将の四方と揃って敬礼をすると、可畏が答礼する。朝の挨拶もなく、すぐに本題に入った。
「四方」
「はい、閣下」
「昨夜の件について、引き続き調査を進める。だが、これまで一切話が聞こえてこなかったかったことを考えると、相手はこの一帯に想像以上の影響力を持っている。どんな些細なことでもいい。見過ごすな」
「心得ております」
「私は正面から攻めてみる」
「はい。お気をつけて」
昨夜、葛葉が寝んでからも、可畏は着実に捜査を進めているようだった。にわかに蚊帳の外へ放り出された気分になったが、彼の鋭い赤眼が葛葉をとらえた。
「食事は済ませたのか?」
「はい、御門様」
「では、さっそく出るぞ。ついてこい」
「はい」
可畏はすぐに踵を返して玄関へと向かう。葛葉には成り行きが掴めない。
小走りに彼の後を追いながら、昨夜の出来事を振りかえってみた。
廃屋となった長屋を出て、しばらく道なりに進んだ。やがて女は鬱蒼としげる薮をものともせず、暗がりへと姿を眩ませた。見失ったかと思ったが、まるで目印を残すように鬼火が燃えている。
真っ暗な藪の中を、ゆらゆらと赤い鬼火がとおりすぎていく。その瞬間だけ、辺りの暗闇から木々が姿を見せた。
徘徊するように進む鬼火を見失わないように、葛葉は可畏と共に女を追いかけた。
たどり着いた先にあったのは、古い井戸だった。
この一帯がまだ活気に溢れていた頃には機能していたのだろう。今は誰かに導かれなければ、そこに井戸があることも見落としそうな風情で、薮に同化していた。
葛葉が石油ランプで照らすと、転落防止のためか、古井戸は厚い木で頑強に蓋を施されていた。
秋口には不似合いな、生ぬるい風が頬を撫でると、ふたたびうりざね顔の女が立っていた。
もう妙のふりをすることもなく、何も話さない。
ただ古井戸の傍らで、ひっそりと佇んでいる。
今思えば、可畏は彼女と意志の疎通があったのだろうか。井戸の蓋を開くこともなく、可畏は「帰るぞ」と女に背を向けた。あとは特務部が引き受けるとだけ、葛葉に説明した。
あれから何がどうなったのかを考えてみたが、一晩で何かが掴めたとも思えない。
元本陣の大きな屋敷を出て、通りを歩き出した可畏が歩調はそのままに葛葉を見返った。どうやら事態が飲み込めていない葛葉の戸惑いを察していたようである。
「聞きたいことがあるなら答えるが?」
「はい、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
とりあえず現状を理解しないとはじまらない。
「今日はどちらへ向かっているのですか?」
「妙を雇っていた店だ」
鬼火の出た廃屋へ向かう道中で、可畏は妙にも話を聞きたいと言っていた。予定通りといえばそうなのだが、葛葉は古井戸のことが気になる。
「昨夜見つけた古井戸は調べないのですか?」
「あの井戸はもう調べた」
「え? でも昨夜はそのままお屋敷へ戻りましたが」
「あの後、もう一度隊員と現場へ向かって調査した。私の予想通り、古井戸の底から女性の遺体が見つかった」
――古井戸の底から女性の遺体が見つかった。
葛葉はあんぐりと口をあけて立ち止まってしまう。
「そんなに意外か?」
「あ、いえ」
鬼火の示した曰くのありすぎる古井戸である。勘の鈍い葛葉でも、井戸の底に人の亡骸があるのではないかと想像はしていた。だからこそ、可畏が井戸を暴くこともなく戻ったことが腑に落ちなかったのだ。
「その、まさかもう古井戸を調査をされていたとは思わなかったので」
明らかに意味ありげな古井戸である。葛葉でも思いつくことを、可畏が見逃すはずはないと思い直す。迅速な指揮はさすがとしか言いようがないが、自分が立ち会えなかったことは少し残念だった。
「わたしも現場の調査に参加したかった気がします」
「参加したかった? 女性の腐敗した遺体の出る現場にか?」
想像しそうになって肌が粟立ったが、葛葉はつよがって頷いた。
「一連の事件について、手がかりになるかもしれないですし。何事も経験ですから」
可畏は悪戯っぽく笑う。
「あんなに怯えていて、さらに女性の遺体が出たら、おまえは気絶していたんじゃないか?」
「そんなことありませ……、あ」
葛葉は可畏の不自然さの理由に思い至る。
「もしかして、それで御門様は一度お屋敷へ戻ったのですか? わたしが怯えていたから」
自分の不甲斐なさが込み上げてきて「申し訳ありません」と頭を下げようとしたが、可畏に遮られた。
「いちいち謝るな。おまえのためじゃない。すべて手際の問題だ」
「……それは、結局わたしでは足手まといで手際が悪くなると」
可畏は深く吐息をつくと、再び早足に歩き出した。
「否定はしない。おまえに経験が足りていないのは事実だからな。だが能力を開花させるためには仕方がない。仕方がないことを、いちいちぐずぐず考えるな」
「はい。申し訳……」
「謝るな」
「はい!」
一喝されて、葛葉は姿勢をただす。働きぶりで示せというのが可畏の一貫した考えのようだ。
「古井戸から出た遺体の身元については調べなくても良いのですか?」
「いま調べている。だから……」
「四方」
「はい、閣下」
「昨夜の件について、引き続き調査を進める。だが、これまで一切話が聞こえてこなかったかったことを考えると、相手はこの一帯に想像以上の影響力を持っている。どんな些細なことでもいい。見過ごすな」
「心得ております」
「私は正面から攻めてみる」
「はい。お気をつけて」
昨夜、葛葉が寝んでからも、可畏は着実に捜査を進めているようだった。にわかに蚊帳の外へ放り出された気分になったが、彼の鋭い赤眼が葛葉をとらえた。
「食事は済ませたのか?」
「はい、御門様」
「では、さっそく出るぞ。ついてこい」
「はい」
可畏はすぐに踵を返して玄関へと向かう。葛葉には成り行きが掴めない。
小走りに彼の後を追いながら、昨夜の出来事を振りかえってみた。
廃屋となった長屋を出て、しばらく道なりに進んだ。やがて女は鬱蒼としげる薮をものともせず、暗がりへと姿を眩ませた。見失ったかと思ったが、まるで目印を残すように鬼火が燃えている。
真っ暗な藪の中を、ゆらゆらと赤い鬼火がとおりすぎていく。その瞬間だけ、辺りの暗闇から木々が姿を見せた。
徘徊するように進む鬼火を見失わないように、葛葉は可畏と共に女を追いかけた。
たどり着いた先にあったのは、古い井戸だった。
この一帯がまだ活気に溢れていた頃には機能していたのだろう。今は誰かに導かれなければ、そこに井戸があることも見落としそうな風情で、薮に同化していた。
葛葉が石油ランプで照らすと、転落防止のためか、古井戸は厚い木で頑強に蓋を施されていた。
秋口には不似合いな、生ぬるい風が頬を撫でると、ふたたびうりざね顔の女が立っていた。
もう妙のふりをすることもなく、何も話さない。
ただ古井戸の傍らで、ひっそりと佇んでいる。
今思えば、可畏は彼女と意志の疎通があったのだろうか。井戸の蓋を開くこともなく、可畏は「帰るぞ」と女に背を向けた。あとは特務部が引き受けるとだけ、葛葉に説明した。
あれから何がどうなったのかを考えてみたが、一晩で何かが掴めたとも思えない。
元本陣の大きな屋敷を出て、通りを歩き出した可畏が歩調はそのままに葛葉を見返った。どうやら事態が飲み込めていない葛葉の戸惑いを察していたようである。
「聞きたいことがあるなら答えるが?」
「はい、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
とりあえず現状を理解しないとはじまらない。
「今日はどちらへ向かっているのですか?」
「妙を雇っていた店だ」
鬼火の出た廃屋へ向かう道中で、可畏は妙にも話を聞きたいと言っていた。予定通りといえばそうなのだが、葛葉は古井戸のことが気になる。
「昨夜見つけた古井戸は調べないのですか?」
「あの井戸はもう調べた」
「え? でも昨夜はそのままお屋敷へ戻りましたが」
「あの後、もう一度隊員と現場へ向かって調査した。私の予想通り、古井戸の底から女性の遺体が見つかった」
――古井戸の底から女性の遺体が見つかった。
葛葉はあんぐりと口をあけて立ち止まってしまう。
「そんなに意外か?」
「あ、いえ」
鬼火の示した曰くのありすぎる古井戸である。勘の鈍い葛葉でも、井戸の底に人の亡骸があるのではないかと想像はしていた。だからこそ、可畏が井戸を暴くこともなく戻ったことが腑に落ちなかったのだ。
「その、まさかもう古井戸を調査をされていたとは思わなかったので」
明らかに意味ありげな古井戸である。葛葉でも思いつくことを、可畏が見逃すはずはないと思い直す。迅速な指揮はさすがとしか言いようがないが、自分が立ち会えなかったことは少し残念だった。
「わたしも現場の調査に参加したかった気がします」
「参加したかった? 女性の腐敗した遺体の出る現場にか?」
想像しそうになって肌が粟立ったが、葛葉はつよがって頷いた。
「一連の事件について、手がかりになるかもしれないですし。何事も経験ですから」
可畏は悪戯っぽく笑う。
「あんなに怯えていて、さらに女性の遺体が出たら、おまえは気絶していたんじゃないか?」
「そんなことありませ……、あ」
葛葉は可畏の不自然さの理由に思い至る。
「もしかして、それで御門様は一度お屋敷へ戻ったのですか? わたしが怯えていたから」
自分の不甲斐なさが込み上げてきて「申し訳ありません」と頭を下げようとしたが、可畏に遮られた。
「いちいち謝るな。おまえのためじゃない。すべて手際の問題だ」
「……それは、結局わたしでは足手まといで手際が悪くなると」
可畏は深く吐息をつくと、再び早足に歩き出した。
「否定はしない。おまえに経験が足りていないのは事実だからな。だが能力を開花させるためには仕方がない。仕方がないことを、いちいちぐずぐず考えるな」
「はい。申し訳……」
「謝るな」
「はい!」
一喝されて、葛葉は姿勢をただす。働きぶりで示せというのが可畏の一貫した考えのようだ。
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「いま調べている。だから……」
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