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第十二章:カバさんの嘔吐
57:宝物のように残ってほしい
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健気な姿勢に、わたしの涙腺が緩みそうになる。瞳子さんの気持ちから、ジュゼットは何かを学んだのかもしれない。
「ジュゼットは、賢いね」
じんとこみ上げるものをごまかすように、笑って見せた。
わたしも泣かない。
わたし達が悲しむと、瞳子さんが余計に辛くなるだろうから。
「兄貴達、戻ってくる気配もないし、もったいないから先に食べようか」
次郎君が三段の重箱を開けて並べはじめた。おにぎりは半透明のプラスチック容器にぎっしりと詰められている。
「瞳子のご飯は、とても美味しいですわ」
ジュゼットがパッと幼い顔に戻る。胸に抱えていたピンクのカバのぬいぐるみから手を離すと、それはレジャーシートに転がらずに、ふよふよと浮遊した。
わ! カバさん、やっぱりまだそこにいたんだ。
「ワシ、もしかして賭けに負けるんかいな?」
「カバ、おまえ、まだ何か企んでいるのか?」
カバさんを見つけた途端、次郎君が殺気立つ。カバさんは次郎君には全く興味を示さず、ジュゼットの方へ向きを変えた。
「姫さんは、帰りたいんか?」
「――はい。今は帰らなければいけないと思っています」
「そうなんか。……ほんだら、まぁええか」
次郎君が身を乗り出して、ぐいっと浮遊するぬいぐるみを掴んだ。
「おまえは、何を企んでいるんだよ」
「そないピリピリせんでもええがな。別に何も企んでへんわ」
「嘘つけ」
「疑り深いやっちゃなぁ」
次郎君の態度は、これまでのカバさんの所業を思えば当然のことだけど、カバさんには伝わるはずもない。
「ワシは一郎と一蓮托生って言うたやろ。一郎が決めたことには抗わへん。そもそもあいつが望んだら、ワシはすぐに嘔吐やで」
「嘔吐?」
それって、お腹の中の世界を吐き戻すという意味だろうか。
「それに、ワシはついでに姫さんの願いも叶ったらええなって思ってただけや」
「ジュゼットの願い?」
「二度と帰りたくないって言うてたからな。世界がなくなったら、ちょうどええやんって」
やっぱり根本的にカバさんとは思考回路が違う。
お家に帰りたくなかったら、世界をなくしてしまえばいい。
どんな狂人の発想だろう。
「でも、そうか。姫さんは帰りたいんか」
次郎君の手から逃れて、カバさんがふよふよとジュゼットの膝の上に乗っかる。お腹の中にあるものを持って、どこかに逃げ去るような素振りはない。
ピンクのカバのぬいぐるみのまま、うっとりと大人しくなった。
「カバさんって、どうしてそんなにジュゼットの味方なの?」
方法論は途轍もなく間違えているけれど、いつもジュゼットのことは慮っている。
「味方? ようわからんけど、姫さんが笑うと面白いからな」
「面白い?」
「そやな」
わたしには理解できそうにもない。カバさんの行動基準は面白いか面白くないか。
二択で成り立っているのだろうか。
「まぁ、いちばん面白かったんは、イチローやけどな」
次郎君が鬼のような形相をしているけど、無理もない。わたしも冷ややかな目でカバさんを見てしまう。それきり大人しくなったカバさんから、瞳子さん作の豪華な重箱弁当に意識を向けた。ジュゼットと次郎君にお弁当を取り分けて、卵焼きをほおばる。
甘めの味付けは優しい。
わたしは砂浜のはるか向こう側まで行ってしまった二人の影を、視線で追った。寄り添うように重なる影。
もう何かを偽ることはなく、想いを伝え合えるはずなのだ。
一郎さんと瞳子さんは、通じ合った気持ちで何を語り合っているのだろう。
黄昏に光る波がキラキラと輝いている。まるで想い合う二人を祝福しているかのように切なく美しかった。
波打ち際に立つ二人。絵画のように綺麗な情景。
忘れたくない。
いつか瞳子さんが教えてくれたように。
(全てがなかったことになっても、気持ちは残っているんじゃないかって。結びつく記憶がなくなっていても、心の中にだけは、何かわからないまま、でも宝物のように残っているんじゃないかって)
できればそんなふうに心に残ってほしい。
今、この瞬間の気持ち。
宝物のように。
そう願わずにはいられなかった。
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――1。
「ジュゼットは、賢いね」
じんとこみ上げるものをごまかすように、笑って見せた。
わたしも泣かない。
わたし達が悲しむと、瞳子さんが余計に辛くなるだろうから。
「兄貴達、戻ってくる気配もないし、もったいないから先に食べようか」
次郎君が三段の重箱を開けて並べはじめた。おにぎりは半透明のプラスチック容器にぎっしりと詰められている。
「瞳子のご飯は、とても美味しいですわ」
ジュゼットがパッと幼い顔に戻る。胸に抱えていたピンクのカバのぬいぐるみから手を離すと、それはレジャーシートに転がらずに、ふよふよと浮遊した。
わ! カバさん、やっぱりまだそこにいたんだ。
「ワシ、もしかして賭けに負けるんかいな?」
「カバ、おまえ、まだ何か企んでいるのか?」
カバさんを見つけた途端、次郎君が殺気立つ。カバさんは次郎君には全く興味を示さず、ジュゼットの方へ向きを変えた。
「姫さんは、帰りたいんか?」
「――はい。今は帰らなければいけないと思っています」
「そうなんか。……ほんだら、まぁええか」
次郎君が身を乗り出して、ぐいっと浮遊するぬいぐるみを掴んだ。
「おまえは、何を企んでいるんだよ」
「そないピリピリせんでもええがな。別に何も企んでへんわ」
「嘘つけ」
「疑り深いやっちゃなぁ」
次郎君の態度は、これまでのカバさんの所業を思えば当然のことだけど、カバさんには伝わるはずもない。
「ワシは一郎と一蓮托生って言うたやろ。一郎が決めたことには抗わへん。そもそもあいつが望んだら、ワシはすぐに嘔吐やで」
「嘔吐?」
それって、お腹の中の世界を吐き戻すという意味だろうか。
「それに、ワシはついでに姫さんの願いも叶ったらええなって思ってただけや」
「ジュゼットの願い?」
「二度と帰りたくないって言うてたからな。世界がなくなったら、ちょうどええやんって」
やっぱり根本的にカバさんとは思考回路が違う。
お家に帰りたくなかったら、世界をなくしてしまえばいい。
どんな狂人の発想だろう。
「でも、そうか。姫さんは帰りたいんか」
次郎君の手から逃れて、カバさんがふよふよとジュゼットの膝の上に乗っかる。お腹の中にあるものを持って、どこかに逃げ去るような素振りはない。
ピンクのカバのぬいぐるみのまま、うっとりと大人しくなった。
「カバさんって、どうしてそんなにジュゼットの味方なの?」
方法論は途轍もなく間違えているけれど、いつもジュゼットのことは慮っている。
「味方? ようわからんけど、姫さんが笑うと面白いからな」
「面白い?」
「そやな」
わたしには理解できそうにもない。カバさんの行動基準は面白いか面白くないか。
二択で成り立っているのだろうか。
「まぁ、いちばん面白かったんは、イチローやけどな」
次郎君が鬼のような形相をしているけど、無理もない。わたしも冷ややかな目でカバさんを見てしまう。それきり大人しくなったカバさんから、瞳子さん作の豪華な重箱弁当に意識を向けた。ジュゼットと次郎君にお弁当を取り分けて、卵焼きをほおばる。
甘めの味付けは優しい。
わたしは砂浜のはるか向こう側まで行ってしまった二人の影を、視線で追った。寄り添うように重なる影。
もう何かを偽ることはなく、想いを伝え合えるはずなのだ。
一郎さんと瞳子さんは、通じ合った気持ちで何を語り合っているのだろう。
黄昏に光る波がキラキラと輝いている。まるで想い合う二人を祝福しているかのように切なく美しかった。
波打ち際に立つ二人。絵画のように綺麗な情景。
忘れたくない。
いつか瞳子さんが教えてくれたように。
(全てがなかったことになっても、気持ちは残っているんじゃないかって。結びつく記憶がなくなっていても、心の中にだけは、何かわからないまま、でも宝物のように残っているんじゃないかって)
できればそんなふうに心に残ってほしい。
今、この瞬間の気持ち。
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