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後日譚:金木犀の咲く頃に

167:使命も義務もなく

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 スーの胸の内は感激で満ちあふれていた。

 両親の命日について、ルカにお願いされたことが嬉しくてたまらないのだ。
 彼が繰り返してきた胸の痛くなるような両親への追悼。船上でみた光景は、昨日のことのようにスーの記憶に深く刻まれている。

 抱える痛みが垣間見えた瞬間。
 いつかは隠されたルカの傷心にも寄りそえるようになりたいと思っていたが、スーが傍に寄るにはもっと時間がかかるのだと覚悟していた。

「ルカ様、ありがとうございます」

 よろこびを心のままに伝えると、ルカがもう一度スーに優しく口づける。
 キスから解放されて見つめ合うと、スーはぼっと顔に熱が集まるのを感じた。ルカのアイスブルーの瞳に、自分の影が映り込む。それがわかる距離感。

 こんなふうに甘い時間を過ごすのは久しぶりだった。意識すると、スーは途端にはずかしくなってしまう。考えるよりも先に口が開いた。

「今日はルカ様とたくさんキスができました!」

 完全にうかれてしまい、嬉しさと恥ずかしさがぐるぐるに混ざりあう。頭の中がお花畑になっていた。

「わたしの野望……いえ、わたしの望みも、またひとつ叶いました。これはもう記念日です!」

 恥ずかしさをごまかそうとして、スーはさらに声が高くなる。ルカはやさしい眼差しのままこちらを見つめていた。あまりの麗しさに、ますます平常心が吹き飛ばされていく。

「ご両親の命日にルカ様のお供が許されるということは、わたしにとってはとても意味があることでしたので……」

 勢いで打ち明けてしまうと、肩に回されたルカの手に力がこもる。

「スーがそんなふうに思ってくれていたことが嬉しい」

 甘い声がさらにスーの平常心をなぎ倒していく。彼に強く引き寄せられると、たくましい体を意識してしまい、鼓動がどくどくと踊り出した。

「本当にあなたは愛しいな」

「え!?」

 聞き間違いかと思いながらも、スーは動揺してびくりと肩が上下する。

「とても愛しい」

 繰り返し耳元で囁かれて、完全にスーの平常心が行方不明になった。じゅっと思考回路がショートする。

「あ、あの! わたし!」

 舞い上がった勢いで、スーはがっつりとルカに表明してしまう。

「この調子で、ルカ様の寵姫になれるように頑張ります!」

「スーはすでに私の寵姫だ」

「いいえ! わたしはルカ様に負けない色気を習得して、いつかルカ様を虜にしてみせます!」

 もはや自分でも何を言っているのかわからない。
 わからないまま、スーは勢いで言い募る。

「無事に御子を授かり、ルカ様は立派に皇太子の責任を果たされましたが、わたしはその義務感を失っても求めていただけるように、色気の習得に励みますので!」

「色気の習得?」

「はい!」

 スーは首がちぎれそうな勢いでぶんぶんとうなずく。自分が懐妊するまで、ルカからもたらされた甘い夜の恩恵ははかりしれない。こんなに経験不足で幼稚な自分を相手に、ルカは義務感で成立させてくれた。けれど、後継を得るという最大の目的を果たせば、その義務感も失われる。

 スーがこれからも妃として夜の恩恵をあずかるには、なんとしても女性としての魅力を磨かねばならない。

「ルカ様は後継を得るという責任を果たすために、とても熱心に励んでくださいました。ですがわたしは、果たすべき責任がなくなっても、ルカ様と公私ともに立派な夫婦でありたいのです」

 ルカにあからさまに打ち明けることではないが、スーの平常心はとっくに遭難している。

「そのためにルカ様に負けないような色気の習得に励みます!」

「………………」

「あ、でも、これはわたしの独りよがりな野……希望であることは理解しております」

 ルカからは何も反応がない。肩を抱くように引き寄せられているので、彼がどんな顔をしているのかわからない。

「………………」

 ながい沈黙だった。スーは浮かれて調子にのってしまったのだと自分を呪う。すこしずつ平常心が戻り始めると、さっきまでの勢いが失速していく。

 我にかえると、彼の顔を伺う勇気もでない。

「あの、でも、これはわたしの勝手な目標なので――」

「スー」

「は、はい!」

 声を遮るように名を呼ばれて、スーはふたたび体がはねそうになる。

「どんなふうに考えたらそうなるのかわからないが」

「え?」

「あなたは恐ろしい誤解をしているな」

「え?」

 何か思い違いをしているということなのだろうか。おそるおそるルカの顔を仰いで、スーはぎくりと身じろぐ。

「る、ルカ様。あの、もしかして怒っておられますか?」

「――はい」

「え?」

 その夜、スーはようやくルカに同情するというユエンの言葉の意味を理解した。

 ルカの与えてくれる恩恵のすべて。

 そこには使命も義務もなく、ただ彼の想いだけが情熱的に咲いている。
 夜になると、より強く香る金木犀のように。



 おしまい
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