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第二十四章(終章):天女の夢の終わり

154:天女のほほ笑み

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 第零都に眠る天女には、筆舌に尽くしがたいおぞましさがあった。

 生贄という存在のむごさを体現したように、人が背負うすべての非業をあじわっているかのような醜怪さがある。

 それが同じ人間にほどこされているのだと思うと、背筋から嫌悪と戦慄が駆けあがった。

 スーにすべてを見せると決意したが、いざ天女の形相を前にすると、ルカは肌が粟立つような惨状を前に後悔しそうになる。

 子を宿すスーにとっては、胎教にも良くないだろう。

「ルカ様、天女かのじょに会わせていただき、ありがとうございます」

 スーは怯んだ様子もなく、目の前の光景を強いまなざしで見つめていた。

 第零都にある遺跡の深部には、玉座のような空間があった。壁面が未知の光を発するのは他の遺跡と同じであり、幾何学模様が刻まれた壁面も似通っている。

 遺跡の玉座にある人影は、肉の削げ落ちた干からびそうな細い体をさらし、骨格が見極められそうな頭部の中で、赤い目だけが異様に大きく輝いていた。

 歴代の天女が同じ女帝の複製であるのなら、遺跡につながれた天女もスーと同じ顔貌をしていたはずである。けれど、面影は消え失せていた。

 その事実を思うと、ルカにはさらに生贄の惨さが募った。

 遺跡につながれ、三百年をいきるという天女。人として生きるには長大な年月である。深層に刻まれた女帝の知識を暴かれ続けて、自我も消失している。

 何かを嘆き呪うかのように見開かれた赤い瞳は空を睨み、声はなくとも、まるで絶叫しているようにも見えた。
 断末魔を生きている。ルカが天女に抱く素直な感想だった。

 体がここまで枯れる前には、声帯が生きて、悲鳴を発していたのかもしれない。
 とても生きているとは思えなかったが、残酷なことに干からびた体には呼吸をするかのような動きがあった。

「ルカ様がここにわたしを連れてくることを認められなかった気持ちはわかります。これは、決して人が見るべきではない呪われた姿です。それに、天女として生まれた私が近づいて、何の影響もないと考えるのは難しいと思いますし」

「そうだな。もういつ遺跡の天女が代替わりをしてもおかしくない。だから、近づけばスーが遺跡に囚われてしまうのではないかと何度も考えた」

 ルカが素直に認めると、スーがこちらを見て笑う。

「大丈夫です、ルカ様」

 何の迷いもない、いつもの笑顔だった。

「わたしはここに終わらせにきたのです」

「終わらせる?」

「はい。天女かのじょが見つづけた哀しい夢を」

 スーは自分の身に宿る子を慈しむように腹部に手をそえる。まだはっきりとした膨らみは感じられないが、そこにはたしかに新しい命が宿っているのだ。

「ルカ様の御子を授かった時に、わたしは天女の祈りを思いだしました。それは自分を哀れんで嘆くだけの祈りです。礎になれと、何度もつよく繰り返されるだけの、生贄の祈り」

「礎になれと?」

「はい。命のかぎり礎になれと。……思い通りにならなかった世界を呪った、当てつけのようなものでしょうか」

 スーはまったく同情できないと言いたげに吐息をつく。

「でも、それではあまりにも哀しいので、わたしは自分なりに解釈してみることにしました」

 はりきって宣言する彼女には、戸惑いもためらいもない。

「あなたらしいな」

 ルカが笑ってみせると、スーは嬉しそうにつづけた。

「わたしは必ずルカ様の元気な御子を産みます」

 ルカはうなずいてみせる。素直にそうなるだろうと思えた。

「ルカ様と私が儲ける皇子や皇女が、さらに御子を授かり、またその皇子や皇女が御子を授かり、さらにその皇子や皇女が……。そう考えると、わたしはクラウディア皇家の血統をつなぐ妃の一人です」

「もちろん。系譜にもあなたの名が残る」

「それは、いずれ帝国の礎になるということではありませんか?」

「スーはそんなに永い目で見なくても、民に愛される皇妃になりそうだが。まぁ、たしかに、そういう考え方もできる」

 皇家の人間は、帝国の民のためにある。それが国の礎となることなのだと考えれば、そうなのかもしれない。スーはふたたび目の前の天女をみつめた。

「結果として、わたしは礎になれという、天女の願いを叶えることができます」

 飛躍したとらえ方だったが、スーの考え方はわかった。

 自身を可哀想だと嘆くだけでは、いつまでも世界は閉じたままなのだ。

 彼女は独りよがりな天女の夢を開き、嘆くだけの夢に違う意味をあたえようとしている。

「それに、もしかすると、天女はいつか旅人の末裔である皇家の人間が、自分を愛する時がくるかもしれないと考えていたのかもしれません。自分の残した財を放棄して、脅威を乗り越えて……、まさにわたしを想ってくださったルカ様のように」

 夢みがちな様子で語るスーに、ルカは笑った。

「そんなふうに私のことを称えてもらえるのは光栄だが、すこし都合がよすぎないか?」

「はい。でも、わたしはあながち間違えていないのではないかと期待して、ここに来ました」

 スーが何の警戒心もなく、さらに遺跡の玉座につながれた天女に歩み寄っていく。

 天女の寿命を思えば、スーとの代替わりの懸念は無視できない。危機感を抱いても良い光景なのに、なぜかルカは冷静に見守ることができた。スーの夢みがちな話に影響を受けてしまったのだろうか。

 それとも、これからも自分の傍に在ると言う、彼女への信頼が育った証だろうか。

 ルカがスーのあとを追うように玉座に歩み寄ると、彼女は玉座の前に膝をついて、労るように天女の痩せた手をとった。

 大切なものに触れるように天女の手を両手で握り、そのまま目を閉じている。
 まるで祈りを捧げるような光景だった。

 スーが何を伝えているのかは、ルカにはわからない。

 永遠にも思えるような、静謐で澄んだひとときが流れていく。

「スー、天女が……」

 やがて、変化が訪れる。
 ルカは幻をみているようだった。

 醜怪さを助長していた、断末魔をうつすかのような天女の表情が緩やかに平穏を取り戻す。骨格をなぞるような痩せた顔がうつす、引つるような嘆きが失われていくのだ。

 そこにはもう呪いも嘆きもない。
 人を嫌悪させ、戦慄させた断末魔の空気が和らいでいく。安堵に満ちた表情が蘇る。

 最後の呪縛がとかれた瞬間だった。
 玉座につながれた天女が見せる、はじめてのほほ笑み。

「ルカ様」

 天女からはなれたスーが、寄りそうように隣に立った。

天女かのじょの夢は叶えられました」

「いったい、どうやって?」

「わたしの想いに、ルカ様が答えてくださった。そして、ここにその証があります」

 スーが添えた手の先にあるのは、二人が叶えた新しい命。

「わたしはルカ様との御子が、天女への答えになるのではないかと考えてみたのです」

 得意げに笑う彼女に、陽だまりのような眩しさを感じた。
 スーが天女の夢に幕を下ろす。

「もう独りよがりな夢は終わりです。孤独ないしずえを演じる時間は終わりました」

 天女のほどこした永い夢が終わる。閉じていた世界は、いま彼女の手によって開かれた。

「ルカ様、安心してください。わたしはもう天女かのじょの声を聞くこともありませんし、遺跡に囚われることもありません。これからも、ルカ様をお支えできるような立派な皇太子妃になれるように、お傍で精一杯励みます」

 力強いスーの声が、第零都に抱き続けた嫌悪を拭っていく。
 ルカの内に巣食っていた、最後までふりほどけなかった不安。

 はらいきれない暗い感情を、スーには見抜かれていたのだ。

「やはり、あなたはたくましいな」

 ルカは自分に寄りそう小柄な体に腕をまわした。抱きよせると彼女はうっとりと身を任せてくれる。

「ありがとう、スー」

 天女の脅威は、いずれ過去の遺物になるだろう。
 もう二度と、呪いや嘆きを未来に託すことはない。
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