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第二十二章:皇太子と王女の関係

135:皇太子の望んだ笑顔

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 此岸しがんに踏みとどまってくれたルカの容体は、その後順調に回復し安定している。

 スーがはじめて見た時よりも、病室内の機器は日ごとに数が少なくなっていく。呼吸を助ける装置も取り払われ、あとは目覚めるのを待つだけの状態だった。

 スーは持参した花を花瓶に生けてから、ルカの横たわる寝台に寄り添うようにして近づいた。
 目を閉じているルカの顔は穏やかで、血色も悪くない。

(なんど見ても端正な美しいお顔だわ)

 調度の華やかな病室内にいると、まるでルカの寝室に忍び込んだような気持ちになる。

 何も変わらないと思ったが、火災の爆風によって失われたものもあった。皇太子の麗しさを強調していた長い金髪は一部が燃えてしまい、今は短く整えられている。

 すこしだけ惜しむ気持ちも生まれたが、髪が短くなったルカも凛々しく美しい。
 スーには充分目の保養になった。

(ルカ様はどんな髪型ヘアスタイルでも素敵)

 綺麗な顔をうっとりと愛でながら髪に触れると、変わらず細く柔らかい。

(でも……)

 スーは厚く巻かれた包帯を見る。左肩から背中にかけての火傷はひどく、回復してもルカの肌に痕を残してしまう。

「ルカ様、――ありがとうございます」

 スーはルカの右手を握りしめて、もう何度目になるかわからない感謝を伝えた。
 ルカが生死をさまようほどの犠牲を払った理由を、今はしっかりと理解している。

(命を賭けて、わたしを救ってくれた)

 ずっと秘められてきたサイオンの真実。クラウディア皇家の掟。
 そして大公ディオクレアの画策していた陰謀。

 それが何をもたらしたのかも、今はわかっている。

 スーはサイオンの抑制機構によって、禁断症状のあとずっと意識を失っていた。ルカと同じ現場にありながらスーが無事だったのは、彼が盾となり連れ出してくれたからだ。そして皮肉なことに仮死のような状態が煙の有毒性からスーを守った。

(ルカ様に救っていただいた命だもの、これからもルカ様のために捧げるわ)

 もう妃として愛してもらおうなどとは思わない。そんなことを考えることすらおこがましい。

 女帝の複製として作られた出自。自分が特殊な人間であることは、今回の一連の出来事で嫌と言うほど突きつけられた。

(わたしがルカ様を大好きでいられるなら、それでいい)

 愛してもらえなくても、もう充分なのだ。
 思い描いてきたおしどり夫婦になれなくてもいい。ルカにこれ以上を求めるのは傲慢でしかない。迷惑をかけるような女にだけはなりたくない。

(これからは忠誠心よ! ルキア様やガウス様と同じように、わたしもルカ様に生涯の忠誠を誓うのよ!)

 スーは心の中で拳をにぎりしめて、めらめらとルカの誠実さに報いるために情熱を燃やす。

(フェイがわたしの天女の呪縛を解いてくれたけれど、もしクラウディアのために生贄が必要になるのなら、わたしはルカ様のために喜んで身を捧げるわ! ルカ様にだれか愛しい女性が現れたら応援するし、皇子や皇女がお生まれになったのなら、誰よりも祝福してみせる)

 ルカが幸せになるために生涯を尽くすのだ。彼の幸せを見届けることが、自分の使命なのだと心に刻む。
 もう恋人のように愛を語り合えなくても、女性として生理的に受け付けなくてもいい。すべてに諦めがつく。

 責任感であっても、同情であっても、ルカが自分を大切にしてくれる思いは信じられる。
 与えられた誠実さに応えるために、スーは彼を支えられる立派な皇太子妃を目指すだけだ。

(生理的に受け付けないことは仕方がないもの)

 ルカの寝室で晩酌をくりかえしても進展しなかった関係。スーの熱烈な気持ちは、いつも社交辞令でかわされた。サイオンの真実を知れば、その理由も原因もあきらかになった。

(もう寵を競う必要もない)

 そこまで考えて、スーはふと気がつく。

(わたしはルカ様のお傍でお仕えできるのなら、妃でいられなくてもかまわない。ルカ様の誠実さを思えば、わたしとの婚約を白紙に戻してもらうことをお願いした方がよいのかもしれないわ)

 自分から辞退を申し出れば、ルカも気兼ねなく他の妃を迎え入れられるだろう。

(その場合わたしはどうしたら良いのかしら。妃でなくともルカ様のお傍でお仕えするためには。……ヘレナ様やルキア様に相談すれば、なにか良い案を授けてくれるかしら)

 スーは悶々とルカのために今後の予定を考えるが、眠るルカの顔を見つめていると、何もかもがどうでもよくなる。
 寝台の傍に椅子を持ってきて座ると、スーはもう一度ルカの手を強く握った。

「ルカ様、はやく目を覚ましてください」

 彼の横たわる寝台に身をあずけるようにして、顔を伏せながらスーはつぶやく。
 いつ目覚めてもおかしくない。

 けれど、それはいつ目覚めるのかわからないということだった。
 今日なのか明日なのか、一年後なのか、十年後なのか。

(ぜったいにすぐに目覚めて、ルカ様はまたわたしの名をよんでくださる)

 スーは祈るような気持ちで、寝台に上体をふせたままルカの手のぬくもりに思いを馳せる。

(スーとよんで、わらってくださる)

「スー……」

(そうよ、そんなふうに――)

「スー、よかった」

 きき慣れた低い声だった。もう一度聞きたいと焦がれた声。囁くような小さな声は、甘い激流が流れ込むように、スーの心を一瞬で埋めてしまう。いまにも胸が弾けてしまいそうだった。

 乞うように握りしめていたルカの手から、じわりと力が伝わる。
 いつか手をとってつないでくれた時のように、ぎゅっとスーの手を握り返してくれる力強さがあった。

「っルカ様!」

 こみあげた感情のままに勢いよく顔をあげると、ルカのアイスブルーの瞳がこちらを見ていた。
 湖底の青をうつすような、柔らかな色をした瞳。

「……ルカさま」

 彼はほほ笑んでいた。優しげに自分を見つめてくれている。

「また……スーを見失ったのかと思った……」

「わたしはお傍にいます! これからもずっとルカ様にお仕えします!」

 胸の深いところから想いがあふれて、視界がにじんでしまう。せっかくの美しいほほ笑みが涙でぼやけてしまう。
 こらえきれず嗚咽がもれだすと、スーの泣き声にルカの声が重なった。

「スー、泣かないで」

「う、……はい」

 スーは彼とつないでいない手の甲をつかって、ぐいぐいと涙を拭った。拭っても拭っても溢れてくるが、濡れた顔をひたすらこする。

「スー」

 すぐ近くから、ルカの囁きが聞こえる。

「ーー笑って」

 穏やかに響く、優しい声だった。
 スーはぼろぼろと涙をこぼしながら、ずびっと鼻をすする。
 ルカの気持ちにこたえるように、精一杯笑顔を向けた。

「もちろん、よろこんで!」
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