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第二十一章:サイオンの希望
131:伝えたかった言葉
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ごうごうと熱風が身を包む。
ホールへと戻る道は閉ざされたが、これでガウスも追ってくることはできないだろう。ルカは無心で地下道をはしる。さいわいスーの眠る部屋へは傾斜があるらしく、煙は大半が逆方向へと流れているようだった。迫ってくる黒煙は緩やかだったが、上体を低くたもって駆け続ける。
(抑制機構を外せば、王女は目覚めます!)
ホールへの扉が焼け落ちる間際、フェイはたしかにそう言っていた。
これ以上はないくらい希望となる言葉である。諦めないと手探りをはじめた暗闇の中で、突然差し込んできた一条の光。
絶望を退けるように灯された希望は、ルカの胸の内で力強く輝いている。
(かならずスーを連れてここを出る)
あとは彼女と一緒にこの窮地を脱して逃げきるだけだった。
砲撃が続いているようで、ときおり地響きがする。足場は悪くないので、ルカはすぐにはじめに見た三叉路までたどりついた。火の手のある場所からは遠ざかっているのか、熱風が増すことはない。煙も緩やかですぐに追いつかれることはなさそうだった。
「スー!」
突き当たりに見えた小さな扉にたどりつくと、ルカは蹴破るような勢いで室内へ飛びこむ。
部屋の中は変わりのない様子で、スーが寝台に横たわっている。フェイの言葉を思い出しながら、真っ先に寝台の奥にある小さな扉を開放した。細く暗い道が地上への傾斜をもって真っ直ぐに伸びているのがわかる。
ルカは煙に追いつかれないように入ってきた扉を閉ざすと、すぐにスーの小柄な体を抱え上げた。寝台のシーツを引き剥がして彼女の身を守るように包む。
フェイが置き忘れたままのランタンが棚の上で灯っていた。ルカは手にとると地上へ続く道へ出て小さな扉を閉ざす。
暗闇に沈むはずだった細い道を、手にしたランタンが照らし出してくれる。
(このまま外に出られる)
まだ視界に出口は見えないが、真っ直ぐに走れば地上へとたどり着くはずだった。
ルカがスーを抱えて走り出すと、砲撃の轟音がした。細い道にも伝わってくるびりびりとした地響きを感じた瞬間、背後からごうっと熱風が巻き上がってきた。
振り返ると、辺りをなめるような炎と視界を遮るような黒煙が迫ってくる。
炎が細い道を照らし出すと、前方の奥には階段が見えた。そのまま小さな扉に続いている。ルカがランタンを放り出して見つけた出口へと急ぐと、体を揺るがせるような振動とともに背後で爆発が起きた。
「――っ!」
何かを考えるまもなく、背中にまともに爆風を受けて、スーを抱えたまま地面に叩きつけられる。
咄嗟にスーを庇うように受け身を取ったが、頭を打ちつけた衝撃で視界がぐらりとぶれた。
「スー」
束ねていた自分の髪がほどけるのを感じながら、腕の中で身動きしないスーの様子を確かめる。
幸い彼女には爆風が直撃しなかったようだ。虚ろな赤い瞳は、こんな状況でも何もうつさないままだった。
今は何も感じず、見えない方がいい。頭の片隅でそう思いながら、ルカは再び地上への扉を目指して立ち上がろうとする。
「……っ」
眩暈がひどく力が入らない。爆風にさらされた背中に痛みはなかったが、まるで自分の体ではないような違和感が駆け抜ける。
背中の感覚が消失している。
(こんなところで‥‥)
炎で明るいはずの地下道が暗く塞がっていく。辺りに煙が充満しはじめていた。すうっと視野が狭窄しはじめる。
「スー」
ここから逃れさえすれば希望があるのに、手が届かない。
ルカは悔しさに奥歯を噛み締める。
すぐそこに出口への階段が続いているのに、まるで力が入らないのだ。意識が現実から乖離していく。
失われていく視界と感覚の中で、ルカはスーの体の重みだけを感じていた。
救い出せない。
目の前からすべてが遠ざかっていく。
(るかさま)
ふっと意識が巻き戻るように、スーの書きつづった言葉が脳裏をかすめていく。
(だいすき)
絶望的であることがわかるのに、彼女との思い出がもたらす記憶がルカの胸を埋めていく。
恐ろしさでも後悔でもない。
場違いな安堵感に占められていく。
腕の中の彼女だけを感じていた。
「スー……」
閉ざされていく世界の中で、ルカはそっと彼女に頬を寄せた。
不思議と穏やかな気持ちだった。
これが最期なら、語るべきことは決まっている。
何も迷うことなく、伝えたかった言葉をささやいた。
――愛している。
もう声にはならなかった。
ルカはゆっくりと目を閉じる。
こんなにも誰かを愛しいと思いながら眠れるのなら、それは幸せなことかもしれない。
ホールへと戻る道は閉ざされたが、これでガウスも追ってくることはできないだろう。ルカは無心で地下道をはしる。さいわいスーの眠る部屋へは傾斜があるらしく、煙は大半が逆方向へと流れているようだった。迫ってくる黒煙は緩やかだったが、上体を低くたもって駆け続ける。
(抑制機構を外せば、王女は目覚めます!)
ホールへの扉が焼け落ちる間際、フェイはたしかにそう言っていた。
これ以上はないくらい希望となる言葉である。諦めないと手探りをはじめた暗闇の中で、突然差し込んできた一条の光。
絶望を退けるように灯された希望は、ルカの胸の内で力強く輝いている。
(かならずスーを連れてここを出る)
あとは彼女と一緒にこの窮地を脱して逃げきるだけだった。
砲撃が続いているようで、ときおり地響きがする。足場は悪くないので、ルカはすぐにはじめに見た三叉路までたどりついた。火の手のある場所からは遠ざかっているのか、熱風が増すことはない。煙も緩やかですぐに追いつかれることはなさそうだった。
「スー!」
突き当たりに見えた小さな扉にたどりつくと、ルカは蹴破るような勢いで室内へ飛びこむ。
部屋の中は変わりのない様子で、スーが寝台に横たわっている。フェイの言葉を思い出しながら、真っ先に寝台の奥にある小さな扉を開放した。細く暗い道が地上への傾斜をもって真っ直ぐに伸びているのがわかる。
ルカは煙に追いつかれないように入ってきた扉を閉ざすと、すぐにスーの小柄な体を抱え上げた。寝台のシーツを引き剥がして彼女の身を守るように包む。
フェイが置き忘れたままのランタンが棚の上で灯っていた。ルカは手にとると地上へ続く道へ出て小さな扉を閉ざす。
暗闇に沈むはずだった細い道を、手にしたランタンが照らし出してくれる。
(このまま外に出られる)
まだ視界に出口は見えないが、真っ直ぐに走れば地上へとたどり着くはずだった。
ルカがスーを抱えて走り出すと、砲撃の轟音がした。細い道にも伝わってくるびりびりとした地響きを感じた瞬間、背後からごうっと熱風が巻き上がってきた。
振り返ると、辺りをなめるような炎と視界を遮るような黒煙が迫ってくる。
炎が細い道を照らし出すと、前方の奥には階段が見えた。そのまま小さな扉に続いている。ルカがランタンを放り出して見つけた出口へと急ぐと、体を揺るがせるような振動とともに背後で爆発が起きた。
「――っ!」
何かを考えるまもなく、背中にまともに爆風を受けて、スーを抱えたまま地面に叩きつけられる。
咄嗟にスーを庇うように受け身を取ったが、頭を打ちつけた衝撃で視界がぐらりとぶれた。
「スー」
束ねていた自分の髪がほどけるのを感じながら、腕の中で身動きしないスーの様子を確かめる。
幸い彼女には爆風が直撃しなかったようだ。虚ろな赤い瞳は、こんな状況でも何もうつさないままだった。
今は何も感じず、見えない方がいい。頭の片隅でそう思いながら、ルカは再び地上への扉を目指して立ち上がろうとする。
「……っ」
眩暈がひどく力が入らない。爆風にさらされた背中に痛みはなかったが、まるで自分の体ではないような違和感が駆け抜ける。
背中の感覚が消失している。
(こんなところで‥‥)
炎で明るいはずの地下道が暗く塞がっていく。辺りに煙が充満しはじめていた。すうっと視野が狭窄しはじめる。
「スー」
ここから逃れさえすれば希望があるのに、手が届かない。
ルカは悔しさに奥歯を噛み締める。
すぐそこに出口への階段が続いているのに、まるで力が入らないのだ。意識が現実から乖離していく。
失われていく視界と感覚の中で、ルカはスーの体の重みだけを感じていた。
救い出せない。
目の前からすべてが遠ざかっていく。
(るかさま)
ふっと意識が巻き戻るように、スーの書きつづった言葉が脳裏をかすめていく。
(だいすき)
絶望的であることがわかるのに、彼女との思い出がもたらす記憶がルカの胸を埋めていく。
恐ろしさでも後悔でもない。
場違いな安堵感に占められていく。
腕の中の彼女だけを感じていた。
「スー……」
閉ざされていく世界の中で、ルカはそっと彼女に頬を寄せた。
不思議と穏やかな気持ちだった。
これが最期なら、語るべきことは決まっている。
何も迷うことなく、伝えたかった言葉をささやいた。
――愛している。
もう声にはならなかった。
ルカはゆっくりと目を閉じる。
こんなにも誰かを愛しいと思いながら眠れるのなら、それは幸せなことかもしれない。
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