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第十九章:天女の守護者と皇太子

110:ディオクレア大公と王女

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 色鮮やかな光の群れが眼前を流れていく。
 近いようで遠いのか、光の群れは星の瞬きのように美しかった。

 心地の良い浮遊感のなかで、ゆりかごにあやされる赤子のように、スーは安堵する。
 ここにいれば何も怖くない。

 スーはうっとりと輝く光景を眺めながら、いつか見たサイオンの雄大な湖面に映し出された星空を思いだす。

(いつか一緒に見られたらいいのに)

 自然とわきあがってきた気持ちにとまどう。

(一緒に?)

 一体誰と一緒に見るというのだろう。
 安穏とした心地の良い空間に紛れこんだ異質な想い。

 深く探っていこうとするスーの思考を邪魔するように、星空のように見えていた光の群れが、無数の言語となり、数式へと変化する。

ーー礎となれ

 たえまなく流れ続ける光のとばりから、聴き慣れた天女の声がする。

 天女の声。
 謳うような祈り。

 美しい祈りに導かれるままに、自分はここで永い眠りにつく。
 それが決められた道筋であり、何も疑うことなどない。
 ここで眠りにつけば、もう何も恐れることなどないのだ。

「スー!」

 光の群れと逆行するように、背後から強い声が響いた。
 天女の声ではないのに、ひどく心が揺れる。胸が締め付けられるように切ない。

 けれど、振り向くことに恐れをかんじる。
 自分が自分ではなくなってしまうような、気がおかしくなりそうな恐怖がり上がってくる。

「スー!」

 繰り返される叫びが、忘れていた面影を呼びもどす。
 とてもきき慣れた声。
 澄明な湖底を映すようなアイスブルーの瞳。柔らかなほほ笑み。

「ルカ様!」

 スーは迷わずに振りかえった。
 そこで目が覚めた。





 目覚めると、スーは天蓋のついた寝台に横たわっていることに気づいた。窓からの陽光がレースカーテンを透かして柔らかに室内を照らしている。
 端正な調度にはまったく見覚えがないが、細工の形から帝国式であることはわかる。

 自分の部屋ではないことを理解して、スーはゆっくりと上体を起こした。
 ここはルカの私邸の別の部屋なのだろうか。朝なのか昼なのか、時刻もはっきりしない。

「ユエン?」

 スーは室内を見回しながら侍女の名を呼んでみるが、いつもの反応は返ってこない。

 なぜ見知らぬ部屋の寝台で眠っているのだろう。眠りすぎたのか頭がすっきりしない。何かを考えることがひどく億劫に思えたが、スーは挫けずに記憶をたぐりよせる。

 とても恐ろしい悪夢を見ていたような気もするが、目覚める間際まぎわにルカの声を聞いた気もする。

「ユエン」

 さっきよりも幾分声をはって呼んでみると、室外に人の気配がした。彫刻のうつくしい扉を見つめていると、ゆっくりと開かれ見たことのない女が現れる。ルカの私邸でオトや使用人たちが着ている制服と似通っているが、意匠が異なっているのがわかる程度には違和感があった。

「お目覚めですか、王女様。ご気分はいかがでしょうか」

 女は使用人なのだろうか。だとするとここはルカの私邸ではない。自分はいったいどこにいるのだろう。スーは一気に緊張感を高めて女を見た。

「あなたは誰ですか? ここはどこなのでしょうか?」

「こちらはレオン殿下のお住まいです」

 女は続けて自己紹介をすると、スーに着替えを進めてきた。

「レオン殿下のおやしき?」

 一体何がどうなってしまったのか。混乱したまま寝台からおりたつと、スーは自分が夜着であることに気づく。

 レオンの名を出されて、スーはようやく王宮での婚約披露のことを思いだした。自分が体調を崩したために、結局レオンへの祝福を諦めルカと帰途へついたはずだった。

 けれど、記憶は中途半端に途切れている。どうしてもその後のことが思いだせない。

 もしかすると帰途につかず、レオンの婚約披露に参加してアルコールでも嗜んでしまったのだろうか。このつきまとうような億劫さも二日酔いと考えれば納得がいく。

 飲みすぎて記憶が曖昧なのかもしれない。

 とにかく寝起きの姿では外に出ることも叶わない。仕方なく女のすすめるがままに着替えと支度を済ませた。

 着用したのは華美ではない帝国式のドレスだった。ワインの色で染めたような深い色合いで、華やかさはないが艶やかな意匠である。上質の生地で作られていることが一目でわかる。
 ドレスは体の線に沿うように作られているが、動き回るのに窮屈さを感じない。

 スーの用意が整うと、女はすぐに退室する。どうやら誰かを呼びにいったらしい。
 室内のソファに腰掛けて、スーはここに至るまでの成り行きを懸命に考える。

(婚約披露でお酒を飲んで、やらかしてしまったのかしら)

 アルコールには弱い。もしかして泥酔後にとてつもない失態を犯してしまったのだろうか。だとしても、どんな成り行きでレオンの邸に招かれたのだろう。

(たとえ見苦しく酔っ払ったとしても、レオン殿下と関わるなんてルカ様がお許しになるとは思えないのだけど……)

 よほどの理由があったとしか思えない。スーが悶々と嫌な予感に苛まれていると、扉を叩くものがあった。室外からさっきの女の声がして扉が開く。

 レオンが現れるかと思っていたのに、やってきたのはディオクレア大公だった。

 幅のある体は相変わらずだったが、婚約披露の時よりもくつろいだ装いをしている。スーが儀礼通りの作法で挨拶をすませると、ディオクレアが快活に笑った。

「無事にお目覚めになられたようですな。さて、王女様におかれましては、私のことは覚えておいでかな」

「もちろんです。こちらはレオン殿下のおやしきであると伺いました。わたしには状況がよくわからないのですが、なぜこちらで休ませていただいていたのでしょうか」

「おや? 婚約披露での出来事は覚えていらっしゃらないと?」

「途中までは覚えておりますが……」

 スーは自分が思っていたよりもっと深刻な事件があったのかもしれないと身構える。ルカの身に何かあったのかもしれない。

「一体何があったのでしょうか?」

「説明してもかまいませんが、お目覚めになったのであれば、ぜひお連れしたい場所がございます。ここは安全だとは言えませんのでね」

 ディオクレアが何かよくないことを示唆しているのが、スーにもひしひしと伝わってくる。
 ルカに何かあったのだろうか。

「わたしはルカ様のお邸に戻りたいのですが」

「それを叶えて差し上げることはできません」

 はっきりと否定されて、スーはさらに嫌な予感が強くなる。

「どうしてでしょうか?」

 考えたくないのに最悪の事態を思い描いてしまい、問い返す声が震えた。
 ルカの安否が心配でたまらない。

「理由を隠す気はございませんが、今はとにかくこちらを離れて場を移していただきます。あなたの身柄を置く場所は少し遠いので、道中でお話させていただきましょう」

「わたしはルカ様の元へ戻りたいと申し上げているのです」

 強く抗議すると、ディオクレアは浅く笑った。

「王女様はあのまま全てを忘れて、眠りにつかれた方が幸せだったのかもしれませんね」

 有無を言わせない口調だった。ディオクレアの眼差しが、まるで気味の悪いものを見るように冷たく歪んだ。
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