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第十六章:試される皇太子と王女

89:帝室の常識

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 少しずつ肌寒さをかんじる気候になったころ、帝国クラウディアの第二皇子レオンが婚約を発表するという話がまいこんできた。

 報道も連日世間をさわがせている。スーは妃教育の席で、帝室の在り方を専属教師から学んでいたが、レオンの婚約をうけて改めて帝室の実情にあせりをかんじた。

 本日もクラウディアにきてから日常となった妃教育にはげんでいる。
 スーに帝室のかかわる行事や、役割、マナーなどを教えてくれる専属教師が何気なく漏らした事実にスーはくいついた。

「レオン殿下は三人目の妃をお迎えになるのですか?」

 これまでルカの身辺にしか興味がなかったため、レオンについてはルカの政敵としての情報を頭に叩きこんでいた。レオンを中心とした帝国内の勢力図を、スーは盤上の駒を見るように脳裏に展開している。

 ディオクレア大公を後ろ盾に、大公の娘を妃として迎えているということは聞いていた。レオン自身の素行や交友関係は、派閥の延長で頭に入れている。

 けれど、レオンの家族については、まるで故意に目隠しをされているように無知だった。

「しかも、レオン殿下にはすでにご息女がいらっしゃると?」

 レオンが一人目に迎えた妃との間に娘を設けているという話をきいて、スーは専属教師へむかって身をのりだす。
 教師は驚いたように身じろぎして頷いた。

「はい。帝国では王女には継承権がございませんし、さらに第二皇子殿下のご息女でまだ幼いとなると、なかなか話題にもならないですので。スー様がご存知ないのは無理もありません」

「先生のおっしゃるとおり、わたしは知りませんでした。勉強不足です」

「いいえ。レオン殿下のご家族については、スー様にはお話しておりませんでしたので」

 スーに帝室のことを教える教師は五人いるが、誰からもレオンの娘の話をきいたことはない。

「それは、なにか理由でもあるのですか?」

「はい。ルカ殿下がクラウディア皇家の常識はスー様には受けいれがたいこともあるので、早急に詰めこまないように配慮してほしいと、ご意見がございましたので」

「ルカ様が?」

「はい。特に帝室に許される多妻制や、帝国貴族の結婚観などは特別な価値観です。私も出身はクラウディアではありませんので、はじめは驚きました」

「先生はクラウディアの方ではないのですか?」

「はい」

 スーはてっきり帝国の貴族女性だとおもっていた。教師は金髪碧眼をもった華奢な女性である。三十代だときいていたが、話しているとそれほどの年齢差をかんじない。ルカほど印象的な瞳ではないが、すんだ碧眼には聡明な意思がうかんでいた。

 美しく洗練された立ち居振る舞いは、スーがあこがれるヘレナに匹敵する。
 貴族ではないことが意外だという顔をしていると、教師はやさしくほほえんだ。

「クラウディアだけを知る者よりも、私のような者の方が異国からお迎えになる王女様に共感できるだろうと、ルカ殿下が私をお含めになったようです」

 自分を迎える前から、ルカはあらゆる面でサイオンの王女を気づかってくれていた。同時に帝国貴族という肩書にこだわらないところに、ルカの視野の広さをかんじる。もう何度目になるのかわからない感動を、スーはぎゅうと胸の内でだきしめた。

「そうだったのですか」

「帝国貴族の方々が語るルカ殿下の噂を、スー様は全く意に介しておられないご様子でしたので、私は安堵しておりました」

「ルカ様は出会った時からとてもお優しい方でしたので」

「はい。私も同じ印象をもっております」

 穏やかにほほ笑む教師の言葉が嬉しくて、スーも笑顔になった。思わずルカの優しさ自慢をはじめそうになってしまい、スーはすぐに思いなおした。

 いま目の前に突きつけられている本題は深刻なのだ。

「先生、帝室では十代で子を設けるのが常識なのですか?」

「そうですね、現皇帝のユリウス陛下も、亡きカリグラ様も、レオン殿下もそうでいらっしゃいますので」

 スーは胸の内の嫌な予感が濃厚になっていくのを感じる。

「……では、ルカ様は?」

「帝室では異例だと申し上げて良いかと思いますが、ルカ殿下には様々な事情がございましたし……」

「でも、本来であれば妃をお迎えになって、ご自身の後継となる王子か王女がいらっしゃるのが当たり前、……なのですよね?」

 教師はスーの顔をみて苦笑する。

「ルカ殿下はご多忙な方ですので、帝室の常識が後回しになっておられるのでしょう。それに帝室も殿下の現状を認めておられますので、スー様が案じることはございませんよ」

「はい」

 うなずいてみるものの、目の前に突きつけられた帝室の常識は重い。ものすごく気になってしまう。
 ルカは責務を放棄するような皇太子ではない。後継の問題の重要さを心得ているだろう。

(今でも遅すぎるくらいなのに……?)

 あきらかに皇太子妃になる自分に手をださない理由が、ますます不穏になってくる。

(やはりなにか理由があるのかしら?)

 スーにはルカが泥酔して帰宅した甘い一夜の出来事が最後のとりでになっていた。

(生理的にうけつけない場合、あの夜みたいなこともないはずよね)

 ものすごく酔っ払っていたとはいえ、ルカにはスーを相手にその気になっていた瞬間があるのだ。

(だって、わたしの赤い唇に誘われるっておっしゃっていたのよ! 大人のキスも達成したし! 抱きたいって、あの時は抱きたいってはっきりおっしゃったわ!)

 ぐるぐると記憶を巡らせて、なんとか生理的に受けつけない説を追いはらおうと奮闘していると、教師に軽く肩をたたかれた。

「スー様、そんなに深刻なお顔をされなくても」

「あ……」

 スーは心の声がだだ漏れのような百面相をしていた自分に気づいて恥ずかしくなる。教師が優しく笑った。

「さきほども申し上げましたように、帝室がルカ殿下の現状をお認めになっていらっしゃるのです。殿下も今さら焦ることもないとお考えなのでしょう。きっとルカ殿下は帝国貴族や帝室の常識をスー様におしつけないように振る舞っておられるのです。スー様を大切に思っていらっしゃる証拠ですよ」

「はい」

 教師にそう言われると、スーもそれがもっともな理由のような気がしてくる。

 ルカの配慮はあらゆる面でかんじている。疑う余地もない。自分に手をつけないのも、きっとその配慮の延長にあることなのだろう。

「ありがとうございます、先生」

 気持ちを立てなおして笑うと、教師はうなずいた。

「ではスー様には、ひきつづきレオン殿下の婚約披露に向けて学んでいただきます」

「はい」
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