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第十章:皇太子の抱える問題

52:王女以外の婚約者候補

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 帝国議会により、元帥げんすいの更迭については否決された。大げさな報道も下火となり、どこから嗅ぎつけたのか暗殺説などの記事も出ていたが、人々の関心は、新たに提供された皇太子の婚約者問題に向けられているようだった。

 サイオンの王女との婚約を皮切りに、皇太子殿下には他にも花嫁候補がいるという内容である。
 離宮での穏やかな滞在を経て、ルカもようやく謹慎が解けて職務に復帰を果たしている。

 スー以外の花嫁候補。

 次々ともたらされる火種は今に始まったことではない。第零都や第七都への関心を逸らすため、皇帝陛下もルカも世間の動向を否定せず、甘んじて受け入れていることも多い。

「次から次へと、いろんなことを思いつくものだな」

 ルカは苛立ちを隠さず、端末に映し出された最新の記事から顔をあげた。王宮の執務室で大袈裟に吐息をつくと、ルキアが表情を改めてルカの前に歩み寄る。

「本日は皇帝陛下から殿下においでになるよう、王命が届いております」

「陛下から?」

「はい。べリウス宰相もご一緒です。……私も同席するようにと」

 べリウスはクラウディア皇家を支える大公家である。宰相は帝室の管理も任されている皇帝の右腕だった。同時にルキアの父であり、ルカの伯父なのだ。痛烈に嫌な予感がする。

「殿下にスー王女以外に、婚約者の候補として考えていただきたい方がいるようです」

 予感が的中する。ルカはこめかみを指先でおさえる。

「その話はいつから出ていた」

「――殿下と王女の婚約披露の少しあとからです」

 ルカは何も言えなくなる。
 帝国の悪魔と言われるようになってから、女性関係では酷い仕打ちも演じてきた。ルカは帝国の社交界では嫌悪と拒絶の象徴とも言える。

 覚悟なく肩書に群がる者を牽制できたが、ルカがどれほど冷血漢であろうと、最終的に貴族の女は家の意向に従って嫁ぐしかない。

 帝室との繋がりは、一門にとっては女としての幸せを凌駕する。
 文字通りの政略結婚である。思えば、これまでそのような話が上がらなかったのが奇跡とも言えた。

「……この時期に」

 サイオンからスーを迎え、婚約者として公示した矢先である。

「これまで独り身が許されたことの方が稀有です」

 ルキアの言葉はもっともだった。皇帝である祖父は十二の時に、亡き父も十三には妃を迎えて翌年には子を設けた。自分の方が異例なのは確かだったが、ルカは帝国の内政が動乱の時代を生きているとも言える。だから、皇帝陛下も帝室も見逃してくれていたのだろう。
 けれど、ルカも二十歳をこえて数年経つ。帝室が沈黙を破るのも仕方がない。

(スーを迎えての、この話……)

 胸にどろりとした暗雲が立ちこめる。気持ちが奈落に傾くかのように、暗く淀んだ。サイオンとクラウディアをつなぐ掟。ルカにはまだ伏せられた事実があるのだろう。

 皇帝から伝えられた掟は、おそらく故意に不完全なのだ。ルカにはまだ全容が見えていない。

(やはり、そういうことなのか)

 懸念していた憶測が形になる予感。

 クラウディアに幾度となくサイオンの王女を迎えながらも、これまで両家の血が交わったことはない。クラウディアの系譜には、両家の血を引くものは存在しないのだ。皇家だけに多妻が許される理由は、おそらくサイオンとの掟に起因している。

(――天女……)

 ルカが皇帝に導かれ、第零都で見た情景が全てを物語っているのだろう。

(スーは帝国の礎でしかないのか……)

 受け入れがたい因習。第零都であの光景を見た時から、ルカには受け入れることができない。今となっては、さらにスーへの愛しさや思い入れが関わっている。

(彼女は私の妃だ……)

 屈託のない笑顔。愛くるしい面影。
 嫌悪も恐れものみこんで前を向く姿勢に、しなやかな美しさを感じた。まるで荒野でも凛と花開き、あでやかに抱き誇る花に魅せられたように、心が熱を帯びている。

 強く逞しい気性とは裏腹に、華奢で無邪気な王女。傍にあれば不思議と心が緩み、満たされる。
 因習への嫌悪感だけに裏打ちされていたルカの決意は、違う意味を伴いはじめていた。

 スーを失いたくない。

 帝国を背負って立つ皇太子としては呆れるほど、個人的な感情に苛まれている。
 彼女の心を殺すような未来を見たくないのだ。

(クラウディアの栄光のために?……)

 スーを生きた屍にすることなど望まない。いったい人柱と何が違うというのか。

(――スー)

 少しずつルカの決意が偏りはじめている。
 スーの笑顔を思い出すたびに。

 危ういほどに、ルカは偏った道のりを見つめだしているのだ。
 サイオンのもたらした超科学技術との決別。そのために必要であれば、スーを見捨てることも考えなければならないはずだった。

(私は成し遂げられるのか……)

 自分の中に芽生えた矛盾に暗い予感を覚えながら、ルカはルキアに笑ってみせた。

「陛下がお呼びであれば参ろう」

 軍装とは違い、華やかな宮廷用の上着を手に取る。光沢のある生地に刺繍が施された、皇太子の略式の正装である。

 後ろで一つにまとめていた髪をとくと、癖のある金髪が広がってさらに容姿に華を添える。王宮の絢爛さにふさわしい麗しい皇太子の装いだった。

 執務室を出ようとすると、ルキアがルカの肩に手を置いた。驚いて振り返ると、職務中には珍しくルキアが年上の従兄弟の顔をしている。

「殿下は、新しい婚約者についてどうお考えなのですか?」

 ルキアもスーとの関係を考えているのだろう。

「断れるような相手であれば、すでに陛下が握り潰されているだろう。私に話をもってくるということは、そういうことだ」

「殿下の気が進まないのであれば、私はそのように進言いたします」

 ルカは従兄弟の配慮に満ちた紫の瞳を見つめる。自分への労りに彩られていた。ルキアはいつでも味方であろうとしてくれる。

「殿下は帝国とサイオンの恒久の庇護、そして、そこから成る婚姻を白紙に戻すことを考えておられますが、スー様を妃に迎えることは分けてお考えになっても良いはずです」

「国を庇護するために王女を娶るなど、発想が古すぎる。しかも婚約披露もあの有様だ。サイオンとの関係は皇家に火種しか生まない」

「たしかにこれからも問題を引き起こす懸念は払拭できません。ですが、スー様がクラウディアに嫁ぐ最後の王女となるならば良いではありませんか。婚約を公示し、互いに気持ちも通いつつあります。ご自身の代から白紙に戻す必要もありません」

「……私に火の粉を払いきれるかどうかわからない」

「何をいまさら弱気なことを」

 ルキアが面白くない冗談を耳にしたかのように、浅く笑う。

「殿下がスー様を永く妃に迎える覚悟をなされば、後継の問題はいずれ解消されるでしょう」

「……そんなに簡単な話であれば良いが」

 さすがのルキアも皇家が多妻制である理由については思い至らないだろう。

「とにかく陛下と宰相の話を拝聴するしかない」

「――はい」

 何か言いたげにしているルキアにもう一度笑ってみせて、ルカは部屋を出ると王宮の通路を歩き始めた。
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