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勇者と冥王のママは暁を魔王様と

第九章・二つの星の輝きを4

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「つ、ついた~!」

 ゼロスが頂上に到着したのは黄昏時。
 ばんざーい! ゼロスは両手をあげて喜んだ。
 地上から見上げるより近くなった空を見上げると、冥界の空は夕暮れに染まり、ひと際輝く一つの星が見えていた。
 ひと際強く輝く星は不動の星。
 まだ月は出ていなかったけれど、きっと不動の星が月を呼んでくれるのだろう。

「い、いくぞっ……」

 ゼロスは拳を握って目の前の神殿を強気に見つめた。
 この玉座の神殿はゼロスの戴冠祝いに魔王と精霊王が建造してくれたものだ。同格の王としてお祝いしてくれたのである。
 ギイィィッ……。神殿の両扉を開けた。
 そして神殿の奥にある玉座の間へ向かう。
 コツ、コツ、コツ。石造りの神殿の回廊にゼロスの歩く音だけが響いていた。
 黄昏時の神殿は薄暗くてちょっと怖い。回廊を足早に走り抜けて奥にある玉座の間に辿りついた。
 玉座の間の両扉を開けて、「うっ……」と息を飲んだ。
 シンッと静まり返った玉座の間。
 奥の壇上に玉座がぽつんと一つあるだけで、そこは闇と静寂に包まれていた。
 ゼロスは勇気を振り絞って玉座へと近付いていく。
 暗闇と静寂が怖いけど、足取りもおどおどした情けないものだけど、ゼロスは一人で玉座へと進んだ。壇上の階段を一段一段昇り、そしてとうとう玉座へ。

「ぼくの、いす……」

 ゼロスは目の前の玉座を見つめた。
 ゼロスがまだ赤ちゃんだった頃、冥界が誕生した。一時は冥界の玉座が乗っ取られそうになったけれど、魔王と勇者と精霊王が協力して冥王の玉座を守ってくれたのだ。
 今も創世期で不安定な冥界を気にかけてくれて、ゼロスが定期的に玉座に座れるようにしてくれる。
 ……実は、まだ幼いゼロスは自分が冥王であることも冥界のことも、あまりよく分かっていない。王様だけど、その意味がよく分からない。
 だけど魔王も勇者も精霊王もゼロスを守ってくれるから、なによりブレイラが冥界が強くありますようにと願っているから。だからゼロスは一人でここにきた。ゼロスも冥界を守ろうと思った。

「よ~しっ、がんばるぞ~! よいしょっと」

 ゼロスは声を上げると、よいしょ、よいしょ、玉座によじ登って座る。いつもはブレイラに抱っこで座らせてもらっているが今日は自分でよじ登った。

「ふぅー」

 ゼロスは玉座にちょこんと座り、安堵の息をついた。
 目的の場所に無事について、ようやく玉座に座れたのだ。ひと安心である。
 玉座に座ったゼロスは届かない足をぶらぶらさせていたが、ぴたりと足が止まる。そして。

「………………。……いつまで?」

 浮かんでしまった疑問。
 赤ん坊の頃から玉座に座りに来ているけれど、だいたい五分ほど座っている。最近では随分長く座らされてしまった。
 退屈で嫌になってゼロスは泣いてしまったけれど、ブレイラが『ゼロス、耐えてください。あなたが玉座に座ることで冥界も強くなるんです。それが冥王の役目です』と言っていた。
 どうやらゼロスが玉座に座れば座るほど冥界は強くなるようだ。
 ならば長く座っていた方がいいだろう。ゼロスは気合いを入れ直したが。

「…………う、うぅ。こわいよ~……」

 ゼロスの大きな瞳に涙がじわりと滲んだ。
 静寂と暗闇に満ちた玉座の間。
 空間はがらんっとして物音ひとつせず、ただ暗闇の空間だけが広がっている。
 三歳の子どもにとって、それは恐怖以外の何ものでもなかった。
 長く座っていなければならないのに、すぐに帰ってしまいたくなる。
 でも、すぐに頭を振って弱気な心を打ち消した。がんばるってきめたでしょ! 自分に何度も言い聞かせる。
 ゼロスはグッと拳を握って必死に耐えた。
 唇を噛みしめて、じっと玉座に座っていた。
 どれくらいの時間が経過しただろう。僅か数分しか経過していないかもしれない。いや一時間は経過したかもしれない。時間の感覚がなくなっていく。

「うぅっ、うっ、うっ……」

 耐え切れずに嗚咽がこみあげてきた。
 何もいない筈なのに暗闇の中で何かが蠢いているような気がして、今にも恐ろしい怪物が出てきそうな気がして、とてもとても怖くなってきたのだ。

「うええぇぇぇんっ、えええええぇぇぇん! こわいよ~っ、ブレイラ~!!」

 ゼロスは恐怖に負けてとうとう泣き出してしまった。
 やがて、怖いという気持ちに寂しいという気持ちが混じりだす。
 ブレイラがいない。ゼロスが寂しい時、ブレイラはいつも側にいてくれた。『だっこして』と甘えると、『どうぞ、ゼロスは甘えん坊さんですね』と困っているのに困っていない顔で笑って抱っこしてくれるのだ。
 玉座に座る時だって、ゼロスが退屈しないようにたくさん話しかけてくれて、いつも手を繋いでいてくれた。
 でも今はブレイラがいない。こんなに寂しいのに、こんなに怖いのに、ブレイラが側にいない。『大丈夫ですよ』と慰めてくれる声も、繋いでくれる手も、抱っこしてくれる両腕もない。

「うええええぇぇぇぇん! ブレイラ、ブレイラ~!! ブレイラにあいたいよ~~!! うわああああああん!!」

 ゼロスは大きな声で泣きじゃくった。
 ブレイラがいなくて、真っ暗な空間に独りぼっちで、まるで世界に独りきりになったような。暗闇に閉じ込められたような。
 ゼロスにとって孤独とは恐怖であり、恐怖とは孤独だった。
 どうしてだろう。どうしてだろう。心臓がとてもドキドキしてきた。怖いからドキドキしているのだろうか。ゼロスの小さな体がカタカタ震えだして、全身に冷や汗をダラダラとかきだした。そして。

「え?」

 ふと天井を見上げて驚愕した。
 視界一杯に映ったのは星空だったのだ。
 驚愕に涙がぴたりと止まり、星空を凝視する。
 こんなのはおかしい。だって、そこには高い天井があるはずである。それなのに今、天井が透けて星空が見えているのである。
 訳が分からなかった。でも今、不思議と気持ちは静謐だった。海の波が止まったように心は止まり、ただ底なしの穴に落ちていくような感覚。
 …………そういえば、ブレイラは綺麗な星空が好きだった。雪と氷の大地の澄んだ星空が好きだった。空気が澄んでいると夜空の星が綺麗に見えるのだという。
 ブレイラは星空に幾筋も線を描く流星群を美しいと言っていた。
 ゼロスはブレイラと雪国に行ったことはない。それなのにどうしてだろう、知っている気がした。
 それなら、……降らせてあげようか、星を。
 キラキラ輝く夜空の星をたくさん落として降らせれば、ブレイラは喜んで帰って来てくれるかもしれない。
 名案に心が躍る。でも同時に、体が、頭が、心が急速に暗闇に落ちていく。一人で玉座を訪れてから僅かな時間しか経っていないのに、まるでそう、一万年の孤独に落ちていくような――――。


「――――ゼロス様、お久しぶりでございます」


 女の声がした瞬間、――――パチンッ! ゼロスの頭の中で何かが弾け、暗闇から一気に引き戻される。
 ハッとして顔を上げると、玉座の壇上の下で見知らぬ女が平伏していた。

「う、うわああああああ~!! おばけ~!!」

 ゼロスは引っ繰り返る勢いでびっくりした。
 今まで誰もいなかったはずなのに、いつの間にか女がいたのだ。

「だ、だだ、だれなの?! どこのひと?! なにしにきたの?!」

 ゼロスは青褪めてガタガタ震えた。
 お久しぶりですと言われたがゼロスはこの女を知らない。
 しかし女はそんなゼロスの反応を気にすることはなく、ゆっくりと顔を上げて口を開く。

「ラマダと申します」
「わあっ、おばけがおへんじした~!」

 失礼である。
 自分から誰なのと聞いたのに、名乗ればこれである。大変失礼だ。
 でもゼロスにはお化けに見えた。ラマダの素肌は奇妙なほど青白で、暗闇の中でぼんやりと浮きあがっているよう。
 いや、実際ラマダの体の向こうに壁が透けて見えているのだから。
 恐怖と混乱でゼロスはますます青褪める。ラマダはやっぱりお化けなのだ。

「わわっ……、やっぱり、ラマダはおばけなの?」
「はい、そうでございます。前の冥界と消滅しておりますから」
「うん?」

 前の冥界? ゼロスは意味が分からない。
 しかしラマダは怯えたり首を傾げたりするゼロスを気にした様子はなく、くるくる表情が変わる様子を微笑ましげに見つめていた。

「ど、どうして、ここにいるの?」
「ゼロス様にお会いしたく、姿を現わしました」
「……ぼくに?」

 やっぱり意味がよく分からなかった。
 ゼロスにとっては知らない人だ。でもラマダはゼロスを知っているようで、にこやかな面差しで目を細めていた。
 その面差しにゼロスはますます訳が分からない。だって、ラマダはお化けなのにゼロスを驚かそうとしないのだ。それどころかゼロスを見つめる眼差しは懐かしさと喜びに満ちている。お化けなのに不思議。

「…………ラマダはぼくを、しってるの?」
「はい」
「そうなんだ。……ごめんね、ぼく、しらないの」
「構いません。私のことは夢と思い、お忘れください。私は消滅した身、今のゼロス様に寄り添うのは私ではありません」
「なんで?」

 ゼロスは聞いたが、その質問にラマダは答えず微笑んだだけだった。
 ラマダは玉座の前で跪いたまま、ゼロスを優しく見つめて祝福の言葉を贈る。

「ゼロス様、新たな冥界の創世をおめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」
「ありがと! おばけなのに、なんでしってるの?」
「ずっと見ておりました。私の姿はありませんが、創世の喜びを感じておりました」
「おばけなのに?」
「はい。ゼロス様は可愛らしい赤ちゃんでございましたね」
「ぼく、ブレイラにだっこしてもらってたの」

 当然ながらゼロスは赤ん坊の頃の記憶は少ない。赤ん坊だったのだから当然である。
 でも、自分を抱っこするブレイラの横顔はすぐに思い浮かべることができる。
 だってそれは赤ん坊の頃から今も変わらないもので、ゼロスが『だっこして』と甘えると必ず抱っこしてくれるから。いい子ですねと頭を撫でて、たくさん話しかけてくれる。ブレイラはゼロスを寂しい気持ちにしないのだ。
 ブレイラの話しを始めるとなんだか明るい気持ちになってくる。もっと話したくなって、もっと聞いてほしくなって、ゼロスはたくさん話しだす。
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