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十章 ありがとう
百二十五話 拳を
しおりを挟む『ユウ』という名前は『ウルス』のウをいじった、特に深い意味のない名前だった。でも今にして思えばもっと複雑な名前にしておけば良かったとも感じるが……それももう今更だ。
「…………どうなの?」
「………………ああ、それは……俺のもう一つの名前だ。あの日、2年前に俺はお前と出会っている。」
「…………そっか、やっぱりユウだったんだね。」
ローナはどこかすっきりしたような表情で呟くが……心の内はきっとそうでないはずだ。
「……何で、言ってくれなかったの? ユウは……ウルスは最初から気づいてたんでしょ?」
「………………」
「ウルスにも色々あるってことは知ってる。ライナのこととか、自分の力とか……でも、納得できないことがいっぱいあるんだよ。」
その言葉に、俺は何も言うことはなかった。
(……今、俺が言い訳したところで何の意味もない。ローナは俺の言葉じゃなくて、自分の気持ちを整理したいだけなんだ。)
「話してくれるっていうのは聞いてる……けど、待てないよ。だって……ユウに追いつくために、私はここに来たんだから。」
「……追いつく……?」
「前に言ったでしょ? 私には『憧れ』があるって。初めて出会ったあの日、あの瞬間に見たユウの強さは…………
…………私の夢、同然だった。」
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(…………流石に、限界か。)
1週間、水すらまともに入れていない俺の胃袋が悲鳴を上げる。
旅に出て数ヶ月、俺はひたすら自分を痛めつけ、鍛えてきた。その辛さに何度も心が折れそうになったが……やっとその痛みにも慣れてきたところだ。
(……神界魔法…………まだ、コントロールが難しい。どうやら目の色が変わるようだが……毎回使うたびに変わってたら目立つ、何とかそれだけは抑えたいところだが……)
俺のステータスが師匠を追い越そうとした頃、突如として俺は神界魔法が使えるようになった。今まで神話上の存在だった、架空の魔法を覚えれたことは嬉しかったが……流石にただの魔法とは違い、非常に扱いが難しい。神眼はともかく、鬼神化は今のところ発動すらできていないほどだ。
「………追い込みすぎたか。身体を回復させれば、もしかしたら……………」
「おら、さっさと金出せよ!」
「えぇ……」
街に入りしばらく歩いていると、そんな俗なやり取りの会話が耳に届く。どうやら考え事をしている内に路地裏的な場所へと足を運んでいたようだった。
(……大柄な男が、子供にカツアゲをしてる…………そんな状況だろうか。)
男の背中でその子供の顔はよく見えなかったが……恐怖というより面倒といった様子が声色で垣間見えた。意外と肝が座っている少女だが、流石にこんな大男に迫られでもすれば手の出しようがないはず。おまけに男は武器持ちか…………
(……助ける義理はないが…………目障りだ。)
「っ……痛ってぇな。あ? てめぇもぶつかったんだから慰謝料払えやコラ!」
俺はわざと男の体に肩をぶつけ、こちらに注意を引かせる。そして案の定男が俺へと因縁をつけてきたので、一瞬だけ目を向けてやった。
「…………………。」
「……舐めてんのか、この野郎っ!!!」
「あっ……!!?」
俺の目が癪だったようで、男は徐に拳を握りこちらに突き出してきた。それは欠伸が出るほどに遅く弱いパンチであり、もはや防御の構えを取るのも億劫なものだった。
(……魔力防壁でいいだろう。)
「な、なんだ……このぉ!!」
「……………」
想定通り、奴の拳はおれの魔力防壁にあっさりと受け止められる。それに驚いた男はすかさずテレフォンパンチの如き拳を再び喰らわせてくるが、変わらず受け止める。
「な、くそがっ……こんなもの!」
「っ……だめっ!!」
退屈そうにしていた俺の様子が頭に来たようで、今度はその携えた剣を振り翳そうとしてきた。
(…………これは……やりすぎだな。)
「……………え?」
変わらず剣も受け止められたが……いくら相手が上と思ったとて、これだけのことで剣を向けるとは…………
「な、ど、どうなって……ひぃ!?」
「速っ…!?」
自慢の剣撃も効かず、男が放心した一瞬の隙に俺は奴の胸ぐらを掴む。そして自身の魔力をわざとダダ漏れにし、魔力の圧で無理やり気圧させた。
「………………おい。」
渋々俺は声を出し、男を恐怖に染め上げる。
「人に斬りかかるってことは…………覚悟はできているってことだよな?」
その言葉の意味を知ったようで、男は情けなく体を震わせる。流石のこいつも今から殺されると思えば、もう何もすることはできないだろう。
「ひぃぃ! た、助けてくれぇ!!」
さっきまでの威勢は完全に消え、すっかり小鹿のように男は涙を見せ始める。あまりの小物っぷりに俺は内心ため息を吐きながらも、やや乱暴に手を離し命令した。
「………とっとと消えろ。」
「す……すみ、すみませんでしたぁっ!!!」
死にたくない一方で、男はあっという間にこの場から消え去っていった。まああくまで殺意をチラつかせただけで、こんなチンピラを殺す気なんてこれっぽっちもなかったが……所詮、その程度だったってことだろう。
「……大丈夫だったか?」
「え……だ、大丈夫。何もされてないよ。」
一応彼女の安否を確認するため、俺は一声かけて様子を見る。どうやら特に何かされた後もなく元気そうだったので、俺は早々にその場を去ろうとした。
「そうか…………じゃあな。」
たまたま出会しただけの取るに足らない、そんな旅のワンシーン。その時には既に彼女の存在を忘れようとした…………刹那。
「……ねぇ、ちょっと待って!」
何かを期待するような声が聞こえた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「…………『夢』?」
「うん、私……あの日までそういう…強くなろうとか、全く考えたことがなかった。魔法だってろくに練習したこともなかったし、大した目標も持ってなかった。」
彼女は、ゆっくりと俺の周りを歩きながら語り始める。
「でも、ウルスの……ユウの強さを見た瞬間、見える世界が変わったんだ。あんなに鮮烈で無二な衝撃は……もう一生無いと思っちゃうくらい、私にとってユウは印象的だったんだ。」
「…………………」
「だって、偶然出会った旅人……しかも同い年ぐらいの男の子が魔物を一掃するなんて普通、考えもしないよ。私じゃなくても絶対忘れられない出来事だと思うし。」
…………正直なところ、俺にとってはそこまでの出来事では無かった。偶然にも自身の力がバレてしまい、驚かれたり恐れられたりなんて何回も経験してしまっている。
だが……ローナは………………
「凄いと思った。なんであんなに強いのか、どうやって強くなったのか……色々思ったりもした。でも…………」
「…………何だ。」
「……………でも、それより気になったことが私にはあった。」
ローナの表情にはどこか困ったような色合いが見えた。その意味が俺には全く分からず、次の言葉をただ待つことしかできなかった。
「……ゴブリンキングが現れた時、私は何もできなかった。恐怖で動けなくなって、ただその場に棒立ちだった…………けど、ユウは違った。なんの躊躇も無くて、普通に街を歩くようにソイツへと向かっていった。私にはそれが一番の気がかりだったんだ。」
「……それは、単純に『慣れ』の話だろう。俺にとっては格下の相手だったが、ローナにはとても倒せない相手だった。それだけのはな……」
「それは違う……と思うよ。確かにユウは強いけど……普通、何かと対峙すると人ってどれだけ取り繕っても、どこかで感情が見え隠れするんだ。私だって男に脅された時、表面上はヘラヘラしてたし心の中でもたかを括ってたけど、結局のところ怖かったんだ。」
「…………でも、ユウにはそんなの……何も見えなかった。」
…………何が言いたいんだ。
「……最近まで、私はそれをかっこいいって思ってた。どんな困難にも動じず、淡々と目前の壁に立ち向かう……だから、私にはユウが『憧れ』で『夢』だった。」
「…………………」
「…………でも、ユウの本気を見て理解した。そんなの、何もかっこよく無いって。」
ローナは、俺の黒い目を見てはっきりと言い切った。
「『強くなる』ってことは、自分を守って誰かを助けるため……そう思ってたけど、少なくとも目が赤くなった時のユウにそんなのは全く感じられなかった。自分を滅ぼして誰かを怨むだけの……凶器にしか見えなかったよ。」
「………………!!」
『何も無いんだよ……叶えても、継いでも、戻かえらない。人は……かえってこないんだ…………わかってるのか、アーストッ!!!』
『…………打っ殺してやる。テメェみたいな生き物……死ねるだけでも幸福だ。』
「………………じゃあ、俺はあの時……間違ったことをしたって言いたいのか? もっと違う方法で、あいつらを対処してほしかったって……ローナは言いたいのか?」
「そうじゃない、助けられておいて今更ユウに文句なんて言うつもりはないよ。私なんて何もできなかったし、呆然と目の前の事を見てただけ…………だから……何も言えないよ。」
そうは言いつつも、ローナは相変わらずどこか煮え切らない態度を見せる。それを感じ取った俺は情けなくも少しだけ苛立ちを持ってしまった。
「…………なら、何だ? お前は……俺に何を求めてるんだ?」
「…………………私と、戦って欲しい。」
「…………は?」
……戦う………だと………?
「……何故だ、そんなことをして……何になるんだ?」
「私にも……わかんないよ。ウルスがユウって知って、あんな圧倒的な力を見せつけられて……ライナとミルのこととか、今まで言ってくれたこととか、憧れてたモノが本当に正しかったのか…………私の中でぐちゃぐちゃになってわからないんだよっ!」
「…………その腹いせにってことか?」
俺の挑発混じりな質問に、ローナは全力で首を横に振った。
「……腹いせなんかじゃない、ただ……確かめたいんだ。私が今日まで信じてきた憧れが…………本当に正しかったのか、自分の拳で改めたいんだ。」
『そんなことをしても意味はない、今日は帰れ』…………そう言ってしまえば、この話はすぐに終わるだろう。彼女が抱えている靄も、明日明後日には俺の説明ですっきり晴れることだ。
(…………………だが。)
ここで突っぱねて……無かったことにしてしまえば、彼女の心に………そして、俺の心にも何か痼りが残ってしまうかもしれない。
(ローナは、俺を……ユウを追いかけて、ここまで来た。)
つまり、俺が彼女の道を作ったといっても過言では無い。俺の見せた圧倒的な力に惹かれ、自身も同じように強くなろうとここまで来た。
そして今、彼女は迷っている…………ならば、例えその迷いを払う解決策を伝えられなくても、原点である力を見せることぐらいならできる。
(………………俺の責任なんだ、だから…………)
「…………もう、俺の実力は知っているだろ。それでも……やるのか?」
「…………うん、ユウの強さをこの身で知りたい。そして……私が決めたい。この先、私が何を憧れに強くなるのか…………みんなと、何を想ってこの学院生活を過ごすのかを。」
ローナはそう言って自慢の拳を深く構える。それに応えるように俺は…………
「…………なら、見つけてくれ。俺に、お前の全力を以て。」
拳を、彼女に突き立てた。
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