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Bal masqué
Chap.4 Sec.1
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明るい陽射しが、金の柔らかな髪を透かしていた。
ワインのアロマに意識を傾けていたフランソワは、向かいに座った神妙な顔のフィリップに目を向ける。彼は本日、フランソワをたたき起こすことなく、静かに〈待て〉をしていた。
「——女の落とし方を教えてくれ」
天変地異の前触れなのだろうか。革命が為されたばかりだというのに、世も末だ。
思わず無常を憂いてしまうほど、普段とまったく違う彼のまじめな顔を眺めていて……
「……ん? なんだって?」
「だから! 女の落とし方を教えろって言ってんだろ!」
通常どおりに戻る。やかましくなった声量に片耳を押さえ、話の内容をよくよく捉えようと試みた。
「いやいや、聞いてるさ。ちょっと驚いただけだっていうのに……まったく。蝶の娘を落とすのかい?」
「……そうだ」
「ふむ。それはまた、どういう心境の変化なのかな? 君は彼女に怒っていたよねぇ?」
「……なんだっていいだろ」
たしかに、なんだっていい。
タレラン夫人からは(なんとしてもフィリップの目を女性に向けてちょうだい!)とさんざん頼まれていたし、これで婚姻がまとまって世継ぎでもできれば、夫人もご満悦のことだろう。フランソワの肩の荷も降りる。
——しかし、
「君にあの子は、すこし難度が高いように思うんだよねぇ……」
「なんでだ! 俺は人気あるだろ!」
「それは否定しないけれど……あの子は俺から見ても、君に……どころか、他の男にすら興味がないようだから。執事くんに夢中なようだねぇ」
「あ? ……あの使用人か?」
「そう、ピアノの上手な彼。演奏中もずっと見ていたよ……あの瞳は恋する乙女だ」
「使用人だぞ」
「——使用人だから。いちばん身近で、手頃な恋愛対象だ」
ワイングラスを傾ける。シルクのように滑らかな舌触り。昨夜に手を出した、例のメイドの肌を思い出す。
「さすがに——深い関係はないと思うけどね。頭のよさそうな彼が、先を考えられないわけがないだろうし……熱に浮かされる感じでもない。現状はお嬢様の片想いで、気持ちを伝えてもいないんじゃないかなぁ……?」
「………………」
「……あぁ、ごめんよ? 君には酷な話だったかい?」
「いや……むしろ、いい情報だ。ほかの貴族に目が行ってるなら面倒だが、使用人相手なら勝てる。……奪ってやる」
「……ふむ。俺が思うより、やる気があるようだね? もしや、本気で惚れてるのかな?」
「……うるさい」
ほのかに染まる頬に、フランソワは笑った。思いのほかピュアな気持ちもあるらしい。
笑みを隠すようにしてグラスに口をつけ、ワインを味わっていると、赤面が見え隠れしたフィリップの顔は不意に表情を消した。
「……あの女、病気持ちらしいんだ」
「そうなのかい? ……あぁ、母親も病気か。……それは、大丈夫なのかな? 血がなす病なら……婚姻に関わるように思うけど……」
「俺は気にしない」
「君が気にしなくとも、ご両親が——」
「関係ない」
きっぱりと言い切り、フランソワに向けて強い目を返した。
「仮に病に罹っても、離縁はしない。俺は、最期まで一緒にいてやるって約束したんだ」
俺は、か。
フランソワは深く吐息した。タレラン夫人は後妻である。前妻であるフィリップの生母は——。
軽々しく捉えていた彼の些末な恋心について、少しだけ見直す。どうやら本当に本気らしい。おそらく、もうどうにもできない。
「——なら、俺も協力しよう」
グラスを置いて、イスの背面から上体を離した。頼りがいのある笑顔を貼り付けてみせる。
フランソワが乗り気になったことを、フィリップも察した。
「まずは、彼を引き離さないといけないなぁ……ちょうど俺のほうも、あの使用人が気になっていたところなんだよ……利害の一致だねぇ……」
整った顔で、くすりと微笑めば、魔女のように妖しい仮面を纏う。
不穏な仮面舞踏会が始まろうとしていた。
ワインのアロマに意識を傾けていたフランソワは、向かいに座った神妙な顔のフィリップに目を向ける。彼は本日、フランソワをたたき起こすことなく、静かに〈待て〉をしていた。
「——女の落とし方を教えてくれ」
天変地異の前触れなのだろうか。革命が為されたばかりだというのに、世も末だ。
思わず無常を憂いてしまうほど、普段とまったく違う彼のまじめな顔を眺めていて……
「……ん? なんだって?」
「だから! 女の落とし方を教えろって言ってんだろ!」
通常どおりに戻る。やかましくなった声量に片耳を押さえ、話の内容をよくよく捉えようと試みた。
「いやいや、聞いてるさ。ちょっと驚いただけだっていうのに……まったく。蝶の娘を落とすのかい?」
「……そうだ」
「ふむ。それはまた、どういう心境の変化なのかな? 君は彼女に怒っていたよねぇ?」
「……なんだっていいだろ」
たしかに、なんだっていい。
タレラン夫人からは(なんとしてもフィリップの目を女性に向けてちょうだい!)とさんざん頼まれていたし、これで婚姻がまとまって世継ぎでもできれば、夫人もご満悦のことだろう。フランソワの肩の荷も降りる。
——しかし、
「君にあの子は、すこし難度が高いように思うんだよねぇ……」
「なんでだ! 俺は人気あるだろ!」
「それは否定しないけれど……あの子は俺から見ても、君に……どころか、他の男にすら興味がないようだから。執事くんに夢中なようだねぇ」
「あ? ……あの使用人か?」
「そう、ピアノの上手な彼。演奏中もずっと見ていたよ……あの瞳は恋する乙女だ」
「使用人だぞ」
「——使用人だから。いちばん身近で、手頃な恋愛対象だ」
ワイングラスを傾ける。シルクのように滑らかな舌触り。昨夜に手を出した、例のメイドの肌を思い出す。
「さすがに——深い関係はないと思うけどね。頭のよさそうな彼が、先を考えられないわけがないだろうし……熱に浮かされる感じでもない。現状はお嬢様の片想いで、気持ちを伝えてもいないんじゃないかなぁ……?」
「………………」
「……あぁ、ごめんよ? 君には酷な話だったかい?」
「いや……むしろ、いい情報だ。ほかの貴族に目が行ってるなら面倒だが、使用人相手なら勝てる。……奪ってやる」
「……ふむ。俺が思うより、やる気があるようだね? もしや、本気で惚れてるのかな?」
「……うるさい」
ほのかに染まる頬に、フランソワは笑った。思いのほかピュアな気持ちもあるらしい。
笑みを隠すようにしてグラスに口をつけ、ワインを味わっていると、赤面が見え隠れしたフィリップの顔は不意に表情を消した。
「……あの女、病気持ちらしいんだ」
「そうなのかい? ……あぁ、母親も病気か。……それは、大丈夫なのかな? 血がなす病なら……婚姻に関わるように思うけど……」
「俺は気にしない」
「君が気にしなくとも、ご両親が——」
「関係ない」
きっぱりと言い切り、フランソワに向けて強い目を返した。
「仮に病に罹っても、離縁はしない。俺は、最期まで一緒にいてやるって約束したんだ」
俺は、か。
フランソワは深く吐息した。タレラン夫人は後妻である。前妻であるフィリップの生母は——。
軽々しく捉えていた彼の些末な恋心について、少しだけ見直す。どうやら本当に本気らしい。おそらく、もうどうにもできない。
「——なら、俺も協力しよう」
グラスを置いて、イスの背面から上体を離した。頼りがいのある笑顔を貼り付けてみせる。
フランソワが乗り気になったことを、フィリップも察した。
「まずは、彼を引き離さないといけないなぁ……ちょうど俺のほうも、あの使用人が気になっていたところなんだよ……利害の一致だねぇ……」
整った顔で、くすりと微笑めば、魔女のように妖しい仮面を纏う。
不穏な仮面舞踏会が始まろうとしていた。
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