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囚われの蝶々

Chap.2 Sec.6

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 馬車の中は静かだった。
 馬のひづめが道を踏み鳴らす音や、車輪の回る音。そういった馬車特有の音は絶えず聞こえているが、会話はなかった。辻馬車タクシーではなく、所有物であるこの馬車は4人乗りで、ルネはいつもわたしの斜め向かいに座っている。進行方向に向かって座るわたしから見て、前方と右手の小窓にはカーテンが降ろされていた。残された左手の窓の外、夜色の世界を眺めるルネの横顔に、通りをひとつ越えた辺りでそっと声をかけた。

「……彼のこと、知っていたの?」

 瞳が、こちらへと流れる。

「——とは、どなたでございましょう?」
「タレラン=ペリゴール家の……」
「フィリップ・ド・タレラン=ペリゴール様でございますね。存じ上げておりますよ」
「……お父上は、外相の……?」
「ええ、さようでございます」
「どうりで……」

 あんなに偉そうなわけだ。
 この国で、彼の父親の名を知らぬ者はいない、と言っても過言ではない。

 横暴な印象の彼を、改めて頭に浮かべた。
 ダークブロンドの短い髪に、漆黒の眼。体つきはがっしりとしているが、眼が幼い。わたしと同じくらいの歳だろう。ルネの切れ長の眼と違って、彼は丸みがある。すこしエレアノールの眼と似ている。……小犬みたいな。

 彼の顔を思い出していると、ふと、ルネがわたしを見ていることに気づいた。
 唇は微笑をかたどっている。

「彼をお誘いなさるとは——失礼ながらわたくし、お嬢様を見くびっておりました」

 ぞくりとするような、知らない目つき。笑っているのに、笑っていない。
 震えそうになる体で、否定を返した。

「……わたし、そんなつもりじゃ……」
「——いえ、私に非があるのでございます」

 唐突に笑みを消したかと思うと、ルネはその顔に憂いをえがいた。嘆かわしいと言わんばかりに、ふっと吐息をこぼして——左のカーテンを降ろした。外のランプの明かりが遮断され、視界が暗くなる。どうして閉じたのか——考えるあいだに、ルネが動く気配がした。動く馬車の、薄闇のなかで。馬車をきしませることなく、するりとわたしの隣へ移った。右に寄っていたわたしの、左へ。
 隣に座るのは初めてのこと。あまりの近さに、どきりと胸が跳ねる。

「ど、どうしたの……?」

 ほのかに捉えられる彼の顔は、笑っている気がする。
 体をこちらに傾けると、甘い声で囁いた。

「官能をおぼえたばかりの体は、うずいて仕方がないのでございましょう?」

 いつもの響きで、さも当たりまえのように告げる唇が——首許へと。流れるように吸いついた。

「ルネっ?」
「——お嬢様、お静かに」

 手袋の白が、視界でひらめく。
 首に添えられたすべらかな布地が、逃げないよう——わたしを捕らえた。
 外には御者ぎょしゃたちがいるから、と。油断していた心に、彼はいともたやすく入り込んだ。

 りつく唇が、息をこぼす。掛けられた熱に身を震わせると、れた舌先になぞられ、それは耳許までいあがった。
 耳に小さくみつく素ぶりをしてみせたが、痛みはない。歯に浅く挟まれる感触が、危機感めいた心をあおるのに——隙間でうごめく舌になだめられ、速まる心臓と体に生まれる熱が、重なっていく。

「……外に、ひとが、いるのよ」

 かすれる声で訴えると、ルネは笑うように息をこぼした。

「ええ、ですから……お静かに。耳をそばたてていたとしても、会話の中身までは聞こえません。普段と変わらぬ様子であれば、動いているあいだは、誰も気に止めないでしょう……」

 話すトーンは、〈優しいルネ〉のまま。ひとり戸惑うわたしを置き去りにして、平然とドレスの裾をまくり上げた。外出のため下着のズボンパンタレッツを身につけている。下半身を護る布地に、ルネの両の手が伸ばされたかと思うと——信じられないことに、彼は薄いそれを引き裂いた。

「なにをっ——」

 とがめようとした声をみ込んで、隙間なく唇が合わさった。追い撃ちをかける舌が、ぐっと奥まで入り込み、残りの言葉はくぐもった音へと変えられる。
 唇は、すぐに離れた。
 しかし、彼の声が、わずかばかり低い音で、

「——お静かにと、お伝えしましたね? 聞き分けのないお嬢様には、私も厳しくいたしますよ?」

 無理やり脚を開くと、そのままわたしの片脚をルネの膝の上へと引き上げた。戻せないように——閉じられないように、右手できつく押さえ込み、残された左手で布のけ目から——

 声を、かみ殺すしか、なかった。

 抵抗のためルネの腕に伸ばしかけた両の手のうち、片方はとっさに自分の口を覆うべく使われていた。片手で抵抗しようにも、長い指先が敏感な芽に触れていて、こちらが下手に力を加えると、しつけるようにきつく押しつぶされる。
 喉の奥で殺される悲鳴に、ルネが優しく微笑んだ。

「——そう、従順な振る舞いですね。素直なお嬢様であれば、私も心より優しく仕えさせていただきますよ」

 仄暗い世界で、彼の笑顔は、泣きなくなるくらい——〈優しいルネ〉だ。

 声も、息も、呑み込んで。
 大人しくなるわたしに、彼は力を抜いて、優しく触れる。

 するするとした手袋の感触で、表面だけを、たわむれるように。
 摩擦まさつの弱い滑らかな布地のせいか、動くたびに心地よく、背筋まで震えてしまう。馬車の振動も相まって、ときおり刺激的なひらめきが生まれる。
 すでに抵抗を諦めた両の手は、声を抑えることにすべてを捧げていた。

 声を抑えようと必死なわたしを、彼は優しい微笑で見守っていた。
 しばらくすると、彼の唇が耳に寄り添い、熱い舌が忍び込まされた。まるで——姦淫であるかのように、聴覚が犯される。くちゅり、ぐちゅり。頭のなかを卑猥ひわいな音だけが満たし、思考を赤く染めていった。

 水気の帯びた音と、下半身を撫でる指先の動き。ふたつきりの感覚が、無限の時を刻んでいく。

 執拗しつように外側だけをいじりまわされ、自分でもはっきりと分かるくらい下が濡れているというのに——彼の指はそれ以上深まることなく、ふいに止まった。

 とろけきった頭が、離れゆく指先の理由を求めて、彼をぼうっと見つめる。
 ドレスの裾を戻した彼は、くすりと呼気を落として、カーテンを開いた。

「馬の交代でございますね。……ご安心くださいませ。お屋敷への到着まで、まだお時間は十分にございますから」

 ゆるやかに落ちるスピードと、馬を止める御者の声。馬車の鳴らす音にまぎれて、甘く囁く声に——気づかされる。

 彼のならば、戦えるのに。
 わたしは、〈優しいルネ〉の前では——あまりに無力だ。
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