上 下
9 / 72
嘘の始まりを教えて

Chap.1 Sec.6

しおりを挟む
 探ってみよう、とは決めたものの。何も行動できずに一日が終わろうとしていた。
 平静を装って彼を観察していたが、別段かわったことはなく。いつもどおりの柔らかな笑顔は、地下室の記憶を薄れさせていく。薄れさせていくといっても、消えるわけではない。おやすみを交わしたあとのベッドの上で、わたしは息をころして時が経つのを待っていた。

 住み込みの使用人たちも大半が眠り、屋敷が静まりかえるころ、そろりとベッドから足を落とした。
 オイルランプはごくごく小ぶりのものを、あらかじめ用意しておいた。火をともしたランプを手に、寝室のドアを開けて、廊下をのぞいてみる。向かいの部屋のドアを四角く区切るように、薄い明かりがもれている。ひとの気配もある気がする。

(……今夜も、行くかしら……)

 彼の考えなど分からない。ただ、明日には間違いなく父たちが帰ってくる。帰宅した父と一緒に入室して、彼が見ていた書物を確認するのが、彼のことを知るための安全策のひとつだとは思うが……父が見せてくれるだろうか。今までに、あんな羊皮紙の束があったなんて気づかなかった。本の中に隠されていたのだとしたら、それをわたしが見たいと言っても……見せてもらえるとは思えない。新たに隠されてしまうかも。

(そうなると……ルネが持ってるかもしれない鍵を借りれば……)

 地下室に忍び込んで、何を見ていたのか確かめられる。
 浮かんだアイディアは、なかなか現実的でよいのではないだろうか。問題は彼が鍵をどこに隠しているか。常に携帯していれば手出しできないが、本来の彼には所持する権限がない。どうやって手に入れたのか分からないが、うっかり落とすのを目撃されたり、誰かに拾われてしまったりしては大事おおごとになる。隠しているとしたら、彼の私室か、目の前の雑務の部屋……

 考えていたところ、向かいのドアの明かりの一部が暗くなり、どきりとして寝室の中へと頭を引っ込めた。閉じたドア越しに耳をそばだてるが、防音が効いていて何も聞こえない。時間を置いてから、そっとドアを開け、隙間をつくった。遠くから、廊下を歩く音。その響きは彼のものに思えた。早足なのに靴音が響かない——彼の足音は、他の使用人に比べると極端に静かだった。

 消え去っていく気配に、もういちど、ドアから顔を出してみる。のぞいた廊下は、しんとしていた。
 ……これはチャンスなのでは?
 向かいの部屋に忍び込む絶好の機会に、思わず足が出た。しかし——ふと気になったのは、彼のゆくえ。彼が歩いていったと思われるのは、尖塔だった。私室に向かった可能性もあるが……ひょっとしたら。

「………………」

 小さな明かりを手に、廊下の先を見つめる。尖塔につながる細い廊下へのドアは、閉められているかと思ったが——細く開いていた。
 音を立てずに、廊下を歩いていく。昨日はあんなにあっさりと進んだ距離が、今日は遠く感じる。少しも縮まっていないように感じられたドアとの距離が、やっとなくなったときには、ランプを握る手にじんわりと汗をかいていた。

 きい、と。ドアがきしむ。
 ひと一人分の隙間を開けて、その先へと足を踏み入れる。細い廊下はひんやりとしている。見える先のドアに、明かりはない。もちろん、私室に戻った彼が眠っているのもありうるが、下に降りるための螺旋階段から、すうっと風が流れていた。
 つま先から、熱が奪われるような寒気がする。しかし、心臓が早鐘を打つせいか、上体は緊張の熱が張りつめていた。

 ひとつ、ひとつ。
 自分の呼吸の音に震えながら、階段をおりていく。
 永遠にも思えるほどの、長い時間。すべての階段をおりきって、地下への更なる階段にたどり着いたときには、張り詰めた糸が引きちぎれてしまいそうな緊張感につつまれていた。

(どうしよう……)

 深く考えることなくここまで来てしまったが、床にぽっかりと空く、地下へと降りるための穴を目にしたら、急に足がすくんで動けなくなった。
 ——もし、彼がいたとしたら、どうするのか。
 その答えを、考えていない。

 もしかしたら、こんなにも思い詰めるほどのことではなく、本当にゲランから何か仕事を任されているだけなのかも。
 それなら、いつもみたいに気にせず、部屋に戻って眠ってしまえばいい。最近の彼の仕事なんて、わたしは全然把握していない。気づいたら屋敷の管理と人事はルネがしているな、と思ったくらいで、わたしの身の回りのこまごましたことは基本すべてメイドがおこなっていて、今朝みたいに会いに来てくれることもない。社交に関しての付き添いだけ、父からの指示もあって、彼がずっとついてくれているが……成人してから、彼との距離は開く一方だった。

 このまま離れていくのだろうと、理解している。
 できることなら——くちづけだけでも。
 彼にねだって、一度でいいから、もらえたなら——この憧れは、生涯しょうがいしまっておこう。
 婚姻相手が決まり、ゆいいつの願いを口にする日が来るのを待つだけだった。

 ……だから、今さら彼の行動を気にして、探る必要なんて……ない。盗みを疑う気持ちもないのに、ここから先を追求して何になるのか。たぶん、怒られるだけだ。ベッドを抜け出して何をしていらっしゃるのですか? お風邪を召されたいのございますか? 彼の声で幻聴が聞こえてきそうだ。

 想像から、ふっとこぼれた笑みが、全身のこわばりを解いていく。
 ——戻ろう。
 落ち着いた心に、足は、もと来た道のりを帰ろうとしていた。の、だが、
 
 ——ゆらり。
 手許で揺れた、火が——脳裏に、彼の冷たい目をえがいてしまった。

 暗がりに浮かびあがった、細く冷たい——見たこともない、顔を。
 思わず恐怖に駆られた——別人のような顔つきを。

「………………」

 沈黙のまま、目をそらしていた地下への入り口へと、視線を戻した。

 疑いは無い。
 彼の行動について、探ろうという気持ちもない。

 ただ胸にあるのは——彼の瞳が、わたしの見間違いではなかったのか、という、純粋な疑問だった。
 長く時を共にし、彼のことならわたしが一番よく分かっている気でいたが……わたしの知らない顔が、彼にもあるのだろうか。
 あるのなら、見てみたいような気も。

 ……それはきっと、寝顔を見たいのと同じ程度の興味だった。
 緊張の解けた胸に残った——好奇心が、わたしの足を動かしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そのシスターは 丘の上の教会にいる

丸山 令
ミステリー
決められた曜日、決められた時間に、丘の上の教会の告解室に行くと、どんな人間であっても神の導きを授かることが出来るという。 街で起こった残虐な連続殺人事件。被害者は若い女性ばかり。 事件を追っている刑事たちは、町はずれの小さな教会を訪れる。 刑事が会いに来たのは、赤い瞳の艶やかなシスター。この刑事は難しい事件が起こると、必ずここを訪れるというのだが……。 中編小説です。 なお、この物語はフィクションです。実在する人物・団体等とは関係ありません。

【完結】浮気者と婚約破棄をして幼馴染と白い結婚をしたはずなのに溺愛してくる

ユユ
恋愛
私の婚約者と幼馴染の婚約者が浮気をしていた。 私も幼馴染も婚約破棄をして、醜聞付きの売れ残り状態に。 浮気された者同士の婚姻が決まり直ぐに夫婦に。 白い結婚という条件だったのに幼馴染が変わっていく。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ

シンデレラの義姉は悪役のはずでしたよね?

梅乃なごみ
恋愛
ヒロイン・シンデレラの義姉・ソフィーは、生まれながらに自分の役割を理解していた。 悪役であり、脇役である自分は幸せにはなれないと。でもそれで構わない。 表向きは悪役令嬢として振る舞い、王子とシンデレラが結ばれる日を待ち望む日々。 なかなか上手くいかないときに助け舟をだしてくれたのがエルバートと名乗る魔法使いだった。 シンデレラの恋のキューピットをしてもらう代償は――妻になってくれ!? 魔法使いだと思ったら皇帝ってどういうことですか!? ここはどこなんですか!? 国に返してください! ちょっとどこ触ってるんですかセクハラです!! とはいえ、頼み事をしたのはこちらだし、しかも他にも条件を提示されて……。 ――とりあえず、婚約者からはじめましょう……? 3ヶ月間、期間限定の婚約者でいる間のルールは ①毎日の添い寝 ②キスはエルバートがしたいときに ③ソフィーから求めるまで子作りはしない 3ヶ月後 ソフィーがエルバートを愛していれば、ソフィーはエルバートの妻になる。 ソフィーがエルバートを愛さなければ、記憶を消して国へ返してもらえる。 シンデレラの姉として生きることしかできないソフィーが 魔法使い兼皇帝に執着&溺愛されて絆されていく話 タイトル変更しました。 旧タイトル:『シンデレラの義姉です。魔法使い様から溺愛される予定ではなかったのですが!』 ◆最後はハッピーエンドにします ◆Rシーンあり タイトルに※(後半です) 休載中です。再開しましたらこちらでご報告します。楽しみにしてくださっていた方申し訳ありません。

趣味を極めて自由に生きろ! ただし、神々は愛し子に異世界改革をお望みです

紫南
ファンタジー
魔法が衰退し、魔導具の補助なしに扱うことが出来なくなった世界。 公爵家の第二子として生まれたフィルズは、幼い頃から断片的に前世の記憶を夢で見ていた。 そのため、精神的にも早熟で、正妻とフィルズの母である第二夫人との折り合いの悪さに辟易する毎日。 ストレス解消のため、趣味だったパズル、プラモなどなど、細かい工作がしたいと、密かな不満が募っていく。 そこで、変身セットで身分を隠して活動開始。 自立心が高く、早々に冒険者の身分を手に入れ、コソコソと独自の魔導具を開発して、日々の暮らしに便利さを追加していく。 そんな中、この世界の神々から使命を与えられてーーー? 口は悪いが、見た目は母親似の美少女!? ハイスペックな少年が世界を変えていく! 異世界改革ファンタジー! 息抜きに始めた作品です。 みなさんも息抜きにどうぞ◎ 肩肘張らずに気楽に楽しんでほしい作品です!

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

【二章開始】『事務員はいらない』と実家からも騎士団からも追放された書記は『命名』で生み出した最強家族とのんびり暮らしたい

斑目 ごたく
ファンタジー
 「この騎士団に、事務員はいらない。ユーリ、お前はクビだ」リグリア王国最強の騎士団と呼ばれた黒葬騎士団。そこで自らのスキル「書記」を生かして事務仕事に勤しんでいたユーリは、そう言われ騎士団を追放される。  さらに彼は「四大貴族」と呼ばれるほどの名門貴族であった実家からも勘当されたのだった。  失意のまま乗合馬車に飛び乗ったユーリが辿り着いたのは、最果ての街キッパゲルラ。  彼はそこで自らのスキル「書記」を生かすことで、無自覚なまま成功を手にする。  そして彼のスキル「書記」には、新たな能力「命名」が目覚めていた。  彼はその能力「命名」で二人の獣耳美少女、「ネロ」と「プティ」を生み出す。  そして彼女達が見つけ出した伝説の聖剣「エクスカリバー」を「命名」したユーリはその三人の家族と共に賑やかに暮らしていく。    やがて事務員としての仕事欲しさから領主に雇われた彼は、大好きな事務仕事に全力に勤しんでいた。それがとんでもない騒動を巻き起こすとは知らずに。  これは事務仕事が大好きな余りそのチートスキルで無自覚に無双するユーリと、彼が生み出した最強の家族が世界を「書き換えて」いく物語。  火・木・土曜日20:10、定期更新中。  この作品は「小説家になろう」様にも投稿されています。

外れギフト魔石抜き取りの奇跡!〜スライムからの黄金ルート!婚約破棄されましたのでもうお貴族様は嫌です〜

KeyBow
ファンタジー
 この世界では、数千年前に突如現れた魔物が人々の生活に脅威をもたらしている。中世を舞台にした典型的なファンタジー世界で、冒険者たちは剣と魔法を駆使してこれらの魔物と戦い、生計を立てている。  人々は15歳の誕生日に神々から加護を授かり、特別なギフトを受け取る。しかし、主人公ロイは【魔石操作】という、死んだ魔物から魔石を抜き取るという外れギフトを授かる。このギフトのために、彼は婚約者に見放され、父親に家を追放される。  運命に翻弄されながらも、ロイは冒険者ギルドの解体所部門で働き始める。そこで彼は、生きている魔物から魔石を抜き取る能力を発見し、これまでの外れギフトが実は隠された力を秘めていたことを知る。  ロイはこの新たな力を使い、自分の運命を切り開くことができるのか?外れギフトを当りギフトに変え、チートスキルを手に入れた彼の物語が始まる。

肉倉エリカの超推理を1000文字我慢できれば迷宮入り

暗闇坂九死郞
ミステリー
出会って5秒で解決!!一話1000文字。一話完結のちょっぴりHな連作ショートショートミステリー♡ ≪登場人物紹介≫ 肉倉 エリカ【ししくら えりか】……ギャル探偵。彼女の前ではどんな犯人も1000文字我慢できずに果ててしまう。 工口 彰久【こうぐち あきひさ】……通称エロ警部。エリカをいやらしい目で見ている。 朝立 元気【あさだち げんき】………工口の腹心の部下。

処理中です...