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女の子と思っていた、患者さん
Ice Woman 1
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長らく私は、自分の恋愛対象が女性であると思っていた。
小さい頃に、父の経営する皮膚科の病院にたびたび来ていた子がとても可愛くて、一緒にいるだけでドキドキするような不思議な女の子で、そのときめきが恋だと信じてやまなかった。色素のないその子は(のちに先天性白皮症と知るが)、日光アレルギーなのもあって、普段は洋服や帽子で全身を覆い、カラーレンズの眼鏡を着用していた。
併設されたキッズルームで遊ぶときだけ、クリーム色の長い髪と、薄い色の眼をさらして、私に妖精のような笑顔をくれる。
——雪乃ちゃんは、かわいいね。
可愛いのは、そっちだよ。
どんなお姫様よりも可愛いよ。
「——院長先生?」
呼ばれてハッとした。ハーブティーの入ったマグカップから目を上げると、若い看護師が私の顔をのぞきこむように首をかしげていた。
「大丈夫ですか? お疲れですか?」
「え、ええ……」
「午後一のプライベート予約、ティア様ですけど……大丈夫ですか?」
「——もちろん。大丈夫よ」
思い出のひとの名前にどきりとしたが、上手くごまかせたと思う。デスクに座る私と違って立っている看護師の子は、わくわくとした笑顔を見せた。
「彼が来るの、たのしみですねっ。何度見ても、あの美しさは惚れぼれしますぅ……」
「そうね、患者さんの中でも群を抜いて肌ツヤが違うわね」
「もぉ~そういうことじゃないですよ! 彼は今モデルの中で、いっち番人気なんですからね! 美容界のアイドルですよっ」
モデルなのかアイドルなのか。でも、たしかに彼を起用した広告は多い。最近では有名な海外ブランドまで。
看護師の子は、高めのキラキラとした声で、
「わたしなんて毎日SNSチェックして、スキンケアも同じのを揃えてるんですよ!」
「あら、そうなの……」
「ティア様買いと言います! 院長先生もぜひ見てください!」
「まぁねぇ……気が向いたら」
なんて言ってみたけれど、彼のSNSはしっかり見ている。単に肌の様子を見守っているのだと自分に言い訳して。
跳ねるように部屋から出ていった看護師がいなくなったのを確認して、スマホの画面に触れる。簡単にアクセスできる、彼の日々の記録。服のコーディネートだったり、食事だったり、仕事の撮影だったり。何をしていても見映えする彼の動画は、見ているときりがない。眠れなくなる。
にこっと微笑んで、こちらに話しかけるような動画なんて……相変わらず、どこのお姫様にも負けないくらい綺麗だ。
そんな彼は、本日もここにやってくる。代替わりして、さらには美容に特化しつつあるこの病院の皮膚科医である……私に会いに。
いや、それは言いすぎか。
私ではなく、美のために、彼はやってくる。
§
「肌の調子がよくないんだよ。なんだかピリピリするんだ。雪乃ちゃん、見てくれる? ほら、赤くない?」
無自覚に距離を詰める彼は、白雪姫のような真っ白な頬を指で示した。近い近い。患者から積極的に寄ってくるパターンはあまりない。
「……ほんとね。すこし炎症が出てる」
「やっぱり?」
「日光でも浴びたの?」
「それがさ、二日前の撮影で、どうしても外でって言われて、建物をバックに撮ったんだよね。一瞬だけって言われて……や、でも一瞬じゃないね、20分くらいは陽を浴びてたかな?」
「もう……15分以上は反応が出ると思って、常に気をつけないとダメよ?」
「そうだよね……でもさ、いま仕事が波に乗ってるっていうか……断りづらいものもあるんだよね……」
肩を落とす彼に、それ以上は注意できない。代わりに、そんな注文をつけた依頼主のほうに胸中だけで怒っておく。
「ね、これ、明日までに落ち着くかな?」
彼が首をかしげると、ポニーテールにまとめられた長いプラチナブロンドの髪が、さらりと揺れた。オレンジのような香りが鼻腔をくすぐる。
動揺を抑えこむため、さりげなく視線はカルテに向けて、
「そうね、これくらいなら……炎症を抑える薬を出しておくから、夜に塗ってちょうだい」
「それだけ?」
「あとは鎮静のためにライトも当てて帰って」
「それだけ?」
「……何かしてほしいの?」
尋ねると、唇を可愛く曲げて、ふふっと微笑みをこぼし、
「点滴もしていい? 昨日、ワインを飲みすぎちゃって。タチオンとビタミンCがいいな♪」
「……いいけど、私は付き添わないからね?」
「えっ、なんで?」
「なんでって……私これでも、とっても人気なのよ」
「僕ってお得意さまじゃない? 十数年にわたる大事なお客さまだよね?」
「患者ね。お客様でなくて、患・者」
「え~……なんか響きがわるい」
「そんなことないわよ……」
視界の半分で彼と話していた。半分カルテに意識をおくことで、緊張を防ごうと。
なのに、その努力を無に帰すように、彼がその白くて傷ひとつない綺麗な両手を伸ばし、私の手を握った。
「——ね、いいでしょ? 雪乃ちゃんと喋りたくて来てるんだから……予約のあいだは、一緒にいてほしいな……」
包み込むように触れてくる掌は、ひんやりとして氷のように冷たい。よく効いた暖房で暑さを覚えていた手には、とても心地よかった。なめらかな肌触りも。
薄い色の眼をうるりと光らせて、じっと見つめてくる彼に、
「……少しだけだからね?」
「ありがと」
ふわっと笑う顔は、昔から変わらずに雪の妖精。
会うたびに美しく、さらには、かっこよくもなっていく彼に……私だけが老いているような、複雑な思いに駆られている。
——雪乃ちゃんは、かわいいね。
最近は聞かなくなった魔法の言葉を、もう一度聞いてみたいような、もう聞けないような。
切ない悲しみを胸に、看護師へと点滴の用意を指示した。
小さい頃に、父の経営する皮膚科の病院にたびたび来ていた子がとても可愛くて、一緒にいるだけでドキドキするような不思議な女の子で、そのときめきが恋だと信じてやまなかった。色素のないその子は(のちに先天性白皮症と知るが)、日光アレルギーなのもあって、普段は洋服や帽子で全身を覆い、カラーレンズの眼鏡を着用していた。
併設されたキッズルームで遊ぶときだけ、クリーム色の長い髪と、薄い色の眼をさらして、私に妖精のような笑顔をくれる。
——雪乃ちゃんは、かわいいね。
可愛いのは、そっちだよ。
どんなお姫様よりも可愛いよ。
「——院長先生?」
呼ばれてハッとした。ハーブティーの入ったマグカップから目を上げると、若い看護師が私の顔をのぞきこむように首をかしげていた。
「大丈夫ですか? お疲れですか?」
「え、ええ……」
「午後一のプライベート予約、ティア様ですけど……大丈夫ですか?」
「——もちろん。大丈夫よ」
思い出のひとの名前にどきりとしたが、上手くごまかせたと思う。デスクに座る私と違って立っている看護師の子は、わくわくとした笑顔を見せた。
「彼が来るの、たのしみですねっ。何度見ても、あの美しさは惚れぼれしますぅ……」
「そうね、患者さんの中でも群を抜いて肌ツヤが違うわね」
「もぉ~そういうことじゃないですよ! 彼は今モデルの中で、いっち番人気なんですからね! 美容界のアイドルですよっ」
モデルなのかアイドルなのか。でも、たしかに彼を起用した広告は多い。最近では有名な海外ブランドまで。
看護師の子は、高めのキラキラとした声で、
「わたしなんて毎日SNSチェックして、スキンケアも同じのを揃えてるんですよ!」
「あら、そうなの……」
「ティア様買いと言います! 院長先生もぜひ見てください!」
「まぁねぇ……気が向いたら」
なんて言ってみたけれど、彼のSNSはしっかり見ている。単に肌の様子を見守っているのだと自分に言い訳して。
跳ねるように部屋から出ていった看護師がいなくなったのを確認して、スマホの画面に触れる。簡単にアクセスできる、彼の日々の記録。服のコーディネートだったり、食事だったり、仕事の撮影だったり。何をしていても見映えする彼の動画は、見ているときりがない。眠れなくなる。
にこっと微笑んで、こちらに話しかけるような動画なんて……相変わらず、どこのお姫様にも負けないくらい綺麗だ。
そんな彼は、本日もここにやってくる。代替わりして、さらには美容に特化しつつあるこの病院の皮膚科医である……私に会いに。
いや、それは言いすぎか。
私ではなく、美のために、彼はやってくる。
§
「肌の調子がよくないんだよ。なんだかピリピリするんだ。雪乃ちゃん、見てくれる? ほら、赤くない?」
無自覚に距離を詰める彼は、白雪姫のような真っ白な頬を指で示した。近い近い。患者から積極的に寄ってくるパターンはあまりない。
「……ほんとね。すこし炎症が出てる」
「やっぱり?」
「日光でも浴びたの?」
「それがさ、二日前の撮影で、どうしても外でって言われて、建物をバックに撮ったんだよね。一瞬だけって言われて……や、でも一瞬じゃないね、20分くらいは陽を浴びてたかな?」
「もう……15分以上は反応が出ると思って、常に気をつけないとダメよ?」
「そうだよね……でもさ、いま仕事が波に乗ってるっていうか……断りづらいものもあるんだよね……」
肩を落とす彼に、それ以上は注意できない。代わりに、そんな注文をつけた依頼主のほうに胸中だけで怒っておく。
「ね、これ、明日までに落ち着くかな?」
彼が首をかしげると、ポニーテールにまとめられた長いプラチナブロンドの髪が、さらりと揺れた。オレンジのような香りが鼻腔をくすぐる。
動揺を抑えこむため、さりげなく視線はカルテに向けて、
「そうね、これくらいなら……炎症を抑える薬を出しておくから、夜に塗ってちょうだい」
「それだけ?」
「あとは鎮静のためにライトも当てて帰って」
「それだけ?」
「……何かしてほしいの?」
尋ねると、唇を可愛く曲げて、ふふっと微笑みをこぼし、
「点滴もしていい? 昨日、ワインを飲みすぎちゃって。タチオンとビタミンCがいいな♪」
「……いいけど、私は付き添わないからね?」
「えっ、なんで?」
「なんでって……私これでも、とっても人気なのよ」
「僕ってお得意さまじゃない? 十数年にわたる大事なお客さまだよね?」
「患者ね。お客様でなくて、患・者」
「え~……なんか響きがわるい」
「そんなことないわよ……」
視界の半分で彼と話していた。半分カルテに意識をおくことで、緊張を防ごうと。
なのに、その努力を無に帰すように、彼がその白くて傷ひとつない綺麗な両手を伸ばし、私の手を握った。
「——ね、いいでしょ? 雪乃ちゃんと喋りたくて来てるんだから……予約のあいだは、一緒にいてほしいな……」
包み込むように触れてくる掌は、ひんやりとして氷のように冷たい。よく効いた暖房で暑さを覚えていた手には、とても心地よかった。なめらかな肌触りも。
薄い色の眼をうるりと光らせて、じっと見つめてくる彼に、
「……少しだけだからね?」
「ありがと」
ふわっと笑う顔は、昔から変わらずに雪の妖精。
会うたびに美しく、さらには、かっこよくもなっていく彼に……私だけが老いているような、複雑な思いに駆られている。
——雪乃ちゃんは、かわいいね。
最近は聞かなくなった魔法の言葉を、もう一度聞いてみたいような、もう聞けないような。
切ない悲しみを胸に、看護師へと点滴の用意を指示した。
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