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高校の、ちょっと不良な先輩

狼と赤ずきん Fin.

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 地下のライブハウスや、隣の練習スタジオ。どちらも、私にとってはまだまだ馴染なじみがない。でも、どちらに顔を出しても、なぜかそれなりに知名度がある。

「あ、瀬戸クンの——」

 練習スタジオの受付にいたバイトのひとが、私を見て何か言いかけた。会員証のためのQRコードを読み込んでいた私は、目を上げたけれど、バイトのひとは身を縮めて唇を固く結んでいる。彼の目を追うと、私の横にいた瀬戸先輩が……怖い顔でバイトをにらんでいた。余計な口を出すな、と言いたげな。

「……あの?」
「あ、登録できました?」
「……はい」
「……オッケーす。2番どうぞー」

 ゆるっとした空気で、奥を示される。もう少し説明があるのが普通な気がするが、顔が知られているせいか隣の先輩が怖いからか、初めてだというのになんの案内もなかった。

 細い廊下を進んで、2の番号が振られたコンパクトな部屋へ。こちらは個人のドラム専用で、ものすごく狭い。入室してドアを閉めると、瀬戸先輩がとても近い。

「……狭いですね」
「そうだな」
「私が座ればいいですか?」
「まあ、そうだな」
「……何か曲を見せるといいですか?」
「できるのか? お前の実力が全然わかんねぇけど……」
「エイトビート、それっぽくやれるようになりました」
「……そうか。(つまり曲は無理だよな?)」

 とりあえずと促され、シンバルハイハットを叩く。胸のなかで数字を数えつつ、ビートを刻む。いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち。1と5のときに、足でバスドラムも。3と7で、スネアドラム。手前のドラムをジャン、ジャンと入れるが、

「まてまて、崩れすぎだ! 一回止まれ!」

 ……だめらしい。
 横に並んでいた先輩から素早く止められた。

「上と下が重なってねぇだろ。同時に鳴らすんだぞ? 分かってるか?」
「分かってます。(頭では)」
「形から入ろうとすんな。ゆっくり刻んでやるから……まずハットから」

 瀬戸先輩の低い声が、八分音符のリズムで数える。声が近い。狭い部屋のせいで、先輩のいる右肩あたりがチリチリする。

「ん、そのままな。それはずっとそのままだぞ?」
「はい」
「で、俺の足にあわせて……キック」

 瀬戸先輩の足が、私の足のそばに並んで、つま先だけ動いてみせる。それに合わせて、ペダルを踏んでみる。

「それが綺麗に重なるまで、次にいくな」
「……これ、ずっとですか?」
「ずっと。感覚つかむまで」
「………………」

 先輩。気づいてないかも知れないですけど、とっても近いです。
 足を並べ、のぞきこむように上半身を傾けている瀬戸先輩との距離は、あってないようなもの。

「おいまて。なんでリズムくるってくんだ」
「……ちょっと、緊張して難しいです」
「客もいねぇのに緊張しねぇだろ」
「……先輩がいます」
「俺は別に怖くないだろ。お前、さんざん俺の周りうろちょろしてるじゃねぇか」
「……怖くは、ないです、けど……」

 手を止めて、振り返ってみる。斜め上の先輩の顔に向けて。
 ——すると、あちらも近さに驚いたように距離を取られた。

「急に振り向くな」
「……すみません」
「……お前な、前から言ってるけど、もう少し危機感を持て。俺じゃなかったら勘違いするだろ」

 勘違い、って、なんですか。
 俺じゃなかったら、も、気になります。

 り上がった目を、上目遣いに様子見しながら、

「……でも、先輩も、私のこと……って言ってました……よね?」
「——はっ?」
「あれも、させると思います。私より、瀬戸先輩のほうが……だめだと、思い、ます」

 小さく訴える。途中で先輩の眉頭に力が入って、ものすごく怒ってるみたいな顔になったけれど……たぶん、怒ってない。困ってる顔なのだと、思う。
 眉間を細めたまま、先輩が沈黙する。防音があまいのか、隣の部屋からバスドラムの重い音が伝わってくる。

「……俺のは、べつにいいだろ」
「……どうしてですか」
「俺は、勘違いされても困らねぇ——つぅか、勘違いじゃねぇ。こっちはお前が気になってんだから、勘違いも何も、そのままだろ」

 見下ろす怖い顔を見つめて、首をかしげる。言葉の意味を考えて、5秒ほど。
 私が何か言う前に、先輩のほうがハッとした。

「——いや、まて。今のは、」
「先輩、」

 取り消されてしまいそうだったので、考えるよりも先に声を出していた。

「好きです」

 ただ一言で、すべてが伝わる。
 言葉って偉大だな、なんて思う。

 見つめる先の顔は、いつかのときみたいに、一瞬で赤く——赤ずきんちゃんは、先輩のほうが合いそうなくらい——染まった。

 無言の先輩に、何か言うべきだろうかと考える。
 でも、私のほうも熱くなってきた頭のせいで、うまく考えられない。頬も、熱い。

「……あの、先輩、」

 言う言葉が決まらないのに、口を開いてしまった。
 ——すると、ふいに先輩の手が伸びてきて、私の頭のうしろに。なんだろう? と思ったときには、キスされていた。
 背をかがめた先輩の顔が、真上から降ってきて。
 迷いなく、唇が奪われていて。

(赤ずきんは、取り消そう……) 

 狼のような目つきの先輩は、意外にも、ほんとうに狼になってしまいそうだったので、

「……先輩、ここ、スタジオなんです」
「そういや……そうだったな」

 肩を押さえて告げると、思い出したように離れていった。顔は赤い。きっと、私も。

「……練習、します……?」
「……おう」

 緊張のエイトビート。
 リズムは乱れて、タイミングもバラバラ。
 でも——心は、重なったので。
 ドキドキと弾む心臓のビートを、楽しもう。



 §



 翌日。
 多大なるアドバイスをいただいていたカラフル先輩に、結果を報告してみた。昼食時なので、瀬戸先輩もいるけれど。
 ピンクな先輩が、

「彼女かぁ……うちも後輩がいいんやけどぉ、落とし方教えてくれんかぁ~? 瀬戸センパーイ」
「階段から突き落とすぞ」
「それはひどいやろ! 幸せいっぱいなんやから、うちにも優しくして!」

 絡まれるのを鬱陶うっとうしげに払いつつ、瀬戸先輩は私の作ったお弁当を食べている。今日は昨日よりもがんばった。ゆで卵が卵焼きに昇格した。
 眺めていると、横からカラフル先輩が、

「おめでとォ~、赤ずきんちゃん♪」
「……あの、その赤ずきんちゃんって、気になるんですけど……赤城じゃだめですか?」
「い~じゃん? 狼にわれるの、合ってるだろ?」
「……私、食べられてないですよ?」

 ニヤッと笑うカラフル先輩が、私の耳に口を寄せて、

——油断したら、すぐにでも喰われるんじゃね?

 身に覚えがあるので、否定も肯定もせずに黙りこむ。
 カラフル先輩の距離を目にした瀬戸先輩が、

「おい、離れろ!」

 ドラムの音みたいな、鋭い声を挟んだ。
 そこは、俺の女に手を出すな、ではないのか。

「うざァ~……嫉妬深い男は嫌われンの、知らねェ?」
「嫉妬じゃねぇ。基本お前は近いんだよ、離れとけ」
「ハイハイ……『俺の女』だもんなァ~?」

 望まないほうの口から聞けた。
 もう一度くらい、今度は正式な関係で言ってみてもらいたい気もするが……

 気持ちを込めて見つめていると、瀬戸先輩に気づいてもらえた。重なった目の奥が、困惑している。

「……俺の、後輩だ」
「後輩は、いっぱい、います」
「……なら、」

 一呼吸おいて、はっきりとした音で、

「——彼女」

 ……たしかに、それは特別かも。
 じわじわと恥ずかしさが広がる胸で、ぱくりとパンにかじりつく。

(……先輩になら、食べられてもいいですよ)

 それを言うのは、もうすこし——あとで。



Fin.
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