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Chap.4 剣戟の宴

Chap.4 Sec.16

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 ラボ101を出た廊下に、ふわふわとした塊があった。
 よく見ればそれは廊下に座り込むハオロンで、シャツの上に重ねたパーカーにファーがあしらわれていた。
 
 ラボのドアが開き、サクラが姿を現す。
 フードをかぶったハオロンの前で、そっと足を止めた。
 
「そこで何をしている?」
 
 廊下に響く声音は、冷たくはない。
 子供にかけるようなゆっくりとした音に、ハオロンは立ち上がることなく、
 
「貴重な被検体やったのに……勝手なことして、ごめんなさい」
 
 視線は、廊下の床に固定したまま。
 サクラが手を差し出すと、そのてのひらへと目を移した。

「……?」
「立てないか? それとも、もうしばらく——グレていたいか?」
「……ぐれる?」

 きょとんとしたハオロンの目に、サクラは微笑み返すと隣に並んで腰を落とした。
 
「えっ、汚いやろ!?」
「掃除はされている。先に座っているお前も同じだろう?」
「うちの服、リサイクル素材やし。サクラさんの……キモノって高いんやろ?」
「今の世で、これに価値は無いよ」
 
 廊下はほの明かりに包まれている。本来なら時刻に合わせて明るい光が灯ってもいいはずだが、住人の疲労を読み取ったミヅキが照明の光度を落としていた。
 
 片膝を立てて廊下の壁に寄りかかるサクラを、ハオロンは横目で見ていたが、再び床へと目を落とした。
 人の通らない奥の廊下に行くにつれて、薄闇が広がっている。
 
「……ねぇ、サクラさん。ありすって、ほんとにサクラさんが逃がしたんか?」
「ああ、私が指示を出したよ」
「……ほんと? 自分で逃げ出したんじゃないんか?」
「ハウスの車は、外部の者には使えないだろう?」
「ほやけど……」
「裏切った者の言葉に翻弄ほんろうされているね?」
「………………」
「そんなに大事だったか? お前にとって、家族でない人間は大して価値がないのだろう?」
「うん……」
 
 うなずくと、フードから垂れた前髪が揺れた。
 
「でも……ありすは、セトのために嫌なことを我慢するようなコやが。家族でもないのに。……ロキの機嫌が悪いと困った顔するし、メルウィンの料理も楽しそうに付き合ってるし、ティアも……ありすが来てから、楽しそうやった。アリアはいつも優しいから分からんけど……イシャンと3人で、たまに歌の練習してた。アリアとイシャンを昔みたいに繋げたのは、ありすやろ。あと……ロキと、セトも。バラバラやったハウスが変わったのは……ありすのおかげやって……思ってる」
 
 そうか、と。
 サクラは静かに応えた。
 
「ありすのおかげやけど……それは、ありすを都合よく利用してるってゆう……マガリーの主張は……合ってる」
「………………」
「サクラさんも、利用してたがの? うちと……一緒やがの?」
 
 ハオロンは横を向いたが、サクラは目を合わさなかった。向かいの廊下の壁を眺めたまま、
 
「そうだね、私とお前の思考は近いと思うよ」
「……家族が、いちばん大事?」
「お前たちを大事にしようと思っている」
「……お兄ちゃん気質やの。弟だらけやと、自然とそうなるんやろか……?」
「そうでもない。私がと思ったきっかけは、セトの言葉だからね」
「……セト? なんて言ったんや?」
「……昔、喧嘩けんかで負けたセトに戦い方を教えてやったんだが……」

 
 
——サクラさん! 勝った! おれ勝った!!
——そうか。
——あと、決めゼリフも言ってきた! おれの兄ちゃんは弟のケンカに手ぇ出さねぇ、代わりに俺を強くしてくれたんだ、さいこうにカッコイイだろって!
——それはよかったな?
——うん! 俺、サクラさんが大すきだ! サクラさんが兄ちゃんでうれしい! こんなカッコイイ兄ちゃんいねぇよなっ! さいこー!
 
 
 
「……私以上の兄はいないと言っていたね」
「あぁ、知ってるわ……セトって昔、“サクラさんがさいこー!”みたいな感じやったがの。……ん? おっきくなってもそんな変わらんか……」
「どうだろうね」
「……セトは、いつ帰って来るんやろ……」
「まだ帰って来てほしいのか?」
? うちはずっと帰って来てほしいよ?」
「そうか」
「……もちろん、ありすも。……たぶん、このままやと、みんな捜しに行ってまうわ」
 
 サクラの横目が、ハオロンに合わさった。
 
「連れ戻したところで、もいつか裏切るかも知れないよ?」
「……そのときは、うちがなんとかする。さっきと同じやの。ありすが裏切ったら、そのときも——うちが、とどめを刺すわ」
 
 ひんやりとした廊下の床に、ハオロンの声は細く反響した。
 青白い静寂が、薄闇にさらわれていく。
 
「……でも、」
 
 こぼれ落ちた、かすかな声。
 自分の膝に目を落としたハオロンの顔は、フードに隠れてサクラからは見えない。
 
「でも、そんな日が来たら……みんな傷つくやろうに……ひょっとしたら、うちだけ……ほっとするかも知れん。酷い目にあわされたのに、それを赦せる人間なんて——やっぱりいないんやなって。……うちが異常なんやなくて……無かったことにできんのが、当たり前なんやって……」
 
 言葉じりは薄く響くだけで、その先を拾いあげることはなかった。
 ちらりとサクラを見上げる目が、フードからのぞいた。
 
「裏切ってほしくない気持ちと、裏切ってほしい気持ちが並んでるの、おかしいんやろか?」
「さあね? ただ、人によっては正反対の願いがせめぎ合うこともあるだろう。私は昔からよくあるよ」
「……そぉなんか? うち、これ以外の願望はパキッて感じやけど」
明瞭めいりょうで良いね」
「いいかぁ?」
「何事も判断しやすくて便利だろう?」
「う~ん~?」
 
 悩めるハオロンを置いて、サクラは立ち上がった。
 
「いつまでもこんな所にいないで、私室で休みなさい。眠っていないだろう?」
「ん~ん、うち薬で眠ってたんやって」
「それは失神だな」

 サクラの手が、ハオロンに向けて差し出される。
 支えなどなくても余裕ではあったが、ハオロンはその手に自身の手を重ねて、ぴょんっと跳ね上がった。
 脱げたフードから、夜明け空のように淡い色をした——薄青い光をまとって桜色にも見える——三つ編みが、顔を出した。
 
 いつものハオロン。
 元気いっぱいに笑って、ぴょんっと無駄に跳ねて、
 
「——うち眠くないし、やっぱロキ起こしてこよ!」
 
 それはやめたほうがいいだろうね——えぇ~? なんでやって——あの子は疲れているからだよ——軟弱やの!
 
 サクラの助言と不満を返すハオロンの声は、ゆっくりと廊下を過ぎていく。

 狂騒にられていたハウスは、ようやくしずまろうとしていた。
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