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Chap.3 My Little Mermaid

Chap.3 Sec.7

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 シンプルで小さな丸テーブルに、炭酸水の入ったカップが置かれている。
 にょいんっと床から出てきたイス。先ほどからそこに座る私の向かいで、黒髪短髪の——ジゼルと名乗った——女性も、同じくイスに着席している。
 
「映像から見ても、ウサギちゃんの言ってることに矛盾はないね」

 タブレット端末が映し出した動画は、私が感染者のところに放り出された一部始終を遠目に記録したもの。侵入しようとしたわけではない、そう納得してもらえたのはよかったのだが——まだ問題が。
 
 チッ、と。小さな舌打ちが右上から聞こえた。
 そろりと目を向けてみる。
 
「最初から言ってるだろ。こっちに攻撃の意図はねぇんだよ」
 
 低い声で文句をこぼすセトは拘束が解かれていない。なぜか彼の分のイスは用意してもらえず、立ち続けている。そして、私の身を案じてくれているのか横にぴたりと並んでいて……なんだか保護者付きの面接みたいな……。
 
「——あんたに訊いてない」
 
 めあげる瞳は、ひどく怖い。
 セトとジゼルは知り合いのようだが、どう見ても不仲なようす。ピリピリとした空気は初期のセトとロキを思い出す。いや、もっと悪い。
 
「ウサギに訊いても仕方ねぇだろ。ただでさえ語彙ごいも少ねぇのに……事実確認だけでどんだけ時間かかってんだ。こっちも暇じゃねぇんだ、さっさと解放してくれ」
「無所属なんて早々に嘘ついたあんたの発言を信じられる? ——無理でしょ」
「嘘じゃねぇよ、ハウスは出てる」
「あんたがヴァシリエフ所属なのは、こっちも裏とってる」
「はぁ?」
「あんたが乗ってきた車、昨日までヴァシリエフの敷地にあったでしょ。位置偽装くらいしてからおいで——あ、あんたそういうの無理だった?」
「あの車は俺じゃねぇ……ウサギが乗って来た物だ」
「なんでウサギちゃんがヴァシリエフのとこから来るわけ?」
「ハウスに滞在してんだよ。もともと感染者に襲われてたところを俺が……助けて。記憶がねぇから行き先もねぇし、ハウスで生活してる」
「ヴァシリエフハウスが保護した——つまりあんたもヴァシリエフ所属ってことよね?」
「俺は出たっつってるだろ」
「……あんたいつ出たのよ」
「先月」
「短すぎ。無所属詐欺」
「詐欺じゃねぇ」

 話が速い。全然聞き取れていない。
 それはさておき、駆け抜けていく会話とは別の話し声——ジゼルの背後でも女性3人組がポソポソと話しているのが気になる。
 
「(あれほんとにリーダーの元カレなん?)」
「(知らないの? 有名だったじゃん)」
「(あたし感染後に来たし)」
「(そーだっけ?)」
「(たしかモルガンたちとバンド組んでたよねぇ?)」
「(そーそー、ちなドラマー)」
「(私ボーカル推してた)」
「(わかる、ビジュ最強。でも私モルガンさん推し)」
「(過去動画あるん?)」
「(あとで見せたげる)」
「(てか険悪すぎん?)」
「(元からあんな感じ)」
「(嘘やん、リーダーって恋人の前であれなん?)」
「(や、ジゼルあれでガチはまりしてたから。こういうの格言あるじゃん? 憎さ余って……憎さ百倍?)」
「(憎さしかないやん)」

 神妙な顔で話し合っているので、何か疑われているのかも知れない。
 ハウスのことをセトに訊きたいのだが、そんな話題を出せる雰囲気でもない。
 セトからワードに気をつけろと言われたが、すでにヴァシリエフハウスという固有名詞は出ている。兄弟の名前までは出ていないが……
 
「——こっちもめられてんだぞ!」
 
 油断して聞きのがしていたせいで、急に大きくなったセトの声に心臓が跳ねた。
 固まった顔で意識を手前に戻す。ジゼルの怖い顔と、セトの——鋭い目つき。
 
「そっちの理由なんて知らないわよ。現にこっちは被害あるんだから、何もなしで解放できない」
「だから交渉してんだろ」
「対価が見合わない。ヴァシリエフなら食料の1年分でも出しなさいよ」
「俺はハウスを出てるっつったろ」
「ウサギちゃんに取って来てもらえば?」
「さっき攫われたんだぞ。ひとりでなんて行かせられるか」
「……じゃあ通例どおり下に落ちる? ラグーンでおぼれ死ねば?」
「やれよ、泳いで帰ってやる」
「そのあとで感染者の群れだけどね」
「全滅してってやるから感謝しろ」
「……あんたなら本当にやりそう。迷惑極まりない……」
 
 眉をひそめたジゼルが、鬱陶うっとうしそうに吐息し、
 
「——10人」
「あ?」
「あんたとウサギちゃんが倒した感染者の数。それと迷惑料で20人、追加で滞在料20人……計50人、確保して」
「……は?」
「あんたそんだけ言うんだから戦えるんでしょ? 手が足りてなくて居住区域を制圧しきれてないのよ。端の地区から集めて外側の施設通りに移して。そしたら解放を認めるわ」
「……武器は」
「警棒は返してあげる」
「あれ1本で50やれって言ってんのか? しかも殺さず移す? 今日中に終わるわけねぇだろ」
「今日中なんて言ってない。輸送用のドローンは貸すから拘束して運んで。ここじゃ感染者も貴重な資源なのよ」
「こっちはそんな悠長にしてられねぇ」
「無所属なら暇でしょ?」
「………………」
 
 セトを眺めていたジゼルが、自然な動作でテーブルの下から手を出した。
 そこに握られていたものが——
 
 バキッ。
 重い音とともに、視界がかげる。ジゼルが手にしていた物が小型のハンドガンだと認識したときには、セトの背中が目前にあった。

「——おい、なんのつもりだ」
 
 地をう恐ろしい低声。
 床に落ちたカップは水をき散らし、テーブルは細い一本脚が折れていて——セトが蹴り飛ばした、のか。
 とっさに身を引いたらしく、ジゼルは動揺していない。背後にいた3人が抱えていたアサルトライフル——ゲームでしか見たことがない自動小銃——をセトに向けて構えていた。
 理解した脳が冷たく冷えていく。
 
「……テーブル破壊分も足してほしいの?」
「お前それ、ウサギに向けようとしただろ」
「撃つ気はないわ。反応速度を試しただけ」

 静かな声が、ふっと笑みを鳴らした。
 
「——なるほどね、ウサギちゃんが大事なの。……だったら言うこと聞いて早く行動に出たら? こっちは一切妥協しない。条件はさっきの通り」
「……ウサギはどうなる」
「このコはここで人質」
「拘束は」
「しない。あんたがちゃんと働くなら待遇してあげる」
「……ほんとだな?」
「あたしが嘘ついたことある?」
「あるだろ」
「——ない。……まあ、真偽に関係なく、あんたに道はないけどね」
 
 セトの大きな背で、彼女の顔は見えない。
 ただ、声が、
 
「あんたのウサギを護りたければ、条件を満たして」
 
 優しいような、突き放すような——それとも、試すような。
 複雑な響きは、最初の印象と同じ。
 鋭い短剣を突きつけるように、冷たく張り詰めていた。
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