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Chap.3 My Little Mermaid

Chap.3 Sec.1

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 ひどく長い時間だった。
 人のいない道をひたすら走る車は周囲に溶け込んでいて、目をらさなければ映像と気づけない。
 走る——といっても二人乗りの小さな車にタイヤはなく、車体は宙に浮いている。しかし、高く飛ぶことはできないのか、車は高さのある公道に沿って静かに進んでいた。
 速度は時速150キロを示している。体感では分からない。外の景色もよく見えない暗い車内で、思考だけがぐるぐるとうず巻いている。
 
 外に行ったみんなが捕まった——なぜ?——襲撃を受けないよう常に警戒していたのに——ロキは怪我けがをしている——ほかのみんなは?——ハオロン、アリア、マガリーは?——私は逃げるしかできない——どこへ?

 答えのない思考は巡るだけで、どこにもたどり着かない。
 ハウスの敷地を出たせいかミヅキを呼んでも反応がなく、延々と走り続ける車の行き先も判然としない。止め方も分からない。このまま地の果てまで走り続けるのだろうかと思えたが、正面の暗い空間には目的地らしき場所へのルートが現れている。簡略化された地図と現在地のマークを信じるならば、南下している。
 マガリーを見つけた辺りのセーフハウスに向かっているのだろうか……最初はそう思ったが、目的地はさらに南西らしい。到着予想時間まで、まだずいぶんと時間があった。
 
 闇夜をける小さな車体のなかで、混乱にただ身を震わせてじっと耐えるしかない自分が——嫌だった。

——いざとなったら、真っ先に切り捨てられちゃうでしょ?
 
——あなたに今できることは逃げることです。あなたがいても状況が好転する確率は低いと思われます。
 
 頭に浮かぶ主張はどちらも納得のいくものなのに、現状では矛盾している。
 誰かひとりと引き換えに、私を差し出すことだってできたのに……
 ……それとも、ていよく追い出されたのか——
 
 身体に伝わる、かすかな振動。
 車内には聞いたことのない音楽が流れ始めていた。
 ゆるい旋律せんりつは言葉もなく、オルゴールのような単調な音だけを奏でている。考える頭はぼんやりと侵食されていく。
 時刻は夜をしているが——眠れそうには、ない。

 
 
 §
 
 
 
 車が減速していると気づいたのは、夜が明けるころだった。
 いつのまにか高速道路のような高い位置の道路からは降りていて、ゆるりとした速度で地上を滑っていた。
 漆黒の空がわずかに白み始めたため、周囲の様子が目につく。せた色の大きな建物が並んでいた。もとはカラフルな色をしていたのかも知れないが、時の流れか外が暗いせいかどれも灰色に見える。
 
 開けた広場のような場所までくると、車はゆるやかに止まった。音声案内が何か——
 
(……聞き取れない?)
 
 翻訳機が、反応しない。
 流れた声は訳されることなく通り抜けた。左耳につけていた翻訳機を外して確かめてみるが、見た目に異常はない。ハウスから出たせいかと思ったが、以前の遠征では使えていた。故障だろうか。
 
 どうしようもないので防寒着の内ポケットに入れる。
 完全に停車してしまったらしく、動き出す様子のない車から辺りを見回していると、車のドアが上部へと開いた。開き上がったドアは降りろと指示しているのか、内部で「どあを、しめて」と声かけしてみても反応しない。仕方なく薄明の冷たい空気へと足を出した。
 
 世界は、しんとしている。
 人間なんて見当たらない。丸く開けた広間は孤独を舞い起こし、ひやりと肌の熱を奪った。
 
 ——まるで、世界にひとりきり。
 ハウスでの出来事なんて、すべて夢のよう。
 目覚めたときから、ひとりぼっちのような——
 
 周囲に回していた目が、ふと小さな影を捉えた。
 とっさに警戒して身構えたが、目の合ったそのは感染者ではなく、動物だった。犬、狼、狐——全部が混じったような外見。琥珀こはくの眼を光らせるそれは、立ち上がった大きな三角の耳をピクリと動かし、開いた口を空に向けて遠吠とおぼえをあげた。
 威嚇いかくにしては弱く細いと感じた鳴き声に、しかし念のため車に入ろうとしたが、ドアが閉じないのでは意味がない。どこかへ逃げようかと一番近くの建物に目をつけ、て、
 
 壊れて開かれていたスライドドアから、人影が。
 一瞬だけ警戒するような動きを見せたけれど、それは戸惑いにも見えた。
 
 くすんだ金の髪、しっかりとした肩幅、押してもびくともしない——安定した立ち姿。
 記憶に結びつくそのひとは、ゴーグルのような眼鏡グラスを外して、深い金の眼をさらした。
 
「……セト……?」
 
 ぽつりともれた名前に、茫然ぼうぜんとする。
 呼ばれたあちらも茫然とし、白々とした世界に遮られたかのようにして建物内から動けずにいたが、
 
「——ウサギ?」
 
 懐かしい低音をこぼして、足を踏み出した。
 
「……は? なんだこれ? ……立体投影?」
 
 近づいた彼が、こちらに手を伸ばした。指の先が私の頭に触れかけて存在を認めたのか、手を戻し驚いたように表情を止める。
 
 互いに驚きを浮かべて見つめ合うが、状況はつかめていない。空だけがゆっくりと白んでいく。
 先ほどの動物がするりとした足取りで近寄って来たことで、ようやく思考が正しく動き始めた。
 本物の、セトだ。本人だ。間違いなく。
 
「……どうしてここに——」
 
 尋ねようとしたが、問いかけは、最後まで言えなかった。
 止まっていたセトの表情が揺れたかと思うと、伸びた手によって肩を引き寄せられ——その胸に、抱き止められていた。
 
 あたたかな身体。寒い世界から切り離すようなぬくもりが、ぎゅっと。
 壊れものをいだくみたいにして、強く——けれども慎重に——私を包み込んだ。 

 朝焼けの光が生まれる世界で、音もなく。
 けれども、
 
——会いたかった。
 
 まるで、そう言われたような気がした。
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