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Chap.2 嘘吐きセイレーン

Chap.2 Sec.10

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「メルウィン、これ、うまくやけたかな?」
 
 夕食前の調理室。髪をひとつに束ねたアリスが、ジャガイモたっぷりのタルティフレット——ジャガイモ・チーズ・ベーコン・タマネギの詰まったオーブン焼き——が入った角皿をマシンから取り出した。
 調理室に広がるジャガイモのほっこりとした香りに、メルウィンは「はい、いいと思います」ワゴンへの移動を許可する。
 ロボに任せてもいいんですよ、と。当初は口にしていたが、最近はあまり言わないでいる。
 アリスは遠慮しているわけではなく、ロボを使うという発想がない。頻繁に言うと本人が気にするかと思い、たまに言うくらいに抑えている。
 できあがった食事を収め終えた彼女は、小麦粉の残っていた手に気づき、水場で汚れを流すために移った。メルウィンの向かいで、手許てもとから顔を上げ、
 
「こんやの〈でせーる〉、とてもたのしみだね」
 
 食後の甘味は、小ぶりな焼き菓子。種類多めにたくさん作ったので、きちんと保存すればしばらくはつ。セトがいなくなってから、お菓子づくりの頻度は、がくっと下がっていた。
 
「はい。前のクセでいっぱい作っちゃいました……セトくんがいないから、ぜんぜん減らないのに」
 
 ——うっかり。メルウィンが笑い話で出した名前に、アリスの手が跳ねて、流水を弾いた。
 パッと、水しぶきが彼女に掛かる。
 
「わっ、大丈夫ですか?」
「……はい、だいじょうぶ」

 言葉とは反対に、彼女の服は濡れている。メルウィンの視線を感じて彼女も認めたらしく、
 
「きがえてきます……」
「ぁ、はい。どうぞ」

 調理室から出ていく肩が、しょんぼりと落ちている。ささいなミスだというのに、まるで調理室を水浸しにしてしまったかのような落ち込み具合。
 終わりかけていた食事の用意は彼女を待つことなく片付き、メルウィンは食堂に移動しようかどうか、顔ぶれで決めようと食堂をのぞいた。ぱちりと目が合ったのは、奥の廊下に繋がるドアから入って来たばかりのティアだった。にこりと微笑まれ、引っ込みつかずに食堂へと入る。
 食堂にはハオロン、ロキ、マガリーの三人が先に座っていた。賑やかに話をしていたので、居ることは知っていたのだが……同じ空間に居づらいので、他のメンバーを確認しようと思ったのだ。
 
「や、メル君。今夜のおすすめは何かな?」
「ぇ……っと、タルティフレットかな?」
「じゃ、それにしようっと」

 窓側のラインは3つ席が空いてロキが座っている。ロキ、マガリー、ハオロンの並び。
 ティアと互いに目を合わせて、
 
(ロキ君の横、僕はやだよ?)
(ぇ……僕もむりだよ……いつもの端じゃだめ?)
(そうしたらアリスちゃんがロキ君の横に来ない?)
(来るかも……)
(……ま、それはいいのかな?)
 
 アイコンタクトで密談し、並んで端に座った。近ごろ座席の並びが難しい。セトがいなくなり、マガリーが加入したのもあって、左右のバランスがとれていない。誰も気にしていないのだろうけれど……すこしだけ、気になる。
 
 がらんとした向かい側を気にするメルウィンがイスに着いた瞬間、マガリーの方を向いて話していたロキが振り返った。
 
「——なァ、ウサギは?」
「……ぇ……ぁ、アリスさんなら、いま来ると思うよ?」

 ロキの目が、調理室へのドアに向く。
 調理室には居ないことを伝えようとしたが、同時に、真逆にある食堂のドアが開いてイシャンとアリスの姿が目に入った。
 
(ぁ、あっちから来たんだ)
 
 マガリーと喋るハオロンの声が大きすぎるせいか、反対から来るアリスの存在に、ロキは気づいていない。
 メルウィンが言おうとしたところ、あいだに居たティアが、ロキへと顔を向けて、
 
「——ね、ロキ君ってマガリーちゃんのこと、けっこう好きでしょ」
「は? いきなり何」
「急に優しくなったから。ロキ君は好きな子に優しいんでしょ? セト君が言ってたよ?」
「可愛いコにはみんな優しくするじゃん?」
「(ルッキズムの塊……) ということは? マガリーちゃんは、すごく可愛い?」
「ずっとニコニコしてて可愛いじゃん。顔も美人でスタイルもい~し? 服もセンスいい……ってか、アンタがこんなこと訊いてくンの珍しくね? なんで?」
「——うん、ロキ君は察しがいいね」
 
 メルウィンからは見えなかったが、おそらくティアは、そこで視線をロキから外して彼の背後へと。
 視線を追ったロキが自分の背後に首を回し、隣にやって来ていたアリスに、
 
「………………」
 
 気づいて、一瞬だけ固まった。
 かと思ったら、

「——いや、今のはそォゆうんじゃなくて事実を述べただけでオレがってワケじゃなくてマジ言ってみただけってゆうかオレはウサちゃんが可愛いと思ってるしウサちゃんも笑えばめちゃくちゃ可愛いしずっと笑っててくれりゃ文句ないんだけど笑ってくんないからあっちを褒めたように聞こえるだけでつまり一般論であってオレの意見かどうかは別問題——」
「? ……まがりーが、かわいい。わたしもおもう。ロキといっしょ」
 
 怒濤どとうのごとく流れた言い訳を、きょとんとした目で聞いていたアリスが席についた。
 翻訳機からも、ものすごい勢いで言葉が発せられたのだと思う。理解しきれずとっさに会話を返すとき、彼女は片言になる。そして今の彼女はたぶんお腹が空いている。ロボのオーダーを待つ横顔には(何を食べようかな)と書いてあり、ロキへの返しが適当だったのは怒っているわけじゃない。
 あっさりした彼女に、かえってロキが衝撃を受けていた。
 そんなロキを横目に、ティアが「ちっとも嫉妬してないね」ふふふと密かに笑みをこぼす。
 
「……ティアくん……」
「僕、最近ストレスだらけなんだ。これくらいの嫌がらせだったら許されない?」
「(嫌がらせって言っちゃった……) ストレスなの?」
「……うん。セト君が居てくれたらよかったのに。そしたら心置きなくストレス発散できるんだけど……」

 ささやき声で交わされる会話のあいまに、向かいラインがそろった。
 今夜の夕食も、(ティアの嫌がらせはあったけれども、)何事もなく——

 
「——デセール、ご一緒してもいい?」
「ぇ……」
 
 夕食後の甘味の時間に、メルウィンはマガリーから尋ねられ、思考が真っ白に染まった。
 ロキが「やることあるから」と言って私室に戻ると、ハオロンは「久しぶりにデセール一緒に食べよっさ」立ち上がってメルウィンの向かい側に移動した。
 最近ハオロンはゲーム休憩のときに食べるため、一緒にデセールを取る機会がなかったのだが……
 ハオロンに合わせてマガリーも移動し、ティアの向かいに座ってもよいかと問いかけた。ティアは愛想よく笑って、「どうぞ」
 ティア側の身体半分に寒気を覚え、冷や汗が。ドキドキと不安に押される。緊張する手で珈琲を口へと運んだ。ティアのように意図的ではないにしろ、メルウィンもマガリーとまともに交流していない。自分が関わらなくても、他の誰かのほうが上手く付き合ってくれるだろう——そう思っている。
 
「これってなんやっけ? フィナンシェ?」

 ハオロンが、小さな焼き菓子をパクリと口に入れる。メルウィンは「貝がらのほうはマドレーヌだよ」声量ひかえめに答えた。
 横で口にしていたマガリーは、ふと手を止めて、
  
「母の味みたい——」
 
 ぽつりと、瞳を下げてつぶやいた。
 止まった食卓の空気に、マガリーは目を上げてごまかすように照れ笑いする。
 
「こんなに美味しくはなかったけど……すこし似てる気がしたの」

 瞳はメルウィンに向いている。戸惑いから何も言えずにいると、マガリーは気を悪くしたふうもなく、思い出をたどるように柔らかく微笑んで、
 
「手作りって、どれも温かい味がするのね」
 
 そっと、優しい声でささやいた。
 普段の明るい感じではなく、どこか不安を抱えているようなさびしげな声で。
 ——メルウィンの胸に、ちくりとガラスの破片が刺さるような痛みが走る。
 
(ぁ……僕、また同じことを……)
 
 アリスのときに、もっと早く真摯しんしに向きあっていればよかったと——後悔したばかりなのに。
 何も変われていない——。
 
「……あの、」
 
 メルウィンの呼びかけは、ハオロンが「メルウィンの手作りはなんでも美味しいわ」嬉しそうに話す声でかき消えた。
 でも、マガリーはそれを拾ったようで、瞳をメルウィンのものに重ねる。親しみのこもった水色の眼が、反応を待っている。
 
「……そう言ってもらえて、とても……うれしいです。ありがとうございます」

 メルウィンが応えると、その瞳は喜びに細まった。淋しさが消えて、安心したような色を帯び、
 
「——こちらこそ、いつも美味しい食事をありがとう」
 
 温かな感謝を唱える唇に、メルウィンも笑い返す。
 
(僕も、成長しないと)
 
 いろんなことを吸収して成長していくアリスと、共に成長したい。
 そう望んだ日の想いを胸に、もう一度ひらめかせて、強く自分へと言い聞かせる。
 
(——交流も、がんばってみよう)
 
 前向きに自身を鼓舞こぶするメルウィンの横で、ティアが薄く微笑んでいる。すみれ色の眼は、食堂を満たす偽りの蝋燭ろうそくの火を映して、静かに光った。
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