20 / 101
Chap.2 嘘吐きセイレーン
Chap.2 Sec.7
しおりを挟む
暖炉の火に照らされたマガリーの顔が、ピタリと固まった。
サクラが案内した中央棟の〈暖炉の間〉。応接スペースの長ソファに座ったサクラの横に、マガリーも並んで座っていた。サクラが勧めたわけではなかったが、真っ先にサクラが座ったものだから、当たり前のように腰を下ろしていた。向かい合って座るという選択肢は彼女にない。
サクラを見つめる水色の眼は、熱を失っている。
わずかに横を向いたサクラの顔も、熱のない人形のような表情だった。
「……聞こえなかったか?」
深い青の眼にさらされて、染まるようにマガリーの顔から血の気が引いていく。ごまかしの効かないほど動揺が表れた顔に、サクラは再度、
「声が出せるだろう? デバイスを通す時間が煩わしいから、その口で話してもらえないか?」
同じセリフに、マガリーが首を振った。声が出ない、話せない。サクラは自分を試しているのだろうと判断し、涙を浮かべて訴えてみるが、サクラの表情に変化はない。
「——人の発声の仕組みを知らないか? その話し方は声が出ない人間ではなく、声を出さないようにしている人間の話し方だ。無駄な偽りは、いずれ目敏い者に見抜かれて信用を失うが、それでも構わないか?」
「………………」
「失声症を演じたいのであれば、薬くらい使うべきだろう? ホールのやり取りだけで気づいたのは、私のみではないよ?」
マガリーは青ざめた顔のまま、一言も話さない。しらを切るつもりなのではなく、単に動転していた。
サクラの言葉は、追い込むように淡々と掛けられていく。
「声が出ないことで、同情を買うつもりだったか?」
ふっと微笑をこぼす顔は、優しいのに——見る者が怖気立つような恐ろしさを孕んでいる。会話と噛み合わない唇に、マガリーは動けずにいた。
「たとえ声が出ないとしても、私は同情しないが……すでに、思い違いをして案じている者もいる。演技をやめて自らの口で他の者にも伝えるなら、滞在を認めよう。偽りを続けるなら他の者にもこの事実を伝える。——さて、どうする?」
薄く曲げられた口唇に、マガリーの痺れたように機能を停止していた脳が、ピリッと危機感を覚えた。
サクラへ触れようと出しかけた手は、行き場をなくして膝へと戻る。これ以上の演技は無意味だった。
「……ごめんなさい。自分の声が嫌いで……話したくなかったの」
バラ色の唇は、ソプラノの綺麗な音を鳴らした。言葉じりが震えたのは緊張からだろう。
サクラの微笑は完全な作りもので、あまりにも空々しい。向き合う者を誘うようでいて突き放す——そんな冷たい目つきだった。青い眼はマガリーを細く捉えたまま、
「私に言い訳は要らない。他の者には説明がいるかも知れないが……今後、気をつけるといい。ここには嘘に敏感な者がいるからね?」
マガリーの頭には、エントランスホールで出会った者のうち、候補がふたり浮かんでいた。先天性白皮症の青年と、ダークブロンドのストレートボブに近い髪の青年。あとひとりの癖の強い髪質の青年は戸惑っていただけ。こちらを眺めていた二人の青年のうち、どちらのことを言っているのだろうかと考える。
「……みなさんに正直に話したら、ここに置いてくれるの?」
「そう言っただろう?」
嘘をついていた者の加入をあっさりと認めるサクラに、マガリーの肩の力が抜けていく。触れるのを諦めた手を、今度はためらいなく彼の膝に伸ばそうと——したが、サクラが立ち上がったため、触れることは叶わなかった。
「ちょうど仲間が欠けたところだ……淋しがっている者もいるだろう。揉め事を起こさないうちは、滞在してくれて構わないよ」
マガリーの見上げた先、青い眼はもう彼女を見ていない。興味をなくしたように表情も消えている。
サクラの執着のない態度に、マガリーは小さな敗北感を覚えていた。恥ずかしさから目をそらされるのではなく、純粋に興味なく視界から外されるのは——初めてのことだった。
「——ただ、」
ふいに、広すぎる空間に響いた青年の声が、鋭く空気を割いた。
「私の家族に害を為すなら、容赦はしない。覚えておきなさい」
見下ろす瞳は、突き刺すようにマガリーを捕らえた。睨んだのではなく、無表情に見返しただけ。
それなのに、真っ暗な瞳の奥底に見透かされるような恐怖が走っていた。
「害だなんて……」
とっさに口を開いたが、かえって白々しく響く気がして、言葉を切る。マガリーは震える肩に力を入れると、困ったように悲しみの顔だけ作ってみせ、
「……よろしく、お願いします」
しとやかに挨拶の言葉を口にした。
(あぁ、彼は無理ね)
諦めの吐息は、そっと暖炉の明かりに溶けていき、見つめる瞳だけが残っていた。
サクラが案内した中央棟の〈暖炉の間〉。応接スペースの長ソファに座ったサクラの横に、マガリーも並んで座っていた。サクラが勧めたわけではなかったが、真っ先にサクラが座ったものだから、当たり前のように腰を下ろしていた。向かい合って座るという選択肢は彼女にない。
サクラを見つめる水色の眼は、熱を失っている。
わずかに横を向いたサクラの顔も、熱のない人形のような表情だった。
「……聞こえなかったか?」
深い青の眼にさらされて、染まるようにマガリーの顔から血の気が引いていく。ごまかしの効かないほど動揺が表れた顔に、サクラは再度、
「声が出せるだろう? デバイスを通す時間が煩わしいから、その口で話してもらえないか?」
同じセリフに、マガリーが首を振った。声が出ない、話せない。サクラは自分を試しているのだろうと判断し、涙を浮かべて訴えてみるが、サクラの表情に変化はない。
「——人の発声の仕組みを知らないか? その話し方は声が出ない人間ではなく、声を出さないようにしている人間の話し方だ。無駄な偽りは、いずれ目敏い者に見抜かれて信用を失うが、それでも構わないか?」
「………………」
「失声症を演じたいのであれば、薬くらい使うべきだろう? ホールのやり取りだけで気づいたのは、私のみではないよ?」
マガリーは青ざめた顔のまま、一言も話さない。しらを切るつもりなのではなく、単に動転していた。
サクラの言葉は、追い込むように淡々と掛けられていく。
「声が出ないことで、同情を買うつもりだったか?」
ふっと微笑をこぼす顔は、優しいのに——見る者が怖気立つような恐ろしさを孕んでいる。会話と噛み合わない唇に、マガリーは動けずにいた。
「たとえ声が出ないとしても、私は同情しないが……すでに、思い違いをして案じている者もいる。演技をやめて自らの口で他の者にも伝えるなら、滞在を認めよう。偽りを続けるなら他の者にもこの事実を伝える。——さて、どうする?」
薄く曲げられた口唇に、マガリーの痺れたように機能を停止していた脳が、ピリッと危機感を覚えた。
サクラへ触れようと出しかけた手は、行き場をなくして膝へと戻る。これ以上の演技は無意味だった。
「……ごめんなさい。自分の声が嫌いで……話したくなかったの」
バラ色の唇は、ソプラノの綺麗な音を鳴らした。言葉じりが震えたのは緊張からだろう。
サクラの微笑は完全な作りもので、あまりにも空々しい。向き合う者を誘うようでいて突き放す——そんな冷たい目つきだった。青い眼はマガリーを細く捉えたまま、
「私に言い訳は要らない。他の者には説明がいるかも知れないが……今後、気をつけるといい。ここには嘘に敏感な者がいるからね?」
マガリーの頭には、エントランスホールで出会った者のうち、候補がふたり浮かんでいた。先天性白皮症の青年と、ダークブロンドのストレートボブに近い髪の青年。あとひとりの癖の強い髪質の青年は戸惑っていただけ。こちらを眺めていた二人の青年のうち、どちらのことを言っているのだろうかと考える。
「……みなさんに正直に話したら、ここに置いてくれるの?」
「そう言っただろう?」
嘘をついていた者の加入をあっさりと認めるサクラに、マガリーの肩の力が抜けていく。触れるのを諦めた手を、今度はためらいなく彼の膝に伸ばそうと——したが、サクラが立ち上がったため、触れることは叶わなかった。
「ちょうど仲間が欠けたところだ……淋しがっている者もいるだろう。揉め事を起こさないうちは、滞在してくれて構わないよ」
マガリーの見上げた先、青い眼はもう彼女を見ていない。興味をなくしたように表情も消えている。
サクラの執着のない態度に、マガリーは小さな敗北感を覚えていた。恥ずかしさから目をそらされるのではなく、純粋に興味なく視界から外されるのは——初めてのことだった。
「——ただ、」
ふいに、広すぎる空間に響いた青年の声が、鋭く空気を割いた。
「私の家族に害を為すなら、容赦はしない。覚えておきなさい」
見下ろす瞳は、突き刺すようにマガリーを捕らえた。睨んだのではなく、無表情に見返しただけ。
それなのに、真っ暗な瞳の奥底に見透かされるような恐怖が走っていた。
「害だなんて……」
とっさに口を開いたが、かえって白々しく響く気がして、言葉を切る。マガリーは震える肩に力を入れると、困ったように悲しみの顔だけ作ってみせ、
「……よろしく、お願いします」
しとやかに挨拶の言葉を口にした。
(あぁ、彼は無理ね)
諦めの吐息は、そっと暖炉の明かりに溶けていき、見つめる瞳だけが残っていた。
63
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
致死量の愛と泡沫に+
藤香いつき
キャラ文芸
近未来の終末世界。
世間から隔離された森の城館で、ひっそりと暮らす8人の青年たち。
記憶のない“あなた”は彼らに拾われ、共に暮らしていたが——外の世界に攫われたり、囚われたりしながらも、再び城で平穏な日々を取り戻したところ。
泡沫(うたかた)の物語を終えたあとの、日常のお話を中心に。
※致死量シリーズ
【致死量の愛と泡沫に】その後のエピソード。
表紙はJohn William Waterhous【The Siren】より。
『 ゆりかご 』
設樂理沙
ライト文芸
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
妻と愛人と家族
春秋花壇
現代文学
4 愛は辛抱強く,親切です。愛は嫉妬しません。愛は自慢せず,思い上がらず, 5 下品な振る舞いをせず,自分のことばかり考えず,いら立ちません。愛は傷つけられても根に持ちません。 6 愛は不正を喜ばないで,真実を喜びます。 7 愛は全てのことに耐え,全てのことを信じ,全てのことを希望し,全てのことを忍耐します。
8 愛は決して絶えません。
コリント第一13章4~8節
イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?
すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。
病院で診てくれた医師は幼馴染みだった!
「こんなにかわいくなって・・・。」
10年ぶりに再会した私たち。
お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。
かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」
幼馴染『千秋』。
通称『ちーちゃん』。
きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。
千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」
自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。
ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」
かざねは悩む。
かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?)
※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。
想像の中だけでお楽しみください。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。
すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる