上 下
12 / 101
Chap.1 白銀にゆらめく砂の城

Chap.1 Sec.9

しおりを挟む
 ——その夜に、セトは中央棟を訪れていた。
 例のステンドグラスを模したディスプレイはドアとなって滑り開き、細い通路を進んだ先の〈暖炉の間〉の応接スペースは、燃えさかる火の赤い光によって色をくすませていた。本来ならばロイヤルブルーの布地に金の装飾。
 暖炉の前に置かれた長ソファで、サクラは座って本を手にしている。いつもの眼鏡グラス。〈いつもの〉と表現するには久方ぶりだった。

 近寄るセトに、サクラの目が上がる。グラスを外して、本と共に目の前のローテーブルへと置いた。その顔は耽美主義の絵画にえがかれる青年のようで、感情が読めない。見る者の主観にゆだねられる。
 森の静寂みたいな、感情の起伏きふくがない顔。人形めいたこの顔が、昔のつねだった。
 
「——これ」
 
 腰をかがめて、手首に巻いていたブレス端末をローテーブルに載せた。
 
「ハウスのは返す。仮のデバイスはロキにもらった」

 左手の甲をサクラに向ける。中指につけたリングが、炎を灯して赤く光った。
 サクラの眼は暗い色をしてそれを眺めている。何も言わない顔を見下ろしていると、脳をチリチリとあぶられるようないら立ちが——。
 
「——セト、お前はを置いて行くのか?」
 
 〈あれ〉。いまだに代名詞で呼んでいた事実が、くすぶっていた苛立ちに火をけた。
 
「あ?」
「ジャッカルは連れて行くのだろう? も、お前が拾ったものだろうに——置いて行くのか?」
「俺が決めることじゃねぇだろ。だいたい俺に所有権がねぇっつったのはあんたじゃねぇか」
「所有権はないだろうね。過去の法にしても、ここの規則にしても」
 
 目を合わせたサクラは、炎に染まる瞳を揺らすことなく、
 
「残していくものは、害になれば殺処分にしてもよい——と言っていたな。も、お前にとってはもう要らないか?」
 
 ——手を、
 その胸ぐらへと、出しそうになった。
 
「……いい加減にしろよ」
 
 掴み上げて、なぐり飛ばすイメージまでも浮かんでいた。
 思いとどまったのは、これまでにセトを作り上げてきた環境が、暴力を許すものではなかったからにすぎない。
 意思は、暴力を振るうことを望んでいる。感情を発散するためだけに、殴り飛ばしてしまいたい。
 
 怒りを抑え込みながらも恐ろしい目つきで見下ろすセトに、サクラは微笑みを返した。
 
が、なぜ自白剤を飲んだのか、教えてやろうか?」
「……は?」

 唐突に切り替わった話題が、セトの眉間に深い溝を刻んだ。
 いきなりなんの話か。ワードからすぐに理解する。自白剤。ティアの飲んだ紅茶に、ウサギが毒を入れたと疑ったサクラが——
 
「あれは、私が無理に飲ませたわけではなくてね……最後は自分の意思で飲んだのだが、そこまで話していなかっただろう?」
「今さらなんの言い訳だ? ウサギの意思も何も、あんたが脅して飲ませたんだろ。そんなもんは意思とは呼ばねぇ」
「そうか? ——なら、その目で見てみるといい」
 
 宙に出されたサクラの白い手が、ひらりと指先を揺らした。
 空間が白くゆらめく。耳に届いたかすかなホワイトノイズが立体投影による動画をしらせたため、突如として目の前に出現したウサギに驚くことはなかった。
 
《……サクラさん。私がグラスを飲めば、セトをゆるしてくれるんですよね……?》
 
 テーブルに向かって座っているウサギは、意味の分からない言語を唱えた。聞き取れたのは自分の名前だけ。
 サクラは音声のみだが、そのサクラに向けて彼女は懸命に喋っている。くり返されるセトの名と、交わされる言葉の空気から、
 
(俺を……護ろうとしてる?)
 
 最後は奪うように。自白剤が入っていると思われる小瓶を取って、一気にあおった。
 床に倒れ込むところで動画は掻き消えたが……残像の奥から、こちらを眺めるサクラの目とかち合う。薄い笑みを浮かべる唇が動いた。

がここに残った理由は、お前を盾に私が脅したからだ。それは知らせたはすだが——忘れたか?」
「……それは、逃亡のあとの話だろ。あいつは、俺に命を救われて恩を感じてたから……」
「——私は、最後までを脅していた。脅しについても、お前が勝手に思っている内容ではないだろうな」
 
 薄ら寒い笑みの上で、暗い眼が、じっ……と。
 紡がれる真実は、惑わすように。
 
「——私は、“セトに罰を与えない代わりに、毒を飲め”と言っていた。ここに残ることが条件ではなく、臨床試験に付き合うことが正確な条件だった。その時点では致死量に満たない量だったが、銃撃を受けたお前の治療を願い出て……最終的に、お前の命と引き換えに一瓶ひとびんすべてを飲み干した。——これは致死性の毒だと、私が伝えていたのにもかかわらずな」

 頭を殴られたような衝撃と、胸を締め付ける痛みは、同時だった。
 身体に走った戦慄せんりつは、冷えた血が流れるような感覚に変わる。
 
 何を言っているのか。
 このひとは、何をやっていたのか。
 
 サクラの言葉をに受けるなら、あのとき、ウサギがずっと庇っていたものは——
 
「お前を命懸けで護ったを、お前は——私の許へ置いて行くのだね?」
 
 確認するように問うその声は、ひどく静かだ。
 責める意もさげすむ意もない。
 ただ冷淡に、その事実を突きつける。
 
——私と一緒に、逃げて。
 
 頭のなか、波のさざめきのように響く彼女の声が、どうしても消えない。
 
「俺は……ウサギの意思を尊重する。もう二度と自分勝手に振り回さない。……ウサギがここを望んでるなら、無理やりさらいもしない。……なのに、なんであんたは俺をあおるんだ? 俺に恨みでもあんのか」
という言葉が出るのなら、お前のほうにその自覚があるのだろう?」
「なに言って……」
「——では、こう訊こうか」
 
 くすりと鳴った呼気を終わりにして、サクラの微笑は冷ややかに変貌へんぼうした。
 
の父は——誰だ?」

 問いかける顔は、温もりを忘れ去った表情でセトを眺めた。
 答えられないセトの横顔を、赤い光がゆらりとめる。
 
(——知っていたのか)
 
 やはり、と思うだけで、セトは何も返せなかった。
 ただ、サクラのその問いは、セトの胸にかすかに残っていた躊躇ちゅうちょさらう。

 ここに残る理由など、初めからなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

致死量の愛と泡沫に+

藤香いつき
キャラ文芸
近未来の終末世界。 世間から隔離された森の城館で、ひっそりと暮らす8人の青年たち。 記憶のない“あなた”は彼らに拾われ、共に暮らしていたが——外の世界に攫われたり、囚われたりしながらも、再び城で平穏な日々を取り戻したところ。 泡沫(うたかた)の物語を終えたあとの、日常のお話を中心に。 ※致死量シリーズ 【致死量の愛と泡沫に】その後のエピソード。 表紙はJohn William Waterhous【The Siren】より。

『 ゆりかご 』 

設樂理沙
ライト文芸
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

妻と愛人と家族

春秋花壇
現代文学
4 愛は辛抱強く,親切です。愛は嫉妬しません。愛は自慢せず,思い上がらず, 5 下品な振る舞いをせず,自分のことばかり考えず,いら立ちません。愛は傷つけられても根に持ちません。 6 愛は不正を喜ばないで,真実を喜びます。 7 愛は全てのことに耐え,全てのことを信じ,全てのことを希望し,全てのことを忍耐します。 8 愛は決して絶えません。 コリント第一13章4~8節

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

俺がカノジョに寝取られた理由

下城米雪
ライト文芸
その夜、知らない男の上に半裸で跨る幼馴染の姿を見た俺は…… ※完結。予約投稿済。最終話は6月27日公開

処理中です...