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Chap.1 白銀にゆらめく砂の城

Chap.1 Sec.4

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 食堂で、ハウスの住人そろって夕食をとる。
 彼女の一日は、こうして終わりに向かう。
 
 ときおり(……いや、毎日?) ハオロンによって、
 
「ありす! 今夜はサムライになって攘夷ジョーイに燃えよっさ!」
「ごめんなさい。こんやは、はやくねむるので……〈げーむ〉は、なし」
「えぇ~っ!」
 
 ゲームの誘いがある。今夜は断ったのでハオロンの気持ちはよそに向かったが、セトにもすげなく断られていた。
 肩を落とすハオロンはロキの横で、
 
「うちとロキだけで異人を倒さんとあかんわ……まぁ、うちらなら余裕やがの。日のもとの民を護ってみせよか!」
「ヤだ、サムライ興味ねェし。ってかオレも今夜は無理」
「えぇっ? なんでやって!」
「情報収集しろって、セトから」
「それは日中すればいいがぁ~!」
「日中もしてたし」
「ほやったら朝!」
「オレいつ眠るわけ?」

 食後、私室までのエレベータ内で騒いでいる二人の声を背にして、4階の廊下に踏み出した。
 おやすみを告げて彼らと別れる。ハオロンは3階に私室があるのだが、さも4階の住人であるかのように降りてロキにまとわりついていた。
 
 彼女の私室はハウスの東側、ロキの私室は中央棟を挟んで西側。南東のエレベータに乗って上がってきたので、彼らは南の廊下を回って戻らなくてはいけない。
 南に面して並ぶ大きな窓。そこから見える景色はとても広々として美しいのだが……きっと二人ともまったく見ないのだろうな、と思いながら自分の部屋へと戻った。
 
 ゲームを断った本当の理由は、別にある。
 
 私室に併設されたバスルームに移って、バスタブに湯を張ることなく、ガラス張りのスペースでシャワーを浴びた。温かな湿気がこもるシャワールームのなか、ふわふわの泡で肌をなで、
 ——手首が、震えた。
 着信を告げるブレス端末に声をかけると、通話に切り替わった。
 
《——話ってなんだ?》
 
 低い声が、目前で話すかのようにクリアに響いた。
 鋭い金の眼が思い浮かび、裸をさらしている錯覚にとらわれる。
 身体に走る緊張を振り払って、なるべく明るい声を心がけた。
 
「〈とれーにんぐ〉のことで、セトに〈そうだん〉が……」
《トレーニング?》
「〈のるま〉になってる……〈しゃげき〉や、〈ごしんじゅつ〉の、〈とれーにんぐ〉。わたしも、していいか……ききたくて」
《………………》
「……だめ?」
《いや、駄目じゃねぇけど》
「けど?」
《お前、怪我しねぇか? まずは体力づくりのプログラムをある程度こなしたほうが……お前の筋力、平均より低いだろ?》
「……はい」
《簡単な護身術なら今のままで問題ねぇよ。けど射撃は思ってるより筋力が要るから。メルウィンやティアも、ああ見えてお前よりは力あるからな?》
 
 それはそうだろう。の筋力が弱いのは今さらで、これでも強くなったほうである。
 
《まあ……護身術の初歩は受けられるようにしとくか》
「ありがとう」
《——いや、》
「……?」
《……駄目だ。やっぱり取り消す》
「(え)」
 
 心の声は口に出なかったが、身体を洗う手は止まっていた。泡にまみれた身体で困惑する。
 ——どうして?
 問う前に、セトが言葉をつなげた。
 
《独りでやるのはやめろ。俺が付き合えるときにしてくれ》
「……セトがいたら、いい?」
《ああ》
「……ロキは?」
《ロキは駄目だ。感覚バグってる。あと……お前もそろそろ分かってるだろうけど、あいつ教えるの下手だろ?》
「……はい」
 
 深く頷いた。見えていないのに、しっかりと。
 日頃からロキの世話になっておいてなんだが、彼は教え上手ではない。最初の頃、ゲームの説明をもらったときからうっすらと気づいていた。学習における基本のレベルが違うように思う。
 なぜ分からないのか、それが分からない。そんな顔をよくされる。
 プログラミングもロキから教わっているようで教わっていない。ロキの説明は未知の言語として流れていて、AIミヅキによる解説によってようやく(一部を)理解するスタイル。
 
《——ロキは、昔から数式が降りてくるっつってたからな。もともと言語化が好きじゃねぇんだよ。丸暗記の説明は得意だけど……それで俺らが理解できねぇと、なんで? ってなる》
「……なんで、は、よくいわれる」
《だろ? 教わるならティアか……いや、あいつは言語だけか。他は素直に学習プログラム組むのがいいんじゃねぇか? ミヅキに言えばすぐだろ》
「……そうしてみます」
《ん》
「…………あの、」
《ん?》
「〈ごしんじゅつ〉……セトと、いっしょに……ほんとに、いい?」
《いいっつったろ?》
「でも……」

 でも、それなら、なぜ今夜は断られたのだろう。

 トレーニングについて訊くため、メッセージではなく(メッセージや通話だとなんとなく禁止される気がしたので)直接の交渉を図ろうとしていたのだが、先んじて断られていた。
 食後に私室で、と送ったメッセージの返信は、
《直接の必要あるか? 通話は無理か?》
 暗に面会を拒絶していた。
 
「……セトが、いそがしかったら……〈ごしんじゅつ〉は、むりにしなくてもいいです。きにしないで」
《別に忙しくねぇよ。今はロキのが忙しいだろ》
「そう……かも?」
《……俺が嫌なら、フィジカルトレーニングのノルマ出しとくから。護身術の前にそっちやってからな——》
「ちがう!」

 食いぎみに返した否定に、セトが驚いたような気配がした。クリアすぎる音声は、息を呑んだ音と動作の止まる空気を伝えた。
 跳ね上がった自分の声量にハッとして、そろそろと沈黙をやぶる。
 
「セトがいや、なんて……おもってない」
《……そうか》
「ほんとに、おもってない」
《分かった》
「ほんとうに」
《お、おぉ……?》

 ちょっと戸惑うようす。セトは目つきが悪いので普段は自然と緊張してしまうが……今は音声だけで怖くない。
 怖くはない。でも、顔が見えない会話はどこか不安だ。気持ちを見落としてしまいそうで心許こころもとない。立体投影にすればよかっただろうか……

「……セト」
《ん?》
「おもいきって、ききますが、」
《(なんだその前置き……) おう》
「セトのほうが、わたしと〈ふたりきり〉を、いやだと……おもってる?」
《——は?》
「……おもってる?」
《思ってねぇけど》
「……しょうじきに」
《正直に。思ってねぇ》
「………………」
《……おい、疑ってねぇか》
「……すこし」
《なんでだよ》
 
 り上がる目が見えた気がした。その目は怖くなくて、ハオロンに向けるみたいな呆れの見える瞳。実際がどうかは分からない。
 
「……セトは、こんやだけ、いそがしい?」
《いや? 別に》
「……いそがしくない?」
《まあ……海上都市のデータ見るくらいはするけど……あとは普通に寝るだけだな。ゲームしてねぇし》
「………………」
《なんで黙るんだよ?》

 この流れで、面会拒絶の理由を訊いていいだろうか。
 やめたほうがいいだろうか。もしかしたら私を避けたのではなく、早く眠りたいだけかも。
 
《——つぅか。ウサギ、お前今どこにいるんだ?》
「? ……じぶんのへやに、いるよ?」
《そうなのか? なんか音が変だな?》

 指摘されて思いだした。セトはとても耳が良い。
 ゆるゆると身体を洗っていた手を止めて、
 
「〈しゃわーるーむ〉にいるので……たぶん、おとが、ひびいてる?」
《……シャワー浴びてんのか?》
「はい」
《………………》
「?」
《お前、そういうの——》
 
 なにか、ぽそりと非難めいたささやきが。
 
《——いや、なんでもねぇ》
 
 音に成らなかったが確かに言いかけたその言葉を境に、セトの声はそっけなくなった。
 
《もういいよな? 切るぞ》
「………………」
《ウサギ?》
「……つぎは、」

 切ってしまってもよかった。
 以前なら、(なにか怒らせたのかも)と察して身をひいていた。
 火に油をそそがないよう、余計に怒らせないよう、注意を払っていたと思う。
 ……でも、
 
——怒ってねぇよ。
 
 口癖みたいにして何度も口にする彼は、怒っているように見えるとき、本当はまったく違う気持ちでいるのかも知れない——と、最近は、思えなくも、ない。
 ……だから。
 もしかしたら、怒ってない——の可能性を考慮して、ささやかな要望を。
 
「つぎは……〈かお〉をみて、はなしたい」

 ゆらいだ空気は、戸惑いの音。
 表情は見えない。迷惑と思ったかも。
 ——ただ、怖い目つきに惑わされることもないので、
 
「……もし、よければ」
 
 そっと付け加えて、反応を待った。

 いつも、壊れ物を扱うみたいに気をつけられているのを感じる。
 それが罪の意識なのだとしたら、私が「気にしないで」と言ったところで意味を成さないのだろう。
 私がここにいる以上、ずっと彼を悩ませることになるのか……。
 
《——シャワー、いつ終わる?》

 ふわりと、低い声が素肌に触れた。
 やわらかな音に一瞬気を取られて、質問されたと気づけなかった。

《……聞いてるか?》
「しゃわー? が……おわる?」
《ああ。5分くらいで出るか?》
「は……い、……いえ、〈かみ〉をかわかすので、たぶん20ぷんくらい……?」
《なら、それくらいにそっち行く》
『え』
 
 母国語で感嘆詞がもれる。ぽかんとシャワールームの鏡を見つめて、まぬけな顔をしている黒髪の女性と目が合う。いや、これは私なのだが。いまだに違和感。
 
 ——などと考えている場合ではなく。
 次回予告で希望したはずが、なぜか急展開に。
 
「……セト」
《なんだ?》
「はなしたかったことは……もう、おわってしまった、のですが」
《知ってる》
「……セトは、なにかある?」
《俺もとくにねぇな。だからまぁ……すぐ帰る。お前も今夜は早く休むんだろ?》
「……はい」
 
 肯定したが、とっさに訊かれたせいでわずかに言葉に詰まった。だとばれなかっただろうか……
 
 ところで——なぜ、今?
 言いづらすぎて言えなかったが、疑問が声に表れていたのか、セトが答えをくれた。
 
《おやすみくらいは、直接言う》
 
 ——逆では?
 おやすみこそメッセージでよくて、話し合いこそ顔が見えたほうが……なによりその一言のためにわざわざ来るのも……
 
「……はい、まってます」

 ぽこぽこと生まれる疑問は胸のなか。
 何も口に出せないまま、鏡に映る泡まみれの自分に向けて唱えるように応えていた。
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