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Birthday Story 花火消えたるあとの
Into the Flame 3
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キャラメルなんて、この歳で食べる機会がない。
消費してしまおうと開封したけど十粒はある。この短時間で食べきれる数だろうか。とりあえず一粒、あっちにあげた。
「甘っ」
「キャラメルってそういうものですから」
「お姉さんは? スキなの?」
「好きってほどでも……」
「はァ? なんでオレ取らされたわけ?」
「……さぁ?」
てきとうに首をかしげておいた。キーホルダーもキャラメルと一緒に手渡してきたので、流れで受け取っていたが……これは、なんだろう? クリスタルカットの透明プラスチック? キラキラの猫……あ、ライオンか。なにか有名なキャラなのかも。知らんけど。
私がキーホルダーを眺めているあいだに、隣で彼は、もうひとつの薄いオモチャ箱を開けていた。箱というか、紙包装というか。そちらについては知っている。ラムネ菓子がついた食玩。子供向けのチープなアクセサリーが入っていて、おもちゃ入りの菓子というよりは、むしろおまけの菓子が付いたおもちゃ。私が知っている物より箱が大きいなと思っていたら……
「何これ? 指輪ふたつも入ってンだけど。当たりってこと?」
「……表にペアって書いてありますよ」
「あ~そォゆうこと? ならオレの分もあるじゃん」
(……ん?)
胸の疑問がはっきりとする前に「お姉さん、手ぇ貸して」筋張った長い指が、キーホルダーをつまんでいた私の左手を取った。抵抗する気にもならないくらい自然な動作で、するりと。小指に指輪が嵌められる。
茫然として見つめる先には、大ぶりの宝石みたいなアクリルストーン。半分に割れたハートは爽やかな水色で、彼が飲み干したラムネの色をしていた。
「げ。オレの指、入んねェ!」
横で騒ぐ彼の声に、胸を締めつけるような感情は——すぐさま抑え込んだ。
「……それ、リングが切れてるので、サイズ調整できますよ」
「へェ~、よく出来てんなァ~?」
「こういうのは……誰にでも、つけられないと」
誰にでも。
持ち主が決まった指輪じゃ、ないから。
「おっけ、入った。どォ? 可愛い?」
「そうですね、似合ってるんじゃないですか」
「この宝石っぽいとこ、ラムネみてェな色じゃねェ?」
「……あぁ、たしかに」
1分前に思ったのと同じことを言って、左手の小指を掲げる彼は、無邪気で。悪気はないと分かっているのに……抑えたはずの感情が、胸に込み上げてくる。
「……私、ごみ捨ててきます」
「どれ?」
「串と……ラムネ、飲み終えたので……」
「じゃ、オレが捨てて来るし、次の屋台、並んでおいてよ」
「え」
「あっちにあったやつ。輪投げもオレ得意だから」
こちらの了承を聞くことなく、彼は私の手にしていた瓶を奪っていってしまった。あっけにとられてカラフルな髪を見送っていると……今なら、帰ってしまえる。そんな事実が、ふいに頭を占めた。
頼まれた屋台と反対側、帰る方へと足が向く。
——しかし、踏み出した足先の黒い絆創膏が、見上げる笑顔を思い起こした。
私がいなくなったら、彼は——怒る? あきれる? それとも……。
——オレみたいにひとりなんて全然いねェじゃん?
「………………」
自然とこぼれ落ちたため息が、左手の小指を意識していた。半分に欠けたハートは、どこか寂しげで。このまま片割れで連れ去ってしまうのは……忍びない。
諦めたように足先を、輪投げの屋台の方へと戻し、
「……あ」
変に目の前で立ち止まった男女の二人組のうち、男のほうが声をあげた。——ひやり、と。ラムネの瓶を握ったときのような——それよりももっと、追い詰められるような——寒気が、背筋に走った。
「……先輩?」
目の合った、その男の顔が、困惑に染まった。
——帰ってしまえばよかった。こんな、人ごみで。まさか、偶然にも——出会うなんて。
誰かの悪意にしか思えない。
「…………こんばんは」
機械的に返した挨拶に、男は愛想笑いのような半端な顔で小さく会釈した。
「あ、こんばんは……」
「………………」
周囲のざわめきが、遠くなったように錯覚する。
二の句が継げない私と男のあいだで、髪を左右で編み込んだ小柄な女性が、遅ればせにニコリとほほえみ、「こんばんは」おっとりとした声で頭を下げた。
どなた? と言いたげな女性の目が、男に向く。男は目を泳がせつつ、
「あ、えーと、職場の先輩で……」
「……あぁ! ひとつ上の、いつも助けてくれるっていう……?」
「……そう、その先輩で……」
「彼が、いつもお世話になってます。先輩のお話、よく聞くんですよ。とても優秀で……ひとつ上なのにチームリーダーをなさってるんですよね? 同年代で、しかも女性で出世してるなんて、ほんとにすごいです。……私、お話だけ聞いてましたけど、ずっと憧れていて……お会いできてうれしいです」
花がほころぶように笑う彼女の顔に、「……それは、どうも……」うまく笑い返せたか、わからない。
「おひとりですか? よかったら、ご一緒できませんか? このあと花火が上がるんですけど、彼が穴場を知ってるらしくて……よければ、みんなで見ませんか?」
人柄のよい笑みが、屋台の灯りを受けてまぶしいほどに輝いている。白に近い、薄桃の浴衣。紫陽花の花が、可憐に咲き誇っている。左手の薬指にはきらめく指輪を着け、その先の爪はつややかなパールピンク。
穏やかで、文句のつけようがないくらい——愛らしい。半年付き合って、結婚したくなるのは、当然だと思えるほど——。
「——見っけ!」
血の気が引くような寒気のなかで、突如、軽やかな声が意識に割り入った。
はっとして振り返ると、色とりどりの花火みたいな髪をした彼が、こちらを見下ろして、
「こんなとこで何してンの? 輪投げあっちだけど……迷った?」
「……いえ、ちょっと……」
ゆらいだ私の目を追って、彼の視線が——ふたりに。ちらっと私に目を戻すと、
「…………知り合い?」
「職場の、後輩と……たぶん、その……婚約者の方」
「へェ……どうも、こんばんは?」
社交辞令な挨拶に、並んでいたふたりはきれいにシンクロして頭を下げた。
婚約者——自分で言って、絶望的な気持ちに陥った。
否定してくれたらと思ったが、彼女は首を振ることなく、「彼氏さんですか? 素敵な方ですね」愛想のよい微笑を浮かべている。
褒め言葉を素直に受け取ったのか、私の横に並んだ彼は「そう?」機嫌よく笑い返した。彼は前半を否定するべきなのだが、どうでもよいのかあっさりと受け入れている。名前も知らない、他人なのに。……でも、その対応に、私のなかで黒い影のようなものが揺らめいた。
にこやかに、彼女に向けて、
「さっきの話だけど——お誘い、ありがとう。でも、花火は……彼と、ふたりきりで見たいから……」
「あっ……そうですよね。いえ、私のほうこそ急な申し出で……すみませんでした」
「気にしないで。またの機会に、ぜひ」
「はいっ」
人懐こい目でうなずく彼女から、男へと目を移した。どんな顔をしているだろう。歪んだ期待で見たその顔は——予想に反して、安堵の笑顔だった。
「おふたり、お似合いですね」
にこりと、男の柔らかな唇が吐いたセリフが——胸を、えぐる。
深く、絶対に消えない深さで、残酷な痛みを伴って。
帰ってしまえばよかった。
遅すぎる後悔が脳裏に浮かんだが……何も、意味を成さなかった。
消費してしまおうと開封したけど十粒はある。この短時間で食べきれる数だろうか。とりあえず一粒、あっちにあげた。
「甘っ」
「キャラメルってそういうものですから」
「お姉さんは? スキなの?」
「好きってほどでも……」
「はァ? なんでオレ取らされたわけ?」
「……さぁ?」
てきとうに首をかしげておいた。キーホルダーもキャラメルと一緒に手渡してきたので、流れで受け取っていたが……これは、なんだろう? クリスタルカットの透明プラスチック? キラキラの猫……あ、ライオンか。なにか有名なキャラなのかも。知らんけど。
私がキーホルダーを眺めているあいだに、隣で彼は、もうひとつの薄いオモチャ箱を開けていた。箱というか、紙包装というか。そちらについては知っている。ラムネ菓子がついた食玩。子供向けのチープなアクセサリーが入っていて、おもちゃ入りの菓子というよりは、むしろおまけの菓子が付いたおもちゃ。私が知っている物より箱が大きいなと思っていたら……
「何これ? 指輪ふたつも入ってンだけど。当たりってこと?」
「……表にペアって書いてありますよ」
「あ~そォゆうこと? ならオレの分もあるじゃん」
(……ん?)
胸の疑問がはっきりとする前に「お姉さん、手ぇ貸して」筋張った長い指が、キーホルダーをつまんでいた私の左手を取った。抵抗する気にもならないくらい自然な動作で、するりと。小指に指輪が嵌められる。
茫然として見つめる先には、大ぶりの宝石みたいなアクリルストーン。半分に割れたハートは爽やかな水色で、彼が飲み干したラムネの色をしていた。
「げ。オレの指、入んねェ!」
横で騒ぐ彼の声に、胸を締めつけるような感情は——すぐさま抑え込んだ。
「……それ、リングが切れてるので、サイズ調整できますよ」
「へェ~、よく出来てんなァ~?」
「こういうのは……誰にでも、つけられないと」
誰にでも。
持ち主が決まった指輪じゃ、ないから。
「おっけ、入った。どォ? 可愛い?」
「そうですね、似合ってるんじゃないですか」
「この宝石っぽいとこ、ラムネみてェな色じゃねェ?」
「……あぁ、たしかに」
1分前に思ったのと同じことを言って、左手の小指を掲げる彼は、無邪気で。悪気はないと分かっているのに……抑えたはずの感情が、胸に込み上げてくる。
「……私、ごみ捨ててきます」
「どれ?」
「串と……ラムネ、飲み終えたので……」
「じゃ、オレが捨てて来るし、次の屋台、並んでおいてよ」
「え」
「あっちにあったやつ。輪投げもオレ得意だから」
こちらの了承を聞くことなく、彼は私の手にしていた瓶を奪っていってしまった。あっけにとられてカラフルな髪を見送っていると……今なら、帰ってしまえる。そんな事実が、ふいに頭を占めた。
頼まれた屋台と反対側、帰る方へと足が向く。
——しかし、踏み出した足先の黒い絆創膏が、見上げる笑顔を思い起こした。
私がいなくなったら、彼は——怒る? あきれる? それとも……。
——オレみたいにひとりなんて全然いねェじゃん?
「………………」
自然とこぼれ落ちたため息が、左手の小指を意識していた。半分に欠けたハートは、どこか寂しげで。このまま片割れで連れ去ってしまうのは……忍びない。
諦めたように足先を、輪投げの屋台の方へと戻し、
「……あ」
変に目の前で立ち止まった男女の二人組のうち、男のほうが声をあげた。——ひやり、と。ラムネの瓶を握ったときのような——それよりももっと、追い詰められるような——寒気が、背筋に走った。
「……先輩?」
目の合った、その男の顔が、困惑に染まった。
——帰ってしまえばよかった。こんな、人ごみで。まさか、偶然にも——出会うなんて。
誰かの悪意にしか思えない。
「…………こんばんは」
機械的に返した挨拶に、男は愛想笑いのような半端な顔で小さく会釈した。
「あ、こんばんは……」
「………………」
周囲のざわめきが、遠くなったように錯覚する。
二の句が継げない私と男のあいだで、髪を左右で編み込んだ小柄な女性が、遅ればせにニコリとほほえみ、「こんばんは」おっとりとした声で頭を下げた。
どなた? と言いたげな女性の目が、男に向く。男は目を泳がせつつ、
「あ、えーと、職場の先輩で……」
「……あぁ! ひとつ上の、いつも助けてくれるっていう……?」
「……そう、その先輩で……」
「彼が、いつもお世話になってます。先輩のお話、よく聞くんですよ。とても優秀で……ひとつ上なのにチームリーダーをなさってるんですよね? 同年代で、しかも女性で出世してるなんて、ほんとにすごいです。……私、お話だけ聞いてましたけど、ずっと憧れていて……お会いできてうれしいです」
花がほころぶように笑う彼女の顔に、「……それは、どうも……」うまく笑い返せたか、わからない。
「おひとりですか? よかったら、ご一緒できませんか? このあと花火が上がるんですけど、彼が穴場を知ってるらしくて……よければ、みんなで見ませんか?」
人柄のよい笑みが、屋台の灯りを受けてまぶしいほどに輝いている。白に近い、薄桃の浴衣。紫陽花の花が、可憐に咲き誇っている。左手の薬指にはきらめく指輪を着け、その先の爪はつややかなパールピンク。
穏やかで、文句のつけようがないくらい——愛らしい。半年付き合って、結婚したくなるのは、当然だと思えるほど——。
「——見っけ!」
血の気が引くような寒気のなかで、突如、軽やかな声が意識に割り入った。
はっとして振り返ると、色とりどりの花火みたいな髪をした彼が、こちらを見下ろして、
「こんなとこで何してンの? 輪投げあっちだけど……迷った?」
「……いえ、ちょっと……」
ゆらいだ私の目を追って、彼の視線が——ふたりに。ちらっと私に目を戻すと、
「…………知り合い?」
「職場の、後輩と……たぶん、その……婚約者の方」
「へェ……どうも、こんばんは?」
社交辞令な挨拶に、並んでいたふたりはきれいにシンクロして頭を下げた。
婚約者——自分で言って、絶望的な気持ちに陥った。
否定してくれたらと思ったが、彼女は首を振ることなく、「彼氏さんですか? 素敵な方ですね」愛想のよい微笑を浮かべている。
褒め言葉を素直に受け取ったのか、私の横に並んだ彼は「そう?」機嫌よく笑い返した。彼は前半を否定するべきなのだが、どうでもよいのかあっさりと受け入れている。名前も知らない、他人なのに。……でも、その対応に、私のなかで黒い影のようなものが揺らめいた。
にこやかに、彼女に向けて、
「さっきの話だけど——お誘い、ありがとう。でも、花火は……彼と、ふたりきりで見たいから……」
「あっ……そうですよね。いえ、私のほうこそ急な申し出で……すみませんでした」
「気にしないで。またの機会に、ぜひ」
「はいっ」
人懐こい目でうなずく彼女から、男へと目を移した。どんな顔をしているだろう。歪んだ期待で見たその顔は——予想に反して、安堵の笑顔だった。
「おふたり、お似合いですね」
にこりと、男の柔らかな唇が吐いたセリフが——胸を、えぐる。
深く、絶対に消えない深さで、残酷な痛みを伴って。
帰ってしまえばよかった。
遅すぎる後悔が脳裏に浮かんだが……何も、意味を成さなかった。
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