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Interlude 鏡に映る、さかしまの国

Can't Take My Eyes Off You

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【X in Unknownland】
 chap.1 sec.1

 ざわり、と。
 いやな風が肌をなぶ——以下略。

 果たして、見知らぬ未来都市で目を覚ました、記憶喪失の私。ミイラのような人間にあわや襲われるところを、ひとりの青年に助けられたのだった。


「……大丈夫だろうか?」

 浅黒い肌に、黒い眼。真っ黒な頭髪は後ろにでつけられ、精悍せいかんな印象を受ける。異国の血を多分に感じさせるその青年は、助けてくれたうえに、腕に怪我けがをした私を心配して、治療まで施してくれた。

『……ありがとう』

 言語が異なるようで、会話ができない。それでも、私の言語で感謝を伝えると、「……それは、感謝の言葉だろうか?」なんとなく分かってもらえたらしく、目を合わせてうなずいてくれた。
 とても誠実な対応の彼に、不安いっぱいだった私は思わず泣き出してしまい——反応に困ったらしい彼は、しかし、支えるように私の肩に手を乗せて、泣きやむまでずっと黙ってそばにいてくれた。

「……大丈夫だ。もう感染者の脅威はない。心配なら、私がコミュニティまで送っていこう」

 身振り手振りに加えて、何やら空間に映像まで出し、丁寧に説明をしてくれる。だが、私も懸命に“記憶がない”と訴え続け、かなりの時間を要したが、最終的には理解してもらえたようだった。

「それは……」

 困ったな、どうしようか。そんな感じの空気が、彼とのあいだに流れた。正確にはもっと固い空気だったと思う。神妙な顔つきで考えていた彼は、どこかへと連絡を始めた。

「——サクラさん、すまないが、今日はモーターホームに戻れそうにない。……ああ、感染者に襲われかけていた人間を助けたのだが……怪我もあり、話すこともままならず……放置するに忍びない。……いや、だ。どこかのコミュニティから逃げてきたようだから、行き先を捜してやりたい。……いいや、私ひとりで大丈夫だ。リスクは低いが、信用は……まだ、できない。兄弟たちを巻き込みたくはない。……とくにセトは、情が移る蓋然性がいぜんせいも高い。…………ああ、承知している。ただ、車を1台、手配してもらえないだろうか? ……できるなら、小型な物を。……この辺りに、余っている物があるか分からないが……公共施設が散見している。地下に、取り残されている物もあるだろうと……思う。遠隔で操作が可能であれば、私の現在地まで回してもらいたい」

 淡々とした声音で話しているのを見守っていると、手首のブレスレットに向けて話していた彼は、言葉を切って私に顔を向けた。通信を終えたらしい。
 空間にふわりと車のような映像を浮かべて、

「車を、用意する。……しばらく、待ってもらいたい」

 車が、ミニチュアの黒髪の女性——私だろうか——のもとに、運ばれてくる映像。
 理解した私に、彼は映像を切り替えて、

「空腹では……ないだろうか? 食べ物や飲み物は、要るだろうか……?」

 並んだ映像に、彼の意図するところを悟って、飲み物らしきボトルを指で示した。彼は背負っていた鞄から取り出した飲み物を、こちらに差し出した。
 感謝とともに受け取ったはいいが……開け方が分からない。とまどう私に、彼はボトルを取り、開けてみせてくれた。

「……言葉も話せず、ボトルも開けられないのか……」

 もらったスポーツドリンクのような物を飲んでいるあいだ、彼の黒い瞳がじっと私を見つめていて……なんだが、緊張する。
 第一印象は鋭い冷たさを感じたのだが、私が泣き出したあたりから、違ったまなざしを向けられている気がする。小さな子供を慎重に見守るような……私の一挙一動を、案じるような。
 ひょっとして、私が気づいていないだけで、私の身体は幼児なみに縮んでいるのだろうか。いや、でも、手脚はきちんと長いし、見下ろす地面まで、大人としての距離もあると思う。

『……あの、』

 声をかけると、彼は「……何か、ほかに欲しい物が?」すこしも分かっていない感じだった。見つめられると緊張するんです、なんて言えず。彼が映像で並べた物から目を離して、首を振った。

 そうして、しばらく待っていると、小さな車がどこからともなく走ってきた。
 ゆるりと速度を落とし、私たちの前で停車する。開かれたドアの中は、二人乗りらしく、仕切りのないベンチシートが一列だけ。
 これに乗れ、ということだろう。どこか安全なところに送ってくれると説明してくれていた彼に従って、乗りあがろうとしたが——緊張のせいか疲れなのか——もつれた足のせいで、転んでしまった。車のふちで、脚のすねをしたたかに打ちつけた。……思わず涙が浮かぶほどに痛い。さすが、弁慶べんけいの泣きどころ。
 ——とはいえ、ほんとに泣くことはなく。耐えきって立ち上がろうとすると、横にいた彼が、「大丈夫か……?」心配というよりも衝撃に近いようすで、私の身体が起き上がるのを手伝ってくれた。恥ずかしすぎる。いい大人が、なぜこんな所で転ぶのか。彼の心が伝わってくる。いっそほんとに身体が縮んでいたらよかったのに。

『ごめんなさい……』

 反射的に謝ってから、言葉が伝わらないことに気づき、言い直そうと思った。
 間の抜けたような失態と、恥ずかしさで熱くなる頬をごまかそうと、笑いながら——

『ありがとう』

 これなら、伝わるはず。
 最初に理解してもらえた言葉。

 しっかりと目を見て口にした言葉に、しかし——なぜか彼は一瞬だけ、硬直したように息を止めた。
 あまりにも短い時間だったので、錯覚かと思うほど。
 すぐさま何事もなかったように車へと誘導してくれたので、たしかに見間違いではなかったと言いきれなくなってしまった。

 隣に並んで乗り込む彼が何か言葉を発し、車がどこかへと滑りだす。走行音が聞こえないせいか、動いている実感がない。記憶にない外の様子を眺めていると……ふと、彼が私の肩をたたいた。呼んでくれていたのを、私は車に話しかけているのかと勘違いしていた。

「今夜は……ひとまず、私の知るセーフハウスに案内する。貴方の今後の住まいについては……のちほど、話し合おう」

 映し出された小さな家に、ミニチュアの私が入っていく。うっすらと透過した室内で、食事をとり、ミニチュアの彼とテーブルで話し合う動作のあとに、ベッドに入っていった。穏やかに眠る、小さな私。分かったような、分からないような……彼の家に案内してくれると思っていいのだろうか。そこで、今夜は泊まっても……いいよ、と?

 自分に都合よく考えすぎていないだろうか。不安の残る気持ちで彼を見返すと、ほとんど無表情だった彼の顔が、わずかに……緩んだ。力の入っていた眉頭のこわばりを解き、唇の端を、ほんのすこし持ち上げて——優しく笑おうとしてくれたみたいに。

「心配は要らない。私は——護ることは、得意だ。ボディーガードの教育訓練プログラムも、クリアしている。……貴方が、無事に行き先を決めるまで……私が、貴方を護ろう」

 映像でも、何かを示してくれていた。
 ——でも、それに頼らなくても、私の胸の不安はするりと溶けていった。
 低く温かな声が、私に掛けられた言葉が、意味が分からずとも——たしかに、優しい音をしていたから。

「私の名前は、イシャン・ジェイン。……イシャン、と——呼んでくれ」

 握手のために差し出された手は、触れると、硬く大きくて。
 恐怖に駆られる可能性もあっただろうに……ちっとも怖くなかった。

 重なる目の先で、彼の瞳はずっと、穏やかに私を見守ってくれていた。
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