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Chap.17 ロックンキャロルでワルツを

Chap.17 Sec.14

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 ボールルームへと入室したサクラに、全員の目が向いていた。

 銀の燕尾服テールコートに、くすんだ桜色のシャツ、ベストは表の燕尾服よりも暗いにび色。ティアが贈った物。
 兄弟の多くは、ティアのデザインによる燕尾服を身につけている。しかし、サクラのネクタイは白に桜の刺繍で、これだけティアが贈った物ではなかった。

 ひとり先にボールルームへと戻っていたティアは、兄弟たちから彼女の所在について問われることとなった。数分くらいは、のらりくらりとかわし続けていたのだが、さといロキがミヅキに問い合わせてしまい、正直にサクラのところへ言ったことを伝え、一部(ほぼロキ)から非難ごうごうで追いつめられていたところ……その扉は開かれた。

 洋装をまとったサクラは目に新鮮だったが、とてもよく似合っていた。スラリとしながらも筋肉のついた体躯たいくには、和装よりもこちらが合っているようにも思えた。サクラの見た目に囚われていたティアは、横に立つ彼女に気づき、ふたりに向けて声をかけた。

「——おかえり」

 彼女は、迷うような余白を見せたが、唇のほんの端に笑みをえがき、

「……ただいま」

 時を進められずにいた兄弟たちのなか、ハオロンが真っ先に声をあげた。

「——サクラさん!」

 親しみある声とともに、サクラへと駆け寄る。

「よかった! 元気やったんか! ディナーにも全然でてこんし……死んでなくてよかったわ!」

 不吉なことを明るく喋る。隣の彼女にも視線を投げ、「ありすが連れてきてくれたんやろ? ありがとの」ニコニコと感謝した。サクラが何か応える前に、ロキが割り込んだ。

「——オレは認めてねェよ?」

 とがった声が牽制けんせいする。ティアはフォローの言葉を唱えようとしたが、その前に彼女が口を挟んだ。

「……わたしが、よびました」
「なんで? サクラがしたこと、ウサギちゃんは全部忘れたわけ?」

 ロキの目を、彼女は放すことなく、

「——はい」

 揺るぎのない声が、ボールルームに広がった。瞳は決意を映している。そう返ってくると思わなかったロキは、焦ったように「はァっ?」裏返った声を出していた。

「わたしは、ぜんぶ、わすれました」
「……なに言っちゃってンの?」
「ぜんぶ、わすれたから……もういちど、やりなおそうとおもう」
「……は?」
「わたしに〈できること〉を、たくさん、みつけたい。きおくは、ないけど……ここから、はじめたい。〈きょうりょく〉してほしい。——みんなで」
「………………」
「さくらさんは、〈いいよ〉って、いってくれたから……ろきも、いってくれる?」

 彼女の問いに、ロキは眉を寄せて困惑した。サクラから謝罪を引き出したかったのに、当の本人が、謝罪よりも贖罪しょくざいを求めている。協力という名の罪滅ぼしを、みずから提案している。

「……それで、ウサギちゃんはいいの?」
「はい」
「…………あっそ」

 黙って聞いていたサクラが、ロキに、

「お前が、個人的に私にペナルティを科すなら、私はそれを受け入れるよ」
「そんなん要らねェ……ウサギは忘れたって言ってンのに。……アンタが同じことを二度と繰り返さないなら……オレに言うことはねぇよ」

 ふっと目をそらしたロキは、もう何も言わなかった。

 ボールルームは、沈黙のベールに包まれ……ティアの声によって、思いがけず、あっさりと取り払われた。

「——ね、ところで、ダンスはいつするの?」
「…………は?」

 反応したのは、セトだった。(こいつ今なんつった?) 不可解な謎を見る目でティアを振り返る。

「ダンスだよ。パーティってワルツを踊るんでしょ? 僕、アリスちゃんと踊ってみたくて、練習がんばったんだよね」

 ティアの期待したような目に、セトの眉間が狭まった。

「しねぇよ。なんでウサギがお前と踊らなくちゃいけねぇんだよ」
「え! なんでっ? なんのためにテールコートでデザインしたと思ってるのっ?」
「知るかよ……」

 セトに訴えて迫るティアに、ハオロンが横から「うちもダンスしたい! しよっさ! 誰がいちばん上手にやれるか勝負しよっ」交戦的なテンションで加わった。「ぇ……」テーブルのそばにいたメルウィンは、小さく声をもらす。アリアは、ほんわかとした顔で「楽しそうですね?」隣のイシャンに言ったようだったが、イシャンからコメントはなかった。

 元気なハオロンの声が、ミヅキに曲を要求した。優雅なメロディーが流れ始め、ハオロンは彼女のすぐそばに立っていたこともあり、彼女の手を取って、くるくるくる~。音楽の拍を無視した回転を披露した。
 いきなりの展開に、動揺している彼女の足がもつれて——転びそうになったが、反射神経のよいセトが手を伸ばし、腕を掴んで事なきを得た。

「ばか! ウサギは踊れねぇだろ!」
「えぇ~? ほやったら……うちの身長でいけるのは……メルウィン?」
「ぇ」

 唐突に矛先を当てられたメルウィンが逃げる間もなく、とととととっ、軽やかに寄ってきたハオロンの両手が、彼を捕らえていた。

「む、むりだよハオロンくんっ、僕ダンスぜんぜんできな——」

 拒絶のセリフが言いきられる前に、メルウィンは強制的に回されていた。ハオロンが「ん~? なんも聞こえんわぁ~?」コマのような勢いで一緒に回っているというのに、呑気のんきな声で返している。ロキは「ハオロンすげ~じゃん。壁にぶつかったら死にそォだけどなァ~?」笑って行末ゆくすえを見ていた。

「ハオロンさんは上手ですね」
「……とても危ない気がするが、止めなくてよいのだろうか……」

 純粋に褒めているらしいアリアに、案じているイシャン。そんな彼らの方を見つつ、ティアは一瞬だけメルウィンに同情の目をしたが……彼女に向き直って、

「ね、僕とも踊ろう? ロン君だけなんて、ずるい」
「……わたしは、〈だんす〉は、はじめてだから……」
「大丈夫、僕も初めだから」
「……それは、だいじょうぶ……?」

 首をかしげる彼女に、「初心者どうしって、厳しいかな?」ティアも同じように首を傾けてみせた。考えるように目を上に向けてから、ティアはセトへと、

「——ね、セト君、ちょっとダンス教えてくれない? 軽くでいいから、一緒に踊って」
「嫌だ。お前と踊るくらいなら音響ぶち壊してやる」
「なんてこと言うかな……じゃなくてさ、僕は、アリスちゃんに教えてってお願いしてるんだよ」
「……は?」
「アリスちゃんに、ステップだけでも教えてあげて。いちおう僕は覚えてきたから。でも、そんなに上手くリードできるほどじゃないだろうし……君たち、みんな習ってるんでしょ?」
「………………」

 習ってる、けど。胸中の答えと合わせて、セトの目が彼女に落ちる。彼女も困っている。ふたりして思考を止めていると——

「——それなら、私が教えようか」

 ふいに、それまでハオロンの方を眺めていたサクラが近づいたかと思うと、彼女の肩へ、ふわりと手を乗せた。驚いたのは彼女ではなく、セトとティアだった。

「えっ……いや、サクラさんは……」

 ——だめでしょ。そんなふうに批判しかけたティアは、彼女が受け入れる気でいるようすに、複雑な気持ちで言葉を止めた。サクラの方を見上げる目は、断ろうとしていない。……本気でなかったことにしようとしているのか、と。彼女の意思をんで、サクラへ託すべき……

「……?」
「?」

 彼女の目が、サクラかられて、自分の腕へ。ティアも気づいたが、セトの手がまだ離れていない。

「……せと?」
「俺が教える。俺でいいだろ」

 そっけなく宣言すると、うむを言わせぬ空気でそのまま彼女の腕を引いた。彼女の肩から、サクラの腕が、離れる。

 高速スピンのハオロンとメルウィンペアから、距離を空ける。反対の端まで彼女を連れてくると、セトは掴んでいた手を離し、代わりに、

「……手を、出してくれ」
「……こう?」

 差し出されたセトの左の掌に、彼女の右手が、そっと乗せられた。触れた場所に生まれた感覚は、気にしない。セトは彼女の指先をすくい上げ、掌を合わせるように握った。彼女の手も、自然とかたちを整えて握り返す。近くなった距離が、セトの心臓を叩いた。薄く息を吸って、意識をそらして。彼女の左脇から右手を回し、背後から支えるように手を添えた。

「そっちの反対の手は、俺の右腕らへんに……ああ、まぁ、そんな感じで。適当に置いとけ」

 説明が雑になった。近い。あまりに近い。距離はゼロに等しい。セトの顔より低い位置にある彼女の表情は、セトからよく見えないが……あちらも戸惑っているように思えた。

 繋いだ手を、横に伸ばして。掌はぴたりと、隙間なく。

「……ゆっくり、動くから。俺の足の動きに……合わせてみてくれ」
「はい」

 互いに緊張が走っている。しかし、それは種類が違う。彼女は初めてのことで、足運びを心配している。
 ゆるやかな音楽に合わせて、セトの足が、そっと踏み出された。釣られて、彼女の足が動いていく。分かりやすいように、セトはカウントしてみるが……彼女の足は、ひどくぎこちない。

「……大丈夫か?」
「……〈だいじょうぶ〉じゃないと、おもう」
「もう少し力を抜いて……こう、音に乗る感じで」
「……それは、むずかしい」

 慎重になりすぎて、ところどころ足が音から外れている。歩幅を狭くしてみると、多少はマシになったが、身につくには程遠い。

「……なら、俺に身を任しとけ」

 助言はやめる。触れあう手を強く取り、背後を包むようにして、彼女の身体ごと音楽に乗せて動かしていく。ドラムのスティックを回すのと同じ。感覚を拡張して、彼女の身体すべてを、自分の感覚の中に閉じ籠める。取り込んでしまえば、自分の身体の一部のように、自由に踊らせることができる。

「アリスちゃん、じょうず!」

 何も分かっていないティアの賞賛が投げられたが、セトの耳には届いていない。感覚のなかにある彼女の吐息や鼓動が、世界を支配していて——

「……せと」
「……ん?」

 セトの鎖骨あたりに止まっていた、彼女の目線が上がった。黒い双眸はセトを映して、何かを言いたげに見つめている。

「……なんだ?」

 問いかけたセトへ、答えるよりも先に。
 彼女は一瞬、気を取られたようにして目線をどこかへと移した気がしたが……。

「……せとは、〈だんす〉も、じょうず」
「……?」
「〈うた〉も、じょうず。いつか……きいてみたい」

 急に、別のことを思い出したかのように、彼女は呟いた。

「……それくらい、いつでも」

 短く返すと、彼女は少しだけ、安心したように笑顔を見せた。

 これから先そばにいられるなら、いくらでも。
 そのセリフは、さすがに口にしなかったが。

 重なる視線と、触れ合う手の熱。
 怯えのない——瞳。

 今は、それだけで。
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