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Chap.16 処刑は判決の前に

Chap.16 Sec.7

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 ふんわりと柔らかな羽毛布団の感触。清潔な香りと乾燥したサラサラな肌触りがこころよい。眠りに落ちていた意識は浮上していて、そろそろ目を開けなければ——と。思ってはいたが、シーツとの隙間にこもる温もりが気持ちよくて、なかなか起きようという意思をもてずにいた。

(まだアラームが鳴ってないから)
 心のなかで言い訳を唱えつつ……あれ? 急上昇した頭が、疑問符に満ちみちて、勢いよく目を開けた。
 はっと。覚醒した視界に入った天井は、まったくピンとこない。薄暗いけれど、夜と思っていいのかどうか。ここはどこだ。誰のベッドなのか。……昨夜は誰だった? ぐるぐると混乱する頭がはっきりしてくるにつれ、隣に並び寝るひとの気配が。

 ………………。
 そろりと、横を見る。
 ………………?
 あまり記憶に結びつかない寝顔。
 ………………!

 ——サクラさん!
 ゆるやかに波打つ青みがかった黒髪。白い肌の整いすぎた顔が、目を閉じて上を向いていた。
 情報を受け取った脳が、覚醒を通りこして停止する。心臓まで止まらなかったことが奇跡だった。しかし、せっかく衝撃を耐えきったのに、自分の掌のなかにあったものがサクラの手だと気づいて、とっさに手を引っ込めてしまった。
(あっ)と思ったときには、サクラの眼が、ぱちりと。
(ひっ)と悲鳴に近い思いで身をすくめていると、青い眼がゆっくりまばたきをくり返し、おもむろにこちらを向いた。

『………………』
『………………』

 これほど心臓によくない沈黙はない。
 夢であってほしい。

『……おはよう』

 しくしくする心臓をかかえて息を止めていたところ、目の前の唇が動いた。なんだかとてもありふれた言葉を唱えたような……。いや、でもまさか。聞き違いだ。彼らの言語を聞き違えているのかも。
 ——そうなると、翻訳機のない耳はまったく機能せず、(邪魔だ? 出て行け?)勝手に推測し、ベッドから降りようと急いだ。身を起こしたはいいが、焦る心が手脚の動きを妨げるせいで、ぎこちない身体が——落下した。ベッドの横に、『わっ』と。
 巻き込んだ布団のおかげか、大して痛みはなかったが……それはつまり、サクラの身体を覆っていた温もりをぎ取ったわけで。

『………………』

 すみません、で、済むだろうか。心底震えながら振りあおぐと、上体を起こしてこちら側に寄っていたサクラの無表情な顔と目が合った。

『す……すみません』
『何故、謝る?』
『………………』
『……どこまで覚えている?』

 ——どこまで。
 切り替えられた急な問いに、パニック状態におちいっていた頭が、を思い出した。
 倒れたティア、撃たれたセト、泣きそうなイシャン——あれ? イシャンだっただろうか?——それから、
 私は毒を飲みきったはず。……はず。…………はず?

『混乱しているようだね』

 頭の上から降ってくる声に、現状が分からなすぎて説明を求めるような目を向けていた。すこし考えるように見つめ返した彼は、『珈琲コーヒーでも飲むか』脈絡のない提案(独り言?)をつぶやいて、ベッドから降りた。私のすぐそばにあったイスから、掛けてあった着物を羽織はおる。そこで、ようやく気づいた。何か違和感があると思っていたら、薄い白のインナーのみで、着物がなかったせいだった。見慣れた姿に戻ったサクラに、『セトは……?』いろいろ尋ねたいことばかりだったが、どうしてもそれだけは耐えられず、

『セトは、無事なんですか?』
『ああ、無事だよ』
『それは……命だけじゃなくて、ちゃんと治療してもらえたという意味で——』

 問いかけを遮るように、すっと掌が差し出された。思わず言葉を切ると、わずかに身を折ったサクラが、

『詳細を聞きたければ、話そう。だが、その前に——立ちなさい。寝起きでそんな所に座り込んでいては、風邪を引くよ』

 ……幻聴、か。後半が、いたわりのような言葉に聞こえた。
 それとも、いっそ夢であれと願ったとおり、これは夢なのか。ひょっとして、これが死後の世界? 死んでまでサクラの青い眼と向き合わなければいけないなんて、地獄に落とされたのだろうか。そんなに罪深い人生ではないと思うのに……

『……聞こえていないのか?』
『いえっ……聞こえて、います』

 あわてて返答し、困惑しながらも立ち上がった。直立してから、サクラの掌の存在に意識がいった。これはなんのために出されていた掌なのか。(……まさか?)こちらに差し伸べられていたはずがないので、頭によぎった考えを即座に否定し、説明を待つようにサクラを見返した。

『……なるほど、セトの気持ちが分かる気がするね』
『……?』

 ふっと笑ったような気がしたが、その顔はとくに変わらず、黒いテーブルへと歩いて行った。(セトの詳細は?)説明を求め、目だけでその後ろ姿を追っていると、壁の一部が開いてロボットが現れた。ワゴンと共に。するすると動き、テーブルに着いたサクラの前で、優雅に珈琲を淹れ始める。
 ——いま、そんなタイミングだろうか。そんなことよりセトについて話してほしいが、まさか今からそれを飲む気でいるのだろうか。たしかに珈琲を飲むか、みたいなことは言っていたけれども……
 戸惑っていると、珈琲の入ったカップをふたつ(……私の分ではなく、2杯飲むのかも)並べ終えたロボットが、開いた壁の間に戻っていき、再び現れて、動けない私のもとにやってきた。アームには厚手のカーディガンが掛かっている。

《——お客さま、よければどうぞ!》

 可愛らしい響きで、着るよう促す言葉らしきものが聞こえた。音はロボットの口あたり(穴などはなく、映像がキャラクターのような表情を映した)から発せられた。いちおう受け取ってみる。柔らかな布地を身につけると、待っていたようにサクラに呼ばれた。
 テーブルまで寄って、かなり迷いながらも、向かい合うように座った。サクラは珈琲に口をつける。左手の丸窓は、すこし前に夜の映像から朝方へと切り替わっていた。ただ、ブレス端末を触ってみたが、表示された時刻がおかしい。朝ではない。“17:45”……壊れているのか。

『——さて、どこから話そうか』

 物語の語りみたいな切り出しに、手許に浮かんでいた文字から、サクラへと意識を返した。

『……セト、は……』
『治療は済んでいる。後遺症もなく、元気にしているようだね』
『……ティアは?』
『ティアは回復しきっていないみたいだが、元気ではあるらしい』
『………………』
『訊く権利を認めている。訊きたいことがあるなら、遠慮なく口にしてくれ』

 ——ぜんぶ夢だった? あるいは、これは夢ではないですよね?——そう確認してしまいそうになった。
 しかし、珈琲の香りが頭をえ返らせ、現実を知らしめる。サクラが、もうひとつの珈琲を示し、

『要らないか? 何か他の物を用意するか?』
『いえ……いただきます』

 カップを引き寄せ、手に包みながら、記憶をたどっていった。

『……毒を、』
『………………』
『私は、毒を飲みきったつもりだったんですが……』
『ああ、そうだな。一瓶ひとびん、飲み干していたね』
『……あれは……毒じゃ、なかった……?』

 たどりついた答えを口にすると、サクラがやわらかく微笑した。とても綺麗な、お手本のような微笑み。その笑顔は、質問を肯定していた。

 頭が、疑問で埋め尽くされている。
 発するべき言葉を見つけられず、珈琲に口をつけていた。すっと抜けるような柑橘かんきつの風味があった。この世界で目覚めてから飲む珈琲は、どれも雑味がない。珈琲豆って果実だったんだな、と思わせるほど、フルーツの存在感がいつも遠くにあって、苦いだけの飲み物ではなかった。あたたかで香ばしく、フルーティ。香りに触れるだけで、いつも心がすこし落ち着く。

『質問が無いなら、私から訊いてもいいか?』
『? ……はい』

 カップから口を離す。いまだ夢を見ているような心地で、サクラの顔を見つめる。

『セトを、どう思っている?』
『……どう?』
『恋愛感情というものがあるとして、そういう対象に、思えるか?』

 一瞬、言葉が頭を素通りしていった。何を言ってるんだろうこのひと。それくらい失礼な思考も出ていた。
 黙ってまばたきしてから、静かに返答を待っているサクラの姿に、改めて、真剣に考える。これはなんの質問だろう。

『……何度も助けてもらったことは……感謝しています。……優しくしてくれているのも、分かります。……でも、いろんなことがありすぎて……そういう目で見ることは……できないと……思います』

 ふり絞って出した答えを、サクラは無感動に聞いていた。珈琲を飲みながら。あまり興味がないようにも見えた。そちらが訊いたというのに、こちらがおかしなことを話しているみたいな空気になった。
 居たたまれず、再度カップに口をつけようとすると、『——もし、』サクラの唇が動いた。

『あの子を——セトを、わずかでも好いてくれているなら、』

 話は続くのか。いったい何について話しているのかと困惑してくる。
 これはサクラだろうか。夢じゃないなら、もしや……バーチャル? ……ありえる。ロキがやりそう。でも、ロキならセトについて触れなさそう。そうすると、ハオロン? では、いつから幻なのか。

 眉根を詰めて考える。サクラの言葉は続いている。

『ここを、一緒に出て行くといい』

 悩める思考に、新たな難題が投下された。意味が分からず、応えることもできず、黙って耳を傾ける。これはサクラではないかも知れない、という疑惑だけは浮かんでいる。

『セーフハウスとして、離れた場所にも使える家がある。そこで暮らしても構わない。セトがいれば森でも街中でもそう困らないだろうが……一般的には、安住の地がある方がよいのだろう。希望があるなら、ハウスが所持する車やロボなど、好きな物を提供しよう』
『………………』
『………………』
『………………』
『……聞いているか?』
『……もしかして、ハオロン?』

 ——は? と、言われなかっただけよかった。比較的おだやかな表情で話していたサクラの顔が、無になった。さっと心臓が冷える。やはりこれは本人らしい。いま気づいたが、私の言語を遣っている時点でハオロンの線はなかった。——けれども、そうなると、どこか別人のような彼は、なんなのか……

『……まだ、目が覚めていないようだな?』
『……いえ……そういうわけでは……』
『——まあ、いい。この話は、決断をそう急がない。ただ、念頭に置いておいてくれ』
『……はい』
『……それは、本当に理解しているのか?』
『………はい』

 おそらく、と、付け加えたかった。寝起きのせいか、現状が理解から外れているせいか、すべて表面的に流れている。

 青い目が、私を眺めた。観察されているような——あるいは、あきれられているような。……それは思い込みな気がする。私が自分に呆れているから、そう見えるのだろう。

『——ところで、食事は要るか?』

 訊かれて、ぼんやりとした空腹感を覚えた。そう言われるとお腹が空いたな、と。長く食べていないような空腹感。最後に食事をしたのは……ティアとの、ケーキか。そこまで頭が回ると、もうひとつ意識が。

——できたら、12時すぎてから言ってほしいんだ、誕生日になってから。

(……お誕生日おめでとうって……言ってない)

 夢心地の脳には、場違いなことが浮かんでいた。
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