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Chap.16 処刑は判決の前に

Chap.16 Sec.2

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 白い部屋は中央で仕切られている。後付けの壁で作られた、簡易的な牢屋ろうや。提案したのも製作したのもイシャンだったが、使う日が来ることのないよう願っていた。
 ——それを、こんなにも早く使用することになるとは。


 過去にサクラが使用していた私室のドア。ほかの私室と変化のないそれは、イシャンのかざしたてのひらの先で開いた。
 窓は遮光されている。室内は時間を忘れるような明るさで、とらわれる者の時間感覚を狂わせる。廊下との落差に、イシャンはわずかに目を細めた。眩惑げんわくした目が遅れて捉えたのは、透明の仕切りの奥で倒れ込む彼女の姿だった。
 ミヅキの報告でバイタルサインの確認が取れないとあったが、まさか突然死したとでも——? それであっても、いきなりサインが途絶えるのは異常となる。イシャンの脳裏に、誰かがここへ侵入した可能性もよぎったが、それについて思案する余裕はなかった。今は、それどころではない。彼女の命についてではなく、セトの生命に関して危機的状況だった。

 駆け寄って透明の仕切りに掌をかざした。ロックが外れると、それは医務室に使われている物と同じように切り込みが入り、出入り口を生んだ。そこから入って奥に進み、横向きで倒れている彼女に近寄る。様子を確認すべくかがんで、顔に掛かる長い髪を払い——

 ぱちり、と。
 閉じられていた目が、開いた。

 突如のびた手がイシャンの袖をつかみ、そこから離すまいというように両の手が絡み付いた。イシャンは動けなかった。これがもし、あからさまな攻撃であれば反射的に応戦していただろう。しかし、腕にまとわりつこうとしただけの彼女に、イシャンはただ困惑するばかりだった。訳もわからず、その手を力任せに払おうとはしたが、

「——せと、は?」

 開いた口から出た名前に、イシャンは動きを止めていた。
 イシャンの腕を押さえ込んだまま、彼女が上体を起こした。袖と腕に掛けられた力は緩んでいない。離す気はないようだった。

「だまして、ごめんなさい。でも、だれにも、れんらくできない……これしか、なかった」

 彼女のブレス端末には制限が掛けられていたのだろう。しかし、バイタルサインが途絶えた理由は? イシャンの視線が、彼女の手首に着いたブレス端末に落ちた。彼女のブレス端末には、銀色の包装紙のような物が隙間なく巻かれている。治癒フィルムを個装するそれは、内容物の劣化を防ぐだけでなく、副産物としてセンサーを妨害する。何故こんな物を、と思ったイシャンの頭に、すぐさま答えが出た。情報源、かつ供給源は——ロキか。

「せとは? どうなったの? てぃあは? おねがい、おしえて」

 必死に問う彼女の力は強く、すがりつく手は力が入りすぎて小さく震えていた。だが、それを見てもイシャンはなんの感慨も覚えない。
 全ての原因は、ここにあった。最終的にサクラが追い詰めたとしても、それでも、ここに。
 この人間がいなければ、こんなことには——。

 弾けるようにして、イシャンは彼女を床に押し倒していた。
 絡み付いていた腕ごと、彼女の胸の上から床へと押さえ付け、後頭部を打ち付けた彼女が声をあげた。——それでも、手を離そうとしない。意味もないその手を引きがし、馬乗りになって彼女の首へと、片手を掛けていた。

 見開かれた瞳が、イシャンを映す。
 黒点のような目はおびえを浮かべることなく、驚異だけを見せている。
 全ての原因でありながら、何も知らず、ただ案じることしかできない存在が——ゆるせなかった。
 自分自身もまた今の彼女と、なんら変わらない存在であることも。

 イシャンは、首に手を掛け見下ろしたまま、

「……ティアは、無事だ」
「……てぃあは、だいじょうぶ?」

 喉を絞めてはいない。乗せられただけの手の下で、もろく柔らかそうな喉が声を絞った。彼女の耳に、翻訳機はない。

「ああ。……だが、セトは、……貴方のせいで、死ぬかも知れない」

 最悪の想定を答えていた。翻訳機を失った耳にも届くよう遣ったシンプルなワード。口から出た未来に、イシャンの胸の奥で業火が燃え盛る。
 握る手に、力がこもる。圧迫された苦しさからか、彼女の口からはうめき声がもれた。

——お前の答えを、愉しみにしているよ。

 答えならば、最初から知っている。
 この頼りない首を、全力で、へし折ってしまえばよかったのだ。

「……い、しゃん……やめ……て……」

 以前は抵抗を見せなかった彼女が、かすれた声で命いを口にした。セトに迷惑をかけたくない、死んでも構わない——と言っていた口が、今頃になって。
 もうセトは、取り返しのつかないところまでいってしまったというのに。

(私が、この人間を殺していれば——)

 眼の奥で熱く燃えあがる炎に身を任せて、その首に渾身こんしんの力を掛けようとした。
 しかし、その掌に収まる生命の柔らかさと温かさが、記憶の扉を開いた。

——なんで、そんなこと言うんだよっ。

 セトの声が、脳裏に響く。
 苦しげな彼女の表情に、思い詰めた金の眼が重なった。

——殺すとか、簡単に言うなよ。お前までどうしたんだ? ウサギが俺らに何かしたか? 何もしてないやつを、リスクがあるからって殺すのか? そんなの……おかしいだろ?

 セトの声で、イシャンを引き止める何かが、胸のなかにんでいる。幼少の頃に手放したはずの良心なのか、思いやりなのか。理屈をもたないは、イシャンの腕からゆっくりと力を奪っていった。

「けほっ……」

 緩んだイシャンの手を跳ねのけ、下から抜け出した彼女の喉が、苦しげな咳を何度も吐き出している。
 茫然ぼうぜんとしたようなイシャンは、彼女の上から身をどけて、自分の顔を右の掌で覆い隠した。目を向けた彼女には、絶望に打ちひしがれているようにも見えた。

「今さら……遅い。……もっと早くに……貴方を殺すべきだった……」

 イシャンの、武器に触れる頻度の高い掌は、ひどく硬い。なんのためにトレーニングを積み重ねてきたのか、価値をなくした掌の下からこぼれ落ちた後悔が、白々とした部屋に消えていく。

「……いしゃん……?」

 喉を押さえながら、呼吸を取り戻した彼女が身を起こした。喉を詰まらせるようなガサガサとした声で、動かなくなってしまった青年の名を呼ぶが、反応はない。ほんの少しのあいだだけ彼女も動けずにいたが、時を思い出したように、イシャンの目を覆う掌へと、弱々しげな手を伸ばした。

「……いしゃん、わたしのはなしを、きいて」

 顔をのぞきこむように、掌を開く。泣きそうな——彼女の心には、そう映った——イシャンの双眸そうぼうに、精一杯の気持ちで、遣える言葉をもって話しかけた。

「わたしは、せとを……まもりたい」
「……何を言っているのか、分からない……貴方に、何ができると言うんだ……」
「……いしゃんは、いった。このままだと、せとは、しぬかもしれない……。……どうして、このまま? いま、せとは、どうなっているの?」
「……肩を撃たれた状態で、医務室に放置されているはずだ。……サクラさんが、治療はしないと言っていた」
「……〈ちりょう〉は、ありあが、できる。ありあは、〈いりょう〉をしてると、いってた」
「……そうだが、サクラさんの許可なくセトを治療すれば……追放の対象になってしまう。……アリアまで巻き込むことになる」
「……〈いむしつ〉の、〈ろぼ〉を、いしゃんは、つかえない……?」
「……権限のない者でも、使うことはできる。ただ、サクラさんに通知がいく。そうすれば、止められてしまうだろう……」
「……さくらを、だませば、できる?」
「……だます……?」
「わたしが、さくらを、とめる。あしどめ、する。そのあいだに……ろきと、いっしょに、せとを〈ちりょう〉して」

 彼女の挙げた名前は、イシャンの頭になかった。実際アリアを脅すことも考えてはいたが、博愛的な彼は責任を自分のものとしてしまう。おそらく望んで追放の罰を受け入れるだろう。イシャンとアリアは昔から深く交流があった。できることなら、彼には穏やかな日々を送ってほしい。イシャンの身勝手な行動の巻き添えにはできない。

 彼女に指摘されるまで意識になかったが、ロキなら、たしかに通信を遮断できるのかも知れない。だが、

「ロキが、協力などするはずがない……」

 ロキに脅しは効かない。駆け引きという意味だけでなく、物理的にも厳しい。日頃からふざけているようなロキだが、彼もまたイシャンやセト同様に武装している。腰のベルトには相手の動きを止める小さなスタンバトンを飾りのように下げ、詳細は分からないが内ポケットにも極小のハンドガンを所持している。彼女は知らないのか。このハウスの人間の多くは、常に。から警戒が取れていない。

 提案を否定したイシャンの掌を、彼女が、ぎゅっと握りしめた。

「だいじょうぶ。ろきは、ぜったい、せとをたすけてくれる」
「何を根拠に……彼らは、仲が良くない。ロキはサクラに……反抗しない。反発はしても、本当に歯向かうようなことは……絶対にしない」
「……いしゃん、いまは、はなすじかんがない……でも、ろきは、せとをたすけてくれる。ぜったいに。……おねがい、わたしを、しんじて」

 ——信じて。
 それが、殺そうとした相手にかける言葉だろうか。たった今しがた、自分の首を絞めた相手に向けるべき言葉として、成立するのだろうか。あるいは、自分の命を守るための、その場かぎりの方便だろうか。

「せとを、まもろう。……いっしょに」

 握った手に強く力を込める彼女の目は、まっすぐにイシャンを見つめている。イシャンには、サクラやティアのように、その眼から相手の心を探ることはできない。——それなのに。

 イシャンからすれば脆弱ぜいじゃくな筋力の手を、握り返していた。
 温かで、頼りないその小さな手を。
 ——信じたいと。
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