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Chap.12 薔薇色に塗り潰すなら

Chap.12 Sec.4

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 流れで連れて来てしまった。

「……とりあえず、座る……か?」

 ベッドへ足先を向けながら尋ねると、ウサギは首を振った。セトの顔から目線をわずかに下げたまま、「このまま、だいじょうぶ」稚拙ちせつな発音で返す彼女は、ドアのそばから離れるようすがない。セトは3秒ほど悩んだが、同じように立ったまま話すことを決めた。

「お前に訊きたいがことがあって……その……サクラさんのことで……」

 サクラの名前に、ウサギが顔を上げた。表情のない顔には、何も思いは浮かんでいないように見える。セトは逡巡しゅんじゅんしていた唇を開き、

「サクラさんに……何か、脅されてるのか?」
「………………」

 血色の悪い頬が、一瞬だけ硬くなったような気がした。しかし、ウサギは言葉の意味を考えるような間をもってから、

「いいえ」

 きっぱりとした口調で、短く答えた。いつかを思い出すようなろう人形の顔。こちらを怖がっているふうではなく、単に何も感じていないように見える。

「そう……だよな。……いや、それなら……いいんだけどよ」
「……はなしは、おわり?」
「ああ、まぁ……そうだな?」
「いしゃんのへやに、いってもいい?」

 文法がマシになっているな、と。頭の端で考えていたせいで反応が遅れた。

「——いや、行かなくていい。行きたくねぇだろ……? イシャンなら、俺が話をつけてきてやるよ」

 最初からそのつもりはあった。自室に連れてくる予定ではなかったが、一度ウサギから引き離して、イシャンとふたりきりで話をしようと思っていた。改めて考えたが、イシャンが本気でウサギを殺すわけがない。そんなことができる人間ではない。長年を共に過ごしてきたのだがら、イシャンの人となりは分かっているつもりだ。感染者の話で不安を覚えたのは事実だが……感染者を死者と同一視する者は多い。ウサギは感染者でないのだから、殺してもいいなんて判断はありえない。
 生殖行為はしない——そんな宣言をされるとは思っていなかったが、そこに執着が無いなら話をつけるのは簡単だ。

 ウサギを残して部屋を出ようとした。が、ドアの前に立っていたウサギはそこを退くことなく、立ち塞がったまま首を振った。

「いい、だいじょうぶ」
「……?」
「わたし、いしゃんのへやに、いく」
「は?」
「いくから……せとは、いい」
「何言ってんだ? 前に……痛い目に遭わされたんだろ? 腕の痕だって……イシャンにやられたんじゃねぇのか?」
「……あれは……ちがう。わたしは、だいじょうぶだから……せとは、いかないで」
「はぁ?」

 思い詰めたような顔で見上げながら、行く手を阻むように両手を前に出した。

「……わたしは、だいじょうぶ。……せとは、もう、わたしを——まもらないで」

 切実な願いを唱えるかのように、彼女は強く訴えた。泣きそうなほど痛切な瞳に動じて、思わずその両手を取り、

「なに言ってんだよ……? 俺は別に、護ってるつもりねぇし……そもそも護れてもいねぇだろ……?」
「……わたしは……せとに、なにもかえせない。だから、めいわく、したくない……」
「迷惑なんて思ってねぇよ」
「ちがう……わたしは……なにも、してない。なにも、できなかった……せとのために、わたしは……できなかった……」
「なんの話をしてんだよ? 昨日のことなら、お前は悪くねぇっつったろ」
「ちがう…………わたしは、せとのために……できるか……わからない。だから、おねがい。わたしに……なにもしないで」

 握っていた手を、振りほどかれた。蒼白な頬に涙は無かったが、何かに追い詰められているかのように逃げる瞳は、もうこちらを見ようともしない。いつものように怖がっている——とは違う気がするのに。その可能性がある以上、再度触れるのはためらわれた。

「……もしも、わたしにできることが……みつかったら、いってください。……せとには、かんしゃしてるから……わたしができることは、なんでもします」

 目を合わさずに、小さく開かれた唇が形式ばったセリフを口にした。彼女にしては明瞭な発音で。まるで練習したみたいに。
 そうして目をらしたまま身体を回すと、ドアに手をかざし、出て行こうとした。

 ——こんな状態で?
 こっちの意見も気持ちも、丸ごと捨て置いて。気遣いのつもりか知らないが——完全な拒絶にしか思えないのは、俺がおかしいのか?

 開かれたドアから逃げて行くその腕を、掴むこともできない。捕まえてしまえば——おそらく酷いことをしてしまう。入り乱れてぐちゃぐちゃとした思考の多くは苛立ちに染まっていて。残された良心のようなものだけが、彼女のことを案じている。傷付けたくないと願っているのは、そのカケラほどの意識だけだ。あとはすべて——苛虐かぎゃく的な衝動。正気じゃない。

——あんたたちが、狂ってるの。

 記憶から、非難の声にささやかれた気がした。今では遠い日々が、くびきとなって平穏を妨げてくる。

——オレって、やっぱおかしい? 異常?
——私は間違っているだろうか?
——ぼくは、変ですか?
——君たちは、“普通”じゃない。

 ……眩暈めまいがする。


——私は“普通”を望んでいるよ。普通が何かも、理解しきれていないのにね。

 閉じたドアに重なる顔は、思い出のなかでも今と同じ青い眼でセトを見つめている。変わるはずない。何も——疑う必要はない。

 胸を痛めつけるこの感情は、無知な彼女の理解をこえた行動に振り回される不快感と、閉塞した日常で知らずしらず蓄積するストレスからくるものであって、一時的な激昂げっこうだと思いたい。——そう思うことにした。
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