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Chap.12 薔薇色に塗り潰すなら
Chap.12 Sec.3
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ヴァシリエフハウスには地階がある。エレベータには表示されず、表向きは分からない。地上よりも比較的に低温の地下には、食料の保管庫やコンピュータ室だけでなく、現在ハウスが所有する武器類の一部も収められている。
武器庫と呼ばれる一室で、イシャンは今日の分の武器を点検し終えたところだった。ロボによって管理されているので、人が調べる必要性は低い。そうであっても、イシャンは丁寧に確認している。人と違ってロボはミスをしないと思われがちだが、その認識は正しくない。プログラムの不具合や環境の変化、あるいは経年劣化によって、問題は起こりうる。それによって引き起こされる事態の責任はロボに負えず、永らく人に残されている。
——今夜か。
夕食のしらせを受けて、その事実に意識を向けた。目の前のハンドガンをひとつ取り、手に馴染ませる。ハンドガンの先端が——延いては、そこから発する弾丸まで——自分自身の身体の一部であるかのように錯覚する。感覚の拡張。トリガーを引くことが、会話するよりも容易だとさえ感じられる。
しかし、これを用いて彼女の殺害を試みることはできない。致死性の高い武器の持ち出しは、サクラの許可が必要となる。スタンガンや麻酔銃のように、低致死性の武器であれば通知がいくだけだが……それでは死に至らず、苦しませるだけになる蓋然性が高い。サクラに勘づかれるのを防ぐには、やはり素手で行うしかない。
北西のエレベータから地上に戻る。イシャンが食堂に着くと、入り口に差し掛かっていたハオロンが振り向いた。
「イシャン! 聞いて! うち昨日、最強の敵を倒したんやって!」
「……?」
「ゲーム! マグナムぶち込んでやったわ!」
「あぁ……前に言っていた……怪物を殲滅するゲームだろうか……?」
「それそれ! ロキにも助けてもらったんやけどぉ、うちの実力がほとんどやの!」
「そうか……」
「それでの、さっきサクラさんに、リアルでもマグナム弾を撃ってみたいって話したらぁ……イシャンに相談したらどうかって言われたんやけどぉ……」
キラキラとした期待のまなざしがイシャンへと向けられる。歩きながら着席のためにテーブル横を進むと、輝かしい瞳も追随した。
廊下側の奥にはセトが座っており、何か言いたそうにイシャンへと目を投げてくる。予想はついている。イシャンはセトからの連絡を無視していた。席を空けるのも不自然なので隣に腰を下ろすと、くっついて来たハオロンも右隣に座った。
「ねぇ、ダメやろか?」
「……サクラさんが許可するなら、私も認める」
「ほんとっ? 撃ってもいいんかぁ? 何発くらいっ?」
「……5発ほどなら」
「少なっ! ……もうちょっと融通してくれんかぁ?」
「………………」
「……あかんの……?」
「…………10発、なら」
「もうひと声!」
「…………12」
「1ダースかぁ……それくらいあれば、ヒグマもいけるやろか……?」
ハオロンの呟きに、イシャンが反応するよりも早く、奥からセトが口を挟んだ。
「は? お前なにやろうとしてんだよ?」
「マグナム弾でヒグマハンティング!」
「ふざけんな! 何考えてんだ!」
「? ……ハウスの森で、じゃないよ? 今度、外に行くときの話やよ……?」
「んなこと分かってる。つか森にクマなんかいねぇだろがっ」
「ほやったら、なんでそんな怒ってるんや……?」
「はぁっ? 危険だからに決まってんだろ!」
「えぇ~……?」
「えーじゃねぇよ、ばか! そんな目的ならサクラさんもイシャンも許可出さねぇぞ。出しても俺が止める。全弾ぶち壊してやる」
「なんでやって! それは酷いわ!」
ふたりがイシャンを挟んで言い争っていると、調理室から現れたメルウィンと、遅れてやって来たティアが同じタイミングで何事かと顔を見合わせた。
「え、なに? どうしたの?」
ハオロンたちを後目に、ティアは窓側の通路を進んで行く。メルウィンは(僕も知らないよ)首を振りながらティアと合流し、そろりと端の席へ着席した。ティアはその隣へ。
「セトは関係ないやろっ? うちのやることに口出さんといて!」
「関係あるだろ! それで怪我したらどうすんだよ!」
「治療したらいいが!」
「怪我で済まなかったら? 死んだらどうすんだ!」
「うちかってアホやないし装備くらいしてくわ! それで死んだとしても自業自得やろ! うちの命やよっ? セトに口出す権利なんて——」
止まらない口論を前に、メルウィンとティアは様子を見つつもロボからサーブを受けた。食堂のドアからはサクラとアリアが顔を出し、その後ろからロキと彼女も姿を見せる。サクラに気づいてセトの勢いが止まった。セトの視線から、ハオロンも言葉を切ってサクラを振り返った。
青い眼が、ふたりを捉える。
「——何を、揉めている?」
色のない声が、静かに問うた。
目を泳がせたセトが、
「いや……これはべつに……」
「セトがぁ、うちのやりたいことを邪魔してくるんやって!」
「お前っ! その言い方は違うだろ!」
口を濁らせたセトとは逆にハオロンが、きぱっとサクラへ訴えた。サクラの後ろにいたアリアは困った顔をして立っている。ロキは「ハオロンが揉めるってレアだねェ~?」ゆるい感想を述べ、彼女の肩を押して窓側の通路を歩いて行った。ティアの隣からひとつ空けて着席し、「ウサちゃんも座れば?」自分の左隣を示した。
サクラは「イシャン、説明してもらえるか?」あいだに居たイシャンへと状況説明を要求し、自然と一同の視線がイシャンに集まる。
「……ハオロンが、マグナム弾でヒグマ狩りをしたいと言い……セトは、危険だからやめさせようと……している」
「それは危険だな。お前は反対していないのか?」
「……口にしていないが、ヒグマを狩る目的なら……使用を認める気はない」
「ならば論争の意味は無いな?」
イシャンの言葉を聞いたハオロンが「えぇ! なんでっ?」声をあげる。セトは「ほらな」当然だというように応え、サーブのためのロボを呼んだ。
「なんであかんの? さっきイシャン、1ダース許可してくれたのに……」
「……目的は、聞いていない」
「ヒグマがあかんの?」
「ハンドガンでは、マグナム弾であってもリスクが高い。……ヒグマを狩るなら、遠方からのライフルを推奨する」
「……ライフルのマグナム弾ならいいんやろか?」
「……それなら……リスクは下がるが……」
「ほんとっ? やったぁ!」
ハオロンがイシャンに縋り付いていると、セトが「誰も許可するなんて言ってねぇだろ」鋭く突っこんだ。
「セトはもう喋らんといて」
「なら黙っててやるけど、許可おりても俺が止めるからな」
「あんた自分は狩りまくってるくせに! なんでうちはあかんのやって!」
「俺は細心の注意を払ってる」
「うちも装備してくって言ってるやろ!」
ハオロンの隣にサクラとアリアが着席した。向かいからハオロンとセトの様子をうかがっていた彼女に、ロキが何か話しかけている。イシャンに聞き取れたのは、過保護というワードだけ。
過保護——とは、奇妙なワードだ。
ハオロンが自身の肉体を危険に晒そうとしても、とやかく言う権利は誰にも無い。リスクを排除し、ハウスや兄弟の保護に努めることが、自分の役割だと思っていたが……相手が望まなければ過剰保護なのか。
配膳がととのってから、イシャンはハオロンに話しかけた。
「ハオロン、……狩りがしたいなら、まずはリスクの低いものから始めるべきだと思うが……?」
「うちは、マグナム弾を撃ってみたいんやって……おっきい獲物に向けて……」
「そうか……それなら、感染者が適しているのだろうか……?」
「えっ?」
「ヒグマは、力もスピードもあってリスクが高い……しかし、感染者ならハオロンよりも弱く……リスクが無いとも言える」
食卓の空気が、止まった。
おのおのの視線は外れていたが、しん、と音がやみ、動きがなくなっていた。
止まっていた時を動かすように、ハオロンが口を開き「感染者って、人間やけどぉ……いいの?」ぽそりと尋ねると、「よくねぇよ。何言ってんだ」セトが厳しい声で否定した。イシャンの目が、セトに流れる。
「? ……セトも、感染者を殺したと言っていただろう……?」
「それとこれとは違う。倒していいのは、やむにやまれずの場合だけだ」
「止むに止まれず——とは、具体的にどういった状況だろう?」
「危機的状況。襲われそうだったら、やるしかねぇだろ」
「感染者が、我々の欲しい物を所持している場合は……?」
「どうしても必要なら、仕方ねぇだろうけど……とにかく、率先してやるのは駄目だ」
「………………」
幾ばくもなくして、メルウィンが食事の開始を告げた。料理に手をつけながら、イシャンは黙考する。横でハオロンが未練がましく唱えている。
「マグナム……体感してみたいのに……ねぇ、サクラさん」
「森での試し撃ちなら、いいんじゃないか?セトも許してくれるだろう」
「動物に当たったら、セト怒らんかぁ?」
「当たらないよう気をつけなさい」
「獲物は……なし?」
「そこはセトと相談したらいい」
「セトと喋りたくないし……サクラさんに許可出してほしいんやけどぉ……」
「森の動物の多くがセトの物だからね。私に許可を求めても意味がないよ」
「ん~……」
ハオロンがセトの方をちらりと見る。セトは目を合わさない。
「……撃ってもいい悪党とかぁ……いればいいんやけどの……」
ハオロンの独り言にだけ、セトは低い声で返した。
「悪党だろうとなんだろうと、全部同じだ。“撃ってもいい人間”なんていねぇよ」
そこから先は、食べ終えたサクラが席を立つまで誰も言葉を交わさなかった。セトの発言について考えていたイシャンは、目を伏せている彼女の姿へと意識を当てた。
——もし、明日以降メルウィンやアリアと夜を過ごすならば、彼女はどちらかを殺める機会を得ることになる。メルウィンとアリアのふたりは、彼女を警戒していない。とりわけ、メルウィンが。
しかし、仮に危害を加えるとして、その目的は何が考えうるのか。すぐに露見する事実から、逃げることもできない。メルウィンに攻撃する必要性は分からない。加虐趣味なら話は別だが……メルウィンに危害を加えるなら、いくらでも機会はあったように思う。イシャンには、彼女が今後あえて危害を加える理由が思いつかない。それでも、したがって安全——というわけではない。かつてのハウスで起きた事態もまた、よく似ている。敵の目的は分からない。——未だに。
「なァ、軍犬くんはウサギ要らなくねェ?」
サクラが食堂を出てから、同じように食事を終えて立ち上がったイシャンに、斜め前から声がかけられた。イシャンの黒い眼がロキに向く。
「……私に訊いているのだろうか?」
「他に誰がいるワケ?」
「……ロキは、セトも私も〈犬〉と呼ぶ。区別がない」
「軍犬は、アンタだけだろ」
「……そうか」
「——で、アンタはウサギに用はねェよな?」
「いいや、用はある」
「は? アンタも手ェ出すってこと?」
「……何か、支障があるだろうか?」
「……アンタって女抱くの?」
「生殖行為は可能だが……?」
「できるできねェじゃなくて。今まで見たことねェけど……?」
「見せる趣味は無い……」
「いやオレも見たくねェし……」
「……何が訊きたいのか、分からないのだが……?」
「……ウサギ、要るの?」
「ああ、必要としている」
一連のやりとりに、横にいたハオロンが、
「ロキ、横取りはあかんよ?」
「分かってるって」
「素直にうちとゲームしよさ。昨日の続き」
「もォよくねェ? ラストまでクリアしたじゃん」
「もう一周いこ! クリア特典でロケットランチャーあるし!」
「ひとりでやれば? ダメージ喰らわねェようにオレがイジっとくからさァ~。そしたらハオロンでも余裕じゃん?」
「チートはあかんよ? 正々堂々やらんと!」
「オレを頼ってる時点でチートじゃねェ……?」
用事が終わったらしいので、イシャンは席を外して出て行こうとした。彼女は、イシャンが呼ばずとも立ち上がり、その後に続く。残っていたメルウィンの心配そうな瞳が、その姿を追った。隣のティアは何も言わずにテーブルを見つめている。
食堂を出ると、イシャンは彼女の斜め後ろに下がった。彼女が振り返るように目線を上げると、
「私の部屋はロキの隣になる。そのまま進んでくれて構わない」
「……はい」
背を見せることを警戒したのではない。彼女に背後から攻撃されようとも対処は可能だろう。いっそ攻撃してくれたほうが都合が良いのだが……彼女にそんな力は無いと思われる。警戒ではなく、背後からセトが来る可能性を考慮していた。彼女による兄弟への危害よりも、彼女を原因とするセトの問題行動をひたすらに危惧している。
「——イシャン!」
調理室に近い南東のエレベータに乗り込むと同時に、呼び声が届き予想が当たった。先に乗り込み振り返っていた彼女が、ぎくりとしたように身を震わせ、その反応の理由を考えながらイシャンも振り返った。駆け寄ったセトもエレベータに足を入れる。
「話が……ある。俺の話が何か、分かってるよな?」
ドアが閉まる。狭い空間で向き合う金の眼は、彼女を気にして詳細を口にできずにいる。それくらいは、イシャンでも見て取れる。
「……“危険は無い”、“ハウスの仲間として接してほしい”、“いい変化もある”、……それ以外に、何か言いたいことがあるなら、聴こう」
「……いや、言いたいことは……同じだな……」
「上に行くが……戻らなくていいのだろうか?」
「ん?」
「デセールを食べに戻らなくてもいいのかと……訊いている」
「あぁ……まあ、それは……べつに」
「そうか」
滑り出すエレベータの内部は明るい。無表情のイシャンを横目に、セトは彼女に背を向けた状態で立っていた。
「……酷いことは、しねぇよな?」
「酷いことが何を指すのか分からない。ただ、あえて言う必要は無いかも知れないが……生殖行為は、しない」
「そう……なのか? ……なんでだ?」
「……するべきだろうか?」
「いや、そういう意味じゃねぇけど……ロキに、必要っつってたから……」
「そう言わなければ、ロキに絡まれると判断した」
「なるほど……?」
エレベータは4階で止まった。展望広間に歩を進める。大きな窓の外は、蒼黒い靄がどこまでも広がっているように見えた。
「……イシャン、」
「……?」
「ウサギは……俺の部屋で寝かせるか? 俺は、森にでも行っとくから」
「……なんのために?」
「……いると、気ぃ遣わねぇか?」
「警戒はするが……一晩くらい眠らなくても、支障は無い」
「そうまでして部屋に置かなくてもいいだろ?」
「用はある」
「用?」
イシャンが、セトの部屋の前で止まった。ともすれば過ぎてしまいそうなほど自室を意識していないセトに、「……セト、入らないのだろうか?」ドアを目で示した。
「……入る……けど」
「けど?」
「……けど、その前に……少しのあいだ、ウサギを俺の部屋に呼んで、話をしてもいいか?」
「……少しの間とは、どれぐらいだろう?」
「……10分くらい……か?」
「それなら、構わない」
ふたりが話を終えて振り返ると、距離を空けていた彼女が、青白い顔で立ち尽くしていた。イシャンは気にすることなく、自室へと向かって行く。
残されたセトと彼女が室内に入り、しばらくして、ふっと火が吹き消されるように廊下の明かりが消えた。
武器庫と呼ばれる一室で、イシャンは今日の分の武器を点検し終えたところだった。ロボによって管理されているので、人が調べる必要性は低い。そうであっても、イシャンは丁寧に確認している。人と違ってロボはミスをしないと思われがちだが、その認識は正しくない。プログラムの不具合や環境の変化、あるいは経年劣化によって、問題は起こりうる。それによって引き起こされる事態の責任はロボに負えず、永らく人に残されている。
——今夜か。
夕食のしらせを受けて、その事実に意識を向けた。目の前のハンドガンをひとつ取り、手に馴染ませる。ハンドガンの先端が——延いては、そこから発する弾丸まで——自分自身の身体の一部であるかのように錯覚する。感覚の拡張。トリガーを引くことが、会話するよりも容易だとさえ感じられる。
しかし、これを用いて彼女の殺害を試みることはできない。致死性の高い武器の持ち出しは、サクラの許可が必要となる。スタンガンや麻酔銃のように、低致死性の武器であれば通知がいくだけだが……それでは死に至らず、苦しませるだけになる蓋然性が高い。サクラに勘づかれるのを防ぐには、やはり素手で行うしかない。
北西のエレベータから地上に戻る。イシャンが食堂に着くと、入り口に差し掛かっていたハオロンが振り向いた。
「イシャン! 聞いて! うち昨日、最強の敵を倒したんやって!」
「……?」
「ゲーム! マグナムぶち込んでやったわ!」
「あぁ……前に言っていた……怪物を殲滅するゲームだろうか……?」
「それそれ! ロキにも助けてもらったんやけどぉ、うちの実力がほとんどやの!」
「そうか……」
「それでの、さっきサクラさんに、リアルでもマグナム弾を撃ってみたいって話したらぁ……イシャンに相談したらどうかって言われたんやけどぉ……」
キラキラとした期待のまなざしがイシャンへと向けられる。歩きながら着席のためにテーブル横を進むと、輝かしい瞳も追随した。
廊下側の奥にはセトが座っており、何か言いたそうにイシャンへと目を投げてくる。予想はついている。イシャンはセトからの連絡を無視していた。席を空けるのも不自然なので隣に腰を下ろすと、くっついて来たハオロンも右隣に座った。
「ねぇ、ダメやろか?」
「……サクラさんが許可するなら、私も認める」
「ほんとっ? 撃ってもいいんかぁ? 何発くらいっ?」
「……5発ほどなら」
「少なっ! ……もうちょっと融通してくれんかぁ?」
「………………」
「……あかんの……?」
「…………10発、なら」
「もうひと声!」
「…………12」
「1ダースかぁ……それくらいあれば、ヒグマもいけるやろか……?」
ハオロンの呟きに、イシャンが反応するよりも早く、奥からセトが口を挟んだ。
「は? お前なにやろうとしてんだよ?」
「マグナム弾でヒグマハンティング!」
「ふざけんな! 何考えてんだ!」
「? ……ハウスの森で、じゃないよ? 今度、外に行くときの話やよ……?」
「んなこと分かってる。つか森にクマなんかいねぇだろがっ」
「ほやったら、なんでそんな怒ってるんや……?」
「はぁっ? 危険だからに決まってんだろ!」
「えぇ~……?」
「えーじゃねぇよ、ばか! そんな目的ならサクラさんもイシャンも許可出さねぇぞ。出しても俺が止める。全弾ぶち壊してやる」
「なんでやって! それは酷いわ!」
ふたりがイシャンを挟んで言い争っていると、調理室から現れたメルウィンと、遅れてやって来たティアが同じタイミングで何事かと顔を見合わせた。
「え、なに? どうしたの?」
ハオロンたちを後目に、ティアは窓側の通路を進んで行く。メルウィンは(僕も知らないよ)首を振りながらティアと合流し、そろりと端の席へ着席した。ティアはその隣へ。
「セトは関係ないやろっ? うちのやることに口出さんといて!」
「関係あるだろ! それで怪我したらどうすんだよ!」
「治療したらいいが!」
「怪我で済まなかったら? 死んだらどうすんだ!」
「うちかってアホやないし装備くらいしてくわ! それで死んだとしても自業自得やろ! うちの命やよっ? セトに口出す権利なんて——」
止まらない口論を前に、メルウィンとティアは様子を見つつもロボからサーブを受けた。食堂のドアからはサクラとアリアが顔を出し、その後ろからロキと彼女も姿を見せる。サクラに気づいてセトの勢いが止まった。セトの視線から、ハオロンも言葉を切ってサクラを振り返った。
青い眼が、ふたりを捉える。
「——何を、揉めている?」
色のない声が、静かに問うた。
目を泳がせたセトが、
「いや……これはべつに……」
「セトがぁ、うちのやりたいことを邪魔してくるんやって!」
「お前っ! その言い方は違うだろ!」
口を濁らせたセトとは逆にハオロンが、きぱっとサクラへ訴えた。サクラの後ろにいたアリアは困った顔をして立っている。ロキは「ハオロンが揉めるってレアだねェ~?」ゆるい感想を述べ、彼女の肩を押して窓側の通路を歩いて行った。ティアの隣からひとつ空けて着席し、「ウサちゃんも座れば?」自分の左隣を示した。
サクラは「イシャン、説明してもらえるか?」あいだに居たイシャンへと状況説明を要求し、自然と一同の視線がイシャンに集まる。
「……ハオロンが、マグナム弾でヒグマ狩りをしたいと言い……セトは、危険だからやめさせようと……している」
「それは危険だな。お前は反対していないのか?」
「……口にしていないが、ヒグマを狩る目的なら……使用を認める気はない」
「ならば論争の意味は無いな?」
イシャンの言葉を聞いたハオロンが「えぇ! なんでっ?」声をあげる。セトは「ほらな」当然だというように応え、サーブのためのロボを呼んだ。
「なんであかんの? さっきイシャン、1ダース許可してくれたのに……」
「……目的は、聞いていない」
「ヒグマがあかんの?」
「ハンドガンでは、マグナム弾であってもリスクが高い。……ヒグマを狩るなら、遠方からのライフルを推奨する」
「……ライフルのマグナム弾ならいいんやろか?」
「……それなら……リスクは下がるが……」
「ほんとっ? やったぁ!」
ハオロンがイシャンに縋り付いていると、セトが「誰も許可するなんて言ってねぇだろ」鋭く突っこんだ。
「セトはもう喋らんといて」
「なら黙っててやるけど、許可おりても俺が止めるからな」
「あんた自分は狩りまくってるくせに! なんでうちはあかんのやって!」
「俺は細心の注意を払ってる」
「うちも装備してくって言ってるやろ!」
ハオロンの隣にサクラとアリアが着席した。向かいからハオロンとセトの様子をうかがっていた彼女に、ロキが何か話しかけている。イシャンに聞き取れたのは、過保護というワードだけ。
過保護——とは、奇妙なワードだ。
ハオロンが自身の肉体を危険に晒そうとしても、とやかく言う権利は誰にも無い。リスクを排除し、ハウスや兄弟の保護に努めることが、自分の役割だと思っていたが……相手が望まなければ過剰保護なのか。
配膳がととのってから、イシャンはハオロンに話しかけた。
「ハオロン、……狩りがしたいなら、まずはリスクの低いものから始めるべきだと思うが……?」
「うちは、マグナム弾を撃ってみたいんやって……おっきい獲物に向けて……」
「そうか……それなら、感染者が適しているのだろうか……?」
「えっ?」
「ヒグマは、力もスピードもあってリスクが高い……しかし、感染者ならハオロンよりも弱く……リスクが無いとも言える」
食卓の空気が、止まった。
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「………………」
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「マグナム……体感してみたいのに……ねぇ、サクラさん」
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「セトと喋りたくないし……サクラさんに許可出してほしいんやけどぉ……」
「森の動物の多くがセトの物だからね。私に許可を求めても意味がないよ」
「ん~……」
ハオロンがセトの方をちらりと見る。セトは目を合わさない。
「……撃ってもいい悪党とかぁ……いればいいんやけどの……」
ハオロンの独り言にだけ、セトは低い声で返した。
「悪党だろうとなんだろうと、全部同じだ。“撃ってもいい人間”なんていねぇよ」
そこから先は、食べ終えたサクラが席を立つまで誰も言葉を交わさなかった。セトの発言について考えていたイシャンは、目を伏せている彼女の姿へと意識を当てた。
——もし、明日以降メルウィンやアリアと夜を過ごすならば、彼女はどちらかを殺める機会を得ることになる。メルウィンとアリアのふたりは、彼女を警戒していない。とりわけ、メルウィンが。
しかし、仮に危害を加えるとして、その目的は何が考えうるのか。すぐに露見する事実から、逃げることもできない。メルウィンに攻撃する必要性は分からない。加虐趣味なら話は別だが……メルウィンに危害を加えるなら、いくらでも機会はあったように思う。イシャンには、彼女が今後あえて危害を加える理由が思いつかない。それでも、したがって安全——というわけではない。かつてのハウスで起きた事態もまた、よく似ている。敵の目的は分からない。——未だに。
「なァ、軍犬くんはウサギ要らなくねェ?」
サクラが食堂を出てから、同じように食事を終えて立ち上がったイシャンに、斜め前から声がかけられた。イシャンの黒い眼がロキに向く。
「……私に訊いているのだろうか?」
「他に誰がいるワケ?」
「……ロキは、セトも私も〈犬〉と呼ぶ。区別がない」
「軍犬は、アンタだけだろ」
「……そうか」
「——で、アンタはウサギに用はねェよな?」
「いいや、用はある」
「は? アンタも手ェ出すってこと?」
「……何か、支障があるだろうか?」
「……アンタって女抱くの?」
「生殖行為は可能だが……?」
「できるできねェじゃなくて。今まで見たことねェけど……?」
「見せる趣味は無い……」
「いやオレも見たくねェし……」
「……何が訊きたいのか、分からないのだが……?」
「……ウサギ、要るの?」
「ああ、必要としている」
一連のやりとりに、横にいたハオロンが、
「ロキ、横取りはあかんよ?」
「分かってるって」
「素直にうちとゲームしよさ。昨日の続き」
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「チートはあかんよ? 正々堂々やらんと!」
「オレを頼ってる時点でチートじゃねェ……?」
用事が終わったらしいので、イシャンは席を外して出て行こうとした。彼女は、イシャンが呼ばずとも立ち上がり、その後に続く。残っていたメルウィンの心配そうな瞳が、その姿を追った。隣のティアは何も言わずにテーブルを見つめている。
食堂を出ると、イシャンは彼女の斜め後ろに下がった。彼女が振り返るように目線を上げると、
「私の部屋はロキの隣になる。そのまま進んでくれて構わない」
「……はい」
背を見せることを警戒したのではない。彼女に背後から攻撃されようとも対処は可能だろう。いっそ攻撃してくれたほうが都合が良いのだが……彼女にそんな力は無いと思われる。警戒ではなく、背後からセトが来る可能性を考慮していた。彼女による兄弟への危害よりも、彼女を原因とするセトの問題行動をひたすらに危惧している。
「——イシャン!」
調理室に近い南東のエレベータに乗り込むと同時に、呼び声が届き予想が当たった。先に乗り込み振り返っていた彼女が、ぎくりとしたように身を震わせ、その反応の理由を考えながらイシャンも振り返った。駆け寄ったセトもエレベータに足を入れる。
「話が……ある。俺の話が何か、分かってるよな?」
ドアが閉まる。狭い空間で向き合う金の眼は、彼女を気にして詳細を口にできずにいる。それくらいは、イシャンでも見て取れる。
「……“危険は無い”、“ハウスの仲間として接してほしい”、“いい変化もある”、……それ以外に、何か言いたいことがあるなら、聴こう」
「……いや、言いたいことは……同じだな……」
「上に行くが……戻らなくていいのだろうか?」
「ん?」
「デセールを食べに戻らなくてもいいのかと……訊いている」
「あぁ……まあ、それは……べつに」
「そうか」
滑り出すエレベータの内部は明るい。無表情のイシャンを横目に、セトは彼女に背を向けた状態で立っていた。
「……酷いことは、しねぇよな?」
「酷いことが何を指すのか分からない。ただ、あえて言う必要は無いかも知れないが……生殖行為は、しない」
「そう……なのか? ……なんでだ?」
「……するべきだろうか?」
「いや、そういう意味じゃねぇけど……ロキに、必要っつってたから……」
「そう言わなければ、ロキに絡まれると判断した」
「なるほど……?」
エレベータは4階で止まった。展望広間に歩を進める。大きな窓の外は、蒼黒い靄がどこまでも広がっているように見えた。
「……イシャン、」
「……?」
「ウサギは……俺の部屋で寝かせるか? 俺は、森にでも行っとくから」
「……なんのために?」
「……いると、気ぃ遣わねぇか?」
「警戒はするが……一晩くらい眠らなくても、支障は無い」
「そうまでして部屋に置かなくてもいいだろ?」
「用はある」
「用?」
イシャンが、セトの部屋の前で止まった。ともすれば過ぎてしまいそうなほど自室を意識していないセトに、「……セト、入らないのだろうか?」ドアを目で示した。
「……入る……けど」
「けど?」
「……けど、その前に……少しのあいだ、ウサギを俺の部屋に呼んで、話をしてもいいか?」
「……少しの間とは、どれぐらいだろう?」
「……10分くらい……か?」
「それなら、構わない」
ふたりが話を終えて振り返ると、距離を空けていた彼女が、青白い顔で立ち尽くしていた。イシャンは気にすることなく、自室へと向かって行く。
残されたセトと彼女が室内に入り、しばらくして、ふっと火が吹き消されるように廊下の明かりが消えた。
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