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Chap.11 致死猫は箱の中

Chap.11 Sec.1

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 眠れない覚悟をしていたが意外と眠れた。目が覚める感覚で、セトはその事実に気づいた。聴いていた音楽はいつのまにか消えていた。

 時間を確認すると時刻は朝。最後に見た時から5時間ほど過ぎていて、つまりそれくらい眠っていたということになる。
 イスのシートから背を離し、ストレッチで首を軽く左右に動かした。朝ではあったが、設定を変えていたので私室の照明は暗いまま。窓も遮光モード。外に走りに行くにしては遅い時間だが……どうしようか。朝食でもいいが、ウサギがいる。迷う頭で立ち上がって、静かにベッドへと近づいた。目をつぶって横を向く顔から、まだ眠っているかと思
 ぱちっ。いきなり開いた目に、思わず身を引いていた。

「お……起こした、か?」

 びっくりして上擦うわずった声が出る。ウサギはむくりと体を起こした。寝起きにしてはしっかりした動きで、意識も明瞭そうである。まるで起きていたみたいに。

「……せと……おはよう?」
「ああ……おはよう」
「……アサ?」
「……おう」

 室内を見回すウサギの疑問に答えるべく、窓の遮光を解いた。曇りのため、そこまで明るくはない。照明も適度な光量でともった。
 ベッドから降りようとするウサギに、

「お前、ちゃんと眠ってたか?」
「? ……わたし、ねむる、した」
「なら……いいんだけどよ……」
「べっど、ありがとう」
「ん」
「……せとは?」
「ん?」
「……せとは、ねむる、できた?」
「……まぁ、それなりに」
「……ソレナリ?」
「——そんなことより。お前、着替えて来いよ」
「?」

 立ち上がったウサギの首から胸元まで、き出しになった素肌が光にさらされる。目の行き場に困り、「寒いだろ」適当な言い訳をつぶやいて浴室の方へと促した。

「……ふく?」
「ああ、なんでもいいから着ろよ。……あったかそうなやつとか」
「……アッタカ、そう?」
「いや、なんでもねぇ。……いいから。行けって」

 足を止めたウサギが振り返ろうとしたので、気持ち強めに言うと、大人しく浴室へと歩いて行った。今のは言い方がきつかったかも知れない。怖がるようすは無かったが……胸の内までは分からない。
 自然とため息が出る。気だるい身体をベッドに投げ出した。寝転んでぼんやりと天井を眺める。このまま眠ろうと思えば眠れそうな気がして、目を閉じた。身体が重いのは長時間座っていたせいか、それとも——。

 時間が経ってから、浴室のドアが開く音がした。ウサギが歩いて傍らまでやって来る気配。
(ここで俺が眠ってたら、どうすんだ……?)
 目を開けるのが億劫おっくうだったのもあるが、半分以上はよこしまな好奇心で、空寝そらねして気づかないフリをした。

「……せと?」

 右手から呼び声が。そろそろと近寄って来る感じも。
 頭の横で、長い髪がベッドに流れ落ちた音がした。ふわりと鼻腔びこうをくすぐる香りに、(そういや前に顔を触ってきたよな……?)以前も同じことがあったのを思い出した。急に気まずさと焦燥感が生まれる。

 すぐそば。息の掛かる近さで見つめられている。気がする。変に意識したせいで、温度を伴った彼女の香りが記憶にひも付き、余計な感覚を思い起こした。最悪だ。自分で自分の首を絞めている。目を開けてしまおうと決めた矢先に、何かが——指先か——触れた。頬に。(どうすんだこれ……)動けない。

 散乱する思考を笑うように、指先が肌の上をなぞった。さすがにそれは——ふざけている。

「——襲われてぇのか」

 目を開くのと同時に、顔に伸びていたウサギの手をつかんだ。脅しも込めて、強く。のぞき込んでいた顔は驚いたように目をみはったが、何故か期待したほどおびえることなく、言葉の意味を考える間を取ってから、

「……はい」

 肯定が聞こえた。
 空耳だと思う。首を縦に振ったのも、寝不足からの幻覚で納得できる。脳内で解決したが、目前でこちらをじっと見つめてくる黒いふたつの瞳が……まっとうな思考をぶち壊した。

「——は?」

 心の乱れがそのまま顔に出た。怒ったつもりは少しもないが、ウサギは当然のようにそこでビクッと身を震わせた。そのまま弾かれたように身を離しかけ、しかし、こちらが手を掴んでいたせいで中途半端にとどまった。
 捕らえられた手に戸惑ったウサギが、離してほしいとでも言いたげに手を引いてみせる。力は緩めなかった。離すつもりはない。掴んだまま寝ていた上体を起こした。

「お前……今〈はい〉っつったか?」

 つながった手の先で、たちまち赤くなった顔が泣きそうにゆがんだ。涙が浮かぶ目に焦りも覚えたが、それよりも、恥じ入るようなその表情にあまり良くない感情が鎌首をもたげている。
 問いへの答えは無い。返答を要求する意味で手を軽く引くと、「……はい」小さく肯定が出た。

「……それ、俺の言った意味、ほんとに分かって言ってんのか?」
「……はい」
「俺に襲ってほしいって?」

 具体的に問うと、ぎゅっと一度まぶたを閉じてから、うるんだ目でこちらを見つめ、

「…………はい」

 ——たぶん、これはかなり都合の良い夢かVRか、とにかくそういう幻だ。でなければ成り立たない。状況の展開についていけない。試されている? そんな可能性もよぎった。良心か何かを探られているとしても——知るか。向こうが踏み込んで来たのだから、責任の所在はこちらに無い。この手を引き寄せるのに、ためらう気なんて——ない。

 身を離そうとしていた細い身体を、強く引いた。脆弱ぜいじゃくな力では抗えず、彼女は容易たやすくセトの胸へと倒れ込む。抱きとめた腕の力強さに身を固くするが、セトはその反応を無視して、見上げた彼女の唇に口付け——る、前に。

《ピリピリピリピリ》

 機械音が、鼓膜を刺した。
 顔をしかめて音源に目を向ける。セトの手首に巻かれたブレス端末が発するその音は、聞き覚えがあった。

「ロキのやつ……」
「……ろき?」

 辟易へきえきしてらした名に、腕のなかのウサギが反応した。ウサギの上体を横にずらして立ち上がる。足早くドアに進み、開けると、やはり。まぶしい色とりどりの青年が、

「——ウサギは? どこ?」

 疑惑のアースアイを向けていた。

「お前……なんで起きてんだよ……」

 思わず嫌気の差した声が出る。遅い朝だとは思ったが、ロキが起きる時間では絶対にない。

「何時に起きよォとオレの勝手——って昨日も言ったくねェ?」
「……これ止めろ。うるせぇ」

 ロキが自身のブレス端末に触れると、機械音はピタリとやんだ。頭痛をまねいていた不快な音が消え、ようやくまともにロキをにらむ。

「なんの用だ?」
「てめェに用なんかねェよ。オレが捜してンのはウサギ。ミヅキもどきが、お客さまは犬小屋の中にいるって言うから? 発情期のワンワンが閉じめてンのかねェ~?」
「あ? 誰が発情期だ。お前と一緒にすんな」
「あっ、ウサちゃん見ィ~っけ!」

 背の高いロキは、ひよっと横に顔を出し、目的を発見する。ウサギのほうも様子を見ようとベッドから立ち上がっていたらしく、ロキと目が合うとドアまで寄って来た。

「……おはよう、ろき」
「おはよ~じゃなくてさァ……なんでこんなとこにいンの? ウサちゃん学習能力ない? 追い出されたらオレの部屋って言ったよなァ?」
「…………?」
「あ~ハイハイいつものやつね、相変わらず分かンないねェ?」
「……ろきの、へや?」
「ン? 少しは聞き取れた?」
「わたし、ろきのへや、わからない」
「あ~そォいや結局教えてないっけ。こっち、すぐ隣。ほら行こォぜ」

 近寄ったウサギの肩に長い腕を回して、ロキは自身の方へと呼び寄せた。ほとんど抱きしめているのと変わらない。にもかかわらず、ウサギは抵抗することも身をすくめることもなく、多少困った雰囲気を出しただけで平然としている。まったく恐れていない。
 (俺とすげぇ差じゃねぇか……)内心イラっとしたセトの感情は、おそらく顔に出ている。それに気づいたわけではないが、彼女は慌てたようにロキへと、

「ろき、まって」
「ン? なに?」
「わたし……せと、と……」

 言いよどんだウサギの目が、こちらを向く。1秒の重なった視線の奥で、何か迷いが見えた気がした。引き止めてほしいようには——感じられない。

 耐えかねたロキが「ワンちゃんは、もうアンタを必要としてねェってさ。オレと行こ」強制的に連れ出す。一瞬それを止めようとしたが、

——ロキ君の前では、アリスちゃんに冷たくしたほうがいいと思うな。

 ティアの助言が、出そうとした手を制した。ウサギは迷うように振り返ったが、ロキの言葉どおり本当に必要とされていないと感じたのか、素直にロキへと従うようすを見せた。
 ——あたりまえか。ウサギはロキが好きなわけで。なら俺を誘ったのはなんだ? って話になるが……理解できないのは今さらか。

 ロキの私室は隣。ふたりの姿はまだ視界にあったが、面倒になってドアを閉めた。いろいろとムカつく気持ちもあるが、半端に放り出された期待の収拾が、もっとも難しい気がする。再度ベッドに転がって仰向けになりながら、重たい身体にいっそもう一度眠気がこないかと待ち望んでみるが……。

 セトの望みに反して睡魔は訪れず、1時間後の食堂で、機嫌の悪い姿を見せることとなる。
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