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Chap.7 墜落サイレントリリィ

Chap.7 Sec.3

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 テーブルの上にひとりぶんの朝食を整えて、メルウィンは席に着いた。食堂のリフェクトリーテーブルではなく、調理室に設置された小さな正方形のほうで。
 窓ぎわに置かれたテーブルには、朝の涼やかな光に包まれた一輪挿しと、薄いピンクのシュウメイギク。その手前にはクリームチーズに野菜たっぷり載せたスモーブロー。いわゆるオープンサンド。昨日作ったカボチャのポタージュが入ったカップも横に。色相が暖かく、重なる香りは甘くこうばしい。口許くちもとがほころぶ。

「いただきます」

 手を合わせて唱えた。ポタージュを口にして、温かさとなめらかな舌触りに満足する。

 今朝は食堂にまだ誰も来ていない。朝食は基本的にみな自由気ままではあるが、この時間になってもセトとイシャンが来ないのは珍しい。時に彼らは、メルウィンより早く起きて外に出ていることがある。外といっても、敷地内の話。

 静かで穏やかな朝になると思っていたメルウィンは、食堂へと人が入る気配から、スモーブローをカットしようとしたナイフを止めた。イスから腰を上げて、隣の食堂をのぞきに行く。

「……セトくん?」
「ああ、おはよう」
「おはよう」

 セトだった。驚くことなく挨拶を返して戻ろうとしてから、知らない香りに気づき、再度セトの方を改めて見た。

「……ぁ」

 体格の良いセトに隠れて、長い黒髪がそろりと流れた。姿を現したそのひとは、昨日このハウスにやってきた——娼婦プロスティチュートという肩書きの——他人だった。メルウィンはまだ言葉を交わしていない。

「……コンニチハ」
「こんにちは」

 ぎこちない発音の挨拶に応えると、そのひとは少しホッとしたように目許を緩めた。怖いひとではないようだった。

「メルウィンはまだ話してねぇよな? こいつ、ウサギな。共通語知らねぇから会話が難しいけど……まあ、なんとなく伝わる……こともある。おい、ウサギ。メルウィンな。お前が食った料理のほとんどはメルウィンが作ってる」
「メルウィン・ウェスタゴールです。よろしく、アリスさん」

 セトの紹介に続いて名乗ると、そのひとは腰を折って深く頭を下げ、その所作にが浮かんだ。セトも同じことを思っていそうな顔をしていた。金の眼がこちらに流れ、

「なんでアリスなんだよ。俺はウサギっつったろ」
「ティアくんが、アリスって呼んでいたから……だめだった?」
「べつに」
「本名はどっちなの?」
「いや、名前はぇらしい」
「そんなことって……あるの?」
「あるんだから、あるんだろ」
「……それなら、なんでウサギとアリスなの?」
「ウサギは俺が名付けて、アリスはティアが付けたんだよ」
「ぇ……どうしてウサギなの?」
「そういう眼してるだろ」
「…………ぇえっと?」
「それより、ちょっとこいつ見ててくれよ。朝食もなんか適当に与えてやってくれ。俺は娯楽室行ってくるから」
「……ぇえっ?」
「すぐ戻る。なんか美味うまいもん作るなら俺の分も作っといてくれ。頼むな」

 勝手に自己完結して去っていく後ろ姿を引きとめることも叶わず、ほぼ初対面のそのひととふたりきりで取り残された。様子をうかがうと、目が合った。互いに困った顔で見つめ合う。

「朝食は……スモーブローでも……ぁ、分からないですよね……えっと、すこし、待っていてください」

 調理室に行き、スモーブローが載ったプレートを持って戻る。不安そうにしていたそのひとは、プレートを見せると首をかしげた。

「朝食に、スモーブローはどうですか?」
「……すもうぶろ?」
「オープンサンドだと伝わりますか?」
「おーぷんさんど……これは、すもうぶろ? おーぷんさんど?」
「おんなじです。アリスと、ウサギ……という感じで……僕としては、スモーブローです」
「すもーぶろ」
「はい。どうですか?」
「…………?」
「ええっと……スモーブロー、食べませんか?」
「……はい。……アリガトウ」
「それなら、作りますね」
「……つくる。……つくる、わたしも……いい?」
「え?……えっと、あの……マシンではなくて、手でやりますよ?……つまり、その……面倒ですよ?」
「……わたしは、だめ?」
「だめだなんて!……ぁ、いえっ……その……普通は、しないことなので……」
「……ゴメンナサイ」
「いえっ……謝らないでください」
「……ゴメンナサイ、きらい?」
「えっと、嫌いとかではなく……ぇえっと……」

 頭が沸騰ふっとうしてきた。身内以外と話すのが久しぶりすぎて、しかも共通語が分からないだって、そんなひとがいることにもびっくりだった。

「あのっ……それなら、一緒に……作りましょう」

 思いきって声をかけたが、そのひと——アリスは、ぱちりとまばたきして停止した。伝わらなかったのかな。不安な気持ちで反応を見守ると、言葉の意味を咀嚼そしゃくしたらしい彼女は、わずかに表情を明るくした気がした。

「はい」

 娼婦という言葉から、無意識のうちにイメージを作って抵抗を覚えていたが、その肯定を返した顔はどことなく嬉しそうで、安堵あんどにも見えて。
 不思議なことに一瞬で親近感を覚えていた。このハウスにいる——誰に対してよりも。

(この場所を任されてから、料理を人とするのは……初めてだ)

 緊張のなかに高揚する気持ちが生まれている。メルウィンの静かで穏やかな朝は、少しだけ、色を変えようとしていた。
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