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Chap.6 赤と黒の饗宴
Chap.6 Sec.3
しおりを挟む夕食はとても豪勢な料理だった。これらの食材はどうやって手に入れるのだろう。スーパーなんて物はこの世界に存在していない気がするのだが、そうなるとすべてにおいて疑問が湧いてくる。電気とか、水とか、ガスとか。ライフラインはどこから得ているのだろう。私が思い違いしているだけで、この世界は崩壊なんてしていないのだろうか。
食事を終えて席を立つ彼らを見送りながら、そんなことを考えていた。
私の食器はすでにロボットによって片付けられている。席を立たないでいるのは単に行き場がないから。
ティアは少ない量の料理を食べきって早々にいなくなってしまい、セトは相変わらず大量に食べていたが、食後は私の方を一度も見ないで部屋から出て行ってしまった。助けを求めて彼の名前を呼んでしまったせいかも知れない。……あれは、最悪だった。また彼の立場を悪くしてしまった。もう二度と、呼んではいけない。
「——ねぇ、あんた名前なんてゆうの?」
最後まで残っていたのは、隣のロキと、その奥にいたハオロン。ロキは食べ終わっていたが、デザートをゆっくり食していたハオロンと会話をしていた。そのふたりの会話が途切れ、ハオロンが唐突に私へと声をかけたのだった。
聞き取りにくい、単調な話し方。簡単な文だから理解できたが、この質問の答えはある意味もっとも難しい。
「……うさぎ?」
「なんやの。みんな兎って言ってたけどぉ、ほんとの名前なんか? あだ名やないの?」
懐疑的な目を向けられる。この名前がすんなり受け入れられない理由はなんだろう。悪口かと思ったが、セトはそんな名前で呼ぶひとでもないような。……確証はないが。
「……うさぎ、か……ありす?」
「ありす?」
「そォいやティアが言ってたねェ? アリス派とかなんとか」
間にいたロキが口を挟んだ。
「名前に派閥があるんかぁ……?」
「共通語も話せねェって、どォゆうことかねェ~?」
「? ……いま喋ってるけどぉ?」
「拾ってからティアが教えたらし~よ? どこまでホントか知らねェけどさァ」
「あぁ、さっき知らん言語で話してたわ……サクラさんも話してたけどぉ、何語か分からんの」
「オレは分かったけどねェ~」
「そぉなんかぁ? 何語?」
「ン~? ……ナイショ」
「……どぉせ分かってないんやろ? 変な強がりせんとぉ正直に生きね」
「オレって信用ないねェ?」
「信用は日頃の積み重ねやでの」
「ハイハイ」
ロキのアクのある発音と、ハオロンの高低差が小さい単調な音。正反対なふたりなのに揺れやすい語尾。どちらも聞き取りにくい。前者はまだ単語がはっきりしているぶん分かりやすいのか。後者は最難関だ。クリアできる気がしない。
「ほんで? ありす? ——は、今のうちらの話も聞き取れてないんかぁ?」
カップを傾けたハオロンに名を呼ばれたが、何を問われたのか分からない。疑問文というよりは独り言みたいな響きだった。オレンジ色の眼がこちらを探っている。
「……なんで連れて来たんやろか?」
「知らねェ~。まァ退屈しねェし、い~んじゃねェの? 公然と連れ込めるワケだし?」
「うち、ほんと言うとぉ……他人は入れたくないんやけどの……」
「君主様の命令には従お~ぜ」
「……理解できんわ。サクラさんがいちばん嫌やったやろぉ? ……セトが気に入ったからぁ、伴侶として許可したんやろなって……思ってたんやけどぉ……」
「それはねェな。ワンちゃんは一生サクラの飼い犬として生きるらし~から」
「…………忠犬やの」
「それイイ悪口じゃねェ? オレも遣お~」
「うち、褒めてるんやけど」
ざりざりとした笑い声をあげたロキに、ハオロンがとげとげしい横目を投げ、ふうっと息をついた。そのタイミングで、ふたりは手首に着けたブレスレットから何かを感じたのか、同時に視線を手首へと落とした。
ハオロンが指先でブレスレットに触れ、空間に映し出し操作をしている。
「なんてェ?」
「……あぁ、そのありすについてとぉ、さっき言ってたカードの話やの。順番決めるからゲームに参加するようにって。娯楽室やわ……サクラさんが美味しいワインも出すんやって。歓迎会みたいなもん?」
「レクリエーションみたいで懐かしいねェ。奇しくも今日は日曜だし? ガキの頃は毎週レクの企画あったよなァ~」
「……ほやの。うち、かくれんぼが好きやったわ」
「オレはシューティング」
「あぁ、ロキ上手かったの。鬼ごっことか警泥も楽しかったけどぉ、捕まえるのはセトが無双するしの……勝てんのは嫌いやわ」
「——やめよォぜ? 昔話なんてジジくせェ」
「あんたが始めたんやが……それより。上、行くかぁ?」
「そ~ねェ……ウサ子ちゃんも、オレが連れて行ってあげよっか?」
ほぼ空気と化していた私の肩に、ロキが手を乗せた。なかば聞き取りをあきらめて室内の調度品を眺めていたので、ドキリと身構えたが、顔をのぞき込まれただけで何もされない。
「…………?」
「ホンットなんも分かってねェな……そりゃアンタ、娼婦ぐらいしかやれね~ワケだ」
「こら、そんな意地悪言わんの。はよ行ってワイン飲もさ」
「オレはワイン好きじゃねェし」
「スパークリングは好きやったやろ? 無かったらサクラさんに出してもらいね」
立ち上がったハオロンは、ロキの腕を私から外して、出入り口のドアを指さした。
「ありすも、行こさ」
「……はい」
どこへ? と訊きたかったが、意味がないのでやめた。小さな顔が「素直やの」可愛らしくほころぶ。
イスから立ち上がってハオロンを追うと、後ろでロキが「あァ~あ。みんなワインばっか好きでさァ……あんなの渋いだけじゃねェ? ……全ッ然わかんねェ」ブツブツと文句のようなものを吐き出しつつ、ついて来ていた。
廊下の床は硬く、夕焼けの色に似たライトによって照らされ輝いている。先ほどよりも明かりに赤みが増しているのは、車の中と同じでライトの色が時間とともに変化するからだろう。きっと朝は青白い光を反射し、また違った様相になる。
出て右の廊下を進んでいくハオロンの三つ編みが、灯火のような色をして揺れている。それを見つめて歩いていると、追いついたロキが私の横にならんだ。右上から、じろじろと見定められている気配がする。視線を合わせてはいけない気がして、早歩きに小柄なハオロンの背中を追った。
突きあたりの所にあった、透明の柱。廊下は更に左へ折れて進めるようだったが、ハオロンはその透明の柱にブレスレットをつけた手をかざし、ドアを開けた。サクラの部屋にあった物よりも一回り大きいが、エレベーターとして機能しているらしい装置だった。
内部には奥に鏡があり、ハオロンとロキの他にもうひとり、長い黒髪の女性が映っている。何度見ても慣れない私の身体は白いワンピースに包まれていて、いっそう違和感を覚えた。鏡越しにロキの鮮やかな眼と視線が合いそうだったので、乗り込んですぐ鏡に背を向けた。
床が無音で上昇し、内部の透明なドアに数字の2が表示され、開いた。ハオロンに続いて降りる。
背後の気配がずっと私にプレッシャーをかけているのが分かるが、対処できない。怖い、とはまた違う。全身をくまなく検分されているみたいな、ぞわぞわとした視線に、不安だけが募っていく。
左手の廊下を進み、先ほどいたダイニングルームの真上にあたる部屋まで行くと、ドアは開いたままで、室内にくすんだ金髪と白い長髪の後ろ姿を見つけた。セトとティアが話しこんでいる。
「お前も結局来るのかよ」
「だって飲みたいし。ほんとはさ、ものすごいワインが僕の物になるはずだったのに」
「だからよ、それなんの話か分かんねぇって」
「はぁ……これ絶対僕を釣るための餌だって分かってるのになぁ……欲に弱い自分が悔やまれるね。……でも、飲めるのは素直に嬉しい」
「弛んだ顔してほざいてんじゃねぇ。お前さっきの話ほんとに——」
セトが、会話を切って振り返った。
バチリと目が合う。飴色の眼が怒っていないことにほっとしたが、私の顔を見て何か言いたげに、幾重にも表情を塗りかえた。
「ふたりとも、早いの」
ハオロンが声をかけると、セトから遅れて振り返ったティアが首を振った。
「僕らも今来たとこだよ。ロン君たち、ずっと食堂にいたの?」
「……うちだけデセールまで食べたわ。なんで今日、ふたりとも食べんのやって。淋しかったんやけどぉ……」
「えっ……と、それはごめんね? あ、でもさ、アリスちゃんもたぶん甘いもの食べるよ?」
「そぉなんかぁ? ——ありす、なんで言わんのやって」
前触れなくハオロンが私に目を投げた。怒っているような(でも顔のつくりが可愛らしいせいで、どこか拗ねているようにも見える)顔で、もしかすると睨んでいる……の、だろうか。
「……ゴメンナサイ」
何を怒られたのか知らないが、返す言葉も分からず場をつなぐために謝ると、
「あんたほんとに素直やの……今のは、やつあたりやからぁ……謝らんでも」
オレンジの眼がぱちぱちとまばたいた。
後ろでセトが「いやこいつ何も分かってねぇぞ。口癖で謝ってんだよ」つぶやき、ティアも「やつあたりって……そんなに淋しかったんだ」口の中だけで何か唱えた。
「ハイハイ、おしゃべりはいいからどいてくんねェ?」
頭上から落ちてきた声。私の首に背後から片腕を回したロキの顎が、頭頂部にずしりとのし掛かった。重い、……こわい。大きすぎる存在感に自然と身がすくむ。
ハオロンがロキを見る。
「あぁ、屈むといい塩梅やの」
「ン~?」
「あんたがぁ、うちの頭にしょっちゅう腕置く理由が分かったわ」
合点がいったと言わんばかりに小さな顎でうなずいた。そんなハオロンの後ろで、セトは眉を寄せていつもの微妙な顔をしている。
ティアは苦笑を浮かべた。
「ロキ君、アリスちゃん怯えてるよ? 離してあげたら?」
「はァ~? オレまだなんもしてねェけど?」
「何もしてなくはないよね……?」
ティアがロキに注意してくれているようだった。しかし、掛かる重量は増した気がする。
「てか、ウサちゃんさァ……娼婦のクセに貧相な身体だなァ? 顔もパッとしねェし?」
ロキが遣う私の呼び名はあいまいだ。ひとつではない。今聞こえた単語でも何度か呼ばれている……ということは、彼は私に話しかけたのだろうか。
内容が分からないので反応できずにいると、そばで微笑んでいたティアの頬に、奇妙な歪みが生まれた。
「てめェも、どうせならもっとイイ女拾ってこいよ」
鼻で笑ったロキの言葉に、黙っていたセトの目がギロリと恐ろしいほどの凶悪さで私の頭上に向けられた。私に対して怒っているわけではないのに、向き合っているだけで心拍が速まっていく。
この城館に来てから間違いなく感じていることだが、セトとロキのふたりには軋轢がある。どことなく似ている部分もある気がするのに、気が合うどころか、見ている限りではたいていロキがセトを挑発している。
「——あのさ、」
一触即発の空気を割ったのは、ティアだった。ふたりの間に身を出して、ニコリと形式ばった笑みを浮かべた。
「ロキ君。ちょっとさ、そういうルッキズム発言やめてくれないかな?〈女〉も差別的だし。外見で評価するなんて、古いよ?」
ほほえんでいる。
なのに、色素の薄いまつげに囲まれた眼はどことなく怖い。すみれ色の虹彩は照明の色を灯して、この世の者とは思えないワイン色のきらめきを見せている。
頭の上にあったロキの顎が、離れた。
「はァ? 外見で評価して何が悪ィんだよ」
首に回った腕の力が強まり、後ろに引き寄せられた。背を伸ばしたロキの胸板に後頭部が当たった。動けない。背後からピリピリとした不穏な空気を感じる。
「どんなに綺麗事言ってもなァ、結局最初は外見で判断すンの。アンタだって鏡で毎日繕ってンだろ? 同じことじゃねェ?」
「……それは別じゃない? 身だしなみやオシャレは自分のためにするもの——っていう価値観もあるでしょ」
「無いね。てめェ自身が外見で判断する人間だから、てめェ自身の外見を繕うんだろ?」
「………………」
「外見で評価するなって言うなら、化粧も装飾品も要らねェよな? ——大体さ、アンタが一番見てくれにこだわってるクセに、他人の自由な発言に口出すンじゃねェよ」
ティアの唇からは、笑みが消えている。腕を組んでロキを見上げ、かすかにため息をもらした。
「……自由なのは思考であって、人に向けて発言するならそれは責任が伴うよ?」
「ハッ、その責任とかいう司法も、今じゃとっくの昔に消失してンだよ。ここで法律なんて無意味だよなァ? しいて言うなら、サクラさんが唯一の法か?」
耳に引っかかる笑い声。ロキのノイズ音に似た声からは、速すぎるせいもあってなんの単語も拾えない。
ただ、ティアがいつになく冷たい空気なのはわかる。
ハオロンが仲裁に入るべきかどうか、セトに視線を送って判断を仰いでいる。セトもまたティアの様子に戸惑っているようで、ハオロンに軽くうなずき返そうと、
——した、とき。
緊迫した雰囲気を壊して、ティアがくすりと、やわらかく微笑んだ。
「……いいの? 僕にそんな態度とって」
「……あァ?」
「僕の名前に、なんでティアって付いたのか……もしかして知らない?」
無垢な妖精の笑顔を浮かべて、ティアが首を傾けた。光を反射した綺麗な長髪が、水流のように肩からこぼれ落ちる。
ほのかに紅く染められた唇が、唄うかのように、
「サクラさんが法だって認めておきながら……さっき君は——アリスちゃんをハウスに入れるの、拒んだよね?」
「……それが、なんだってンだよ」
「矛盾してるよね? ……ね、なんで拒んだのかな? その理由、自覚してる?」
「………………」
「なんなら、僕がいま、説明しようか?」
話しながら、ティアがロキとの距離を詰めた。
近づいた距離に、甘く誘うような花の香りを感じ、
「——セト君の、前で」
音にならない声が——唇が、私の知る名をささやいた。
妖精の顔は今、蠱惑的な雪の女王に変貌し、見ている者を凍りつかせるほど美しく微笑している。
ロキの腕がひくりと反応したのは、きっと私しか気づいていない。
長い無言のあとに舌打ちしたロキは、「……サイキックめ」悪態の響きをした言葉を小さくティアに投げつけ、私を放した。
解放されたと思ったが、私をどかすようにロキが背中を押して移動し、反動で前かがみになった体がティアによって受け止められた。ティアの唇が頭に触れた気がして、驚きとは別の意味で身がすくむ。あわてて距離を取ろうとしたが、ぎゅっと抱きしめられてしまい頭が沸騰した。
「あ、ごめんね?」
固まった私に気づいたのか、軽い声で応えたティアはすぐに手を離してくれた。けれども、顔を上げづらい。変な恥ずかしさで頬が熱い。
セトの名前を出した理由は分からなかったが、ティアはきっとロキから私を助けてくれたのだと、思う。……思って、いいのだろうか。
私なんかを助けてくれたという考えは、ずうずうしい……?
「……てぃあ」
「うん?」
「…………アリガトウ?」
半信半疑で感謝をつぶやくと、ティアは可愛く笑って、
「いいんだよ。僕のこれも、やつあたりみたいなものだからね」
俳優みたいな完璧なウィンク。セリフの意味は理解しきれないが、助けてくれたのは確からしい。
ほがらかなティアの後ろで、ハオロンとセトが、
「……やつあたり? ティア、なんかあったんかぁ?」
「知らねぇ。……そういやなんか、ワインがどうたらって。ずっと文句言ってんな」
「ワイン? 今から飲むって話やろぉ?」
「だから知らねぇって。俺に訊くな」
ボソボソと言葉を交わしながら、互いに奇妙な顔つきでティアを眺めていた。
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