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Chap.6 赤と黒の饗宴

Chap.6 Sec.2

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 他人の性行為なんて、食事中に見るものではない。まだ話しているだけなので、本気でロキが彼女に手を出すかは分からない。けれども、誰も——この場合はとりわけサクラが——制止しなければ、おそらくやめる気はないだろう。

 イシャンの横に着席しながら、ティアはテーブルの端のロキたちを視界から外し、イシャンの奥に座るセトを見やった。サクラに何か言われたのか彼は大人しく黙っているが、金の眼はテーブル上の食器に向けて固定され、動かない。

 向かいの左端にはメルウィンが着席していて、戸惑いがちにロキの方と正面のサクラをうかがっている。その横に座ったハオロンは、しれっとした顔でロボットのサーブを受け、「いただきますは?」メルウィンに向けて悠長な声掛けをした。

「えぇっと……ロキくん、は?」
「放っとけばいいわ。うち、お腹空いたし、はよ食べよさ」
「……じゃあ、みんな手を合わせて。……いただきます」
「「「いただきます」」」

 メルウィンの掛け声に応えたのは、サクラ、イシャン、ハオロンのみ。ティアは食欲がせたのと、ささやかな反抗もあって唱和を避けたが、セトもまた黙していた。

 ロキの声は細長い食堂によく通り、ここにいる全員が話の内容を聞き取れた。——そういえば、アリアがいない。この晩餐ばんさんに参加しないという選択は賢明だと思う。

「ウサちゃんはこれが仕事だろォ? 抵抗すンなって」
「いやっ……」
「抵抗されると燃える? とかァ、そういうのねらってンの?」

 小さな拒絶の声は、嗤い声にき消される。席を立って私室に戻りたいが、立ち上がるタイミングをつかめない。ティアは様子見で視線をロキに流し、後悔した。助けを求めるようにこちらを向いた彼女と、目が合ってしまった。即座に視線を外したが、それがよりいっそう彼女にとって残酷な行為となることを、理解している。

「……サクラさん、」

 テーブルに身を出して左手を向くと、前菜を口にしていたサクラが横目でこちらを捉えた。

「あれ、止めてよ……」
「ティア、お前は私の頼みを聞く約束だろう。私がお前の頼みを聞く道理は無いよ」
「……せめて部屋に行くよう言ってくれない……?」
「そうだな、食事の邪魔だな」

 納得した声を出したが、サクラはロキに何も命じない。
 視界には入れていないが、ロキが逃げようとする彼女を押さえこんで本格的に服に手を掛けている気配が——だめだ、吐き気がしてきた。

 私室に戻るために立ち上がろうと、ティアが決めた瞬間、

「せとっ……」

 かすかな、消え入りそうな声だった。
 今にも泣きそうな、すがるような響きの呼び声。ティアの耳に届いたのだから、優れた聴覚の本人に聞こえないわけがない。

 ガタン、と。大きな音を鳴らして彼が立ち上がったのは、ティアが予測するのとまったくの同時だった。

「——いい加減にしろっ!」

 体が震えるような怒号に、無意識のうちに萎縮した。視界のなかで、メルウィンも同様に驚いて身を縮めている。
 ハオロンはカボチャのポタージュを口に運びながら、立ち上がったセトをきょとりとした目で見上げ、「どぉしたの?」不思議そうに尋ねた。信じられないくらい呑気のんきだ。

 セトはハオロンに応えず、ティアの背後を通り、ロキの肩を掴んで強引に彼女から引き離した。

「あァ? なんだよ!」

 割りいったセトは、ロキを無視して彼女の手を取りテーブルから起きるのを手伝った。乱れた服の彼女は、血の気の引いた顔でセトを見ている。助けてもらったのに、その表情は何故か名を呼んだ後悔に満ちていた。幸いにもセトはその感情を読み取っていない。

 彼女をかばう形で立ちふさぐセトの姿に、ロキの顔が苛立いらだちと恨みでゆがんでいく。

「……今はオレが手ェ出してンだろ」
「こいつに触るな」
「はァ? なんでテメェにそんなこと命令されなきゃいけねェの?」
「ウサギは——俺が拾った」

 金の眼に、覚悟と敵意のほのおが宿っている。
 鋭い眼光が、ロキを貫いた。

「お前が手ぇ出すな」

 セトの低い声音に、ロキが反論を逡巡しゅんじゅんする。ロキが惑うなんて、稀有けうな事象だった。

 ふたりまでは届かない声で(ひょっとするとセトには届くかもしれないが)「拾ったって、認めたね?」ささやくと、ハオロンだけがティアを振り返り、「状況がわからんのやけどぉ……なに? 娼婦ってロキの嘘か? 結局セトのなんかぁ?」パンの欠片かけらを口に投げ入れ、もくもぐと食べながら疑問符を浮かべている。
 視点を左奥へ移すと、薄く吐息したサクラが、手にしていたカトラリーを置いた。

「——うるさい」

 研ぎまされた刃物が、空間を裂くかのように。
 静かだが、相手を黙らせる強圧的な声が、サクラの唇から発せられた。

 深い碧眼へきがんの照準がセトたちへ合わさり、それに気づいたロキが最初に口を開いた。

「話が違うンじゃねェ……? サクラさん、アンタの飼い犬がジャマしてくンだけど?」
「……セト、はお前のものじゃない。ロキも、目障めざわりだから私室に連れて行け」
「駄目だ」

 セトが、サクラの声を遮った。

「ウサギは俺がもらう。俺が拾ったんだ、所有権は成り立つだろ」
は人間だろう?」
「人として扱ってねぇじゃねぇか」

 隣で、イシャンがなりゆきを警戒している気配を感じた。メルウィンも手を止めて狼狽ろうばいしているのに対し、ハオロンだけは視線をサクラやセトにずらしつつも、手を止めずに食べ続けている。
 ティアは胸中だけでセトを応援してみるが、セトのものという主張が通ると、今後ティアも彼女に触れられないということか。一長一短ではある。

「それは、私に逆らうと取ればいいのか?」
「逆らってねぇよ。ルールにはのっとってる。トラブルになるならハウスには入れねぇし、俺も手は出さない。拾った動物と一緒だ。俺のエリアに置いとけばいいんだろ」
「物に関しての規則を持ち出されてもな……」
「なら、ちゃんと人として扱うよう指示してくれ。……おかしいだろ、こんなの」
「お前の主観ではの待遇は不当か……だが、は自ら望んでここにいるだろう? そのことを忘れていないか?」
「……逃げようとしたのを、俺が引き戻した。ウサギは望んでねぇよ」
「前提が変わっているな……それは、私の命令に反したと認めるも同然だが、理解しているか?」

 サクラの言葉に、セトは肯定しようとした。——が、背後からセトの腕を引いた彼女に気を取られ、視線を後ろに下げた。顔面蒼白な彼女は、何かを恐れている。

「せと……ちがう」
「……は?」
「わたし、ダイジョウブ……せと、なまえ……ゴメンナサイ」

 首を左右に振りながら、彼女は必死に訴えているようだった。名前を呼んだのは間違いだと言いたいのか。……そんなわけ、ないだろうに。
 セトのり上がった目からも、同じ意見がうかがえた。

「違わねぇだろ! 助けてほしいから俺を呼んだんだろがっ……俺らの相手するのが嫌なら、今ここではっきり言え!」

 セトは彼女にも怒っている。真実が見えなくてれているのが、ティアには分かる。
 本当のところどうなのか、彼女とサクラの取り交わしなんて、誰も確かめようがない。ここで、大勢の前でつまびらかにしてしまいたいというセトの考えは読めるが、はたしてそう上手くいくだろうか。

 彼女の顔を見たサクラは、小さく笑った。

『抵抗しないのではなかったか?』

 ティアには理解できない言語。口をあまり開かずとも紡がれる、強弱アクセントの無いそれはハオロンの話し方にも通じる。意味は決して拾えないが、それが誰に向けられたものかは、もちろん分かった。

『……すみません』

 応えた彼女に、ロキが意外そうな目を向けた。話せることに対してなのか、話した言語に対してなのかは判断できない。

『セトが、お前の待遇を見直せと言っているが、どうする?』
『……必要、ないです』
『そうか? 抵抗するということは、待遇に不満があると言っているようなものだが?』
『……夜だけ相手をすればいいのかと、思い違いしていた、だけです。……セトにも、伝えてください』
「おい! 分かる言語で話せよ!」

 自身の名前が混ざり、それを耳にしたセトが話を割った。サクラがセトに一瞥いちべつをくれる。

は、このままの扱いで構わないそうだよ。夜だけ相手をすればいいと誤認していたから、ロキを拒んだそうだ。もう二度と——抵抗はしない、と」
「はぁっ?」
「お前に伝えてくれと言われたから、そのまま伝えた。……まあ、本人もそう言っていることだ。ロキ、せめて今日ぐらいは、夜まで待ってやったらどうだ?」

 話を振られたロキは、その長身で大げさに嘆息たんそくした。

「えェ~? ……じゃァ夜はオレが独占してい~ワケ? ……ってかァ、ワンワンはどうしてくれンの? しつけが先じゃね?」

 ロキの目が、セトにちらりと流れる。セトは険しい顔をしたままだが、その瞳には当惑も見えた。
 ティアもサクラと彼女のやりとりを確認していたが、サクラの伝言に大きな矛盾があるようには見えなかった。ただティアは、モーターホームでのふたりの会話から、ひとつの可能性を見出している。よって伝聞をうのみにするつもりはない。

「……おい、ウサギ」

 セトの呼び声に、彼女が彼を見上げた。

「嫌なら嫌だって、今言わねぇと……俺はもう助けねぇぞ」
「………………」

 セトの言葉は伝わっているのか。彼女の顔を見ようとしたティアは、しかし、その傍らで嗤うロキに気をひかれた。

「ハハッ……なんだァ? 飼い犬のクセに、騎士ナイトきどりか?」
「お前は黙ってろ」
「てめェには従わねェよ……なァ、ウサギちゃん、」

 ロキが、セトからターゲットを変えた。
 腕を組み、長躯ちょうくを傾けて、離れた場所から彼女の顔をのぞきこむように、

「アンタ、そいつに期待しても無駄だよ? ……所詮しょせんサクラさんの犬なんだからさ。アンタを殺せって命令されれば、アンタがどんなにすがっても……アンタのこと——殺すよ」

 それは脅しのはずだった。セリフだけ聞けば、間違いなく。
 彼にしては強弱アクセントの弱い、ひかえめな言い方だったが、「あ?」威嚇の声をあげたセトはストレートにそう捉えたはずだ。

 けれどもティアには、違う意思が聞こえた。
 言葉の分からない彼女は……どうだろうか。

「何言ってんだ。そんな命令、サクラさんがするわけねぇだろ」
「それは否定じゃねェな~?」
「は?」
「仮の話だろ。——つまりだ、オレは、サクラさんとそのウサギ、てめェにとってどっちが大事かって話をしてンだよ」

 セトの目が見開かれる。はっきりと分かるほど、彼は動揺していた。

「そんなの……分かりきってるだろ」
「へェ~……じゃ、さっきのオレの言葉は間違ってねェよなァ? 仮に、の話だけど?」
「………………」
「否定できねェな? ウサギちゃんも聞いてたァ?」

 歯の隙間から息を吐くように笑って、ロキは彼女に近寄った。セトはそれを止めない。止める資格を、失ったとも、思えた。
 ロキが彼女のすぐ前に立つと、彼女の顔はティアから見えなくなった。

「ワンワンは、アンタよりサクラさんが大事だとさァ」
「…………さくらと、わたし?」
「あ~そっか分かんないねェ? 平たく言えばァ、コイツはサクラさんが好き、アンタは嫌い」
「………………」
「分かったァ?」
「…………はい」
「へェ? そういう反応か……」

 ふぅん、と。ロキが感嘆詞をこぼした。

「……ま、い~や。とりあえず、メシでも食うかァ」

 彼女の肩に手を回すと、セトから取りあげるように自分の方へ引き寄せた。見えた彼女は困惑していたが、抵抗はしていない。

「……ゴハン?」
「そ。ハオロンが食べてンの見たら腹へってきたし?」
「……オソウ、しない?」
「そ~ゆうのは知ってンだ? どォいう教育受けてンのかねェ……」

 揶揄やゆする瞳がこちらに向いた。「え、ぬれぎぬなんだけど……」冤罪えんざいを主張するが、ロキは聞こえていないそぶりで彼女の肩を押し、反対側から回ってハオロンのそばまで連れて来た。
 彼女は状況がわからずに、セトの方を気にしている。

 いつのまにか食事を終えたサクラが、

「ロキ、私室に連れて行かないのか?」
「ン? ……まぁねェ。嫌われて可哀かわいそ~なウサギちゃんの為に、夜まで待ってやろォかな」
「そうか」

 セトが無言で席に戻った。セトの様子を見たが、何を考えているのかは読めなかった。イシャンも気にしているが、セトの顔に怒りは見えない。無に近い表情。
 食事に意識がいったのか、フォークとナイフを取って彼は皿の上の肉料理を食べ始めた。前菜が盛り付けられた皿もスープも無視している。

 ロキがハオロンの横に座った。「アンタも座ったら?」ロキに促されて、彼女はティアのちょうど真向かいに着席する。目が合うのが、すこしだけ怖い。

 ロボットを呼んで彼女のぶんも適当に指示するロキに、ハオロンが「ねえ」じとりとした目を流した。

「あんたさぁ、忘れてるかも知らんけど、食後はうちがするっていう話やったが」
「ン~? したらいいンじゃねェの?」
「あんたの夜って何時いつやし。うちが先ってことか?」
「はァ? オレが先に決まってンじゃん」
「……あんたとは会話できんわ」
「なんで? 待てねェなら一緒にすりゃいいじゃん?」
「………………」

 あきれ返ったハオロンが、珈琲を飲んでいるサクラの名を呼んだ。

「これ、今後もめると思うんやけどぉ……順番とか決めんの?」
「そうだな……カードで決めるか?」
「うちは得意やし、いいけどぉ……」
「いいねェ!」
「ロキうるさいって」

 会話の内容がまったく分からないのか、渦中のひとである彼女は与えられた食事を静粛に口へと運んでいる。彼女もまたセトと同じで、表情をなくしていた。
 眺めていると、彼女の視線がゆるりとこちらに向き、

「……てぃあ、ゴハン、ない?」
「えっ……や、今から、食べようかなって」

 緊張が走ったティアの顔に気づいたのか、彼女は困ったように笑ってみせた。
 その、笑顔が——。

「……これは、オイシイ」
「……うん。メル君の料理は、どれも美味おいしいから……」
「……める?」
「あ……えっと、メルウィン君。その、ロン君——ハオロン君の、となりの」

 彼女はティアの目をたどって顔を傾け、端の席を向いた。彼女の視線の先、癖の強い茶髪の下で、くりっとしたブラウンの眼もこちらを見ていたはずだが、逃げるように彼は視線をそらした。

「……めるうぃん」
「うん、そう。あの子」
「……ありあ?」
「アリア君はいないね。どうしたんだろうね……」

 当たりさわりのない会話で消費しながら、彼女の顔を見ていられなくなってロボットを呼んだ。
 食欲はないが、前菜とスープだけもらった。

「……いただきます」

 食べるという行為は、口をふさいでくれる。
 自分勝手な言い訳や謝罪を軽々しく口走らないよう、それだけのために、ティアは食事を開始した。
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