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Chap.5 溺れる涙

Chap.5 Sec.7

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 突きぬけるような青空の名残なごりか、セトは寝室に極端な闇を感じた。眼はすぐに暗順応あんじゅんのうし、室内の詳細な輪郭を捉え始める。
 下段におりている自身のベッドへと向かった。反対側にはティアのベッドがおりている。ということは、サクラとイシャンの両者とも熟睡しているということだ。設定を変えない限り、睡眠が浅くなることでベッドは自動下降する。

 自分のベッドに触れ、開ける。ティアのベッドは開けてやらなくてもウサギ自身でやれるだろうかと、ちらりと様子をうかがい、

「いや、お前なにやってんだよ」

 当然のように同じベッドに上がろうとしているウサギに、意表を突かれた。上がろうとしている、というかもう上がっている。ペタリと座りこんだ彼女は話を聞いていないのか、無表情のままセトを見上げた。

「お前、俺と寝るのかよ……?」
「……?」
「それ、意味分かってるか?」
「……それ?」
「……襲うぞ」
「オソウ?」
「いや分かってねぇな。何やってんだ、降りろよ」

 腕を取って引っ張ろうとすると、ウサギが身を引いた。

「……て、いや」
「は?」
「て、いや。……いや」

 自ら袖をまくって腕の痕を指さし、首を振った。あれだけ嫌がっていたくせに、なぜ急に見せてくるのか分からない。

「これ、いや。……これ、する、いや」
「……縛るなって? そんなことしねぇよ」
「……しない?」
「あたりまえだろ」
「……アタリマエ?」
「絶対しねぇってことだよ」
「……ゼッタイ、しない」
「ああ」

 納得したのか黙ったので、とりあえず隣に座って上部を閉めた。ある程度の防音効果はあるが、こんな真下でごちゃごちゃめているのが、サクラたちにまったく聞こえないとは限らない。

「縛らねぇけど、ここで寝たら襲うぞって言ってんだよ」
「……しない、ケド、オソウ?」
「だから、ティアのとこで寝ろって」
「…………ティア、オヤスミ、した」
「いや、あいつは寝ないっつったろ」
「……?」

 膝を突き合わせて何を話しているのか。
 この会話が噛み合っているのかも判断つかない。

「なんで分かんねぇんだよ。それとも分かってやってんのか?」

 伝わらなさにれて、口調を強めた。それでもウサギは表情を変えず、首をかしげて無知を主張してくる。

「……そうかよ。なら、分からせてやる」

 低く唱えて、身を乗り出した。逃げるかと思ったウサギは、身動みじろぎひとつせず受け入れるように目を閉じた。
 (——は?)理解できず、その顔を間近で見つめて停止する。

「………………」
「………………?」

 動けずにいると、そろりとウサギの目が開いた。無表情だった顔が、少し怪訝けげんそうに変わる。

「…………せと?」
「…………お前、どっちだよ」
「ドッチ?」
「分かってるのか、分かってねぇのか」

 黒い双眸が、すぐそばで揺れることなくセトを見ている。おびえも警戒もないこれは、なんなのか。どういう感情なのか。

「……抵抗みせねぇと、誘ってると、取るぞ」

 手を伸ばして、髪の隙間から首の後ろに指をすべらせた。そのまま引き寄せて、唇を重ねる。試すつもりで、それか脅すつもりで、軽く。今しがた閉じたはずのまぶたは完全に下りることなく、今度は伏し目がちに開いてこちらを静視している。唇で割りいって深く入り込むと、眠るように目を閉じた。舌先で口腔内をあおっても、抵抗はない。力の抜けた舌をこするとかすかに反応があった。

 唇を離すと、ひそやかに目を開ける。こちらを上目遣いに見つめたまま、動かない。ひたすら誘っているようにしか見えないのは、主観の問題か。

 どうせ、どこかで拒絶するだろ。そう決めつけて、首の後ろで結ばれたリボンをほどいた。七面倒な服。他のやつらはどう脱がしたのか疑問に思ったが、実質ティアしか脱がしていないのか。泣きだして元に戻す羽目になるのは鬱陶うっとうしすぎる。ハウスに帰ったら脱がしやすい服を——そこまで考えて、やめた。何を考えているのか。

 硬直とは違う、本当に静止しただけのウサギは大人しく、いつ泣きだすのか読めない。だが、前回だって同じようなものだった。急に、いささかの予兆なく泣きだしたのを忘れたわけではない。

 じっとしたままのウサギの耳に唇を寄せ、「襲われてぇのか?」悪意をそそいでみるが、目をつぶっただけで押しのけることもなかった。段々と思考が衝動に押され始める。必ずどこかで泣くはずだが、それがどの時点なのか。歯止めの効くうちに泣くかわめくかしてくれればいいが、雲行きが怪しい。

 早く抵抗しろよ、と。胸中で吐き捨て、ゆるんだ首の布を引き下げた。あらわになった肩口にみつくと、さすがにひくりと身を震わせ口を開いた。

「……『いたい』」

 かすれた声は、知らない響きで何かを訴える。それが〈やめて〉だとしたら、軽い。そんな甘い口調で止められると思っているのか。

 力を入れて肩を押し倒すと、視線が絡んだ。明るいままのライトに包まれたその顔は、静かに様子をうかがっている。

「さっさと抵抗しろよ」
「……テイコウスル?」
「いくらなんでも、もう分かるだろ」

 スカートの裾から手を入れて、膝に触れる。太ももに沿わせてその先までたどり着いたが、まだ、動かない。
 セトもこれ以上進めずに、目を細くして見下ろした。

「いま抵抗しねぇなら、最後までやるぞ」
「………………」
「なんとか言えよ」

 ウサギは黒い瞳をまたたかせ、考えこむように見返してから、引き結んでいた唇を割った。

「……せとは、しない?」
「するっつってんだろ。抵抗しなきゃ襲うんだよ。お前、俺のこと試してんのか」
「オソウ……せとは、オソウ、キライ?」
「はぁ? 嫌いだったら最初からしねぇよ」
「……オソウ、スキ?」
「……お前、ふざけたこと言わそうとしてねぇか」

 睨みつけると、困ったようにウサギが眉尻を下げた。意図が分からないと言いたげだった。それはこっちのセリフだ。

「せとは、オソウ、キライ?」
「だから嫌いじゃねぇって」
「……スキ?」
「………………」
「……キライ?」
「……なんなんだよっ、お前は何が訊きてぇんだよ!」

 苛立いらだって声を荒らげると、瞳が。
 光加減で茶色にも見える虹彩こうさいも含めて、薄く水を張ったように潤み、

「…………わたしが、キライ?」

 ——何を、

 思考が進むよりも先に、セトは空いていたほうの腕をベッドについて、その首筋に顔をうめた。歯先が皮膚に当たるが、咬むことなく吸いあげる。シャボンの混ざった甘い体臭に、激しい焦燥感が沸き立った。太ももに重ねたままの手に力を入れて脚を開き、閉じられないようその隙間に自身の片膝を割り入れた。
 抵抗できるならしてみろ。そんな攻撃的な意思さえ生まれている。ここからどう暴れようと、そんな非力な身体で何もできやしない。挑発するようなことを言ったお前が悪い、そう言い聞かせて——…………

——せと、アリガトウ。

 ふいに、幻聴のような声がひらめいた。
 ——このタイミングで、こんな瞬間に、思い出したくもない泣き顔が脳裏に浮かぶ。
 フレーズとまったく一致していない。それなのに何故、今、こんなときに——

「…………せと?」

 動きを止めたセトを不審に思ったのか、吐息のような声が響いた。首から顔を離したセトのあめ色の眼は、倦厭けんえんを含んだまなざしを向けている。

「……やめた。やる気しねぇ」
「…………オソウ、ナイ?」
「……ああ、ねぇよ」
「…………わたしが、キライ?」

 苛立つ感情のまま、幼稚な質問をするその唇に咬みつくようなキスをした。
 反射的に閉じられたまぶたを縁取ったまつげが、セトの視界で震えた。

 勢いよく上体を起こして、立ち上がる。開いたベッドから降りると、手をついて身を起こしたウサギが視点のぼやけた眼で見上げていた。どこに行くのだろう、といった不思議そうな表情だった。

「……もう寝ろ。眠くなくても俺が起きるまでそこにいろ。分かったな?」
「………………?」
「分かったな? 勝手に抜け出すなって言ってんだぞ。お前は、そこで、待ってろ」
「…………はい」

 がえんじてみせるウサギの顔を確認して、上部を閉じた。透過していた上部が不透明に変わる。外からロックでもしておきたいが、そんなことはできない。構造的にも、倫理的にも。

 まだ隣の下段にあったティアのベッドに近づき、上がり込んだ。サイドスペースにズラリと並んだ使いみちの分からない小道具と、空間に満ちているガーデンのような花の匂いにうんざりしたが、どうすることもできない。せめてサイドスペースの反対を向いて寝転んだ。

 不平不満で当分眠れる気がしない。しかし早く眠って目を覚まさないと、あの厄介者がまた何かトラブルに巻き込まれる気がする。そこまで面倒を見てやる義理なんて、ないというのに。

(……ヤっちまえばよかった)

 今さらどうにもならない後悔に目をつぶって、疲弊した身体に早く睡魔がおとずれるよう期待しながら、目ざわりな薄赤色の灯りを消した。
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