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Chap.5 溺れる涙
Chap.5 Sec.3
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紅茶を淹れるというティアを追って、セトもキッチンへと向かった。ウサギの腕のことを訊きたかったのだが、紅茶の茶葉が入ったカプセルを手にしたティアの震えた肩に面喰らって、かける言葉を変えようとした。
「おい、どうした?」
呼びかけに気づいて横を向いた顔は青ざめていて、先ほどのウサギを思わせた。しかし、ティアは目が合ったセトにくすっと自嘲めいた笑みを返し、事もなげに普段のトーンで、
「ちょっとびっくりしちゃって。アリスちゃんの感情を拾いすぎたかな?」
「……大丈夫かよ」
「へいきへいき。僕がどうこうされたわけじゃないしね。セト君もお茶飲む?」
「……貰う」
いなすように視線をずらして、ティーポットへと茶葉を入れ、マシンの湯を注いでいく。茶葉から香る花のような柑橘系の香りに、空腹感を覚えた。しかし、食事をとるよりも先にシャワーを浴びたい。汗と血で身体がベタベタしている。
「……あれは、イシャンがやったのか?」
「そうだろうね。手を縛るって、先に言ってたしね」
「そんなこと言ってたか?」
「そっか、セト君は居なかったね。リスク回避で、手は拘束するって言ってたよ」
「……やりすぎだろ。今は薄いけど、最初に見たときなんてもっと酷かったんだぞ」
「……そうだね、やりすぎだね」
ティーポットを見つめたまま、ティアは長い息を吐いた。
「でも、イシャン君を責める権利は、僕にないよ。……セト君が問い詰めてみる? ただ、この話はサクラさんも聞いてたし、お咎めもないだろうね。……むしろ、サクラさんなら推奨するんじゃない? 好きに拘束するといいって」
「そうまでして……やる必要ねぇだろ」
「そうかな? 最近みんな退屈そうだし、君も含めて鬱憤がたまってるんじゃない? 正直いって、君らみんな、どうでもいいんでしょ? ——他人なんて」
「は? 思ってねぇよ、そんなこと」
「そうなんだ。セト君はいいこだね」
「ふざけてんじゃねぇよ。真面目に話してんだぞ」
「僕だって真面目だよ? めずらしく……あ、これ2回目だ」
「何言ってんだ?」
どこかおかしい。精彩に欠けるような、まるで台本をそのまま棒読みしていくかのような調子のティアに、不審をいだく。
トレイにカップとティーポットを載せ、ティアはこちらを向いた。
「ところでセト君、治療はいいの?」
「大した怪我じゃねぇよ」
「でも、そのままにしておくと痕が残るよ。アリスちゃんのためにも、治療したら?」
「……なんだそれ。どういう意味だよ」
「アリスちゃん、ずっとセト君のこと心配してるよ? あの子の治療をしてたときも、セト君は治療しないのか、気にしてたしね」
「…………それ、どうせ嘘だろ」
「そう思うなら、ご自由に」
ひらりとかわすように横にずれ、長い白髪を揺らし、爽やかな柑橘の香りと共に過ぎていった。
軽く舌打ちをして、後を追う。
ティアはキッチンを背にしたイスの壁側に腰を下ろし、広げられていた治療キットをトレイで向かいへと押しやった。仕方なく反対側に着席して、治療キットへと手を伸ばす。すると、
「え? 今はやめてよ? お茶飲むんだし、洗浄器の風で血とか飛んだら嫌なんだけど」
「あ? お前いま治療しろっつったじゃねぇか」
「今とは言ってないよ。後にしたら? ……ほら、セト君も飲むんでしょ?」
もういつもどおり、むかつく笑顔を浮かべて、ティアは紅茶の入ったカップを差し出してきた。
「アリスちゃんも、こっちにおいで」
ソファに座ったままのウサギを呼んで、自分の隣を指さす。ウサギはそろそろとした動きでティアの横に座った。黒い眼と、視線が重なる。
「……ゴメン、ナサイ」
こぼれ落ちた謝罪の真意を測りかねてティアへと視線を送るが、目を閉じてあからさまにシカトされた。やむを得ずウサギへと視線を戻して問いかける。
「なんの謝罪だ?」
「……さくらが、せと、おこってる。……せとは、わたしを……わたしを、」
「——アリスちゃん、それは〈護った〉だね」
出しぬけにティアが口を挟んだ。ウサギの目が横に流れ、ティアが微笑み、
「セト君が、君を〈護った〉。〈護る〉の過去形。〈助ける〉でもいいけど、ここは〈護る〉がいいね。過去形じゃなくて、〈護っている〉でもいいかな」
「……マモル? マモッテイル?」
「そう、〈護る〉。セト君は、君を、護ってる」
「せとが、わたしを、まもってる?」
「うん、そう。セト君はずっと、君のことを護ってくれてるよ」
理解したように首肯して、ウサギはこちらに向き直した。
「さくらが、おこってる。……せと、わたしを、まもってる。……ゴメンナサイ。……アリガトウ」
深々と下げられた頭に、何かが。
心臓に刃物を突き立てられたかのような、間違いなく負の感情に近いものが、湧き起こった。
——何を言っているのか。
「……セト君? ちょっと君、なんて顔してるの。せっかく感謝してくれてるのに」
「…………やめろ」
「え?」
「そんな、思ってもねぇこと言ってんじゃねぇよ!」
感情を抑えきれずに、テーブルに拳を落とした。ウサギはびくりと震えて顔を上げ、ティアが瞠目する。紅茶が揺れてテーブルにあふれた。
「ちょ……ちょっと、セト君。いま怒るとこじゃないよ……」
「お前は黙ってろ」
「……や、なんで? なんで今、怒る必要あるの? ……アリスちゃん、嘘なんて言ってないよ? セト君がかばってくれたこと、ほんとに感謝してるよ?」
「……こいつが感謝してるのは、感染者から助けたことだけだろ。サクラさんとの遣り取りなんか分かってねぇよ」
「分かってるよ……? サクラさんの名前、自分で出したんだから。少なくとも、セト君がアリスちゃんのために反抗したのは、理解してるよ……?」
「……そんなの、信じられるかよ」
感謝などしているはずがない。そんなものは表向きだけで、本心は違う。
——セトは、逃げるための唯一の機会を、潰したのだから。
無言のまま立ち上がると、ティアの目がどこへ行くのかと問うた。
「シャワー、浴びてくる」
「……治療、先にしたら?」
「要らねぇ」
話しながらテーブルの横を抜けようとした。
口の付けていないカップと、そのまわりに広がった汚れに、思考の一部で気を取られ、
「……せと、」
呼び名を伴って、何かが、手に触れた。
意識を向けると、小さく唇を開いたウサギが、こちらを見上げて、
「……せと、おこってる?」
見当違いな、当然分かるだろうとしか思えない問いを、口にした。
無視して払おうとした掌に、滑り込むように絡みついた指先が、柔らかに行く手をはばむ。
「……ゴメンナサイは、キライ? ……せと、ゴメンナサイ、いや?」
一途な目が、訴えるようにセトを見つめている。引き止めようとしているのか、手に力が掛かった。
「せと、アリガトウ。……せとは、わたしを、まもってる。アリガトウ。……せと、アリガトウ」
何を勘違いしているのか。
馬鹿みたいに同じフレーズを繰り返しては、ぎゅっと手を掴んでくるこの存在が、もうよく分からない。——いや、初めから何ひとつ、分かりきっていない。
何を考えているのか、一体どうしたいのか。セトの理解が及ばない、はるか彼方の生き物のようで。
「わたし、せと——キライじゃ、ナイ。キライ、ちがう……きらい、ちがう……ゴメン、ナサイっ……」
結局また口にした謝罪が、はらはらとあふれ出した涙によって嗚咽に変わる。
いつだって泣いてばかりのその眼はどうなっているのか。得た水分すべてそこから排出しているのか。どれだけ泣けばその涙は涸れるのか。こんな、無限に湧くなんて——ずるいだろう。
「……やめろっ……泣くな!」
耐えられずに、その顔に向かって怒鳴った。
「怒ってねぇよ! ……だから泣くな! 怒ってねぇんだよ俺はっ……そんでお前は泣きすぎなんだよ! ふざけんな!」
怒っていない。それを聞き取ってまばたきしたウサギは涙を止め、しかしこちらの様子に眉尻を下げて困惑している。
声量を配慮する余裕はない。掴む手を握り返し、行かないと意思表示するくらいしか、できない。
掴むことは散々あったが、こんなふうに掴まれたのは初めてだと。そう思ったが、違う。昨日の朝に記憶がつながった。あれは、イシャンとふたりきりにされるのを恐れていたのかと、今になって腑に落ちる。あのとき、握り返してやっていたら——
「——セト君、うるさい」
ウサギの奥から、(僕もいるよ?)と掌を見せるティアが、うっとうしい笑みを浮かべた。
そういえば……いた。
意識から抜け落ちていたティアの存在に、さっと屈辱感にも似た羞恥を覚え、舌打ちをしてウサギを睨んだ。
「——とにかく。それ以上泣くな。次泣いたら犯すからな」
「うん、アリスちゃんはその言葉分かんないもんね。それは僕への建前の脅しだよね。いいよ? 好きなだけ脅してくれて」
「うるせぇな! 分かってんなら黙っとけ!」
くすくすと上品ぶった笑い声をあげるティアを、ウサギが振り返った。状況を把握していないようだが、泣きやんだならどうでもいい。
手を離そうと力を抜く。けれども、それを察したウサギが慌てて顔を戻し、強く握ってくるので——離せなくなった。
「……ね、そんなことより、お茶は? セト君が新しいの淹れてくれない? 誰かさんのせいで汚れたよね」
「……お前は、そのまま飲んどけ」
「え~……僕には優しくしてくれないんだぁ? ……アリスちゃんには甘いのになぁ……」
「お前もな」
「わ。言うね」
唇を優雅に曲げて、肩をすくめてみせるティアを半眼で見下ろし、握った手に力を入れた。痛みでも覚えたのか、ウサギのほうは反射的に手を緩めたが、そのまま振り払うようなことはなかった。
視界の端で見上げてくる顔は、あいかわらず怯えたような不安げな顔で。先ほどの言葉の信憑性が、著しく低下する。
——嫌いじゃない。
それが本心かどうか、セトには確かめる手段が無い。
(逃げ出したいくせに……)
浮かんだ言葉をぶつけることなく、引き換えに全身で長息し、空いている手で濡れたカップを拾い上げ——飲み干した。
「おい、どうした?」
呼びかけに気づいて横を向いた顔は青ざめていて、先ほどのウサギを思わせた。しかし、ティアは目が合ったセトにくすっと自嘲めいた笑みを返し、事もなげに普段のトーンで、
「ちょっとびっくりしちゃって。アリスちゃんの感情を拾いすぎたかな?」
「……大丈夫かよ」
「へいきへいき。僕がどうこうされたわけじゃないしね。セト君もお茶飲む?」
「……貰う」
いなすように視線をずらして、ティーポットへと茶葉を入れ、マシンの湯を注いでいく。茶葉から香る花のような柑橘系の香りに、空腹感を覚えた。しかし、食事をとるよりも先にシャワーを浴びたい。汗と血で身体がベタベタしている。
「……あれは、イシャンがやったのか?」
「そうだろうね。手を縛るって、先に言ってたしね」
「そんなこと言ってたか?」
「そっか、セト君は居なかったね。リスク回避で、手は拘束するって言ってたよ」
「……やりすぎだろ。今は薄いけど、最初に見たときなんてもっと酷かったんだぞ」
「……そうだね、やりすぎだね」
ティーポットを見つめたまま、ティアは長い息を吐いた。
「でも、イシャン君を責める権利は、僕にないよ。……セト君が問い詰めてみる? ただ、この話はサクラさんも聞いてたし、お咎めもないだろうね。……むしろ、サクラさんなら推奨するんじゃない? 好きに拘束するといいって」
「そうまでして……やる必要ねぇだろ」
「そうかな? 最近みんな退屈そうだし、君も含めて鬱憤がたまってるんじゃない? 正直いって、君らみんな、どうでもいいんでしょ? ——他人なんて」
「は? 思ってねぇよ、そんなこと」
「そうなんだ。セト君はいいこだね」
「ふざけてんじゃねぇよ。真面目に話してんだぞ」
「僕だって真面目だよ? めずらしく……あ、これ2回目だ」
「何言ってんだ?」
どこかおかしい。精彩に欠けるような、まるで台本をそのまま棒読みしていくかのような調子のティアに、不審をいだく。
トレイにカップとティーポットを載せ、ティアはこちらを向いた。
「ところでセト君、治療はいいの?」
「大した怪我じゃねぇよ」
「でも、そのままにしておくと痕が残るよ。アリスちゃんのためにも、治療したら?」
「……なんだそれ。どういう意味だよ」
「アリスちゃん、ずっとセト君のこと心配してるよ? あの子の治療をしてたときも、セト君は治療しないのか、気にしてたしね」
「…………それ、どうせ嘘だろ」
「そう思うなら、ご自由に」
ひらりとかわすように横にずれ、長い白髪を揺らし、爽やかな柑橘の香りと共に過ぎていった。
軽く舌打ちをして、後を追う。
ティアはキッチンを背にしたイスの壁側に腰を下ろし、広げられていた治療キットをトレイで向かいへと押しやった。仕方なく反対側に着席して、治療キットへと手を伸ばす。すると、
「え? 今はやめてよ? お茶飲むんだし、洗浄器の風で血とか飛んだら嫌なんだけど」
「あ? お前いま治療しろっつったじゃねぇか」
「今とは言ってないよ。後にしたら? ……ほら、セト君も飲むんでしょ?」
もういつもどおり、むかつく笑顔を浮かべて、ティアは紅茶の入ったカップを差し出してきた。
「アリスちゃんも、こっちにおいで」
ソファに座ったままのウサギを呼んで、自分の隣を指さす。ウサギはそろそろとした動きでティアの横に座った。黒い眼と、視線が重なる。
「……ゴメン、ナサイ」
こぼれ落ちた謝罪の真意を測りかねてティアへと視線を送るが、目を閉じてあからさまにシカトされた。やむを得ずウサギへと視線を戻して問いかける。
「なんの謝罪だ?」
「……さくらが、せと、おこってる。……せとは、わたしを……わたしを、」
「——アリスちゃん、それは〈護った〉だね」
出しぬけにティアが口を挟んだ。ウサギの目が横に流れ、ティアが微笑み、
「セト君が、君を〈護った〉。〈護る〉の過去形。〈助ける〉でもいいけど、ここは〈護る〉がいいね。過去形じゃなくて、〈護っている〉でもいいかな」
「……マモル? マモッテイル?」
「そう、〈護る〉。セト君は、君を、護ってる」
「せとが、わたしを、まもってる?」
「うん、そう。セト君はずっと、君のことを護ってくれてるよ」
理解したように首肯して、ウサギはこちらに向き直した。
「さくらが、おこってる。……せと、わたしを、まもってる。……ゴメンナサイ。……アリガトウ」
深々と下げられた頭に、何かが。
心臓に刃物を突き立てられたかのような、間違いなく負の感情に近いものが、湧き起こった。
——何を言っているのか。
「……セト君? ちょっと君、なんて顔してるの。せっかく感謝してくれてるのに」
「…………やめろ」
「え?」
「そんな、思ってもねぇこと言ってんじゃねぇよ!」
感情を抑えきれずに、テーブルに拳を落とした。ウサギはびくりと震えて顔を上げ、ティアが瞠目する。紅茶が揺れてテーブルにあふれた。
「ちょ……ちょっと、セト君。いま怒るとこじゃないよ……」
「お前は黙ってろ」
「……や、なんで? なんで今、怒る必要あるの? ……アリスちゃん、嘘なんて言ってないよ? セト君がかばってくれたこと、ほんとに感謝してるよ?」
「……こいつが感謝してるのは、感染者から助けたことだけだろ。サクラさんとの遣り取りなんか分かってねぇよ」
「分かってるよ……? サクラさんの名前、自分で出したんだから。少なくとも、セト君がアリスちゃんのために反抗したのは、理解してるよ……?」
「……そんなの、信じられるかよ」
感謝などしているはずがない。そんなものは表向きだけで、本心は違う。
——セトは、逃げるための唯一の機会を、潰したのだから。
無言のまま立ち上がると、ティアの目がどこへ行くのかと問うた。
「シャワー、浴びてくる」
「……治療、先にしたら?」
「要らねぇ」
話しながらテーブルの横を抜けようとした。
口の付けていないカップと、そのまわりに広がった汚れに、思考の一部で気を取られ、
「……せと、」
呼び名を伴って、何かが、手に触れた。
意識を向けると、小さく唇を開いたウサギが、こちらを見上げて、
「……せと、おこってる?」
見当違いな、当然分かるだろうとしか思えない問いを、口にした。
無視して払おうとした掌に、滑り込むように絡みついた指先が、柔らかに行く手をはばむ。
「……ゴメンナサイは、キライ? ……せと、ゴメンナサイ、いや?」
一途な目が、訴えるようにセトを見つめている。引き止めようとしているのか、手に力が掛かった。
「せと、アリガトウ。……せとは、わたしを、まもってる。アリガトウ。……せと、アリガトウ」
何を勘違いしているのか。
馬鹿みたいに同じフレーズを繰り返しては、ぎゅっと手を掴んでくるこの存在が、もうよく分からない。——いや、初めから何ひとつ、分かりきっていない。
何を考えているのか、一体どうしたいのか。セトの理解が及ばない、はるか彼方の生き物のようで。
「わたし、せと——キライじゃ、ナイ。キライ、ちがう……きらい、ちがう……ゴメン、ナサイっ……」
結局また口にした謝罪が、はらはらとあふれ出した涙によって嗚咽に変わる。
いつだって泣いてばかりのその眼はどうなっているのか。得た水分すべてそこから排出しているのか。どれだけ泣けばその涙は涸れるのか。こんな、無限に湧くなんて——ずるいだろう。
「……やめろっ……泣くな!」
耐えられずに、その顔に向かって怒鳴った。
「怒ってねぇよ! ……だから泣くな! 怒ってねぇんだよ俺はっ……そんでお前は泣きすぎなんだよ! ふざけんな!」
怒っていない。それを聞き取ってまばたきしたウサギは涙を止め、しかしこちらの様子に眉尻を下げて困惑している。
声量を配慮する余裕はない。掴む手を握り返し、行かないと意思表示するくらいしか、できない。
掴むことは散々あったが、こんなふうに掴まれたのは初めてだと。そう思ったが、違う。昨日の朝に記憶がつながった。あれは、イシャンとふたりきりにされるのを恐れていたのかと、今になって腑に落ちる。あのとき、握り返してやっていたら——
「——セト君、うるさい」
ウサギの奥から、(僕もいるよ?)と掌を見せるティアが、うっとうしい笑みを浮かべた。
そういえば……いた。
意識から抜け落ちていたティアの存在に、さっと屈辱感にも似た羞恥を覚え、舌打ちをしてウサギを睨んだ。
「——とにかく。それ以上泣くな。次泣いたら犯すからな」
「うん、アリスちゃんはその言葉分かんないもんね。それは僕への建前の脅しだよね。いいよ? 好きなだけ脅してくれて」
「うるせぇな! 分かってんなら黙っとけ!」
くすくすと上品ぶった笑い声をあげるティアを、ウサギが振り返った。状況を把握していないようだが、泣きやんだならどうでもいい。
手を離そうと力を抜く。けれども、それを察したウサギが慌てて顔を戻し、強く握ってくるので——離せなくなった。
「……ね、そんなことより、お茶は? セト君が新しいの淹れてくれない? 誰かさんのせいで汚れたよね」
「……お前は、そのまま飲んどけ」
「え~……僕には優しくしてくれないんだぁ? ……アリスちゃんには甘いのになぁ……」
「お前もな」
「わ。言うね」
唇を優雅に曲げて、肩をすくめてみせるティアを半眼で見下ろし、握った手に力を入れた。痛みでも覚えたのか、ウサギのほうは反射的に手を緩めたが、そのまま振り払うようなことはなかった。
視界の端で見上げてくる顔は、あいかわらず怯えたような不安げな顔で。先ほどの言葉の信憑性が、著しく低下する。
——嫌いじゃない。
それが本心かどうか、セトには確かめる手段が無い。
(逃げ出したいくせに……)
浮かんだ言葉をぶつけることなく、引き換えに全身で長息し、空いている手で濡れたカップを拾い上げ——飲み干した。
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