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Chap.2 ちいさなアリス

Chap.2 Sec.2

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 仕事が欲しい。

 食事を終えた私は、食器の片付けをティアに申し出てみた。いつまでも受け身でいるわけにはいかない。そう思って、身ぶり手ぶりで伝えてみたのだが、とても爽やかな笑顔で、

「それなら、ここに放り込んでくれればいいよ」

 うっかり、『え』と不躾ぶしつけな声がもれた。彼がキッチンで見せてくれた棚をのぞき込む。こまかな繊毛せんもうが周囲に生えた、謎の穴。ティアがそこに食器を入れると、繊毛がうごめいてスルスルと食器をみ込んでいった。なんだかぞっとする光景。

「オートで洗浄されて、隣の棚に並ぶんだ」

 ティアが指で隣の棚を示した。どういうふうにできているのか分からないが、後ろから運ばれた皿が、サイズごとに整然と仕分けされていく。マグカップはさすがに無理なのではと思ったのに、何事もなく配列された。水で洗っている感じでもない気がする。洗浄の仕組みがさっぱり分からない。

「こっちが加工食のマシンね。誰も作ってくれないときは、メニューから食べたいものを選んでくれていいから。えっと、音声は無理だし……文字もわからないかな? 映像が出るようにしておくね。その場合、そのままトレイのお皿ごとここに廃棄してくれていいよ。分解して循環するから」

 ティアが、機械を触りながら順々に説明してくれる。最後に、指先でくるぅりと輪をえがいた。

 ……まってほしい。なぜか、すこしも、ついていけていない。文明の違いを見せつけられている気がする。

「ここのマシンはどれも古いんだけど……そのようすだと、初めて見る感じ?」

 ティアは、すみれ色の眼に私を映して、問いかけた。

「アリスちゃん、生まれてからずっと監禁でもされてたの? ……う~ん、そんなふうには見えないけど……社会から隔離されてた?」

 私を腕で囲うようなしぐさ。

「平和な世界で暮らしていた雰囲気はあるし……深窓の令嬢、とか? それなら、無知なのも分かるような……」

 うんうんと納得している。何に納得しているのかも気になるが、それよりも——距離がとても近い。

「ま、娼婦プロスティチュートっていうのは無理があるよね?」

 ぎゅっと、流れるように抱きしめられて、耳許で囁かれた。思わず両手をつっぱって、距離をとる。私の行動を読んでいたのか、ティアはバランスを崩すことなく、一歩後退した。
 目を細めて、まるで私の反応を観察しているみたいに、

「動揺しすぎだよ?」

 肩をすくめるそぶり。たまに見せる、演者のような、違和感のあるポーズ。困惑する私の顔を見て、ティアはニコリと微笑んだ。

「今夜が、楽しみだね」

 蠱惑こわく的な、笑み。
 その姿とあいまって、まるでおとぎの国の、雪の女王みたいだと思った。主人公の大切な友達を、その美しさでさらってしまう——恐ろしい女王様。
 そんな絵本があったような気がする。でもこれは、誰の記憶だろう?

「さて、他になにか、訊きたいことはあるかな?」

 まとう空気が変わる。穏やかな顔に戻った。うやうやしく胸に手を当て、私の唇に耳を傾けるようなポーズをした。
 私のもうひとつの頼みを、聞いてくれようとしているのだろうか。ただ、私の意欲は、もうだいぶ折れかけている。

「……ん? 洋服を、変えたいの? ……違う? あ、もしかして。洗濯をしたい? ……じゃなくて、君が、洗濯の仕事をしたいってこと?」

 私の身ぶり手ぶりでよく分かるなと、我ながら思う。会話するために、ティアもまた分かりやすく手を使ってジェスチャーをしてくれる。

「洗濯はね、このモーターホームには簡易のしかないんだよね。下着とか些細ささいなものなら洗えるけど……え、手で洗うの? それは無理だよ。なに言ってるの」

 ふふふ、と。上品な笑い方だけれど、これはほんのすこし馬鹿にされている気がする。洗濯は人ができることではないかのような。

「食器洗いも洗濯も、そんな前時代の人みたいなこと、しなくていいんだよ。人がやると傷むし……あ、この場合はね、食器や服だけじゃなくて、手も荒れるってこと」

——掃除も洗濯も、誰もお前に求めていない。

 サクラのセリフの意味が、今やっと深く分かった。私の頭に浮かぶようなものは、つまり私にできる可能性があるものは、彼らにとって取るに足らないものでしかない。
 じわじわと絶望感が押し寄せる。私はここで、意味をもたない。ほんとうに、体を開くことくらいしか、できることがない。

「ハウスに戻れば、もっと最新のマシンがあるから、驚くかも。最新っていうのは、要するに……世界がこうなる前のって意味で」

 すこしでも存在価値を見出して、そこから彼らに認めてもらおうと思ったのに。
 なにも、状況を変えるすべがない。

「どうしたの? 何かしたいの? ……心配しないで。何もできなくても、今さら誰も、君を追い出したりしないから」

 ティアが優しく私の頭をなでてくれる。

 今、気づいた。彼らは私のことを、幼子おさなごのように扱うときがあると思っていたが、そうじゃない。これは、ペットに向ける慈愛と同じだ。私の身長や人種における外見は関係していない。
 私の存在価値が、彼らにとってせいぜい愛玩動物でしかない。

「したいことをしてね? シャワーを浴びてもいいし、昨夜の疲れがあるなら、無理して起きていなくても、寝ていてもいい」

 ティアが、「あっ」と思いついたように声をあげた。

「外に出るのだけはなしね? 僕の待機中に逃げられたら、僕の責任だし。……ドアも、君では開けられないからね」

 逃げ道は、ない。
 どうせ逃げたところで、この知らない世界で生きていけるのかも分からない。彼ら以外の人間と出会うことで、状況が改善されるのかどうかも。

 私は、なんて無意味な人間なのだろう。
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