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聖女失格編
31確認をしろとあれほど……!
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薔薇の様な、甘く濃い香りがムワリ、と鼻を刺激する。とろりとこぼれ落ちそうなほどの甘い表情で、優しく微笑む顔は魔王というよりもどちらかといえば天使の様な美貌だ。思わずうっとりと見惚れそうになったが、ハッとユナの存在を思い出す。
「って、違う、ユナ! ユナを助けないと!」
とんだタイムロスだ。
ユナを見れば、もう黒く不気味な手は何本も水晶玉から伸び、嫌がる彼女の腕や髪や服を掴んでいる。
「! 離して!!」
掴まれた腕を振り払おうとするが、強い力でガッチリと固定されてびくともしない。
表情が抜け落ちた様な顔から一変して、魔王の目がニヤリと弓の様にしなる。
力ずくで殴りつける様に振り払い、両腕を扉にかけ勢いよく部屋に入ったと思うと、ひゅ、と強い力で扉の外に押し戻された。
いや、違う。引き戻された……!
私の肩にぱらりと黒い絹の糸のような、ぬばたまの髪がぶつかる。
ガッチリと背後から抱きしめられ、動くことができない。
「何故助けるんだい?」
「……っ!」
低い声が、耳の近くで響く。腹に落ちる様な声がくすぐったく身じろげば、それが可笑しいのか楽しげにぎゅうう、と拘束する力が強まった。
「た、たすけ……! こんなの、違う! 聞いてない! 知らない! デリウス! デリウス!いやぁぁぁ」
「やぁ、ユナ」
耳を劈く様な叫び声が、部屋の中にこだまする。ユナの目から大粒の涙がこぼれ、必死で助けを呼んでいる。それなのにこの男は、それを楽しそうに、見学でもするかの様に見ているだけ……!
「は、早く! こんなんじゃ、はやくはやくはやく! 死んじゃう! 死んじゃうからっ……!」
「はは!」
あり得ないタイミングで笑い声が響く。屈託のない笑い。本当におかしそうに、面白い様に笑う声。必死にもがくユナから、「え?」と戸惑う声が漏れた。
「ユナ、僕の可愛いユナ……どうしてそんなものに触れたんだい? 君が言っていた『帰る方法』ってやつかな?」
「デリウっ、そうよ! 聖女の力を注げば、魔物に力をいっぱい注いで強くなった聖女の力を注げば! 帰れるって!! ゲームでっ」
「へぇ、げーむ、ね……僕はそんなもの知らないな」
愛おしそうに、心底愛する者に語りかける様なゆったりとした口調で話す内容はまるで反する内容だった。ユナの顔が困惑と恐怖に歪んでいく。涙でぐしゃぐしゃになった顔がさらに険しく歪む。
「なっなんでぇ!?」
彼女の髪に、子供の手の様に変わった黒いモヤが一層激しく絡みつく。ユナが懸命にその手を剥いでも、いくらでも出てくる黒い手にイタチごっこになっている。
あんまりだ。
酷い嫌悪感で胸が苦しくなる。
懸命に足掻いてみるが、私に巻きついた魔王の腕の力は強まるばかりでびくともしない。足掻けば足掻くほど、骨が悲鳴を上げる。ミシリ、と軋む音が体の中から聞こえてきた。
「ユナの言う『げーむ』とは何かすら知らないんだよ……ユナの言うことはなんでも信じてあげるけどね、愚かで愛しい子……僕の聖女ユナ。本当に愚かで実に人間らしいユナ。その自分の知識を信じてやまない姿は本当に愚鈍で阿呆で可愛くて仕方がない。自身を過信し聖女と信じて疑わない自信家なとこも愛しているよ。僕は君の幼稚で馬鹿なところが大好きなんだ」
「なっなっ、デリウス……?」
うふふ、と愛おしげに、まるで子守唄を歌う様な穏やかな声に戸惑う。
本気で言っているのかこいつ?
「君が去ってしまうのは悲しいけれど、君の選択を許すよ、ユナ」
「いや、いやぁぁぁ……! たすけ、たす」
ユナの髪をひっぱり、服を引っ張っていた黒い手は、ギュルギュルと音を立てて、彼女の腕、口を覆い最後に目を覆うと一気に水晶の中にユナを引っ張り込んでしまった。一瞬の出来事で、瞬きをする暇すらない。助けを求める声は、テレビを切った時の様にブツリと途切れて、そこには静寂と、何もない空間が広がる。
初めから何もなかった様に。
「さようなら、可愛いユナ」
ぱ、と私を掴んでいた腕が離れて、ようやく体が自由になる。
ああ、どうしてだろう。
彼女はまだ子供だったはずだ。
大人がしっかりと導いてあげるはずの子供だったはず。
例え間違いを犯したとはいえ、謝るチャンスだって、やり直せるチャンスだって十分にあったはず。『聖女』だからとそのラベルだけを見て扱っていいものじゃない。勝手なイメージで万能扱いして、勝手に落胆して。
ふらりと、眩暈がする。
足に上手く力が入らない。
こんな誰かの勝手な都合で簡単に死んで良いわけじゃない。殺して良いわけじゃない。
勝手に聖女失格の烙印を押して良いわけじゃない。
覚束ない足取りのまま、部屋の中心に行けばユナを取り込んだ水晶がきらりと光って私の顔が映り込む。
あの小娘、やっぱり帰る方法知ってたんじゃない。私に黙って勝手に実行するなんて、本当にクソガキめ。職場での円滑な人間関係の構築の基本は感謝と謝罪なのよ。
だけど、それよりも何よりも。
それをちゃんと聞き出せなかった、手助けしてあげられなかった私のせいじゃない。
何が年上、何が聖女。脳死でユナには言葉が、常識が通じないと決めつけていたのは私の方じゃない———
『——たすけて』
黒い手に引っ張られる最後、彼女は私の顔を見た。助けてほしいって、私に言っていた。
何より、私がユナを助けたい……!
ここで聖女パワー使わなくて、どこで使うっていうの!!
「魔王! ちょっと手伝いなさい!」
「って、違う、ユナ! ユナを助けないと!」
とんだタイムロスだ。
ユナを見れば、もう黒く不気味な手は何本も水晶玉から伸び、嫌がる彼女の腕や髪や服を掴んでいる。
「! 離して!!」
掴まれた腕を振り払おうとするが、強い力でガッチリと固定されてびくともしない。
表情が抜け落ちた様な顔から一変して、魔王の目がニヤリと弓の様にしなる。
力ずくで殴りつける様に振り払い、両腕を扉にかけ勢いよく部屋に入ったと思うと、ひゅ、と強い力で扉の外に押し戻された。
いや、違う。引き戻された……!
私の肩にぱらりと黒い絹の糸のような、ぬばたまの髪がぶつかる。
ガッチリと背後から抱きしめられ、動くことができない。
「何故助けるんだい?」
「……っ!」
低い声が、耳の近くで響く。腹に落ちる様な声がくすぐったく身じろげば、それが可笑しいのか楽しげにぎゅうう、と拘束する力が強まった。
「た、たすけ……! こんなの、違う! 聞いてない! 知らない! デリウス! デリウス!いやぁぁぁ」
「やぁ、ユナ」
耳を劈く様な叫び声が、部屋の中にこだまする。ユナの目から大粒の涙がこぼれ、必死で助けを呼んでいる。それなのにこの男は、それを楽しそうに、見学でもするかの様に見ているだけ……!
「は、早く! こんなんじゃ、はやくはやくはやく! 死んじゃう! 死んじゃうからっ……!」
「はは!」
あり得ないタイミングで笑い声が響く。屈託のない笑い。本当におかしそうに、面白い様に笑う声。必死にもがくユナから、「え?」と戸惑う声が漏れた。
「ユナ、僕の可愛いユナ……どうしてそんなものに触れたんだい? 君が言っていた『帰る方法』ってやつかな?」
「デリウっ、そうよ! 聖女の力を注げば、魔物に力をいっぱい注いで強くなった聖女の力を注げば! 帰れるって!! ゲームでっ」
「へぇ、げーむ、ね……僕はそんなもの知らないな」
愛おしそうに、心底愛する者に語りかける様なゆったりとした口調で話す内容はまるで反する内容だった。ユナの顔が困惑と恐怖に歪んでいく。涙でぐしゃぐしゃになった顔がさらに険しく歪む。
「なっなんでぇ!?」
彼女の髪に、子供の手の様に変わった黒いモヤが一層激しく絡みつく。ユナが懸命にその手を剥いでも、いくらでも出てくる黒い手にイタチごっこになっている。
あんまりだ。
酷い嫌悪感で胸が苦しくなる。
懸命に足掻いてみるが、私に巻きついた魔王の腕の力は強まるばかりでびくともしない。足掻けば足掻くほど、骨が悲鳴を上げる。ミシリ、と軋む音が体の中から聞こえてきた。
「ユナの言う『げーむ』とは何かすら知らないんだよ……ユナの言うことはなんでも信じてあげるけどね、愚かで愛しい子……僕の聖女ユナ。本当に愚かで実に人間らしいユナ。その自分の知識を信じてやまない姿は本当に愚鈍で阿呆で可愛くて仕方がない。自身を過信し聖女と信じて疑わない自信家なとこも愛しているよ。僕は君の幼稚で馬鹿なところが大好きなんだ」
「なっなっ、デリウス……?」
うふふ、と愛おしげに、まるで子守唄を歌う様な穏やかな声に戸惑う。
本気で言っているのかこいつ?
「君が去ってしまうのは悲しいけれど、君の選択を許すよ、ユナ」
「いや、いやぁぁぁ……! たすけ、たす」
ユナの髪をひっぱり、服を引っ張っていた黒い手は、ギュルギュルと音を立てて、彼女の腕、口を覆い最後に目を覆うと一気に水晶の中にユナを引っ張り込んでしまった。一瞬の出来事で、瞬きをする暇すらない。助けを求める声は、テレビを切った時の様にブツリと途切れて、そこには静寂と、何もない空間が広がる。
初めから何もなかった様に。
「さようなら、可愛いユナ」
ぱ、と私を掴んでいた腕が離れて、ようやく体が自由になる。
ああ、どうしてだろう。
彼女はまだ子供だったはずだ。
大人がしっかりと導いてあげるはずの子供だったはず。
例え間違いを犯したとはいえ、謝るチャンスだって、やり直せるチャンスだって十分にあったはず。『聖女』だからとそのラベルだけを見て扱っていいものじゃない。勝手なイメージで万能扱いして、勝手に落胆して。
ふらりと、眩暈がする。
足に上手く力が入らない。
こんな誰かの勝手な都合で簡単に死んで良いわけじゃない。殺して良いわけじゃない。
勝手に聖女失格の烙印を押して良いわけじゃない。
覚束ない足取りのまま、部屋の中心に行けばユナを取り込んだ水晶がきらりと光って私の顔が映り込む。
あの小娘、やっぱり帰る方法知ってたんじゃない。私に黙って勝手に実行するなんて、本当にクソガキめ。職場での円滑な人間関係の構築の基本は感謝と謝罪なのよ。
だけど、それよりも何よりも。
それをちゃんと聞き出せなかった、手助けしてあげられなかった私のせいじゃない。
何が年上、何が聖女。脳死でユナには言葉が、常識が通じないと決めつけていたのは私の方じゃない———
『——たすけて』
黒い手に引っ張られる最後、彼女は私の顔を見た。助けてほしいって、私に言っていた。
何より、私がユナを助けたい……!
ここで聖女パワー使わなくて、どこで使うっていうの!!
「魔王! ちょっと手伝いなさい!」
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